第24話 My name is "Zero"

「あれ、ここ、どこだろう……?」


 目が覚めると、そこは見知らぬ部屋だった。


「あれ、あおい?」


 私が寝ているベッドの真ん中付近で、あおいが自分の腕を枕にして寝息を立てていた。

 久しぶりの親友の顔を見た途端、私の心が少し落ち着いたのが分かった。しかし、それと同時に大きな疑問が頭を過ぎった。

 なぜあおいがここにいるのだろうか? あおいはまだ騎士団の本隊で訓練を行っているはずだ。私と会うにはまだしばらく時間がかかるはずなんだ。

 それにそもそも私は大事なことを忘れている気がする。思い出さないと。私はさっきまで何をしていたんだっけ? 私はこんなところで眠っていていいわけがなかったはずで……。


 瞬間、フラッシュバックのようにある光景が頭の中を駆け巡った。


「あ、ああ……」


 大きな部屋。私の前を行く二人が、一瞬にして血溜りの中に落ちていく。「勇者様、お逃げ、ください……」と倒れこみながらもクラリスさんが必死に私に呼びかけていた。


「思い、出した……」


 私はあの場所で起こった全てを思い出していた。市役所への突入、二人の頼もしい活躍、そして一瞬にして暗転した意識……。なんてことだ、私は二人がやられてしまったショックで意識を失ってしまったの?

 あの後の記憶が全くないところを見ると、どうやらその線が濃厚なような気がする……。だとしたら最低だ! 仲間を見殺しにして、私は一人だけ生き残ってしまったというの!? そんな馬鹿な! こんなことあり得ない! 一体どこに、そんな勇者がいるというの!?


「確かめに、行かないと……!」


 私はいても立ってもいられずベッドから立ち上がる。でも、思うように足に力が入らず、情けないことにその場に倒れこんでしまった。

 体力の消耗が激しい。ショックで倒れた程度でこんなにも魔力を消費するだろうか?


「遥! 何やってるの!?」


 今の物音で起きたのか、驚愕した様子のあおいがすぐさま駆け寄ってくる。あおいは怒った口調で言う。


「馬鹿ね! あれだけ魔力を消耗したんだから大人しくしてないと、」

「あおい! 教えて!」


 あおいの言葉を遮って私は尋ねる。


「な、何をよ?」

「私は一体どうしたの!? どうしてこんなところでのん気に寝ているの!? それにあおいは、どうしてここにいるの!?」

「だーもう! 一度にあれもこれも聞かない! いいからまずベッドに座りなさい!」


 あおいに怒られやむなく私はベッドに腰掛ける。でもそれだけでは私の興奮は収まらない。私は再びあおいに迫った。


「あんた、覚えてないの?」


 あおいはかなり驚いた様子で私を見つめている。ただその瞳には、仲間を見捨てた罪人を非難するようなニュアンスは含まれていないように思えた。私は素直にどうしても思い出せないと言った。


「そっか、アレが出ている間は意識がなくなるのか……」


 あおいの言葉に引っかかりを覚える。


「アレって、どういうこと?」

「い、いえ、なんでもな…………ううん、こういうのは良くないわ。どうせ、あんたにもいつかは分かることだしね……」


 あおいの表情から迷いの様なものが消える。そして、彼女が口を開こうとしたその時だった。

 コンコンと、扉をノックする音が部屋の中に飛び込んできたのだ。


「なによ、変なタイミングで……」


 不機嫌そうなあおいが扉に近寄る。誰かと尋ねると、扉の向こうから「セレスティアです」との返事があった。普通に開けてあげるものだと思ったのだけれど、あおいはすぐには扉を開けずに更に尋ねた。


「何の用よ?」

「ハルカにお話があって、来ました……。申し訳ないのですが、部屋に入れてはもらえないでしょうか?」

「駄目よ。帰りなさい」

「え!?」


 あおいの言いように思わず声が漏れる。それでもあおいは気にした様子も見せない。扉の向こう側でセレスティアさんが息を飲んだのが私にも分かった。


「な、なぜですか? 私は、彼女をこの世界に導いた人間として、彼女の現状を把握する義務があります……。だから、あなたの横暴を許す訳には、」

「うっさい! 黙れ! 誰のせいでこんなことになっていると思ってんの!? あおいはあんたを少しは信用して遥を任せたっていうのにこれは一体どういうことよ!?」

「だ、だから、その原因を明らかにするために、ハルカと話をしようと思って……」

「はあ!? 今さら何言ってんの!? 原因なんて火を見るより明らかじゃないの! 一番の原因はあんた! あんたのスパルタっぷりは色んな人から聞いたわ! あんたらが軍隊方式なのは知ってるけど、遥はちょっと前まで普通の女の子だったのよ? それをいきなりあんたらの方式を押しつけるなんて、そんなの絶対間違ってる! あんたは遥を一体何だと思ってんの!?」


