第14話 すれ違う二人

「まさか、こんな、手で……はあ……やられるとは、はあ……思いも、しなかったですよ……」


 セレスティアさんが涙目で私を恨めしそうに見つめている。


「あはは……。まあでも、とにかく勝ちは勝ちですからね! ちゃんとセレスティアさんに一太刀入れたんですからね」

「確かに、勝負は、あなたの、勝ちです……。ですが、私はあなたに、問わねばならないことがあります」


 セレスティアさんが真剣な顔を向ける。私は、彼女のただならぬ気配を感じて思わず身構えた。そして、彼女が尋ねた。


「なぜあなたは最後、あんな生易しい方法をとったのですか?」

「え? なぜって……」

「確かに、私の頭に一太刀入れることが勝利条件ではあった。だけど、あんな子供じみた方法で得た勝利など、実戦で一体何の役に立つというのですか?」

「そ、そんな言い方……。まさか、セレスティアさんは、あれが無意味だとでも言うんですか?」

「はい、無意味です」


 あまりにはっきり、彼女はそう言った。


「わ、私はただ、必要以上に相手を痛みつける必要はないと思っただけです! ワンドを取り落とした時点で私の勝利は決まったも同然でした! だったら、それ以上あなたに攻撃を加える必要もないと……」

「甘い! そんな考えは甘すぎる!」


 私の言葉を遮って、彼女が怒声を上げた。私はあまりのことに思わず身体が硬直してしまった。


「ハルカ、あなたの勝利は確かに素晴らしい。だが、私はそれを祝福することはできない。あなたは戦いの恐怖を何も分かっていない!」

「そ、そんなことありません! 確かに実戦経験は少ないですが、戦いがどれほど怖いかくらい、私だって分かっているつもりです!」


 初日、昨日、そして今日と、私は確かに戦いを経験してきた。その中で、命の奪い合いの恐怖を少なからず感じてきた。決して生半可な気持ちで私はここに立っている訳じゃない。


「いいえ! あなたのような半人前は、何も分かってなどいません!」

「な、なにもそこまで言わなくてもいいじゃないですか!?」


 私も思わず声を張り上げる。彼女に勝ったことを真っ先に褒めてもらえると思ったのに、まさかの叱責を食らったのだ。頭に来るのも当然だ。


「ハルカ、これは何も意地悪で言っているわけじゃありません。私はあなたのためを思って言っているのです。戦いにおいて油断することがどれほど恐ろしいことか、あなたには理解して欲しいのです」


 そう言って、セレスティアさんは私の手を取り、ジッと目を見つめて言った。


「かつて、一人の魔術師がいました。彼女は同年代の魔術師の中では頭一つ出ているほど優秀で、魔術も身体術もピカイチでした。ですがある時のことです。彼女は一つの任務を命じられた。それは小さな反乱を鎮圧するという簡単な任務だった。だから油断した。その結果、もう前線には復帰できないのではないかと思われるほどの大怪我を負ってしまった……」


 彼女から目が離せない。でも、私は何も言えない。彼女の言葉は続く。


「彼女が復帰できたのは、ただの奇跡です。それでも、以前の様な動きはもうできませんでした。それだけ、彼女が一瞬の油断で失ったものは計り知れなかったのです……。だから私は、あなたにはそんな思いをしてほしくないんです。それだけはとうか、分かってください……」


 彼女の言葉が終わる。私は固まったままそこから動けない。彼女が言った。


「すみません、余計なことを言ってしまったかもしれませんね……」


 彼女は今にも泣き出しそうな、そんな顔をしていた。それでも、私の心は落ち着く兆しを見せなかった。


「そんなことは、ないですよ……」


 それだけ、私はなんとか絞り出すことができた。でも、それ以上続く言葉はもうなかった。

 二人の間に重苦しい空気が流れる。しばらくして、その空気を振り払うように、彼女は言った。


「さあ、時間はまだお昼前です! 訓練を続けましょう! あなたはどうやらハードな特訓を少しも苦にしないようですから、次もこんな感じでいかせてもらいましょうかね」


 場の空気を和ませるように彼女が悪そうな顔でニヤリと笑った。私は、それに応えようと、必死に笑顔を作ろうとした。でも結局私は、わざとらしく「あはは」と笑うことしかできなかった。

 その後も訓練は続いた。次第に、私も普通に笑えるようになった。でもついぞ、二人の間の微妙な距離感が解消されることはなかった。



 今思えば、どうしてここでハッキリと言わなかったのだろうか? 彼女と私の間で、明確なズレが生じていたにも関わらず、なぜそれを突き詰めようとはしなかったのだろうか? なぜ、曖昧に笑って、その違和感がただの勘違いであることを願ったりしたのだろうか?


