第23話 忘却 (Side - Others)
しゃがみ込んでいたハルカがゆっくりと立ち上がる。だがその目は、何物も捉えてはいないように思われた。
「は、遥!?」
『やめて……!』
アオイの言葉をハルカが遮る。ゆらりと立ち上がるハルカ。
「な、何よ……?」
動揺する女。ハルカはジリジリと彼女に迫る。アオイには目の前の少女が、彼女の良く知る幼馴染であるとは到底思えなかった。これは違う! 遥じゃない! では一体、この子は誰!? 思考が駆け廻るも、彼女の中では答えは出ない。
「こ、これでもくらいな!」
負けてたまるかと、精一杯の虚勢で女が魔力弾を放つ。だが、それはハルカに簡単に弾き返されてしまった。
光のシールドを携えたハルカは、次の瞬間、自身の右手を女の方へと向け、
『罪の無い人を傷つけるのは、もうやめて!!』
そう叫んだ。そして、強烈な衝撃波がその手から発せられた。
「な、なに!?」
必死にガードを試みるも、彼女の苦労は全くもって意味をなさない。あまりの風圧にガードは一瞬で破壊され、
「きゃあああああ!?」
そのまま彼女は壁に叩きつけられた。
本当に一体何が起きているんだ? 混乱しながらも、アオイはハルカの姿を見やる。その時彼女は言葉を失った。
「あんた、誰……?」
目の前の少女は、既に彼女の知る一ノ瀬遥ではなかった。
セミロングだったはずの彼女の髪は腰ぐらいまでの長さとなり、160センチほどだった身長も今や170センチを越えている。そして、どこか幼さを残すその顔は、今や完全なる大人の女性へと変貌を遂げていた。
「ちょっと、遥は……? 遥はどこ? 遥を、どこにやったの!?」
アオイが必死に尋ねるも、彼女は応えない。彼女はアオイには目もくれず、壁に激突し倒れている女の方へと向かう。そして、
「あ、ぐっ……」
ほとんど意識を失いかけている女の胸倉を掴み、右手一本で身体を持ち上げた。
「ちょ、ちょっと、あんた一体、何をするつもり?」
『この女は……』
アオイの言葉に対し彼女が初めて反応を寄越した。
「この女は、なによ……?」
『この女は、"ハルカ"を傷付けた。"ハルカ"が必死に守ろうとした人たちを、簡単に殺すと言った。だから、報いを受けさせてやる』
そう言うと、彼女は掴んでいた女を思い切り地面に叩きつけた!
「あぐっ!?」
「ちょっと!? そんなことしたら、そいつ、死んじゃうじゃない!?」
それでも、彼女は止まらない。これでもかというほど女を地面や壁に叩きつけようとする。
「も、もうやめて! これ以上やったら本当に死んじゃうから!」
『それになんの問題があるの?』
「な!?」
『こいつは人質を殺すと言った。そんな人間、殺されて当然じゃないの?』
あまりに冷徹な目に、アオイは震え上がりそうになる。それでも彼女は決死の想いで叫んだ。
「確かに本当に最低な人間だと思う。でも、だからと言ってそいつを殺したら、それこそそいつと同じになっちゃう……。遥は、絶対にそんなことはしないわ! お願いだから、遥を……遥を汚さないで!」
それはアオイの心からの願いだった。アオイにとってハルカは本当に大切な親友だから、今の彼女がハルカ本人であろうとも別の誰かであろうとも、ハルカの身体を使っている以上、ハルカにはそんな方法で恨みを晴らさせるような真似をして欲しくなかった。
彼女は一度アオイを凝視した後、女から手を離した。そして、部屋の中央付近で倒れているエアハート姉妹へと向かった。
「どうするつもり?」
『まだ生きている。二人を助けるわ』
そう言うと、彼女は二人の身体に手をかざす。そして、一瞬のうちに二人の出血が止まった。
『これで大丈夫』
「化け物じみた力ね……」
『そうよ。だってあたしは、化け物みたいなものだから……』
「遥の口でそんな寂しいこと言わないでよ。というかあんた誰? 早く遥の身体を返してくれない?」
アオイは口を尖らせて言う。だが、その問いに対し彼女は応えに窮してしまった。
「どうしたのよ? あおいの質問聞いてた?」
『え、ええ、聞いてはいたけど、その問いには答えかねるわ』
「なんでよ?」
『だってあたしは、自分が誰かなんて、分からないから……』