 私は思わず息を飲んだ。あおいが怒ることはよくあるけど、ここまで激昂しているのは初めて見た。何がどうなっているの? あおいをここまで怒らせていることは何? それに、その原因がセレスティアさんだなんて、私にはいよいよ理解出来ない事だった。


「わ、私のせいだと、あなたはおっしゃるのですか……?」


 苦しい息遣いで、セレスティアさんが尋ねる。それに対し、あおいは容赦ない言葉を浴びせた。


「そうよ! どれもこれもあんたのせい! 遥が、『遥の人格が分裂してしまった』のは、全部あんたのせいよ! ……あっ!?」


 あおいにとって、それは失言だったのだろう。言い終わった後、彼女はとても気まずそうに私を見た。だから私は尋ねた。


「あおい、私の人格が分裂って、どういうこと……?」

「えっと、それは……」


 私はフラフラっとした足つきで、あおいの元へと向かう。そして私はあおいの両肩を掴んだ。


「お願い、教えてあおい。私、あの時の戦いの、途中から何も覚えていないの。気付いたら、ここで眠っていて、でも、あの時のクラリスさんの叫びはしっかりと頭の中にこびり付いていて、もう、頭がどうにかなりそうなの……」


 そう言って、私の足から力が抜けていくのが分かった。身体の中の魔力が、明らかに不足していた。私は力なく両膝をついた。

 ポタリと、床の上に雫が落ちる。泣きたくなんてないのに、涙が両方の瞳から零れ落ちてきた。


「遥……!」


 地面にへたり込んでいる私を、あおいが抱きしめてくれる。あの時、月が綺麗だったあの夜と同じ様に、愛情の籠ったものだった。


「ごめん、あおいの配慮がなかった……。こんな風に、伝えるつもりじゃなかったんだけど……」


 あおいが涙声でそう言う。あぁ、あおいまで泣かせてしまうなんて、私はどうしてこう人に迷惑ばかりかけてしまうんだろうか……? 本当に私ってダメだ。勇者が聞いて呆れてしまう。


「ハルカ……」


 ふと気付くと、私たちの傍にセレスティアさんが立っていた。彼女はバツの悪そうな、なんとも言えない表情をしていた。


「セレスティア、さん……」

「ハルカ! 私は……」

「帰りなさい……」

「あ、アオイ、私は、どうしても、ハルカに……!」

「うっさい! どれもこれもあんたのせいよ! 遥はあんたらの駒じゃないんだ! 優しい心を持った人間なんだ! それなのに、あんたたちは……!」


 あおいがセレスティアさんを思い切り睨みつけながら怒鳴った。止めたかった。私のせいで言い合うのは耐え難かった。それでも、私の足は動いてくれない。


「私は、そんなつもりじゃ……」

「あんたの気持ちなんて知らない! 遥はあおいのものなの! だから、あんたには勝手に触れさせやしない!」


 あおいが右手を構える。そしてそこから青い糸のようなものが放たれ、それは一瞬にしてセレスティアさんを絡め取ってしまった。


「こ、これは……?」

「これ以上遥を傷付けるつもりなら容赦しない。このままあんたを氷漬けにしてやる……」


 あおいの表情はとても冗談を言っているものではなかった。歯止めが効かなくなったあおいは何をするか分からない。止めなくちゃ! 私が不甲斐ないせいでこんなことになっているんだから、これは私が止めないと!


――ハルカ、あなたは休んでいて。


 不意に、頭の中に声が響いた。あなたは誰? と私は頭の中の声に問いかける。


――あたしの名前は、そうね、さしずめ零レイといったところかしら。


 レイ、さん? あなたは一体何者なの?


――あたしのことはいずれ分かる。あたしはただ、あなたを守るだけだから。だから安心して眠っていて。


 ちょっと待って! そう言おうとして、意識が急速に薄れていくのが分かった。そして意識が切れる瞬間、私はその姿を見た。

 優しく微笑む、お母さんのようなその優しい女の人を……。

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