 油断。確かに、あそこであの様な決め方をすれば、油断している、気が緩んでいる、と捉えられないこともない。でも、私はあの時少しとして油断などしていなかった。むしろ感覚が研ぎ澄まされていて、いかに勢い余って彼女の頭を殴りつけてしまわないかに気を配っていたほどだ。


 あそこで私は、彼女を全力で殴りつけていればよかったの? そうすれば、彼女は納得して私に合格点を出していたっていうの?

 私は、そこに到底納得することはできなかった。確かに、戦いで手を抜けばそれが死に直結する可能性が高まる。でも、私は手を抜いた訳じゃない。状況に応じた戦い方をしたまでのことだ。それでも彼女は、私に「手を抜くな!」と喝を入れるのだろうか。

 分からない。今の私には答など出せそうになかった。


「お帰りなさいハルさん。って、どうしたんですか!? 初日からそんなにボロボロになって!?」


 出迎えてくれたフランさんが驚愕する。私自身が気付いていなかったのだけれど、私の服はそこらじゅうに穴が空いていて、とても今日下ろしたてのものには見えなかった。


「あはは、ちょっと訓練に熱が入っちゃいまして。でも大丈夫です。特に怪我とかはないので」

「いやいや! ちゃんと見てください! 顔だって、足だって擦りむいてるじゃないですか!? もう、どうしてセレスティアさんは戦いの後のケアをしてくれないんですかね!」


 フランさんがプリプリしている。私のために怒ってくれているのは素直に嬉しかった。自然と、私にも笑顔が漏れた。でも……


「あの、ハルさん、大丈夫ですか? 少し表情が暗い様ですが……」


 心に潜んでいるモヤモヤを、彼女は見逃したりしなかった。


「え? そ、そんなことありませんよ! 私はいつも通り元気です!」

「嘘ですね」

「は、はっきり言いますね……」

「それはこれだけ分かり易ければすぐに分かります。ご主人様の心のケアもメイドの仕事です。何かあったら、すぐに言ってください。まだまだ力不足ですが、少しばかりならあなたの心を癒やせると思いますので」


 フランさんがほほ笑む。今の私には、その眩しいばかりの笑顔が何よりも嬉しかった。


「ハルカさん」

「ミナトちゃん!」


 奥から出てきたのは、すっかり顔色も良くなったミナトちゃんだった。私はこちらにやって来た彼女をギュッと抱きしめた。


「元気になって良かったね!」

「はい。フランチェスカさんが、とてもよくしてくれたんです」

「そっか! フランさん、どうもありがとうございます!」

「いえいえ。これぐらい、朝飯前ですよ。それに、ミナトさんはとても素直で言うこともしっかり聞いてくれたので、何も苦労することはありませんでしたよ」


 そう言ってフランさんがミナトちゃんに笑顔を向ける。それに対しミナトちゃんはあまり表情を変えずに、「ご迷惑をおかけするわけにはいかないので」と言った。


「そうだミナトさん、今日は少し暑かったので汗をかいたんじゃないですか? よかったらお風呂でもどうです?」

「お風呂、ですか……? いいんですか? わたしは居候なのに、お風呂になんて入って……」


 申し訳なさそうな顔をするミナトちゃんと、少し困り顔のフランさん。

 彼女のことは、正直まだ何も分からない。でも、彼女がとても素直で良い子なのは分かる。だからこそ、私は彼女にそんな風に委縮して過ごしてほしくはなかった。

 だから私ははっきり言うことにした。そうじゃないと、きっとこの先彼女の笑顔は見られない様な気がするから。


「ミナトちゃん」

「はい?」

「ミナトちゃんは、居候なんかじゃないよ。今やあなたは立派な私のルームメイトなんだよ。ルームメイトは家族同然。何も遠慮することなんてないんだからね」

「わ、わたしが、ルームメイト、ですか……?」

「そう! そして、フランさんは私たちの面倒を見てくれるお母さんみたいな存在なんだよ!」


 「そうだよね?」と私がフランさんに目配せすると、彼女は少し照れ笑いを浮かべながら、「お母さんはまだ早いですけどねえ」と言っていた。


「お母さん……。じゃあ、そうすると、ハルカさんは……」

「お姉ちゃん、ってことになるのかな? ははは! 私一人っ子だからなんか新鮮!」


 自分で言っておいて何言ってるんだとも思いつつ、この奇妙な三人組が私にとってはとても面白く感じられた。すると、ミナトちゃんが神妙な顔で、


「お姉ちゃん、お姉ちゃん……」


 と、何度も言葉を反芻させた。何かまずいことでも言ったかと不安になり、私は、


「お姉ちゃんは、ちょっと違ったかな……? ごめんね、一人で盛り上がっちゃって……」


 と、硬い表情のままの彼女に向かって言った。すると、彼女が慌てた様子で言った。


「あ、謝らないでください! 違うんです。お姉ちゃんが嫌だったわけじゃないんです」

「そ、そうなの?」

「はい。私にもお姉ちゃんはいないので、なんかとても、感慨深くて」


 そう言うミナトちゃんの顔には、少し笑顔があった。私はつい嬉しくて、彼女に向かって満面の笑みを返した。


「ささ、お二人が姉妹になったところで、ミナトさんはお風呂に入っちゃいましょう!」

「は、はい」


 フランさんがミナトちゃんを浴室へと連れて行く。そして、数分して彼女だけが戻って来た。


「お疲れ様です、フランさん」

「ありがとうございます。ハルさんも初日から本当にお疲れ様です。怪我の手当てをするのでそこに座ってもらっていいですか?」

「あ、はい。ありがとうございます」


 フランさんに促されて私は椅子に腰かける。


「力を抜いて、リラックスしてください」


 フランさんが耳元で囁く。私は力を抜き、目を瞑った。

 私の後ろに立つフランさんが魔力を溜めているのが分かる。それは私は今まで戦いの中で経験した攻撃的なものではなく、私を包みこんでくれるような温かみのあるものだった。

 彼女の手が私の両肩に触れる。それと同時に、私の身体を癒やす光にこの身が包まれた。

 セレスティアさんと言い合い、ささくれ立っていた心に平穏が戻る。まるで波が静けさを取り戻すように。

 顔の痛みや、足の擦傷が癒えていく。私は心地よくなって、まるで温泉にでも浸かった時みたいな溜息をもらした。


「これで終わりです。満足していただけましたか?」

「はい。すっかり堪能してしまいました」

「ふふ、それは良かったです。それでは、お食事の準備をしますので、ハルさんは引き続きごゆっくりしていてください」

「あ、それなら手伝いますよ?」

「いいえ。お気持ちはありがたいですが、これはわたしの仕事なので、お手伝いは不要ですよ」


 フランさんが私に対してニッコリ笑う。私は彼女の気持ちに甘え、そのまま椅子に腰かけることにした。私は腰かけたまま尋ねた。


「ミナトちゃんのことは、何か分かりましたか?」


 キッチンで色々と準備をしながら彼女が答える。


「いえ、まだ何も。彼女自身、何も語りたがろうとしないんです……」


 フランさんが申し訳なさそうな顔をする。


「そうですか。まあ、ミナトちゃんに関してはしばらく時間が掛かるかもしれませんね。あまり問い詰めても彼女を追い詰めてしまいかねませんし、ここは気長に待つのがいいですね。フランさんにはご迷惑をおかけしますが……」

「わたしのことはお気になさらず。彼女のことは慎重に調べた方がいいかもしれません。彼女の素性が全く分からない以上、下手に刺激するのは危険ですから。あ、もちろんわたしは彼女自身が危険だとは思っていませんよ。彼女から邪悪な魔力は感じられませんから。むしろ心配すべきなのは、彼女を使って良からぬことを企んでいる連中がいる可能性です。魔術の中には、人を意のままに操るものもあります。もし敵にそんな力を持つものがいて、彼女が利用される様なことがあると、大変なことになってしまいますからね」


 魔術に触れている時間はまだほんの数日だけど、私にもミナトちゃんから危険な気配が全くしないことは分かっていた。私のホーリーガードが発動していないのがその証拠だ。

 ミナトちゃんが自身の素性を全く語ってくれないと、実際問題として私たちは動きようがない。彼女に関係する人間を当たることも、彼女の本来いるべき場所を探すこともできないからだ。


「年頃の女の子は扱いが難しいです。でも、ミナトさんはとても素直な子だと思うので、時間が経てばきっと自身からわたしたちに事情を話してくれるでしょう。それまでは、わたしとわたしの一族が責任を持って彼女を守ります。彼女のことを外部には絶対に漏らしません」


 彼女はそうはっきりと私に宣言してくれた。その表情からは自信がみなぎっているのが分かる。私は安心して彼女に甘えることにした。


 それからの数日間、私はこの部屋と訓練場を行ったり来たりした。朝早くから訓練場へと赴き、セレスティアさんのしごきを受け、夕方にはフランさんとミナトちゃんの待つここへと戻る。その間にも、私の荒削りだった魔術使用、身体術にも磨きがかかるようになった。私の上達ぶりに、セレスティアさんも目を見張っている様だった。


 でも、私が初日に抱いたあの違和感、彼女との間に横たわる越えようのない溝が、ついぞ私の中から完全に消えることはなかった。それでも、私はこの間を無難に過ごしきった。そして、ある程度の自信も得た。だけど、あの日抱いた違和感を解消しなかったツケが、この日ついに回って来ることとなる。一体私はどうなるのか? 本当に勇者としてやっていけるのか? 今の私は、その結果をまだ知らないのだった。

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