「はあ?」
さっきまでの凛とした雰囲気はどこへ行ったのやら、彼女はすっかり表情を暗くさせてしまった。予想外の反応にアオイも困惑せざるを得なかった。てっきり、ハルカの身体を通りすがりの魔術師が乗っ取ってしまったものだと思っていたのに、その当人が自分が誰か分からないなんて思いもよらなかったのだ。
「どうしてそんなことになってるのよ……。自分が誰かも分からない状態のくせに、遥の身体を乗っ取った訳?」
『乗っ取る? そんなことはしていない。あたしはハルカが生み出したもう一つの人格よ。だからあたしは、あたしを生み出したハルカを守っているのよ』
「も、もう一つの人格って、そんなの、二重人格ってことじゃないの……」
アオイは彼女の言葉に動揺を隠しきれないようだった。人格が分裂するなど、彼女にしてみれば漫画やドラマでしか見たことのないような、あまりに現実離れした事象だったからだ。
アオイは思わず頭を抱えた。確かに悩みの多い子だったけれど、少し前まで彼女はそんな素振りなど一度も見せたことがなかった。にも関わらず、どうして短期間でそんなことになってしまうのか、アオイには到底理解出来なかった。
「どうして、そんなことに……」
『この世界が、彼女にあまりに優しくないからよ。どいつもこいつも自分のことばかりで、彼女の気持ちなど考えもしない。あたしはこれ以上、彼女が傷付くのは見たくない。それに、まだここでやるべきことは終わっていないわ。これから人質を全員解放する。ハルカの優しさは、あたしが守り抜いてみせるわ』
そう言うと、彼女は目を閉じる。
「何をしているの?」
『ここにいるテロリストの位置を探っている……捉えた!』
瞬間、彼女の身体が眩い光を放った。とんでもない魔力の波動をアオイは感じた。
『全員の動きを止めた。今のうちに親衛隊を突撃させたらどう?』
「え? ほ、ホントにテロリスト全員の動きを止めたっていうの……?」
『ええ本当よ。ゆっくりと生気を吸い取っているから、早くしないと死んでしまうかもね』
彼女はそう言ってニヤリと笑う。
「じょ、冗談じゃないわ!」
いくらテロリストとはいえ大量殺人など見過ごせる訳がない。アオイは急いで心の中でセレスティアに呼びかけた。
「アオイですか!?」
「煩いわよ。信じるかはあんた次第だけど、今テロリストが全員行動不能になっているわ。今の内に親衛隊を出撃させなさい」
若干間を置いた後、セレスティアが答える。
「た、確かに、私の魔力感知ではテロリストの動きが停止しているように感じます。しかし、一体、どうやってこんな真似を……? まさか、ハルカが?」
「残念ながら外れ。これは通りすがりの魔術師の仕業よ。そんなことはどうでもいいから、早く突撃しなさい。これで失敗したらあんたのこと一生馬鹿にしてやるわ」
「な!? あ、あなたはこんな時まで、喧嘩を売って……!」
「いいから! 早くしないと、もう大切な人に、会えなくなるかもしれないわよ……」
アオイはハルカの身体を使っている少女を見やる。彼女はハルカによって生み出されたと言った。そして現状ハルカの身体を明らかに支配しているように思える。だとしたら、本当にハルカは戻って来るという保証はあるのだろうか? 彼女はまた親友と言葉を交わすことができるのだろうか? それを考えると、アオイは心を締めつけられる思いだった。
「それは一体……」
そう尋ねようとして、セレスティアは言葉を噤んだ。面と向かっていなくとも、アオイの様子がおかしいことは彼女にはよく分かっていた。
「分かりました。すぐに親衛隊を出撃させます。連絡、どうもありがとうございます」
「礼なんていらないわ。それよりも、絶対にしくじらないでよ」
アオイはそれだけ伝えると通信を切断した。テロリストの逮捕も大事だが、今の彼女にはハルカの今後が気になって仕方がなかった。
「絶対に、返してもらうから……」
彼女に聞こえないくらいの声でアオイは言った。大勢の人間の怒声が階下に響き渡ったのは、ちょうどその時であった。
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