第22話 異変 (Side - Others)
セレスティア・アークライトは焦っていた。市役所に乗り込んでいったハルカを初めとした三人から一切の応答がなくなってから既に五分が経過していた。
彼女らが三階を制圧し、二階に侵入したのが今から八分前。そして最後に連絡があったのが、これから二階の会議室に入るというものであった。
それから一切の連絡が途切れた。実にマメな彼女らしく数分おきに送られてきていた状況報告が途切れたことはセレスティアを動揺させるには十分なことであった。
しかし、それでも彼女らの反応が完全に消えた訳ではなかった。通信による心的な繋がりを持っていたハルカの鼓動は今でも確かに感じることができた。それはつまり、ハルカが生きていることの証明に他ならない。だが、その鼓動が今明らかに乱れている。戦って怪我をしたのか、それとも、精神的に大いに動揺することが起こったのかは分からない。だが少なくとも、彼女に何らかの異変が起こったことは明らかだった。
「ハルカ……」
既に親衛隊による突撃準備は完了していた。彼女らは、ハルカからの連絡を今か今かと待ちわびている。ふと、セレスティアの視線が一番馴染みのある魔術師であるリアへと向けられる。リアの表情には曇りがない。彼女はハルカが本作戦を完遂させることを信じて疑っていない。それは、その横の他の隊員にも言えることだ。
そんな彼女らに対し、この状況を一体どうやって報告するのか? 自らが立てた作戦が失敗し、勇者が致命的なダメージを負ったとあれば、彼女らの士気が大幅に低下することは免れない。自分への批判は後でいくらでも受けるが、今ここで彼女らを不安に陥れることだけはできない。ここでの作戦失敗は、人質四十人の命が失われることと同義だ。国民を守るためこれまで戦ってきたというのに、目の前で大勢の人間が殺されることなど、彼女にとってとても許せることではなかった。
「どうしたら、いいんですか……」
それだけに、彼女の心は揺れに揺れていた。ここで作戦の失敗を伝え、今すぐに別の作戦に切り替える。そして僅かな可能性に賭けてハルカたち三人の救出に向かう。それが最善なのは分かっている。それでも、今の彼女にそれを伝える勇気は残されていない。セレスティアが何度も襲いかかる重圧に押しつぶされそうになりながらも、奇跡的な成果を挙げてくれたハルカ。今のセレスティアにとって、彼女だけが心の支えであり、彼女の存在こそが心を繋ぎ止める唯一のものであった。
そのハルカが、今まさに命を落とそうとしている。助けに行きたいのに、ここでの作戦失敗が自分の心を粉々に打ち砕いてしまうことを知ってしまっているだけに、彼女は動けなかったのだ。
そんな彼女の元に、久方ぶりのあの人物が訪れたのは行幸と言えることだったのかもしれない。いつもセレスティアと喧嘩ばかりし、彼女にあまり敬意を抱いていないからこそ、その人は誰よりもストレートな感情を彼女に伝えることができた。そして、ハルカを心から大切に想うからこそ、くだらないプライドや規則など顧みずに彼女を助けに行く事ができるのだ。
「あ、あなたは……?」
「今すぐ状況報告しなさい」
「じょ、状況……?」
「遥が危ないんでしょ……? 早くあの子の居場所を吐きなさい」
どうして彼女がそれを知っているのかと、セレスティアは一瞬疑問に思ったが、彼女がハルカとどれほど長い年月を一緒に過ごしたのかを思い出し、彼女らの繋がりの深さを考えればこの状況を容易に理解出来たのもそれほど不可思議なことではないように思われた。
「市役所二階の、会議室付近だと思います」
「根拠は?」
「その部屋に入ると言ったまま、もう五分以上連絡がありません……。あの部屋でなんらかの事故があったと考える方が、自然だと思います……」
その人物はそう伝えるセレスティアを睨みつける。
「分かってんなら、なんで助けに行かないのよ?」
「助けに行きたいのは山々です。ですが、今ここで我々が乗り込んでは人質の命がありません。全員を危険に晒すことはできません」
「はんっ! 遥たちが見つかっている時点で人質なんて生きている保証ないじゃない」
「いえ、確かに人質たちの気配は消えていません。彼らはまだ生きています」
「だったら、このまま手をこまねいている訳? あんたらの救世主を見殺しにする訳?」
そんなことは言われるまでもない。セレスティアだって手があるなら今すぐにでも彼女を助けに行きたいところだ。だが残念ながら、今の親衛隊には誰にも気付かれずに建物内に侵入できる人材はいない。エアハート姉妹と連絡がつかない今、彼女にはもはや成す術がなかった。
彼女の心からの悔しそうな表情を見て、その人も彼女を挑発することはやめた。でも、彼女の表情から余裕が消えさることはなかった。
セレスティアは今のその人のそんな態度が理解出来なかった。状況はどう考えても最悪だ。あまりに絶望的なこの状況で彼女が余裕を失っていないのは理解しがたいことだった。
「ではあなたなら、どうにかできるのですか……?」
「できるわよ。位置が分かるのなら、今すぐ助けに行けるわ」
そう言うと、彼女は右手を中空にかざし、
「魔力感知、空間把握、座標確認……」
右手を勢いよく握りしめた。そして、次の瞬間には、
「……目標、捕まえた!」
アオイはハルカの元に姿を現していた。
そこは市役所の広い会議室。そこに、フードを被った人間が五名、他に明らかに格の違う魔術師が一人。
足元には、血だらけで倒れている二人の魔術師。もうすでに、僅かな魔力しか感知できない。そして、彼女が探している肝心の人物は……
「遥!」
放心状態で、地面にへたり込んでいた。だが、彼女の周りは強烈な光が彼女を守るように囲っており、テロリストたちは彼女になかなか手出しが出来ない様だった。
来たばかりのアオイにはこの状況をすぐには把握できなかったが、彼女の様子を見るに、彼女の意図せざる力が働いていることだけは間違いなさそうだった。
「魔力が暴走しているの……?」
彼女が魔力に触れていた時間は非常に短い。それでも、なんとかハルカに追いつこうと彼女は努力に努力を重ねた。来る日も来る日も訓練を重ね、魔術を基礎から勉強した。魔術の暴走は、その中でも非常に稀な現象として扱われていた。というのも、魔力が暴走するケースというのは、魔術師が自身で制御できないほどの膨大な魔力を生み出す時だけだからだ。普通の魔術師は自身がコントロールできなくなるほどの魔力を生成することはできない。だが、ハルカのような選ばれた人間は別だ。普段は精神力でコントロールしているものが、精神に著しい影響をきたした時、それは制御を失って暴走する。それが今まさに起こっている。
アオイは光の結界へと手を伸ばす。だが、
「痛っ!? この結界、敵味方の区別がないの?」
悪の心を持たないはずのアオイですらそれに触れることは叶わなかった。このままでは、力が更に暴走してハルカ自身を傷つけかねない。そうなる前に、彼女を助けださねば。
「そこの魔術師! まさか敵陣の真っただ中に飛び込んでくるとはね! あなたも彼女同様おまぬけとしか言いようが無いわね!」
格上のテロリストと思しき人物がアオイを挑発する。その人物はその手にロッドを持ち、今にもアオイに魔力弾を放とうと構えている。
「煩いわね。あおいは今忙しいの。外野は黙ってなさい」
「無防備のくせによくそんな戯言が吐けるわね! 侵入者は皆殺しにしろと指令が出ている。我々『鉄の翼』に刃向かうことがいかに無謀なことであるか、今その身をもって……」
「黙んなさいよ。舌噛むわよ」
「な!?」
振り返った時にはもう遅かった。そこには、蒼色の人型のシルエットのようなものが、その拳を構えているところだった。そこにいるのが何なのか、そして、これから何をしようとしているのか、彼女には理解出来なかったし、殴打された後舌を噛んでしまったことも、彼女にはやはり分からなかったのだった。
「な、何をしたんだ貴様!?」
リーダー格があっさりやられ動揺するテロリスト達。まさか二人の魔術師を倒した彼女が、こうもあっさりやられてしまうなど一体誰が考えるだろうか? そして、彼らもまたこれ以上何かを考える間もなく意識を閉じることとなる。
「ま、また影が!? う、うわああ!?」
「い、糸みたいなのが身体に!? つ、冷た……」
「貴様あ! 一体何をした!?」
一見するとアオイは何もしていないように見える。だが、その間に敵は次々と倒れていく。室内に人の声が聞こえなくなった頃、アオイは言った。
「戻りなさい、『あおいの糸ブルーライン』」
彼女の声に呼応して、彼女の腕に糸が絡まっていく。そして、彼女が力を緩めると、糸はその形を失っていった。
「なるほど、それがあなたの魔術って訳ね……」
「あら、まだ生きてたの? 結構しつこいわね」
アオイの視線の先には、さきほどあっさり倒れてしまったはずのリーダー格の女がいた。フード付きのローブを脱ぎ捨てたのか、その意外と美人な素顔が露わになっている。
「意外とは失礼ね!」
「誰に話しかけてんのよ、あんた?」
「あなたに決まってるじゃない! 収束させた魔力を糸の形状にし、変幻自在に結えて形を変える。初めて見る魔術だけど、ざっとそんなところでしょうね」
女がそう言うと、アオイは不機嫌そうにふんっと鼻を鳴らした。
「それで何? 舌噛んだせいで口から血が出てるけど、まだやるつもり? あおいはそこのお姫様を連れて帰らないといけないんだけど」
「う、煩いわよ! あなた生意気でホントムカつくわ! それに、勇者を渡す訳にはいかない! 彼女には我々の新たな人質になってもらう。そしたら、残りの人質は用無しね。目に着いたやつから殺していってやるわ」
そう言って女は鼻につくような高笑いを上げた。
「この悪魔が……」
決して怒りを表情には出していないものの、アオイが今キレているのは誰の目にも明らかだ。彼女はセレスティアやリアがやるように、どこからか自身の武器である槍ランスを取り出していた。
「遥の前で、そんな戯言絶対に……」
――許さない。アオイはそう言うつもりだった。だが、それは予想していなかった言葉によって遮られた。
『やめて……』
アオイのものでも、ましてや女のものでもない声が、会議室内に響き渡る。二人は同時に、先程まで放心状態になってしまっていた少女の方へと視線を向けた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます