第11話 別れの夜

 辺りはすっかり寝静まり、人の声は全く聞こえない。昼間は温かかったこの風も、夜は僅かに肌寒さを感じさせるほどになっていた。寝間着姿で部屋を飛び出した私は、もう一枚何かを羽織って来ればよかったなと後悔しながらも、月明かりのみに照らされている城外の道を歩いた。

 この世界の月は、私たちの世界よりも青白い光を放っており、月明かりだけでもしっかりと足元を確認することができた。そして、その月を引き立たせるように幾万の星もその周りで爛々と瞬いていた。

 人工的な光などほとんどないのに、この世界は私たちの世界よりも明るい。今なお、各地で戦火が巻き起こり、沢山の人が命を落としていることが信じられないほどに。

 この空を、涙で滲んだ瞳で見上げている人がいるはずだ。私は、その人たちの涙を拭ってあげたかった。

 今日のこの空が、最期の星空になってしまう人もいるはずだ。私は、その人たちにこれからもこの空を見せ続けてあげたかった。

 私は、胸の前で手を組み、そんな人々のために祈る。そして、彼らのために戦うことを改めて心に誓った。


「まるで女神みたいね、あんた」

「あおい……?」


 門の影から、あおいが姿を現す。


「この月明かりなら、あんたを女神さまと見間違う人もいるかもしれないわね」

「まさか。私なんかじゃ似ても似つかないよ」

「そりゃ似てないでしょ。これだけ暗けりゃ女神だって嘘ついてもばれないんじゃないかと思っただけよ」


 相変わらず失礼なあおい節。でも、私はそれを全然不快だとは思わなかった。あおいの言葉をそのまま受け止めていては駄目だ。彼女の言葉にはいつだって裏があった。私は長い付き合いの中で、それを瞬時に理解できるようになっていた。


「結構待った?」

「待ったけど、この空を見ていたから大して暇はしていなかったわよ」


 あおいらしい言葉。私の心がどんどん安心していくのが分かる。


「そっか。ありがと」

「ふん。ちょっと座る? 色々あって疲れたんじゃないの?」

「うん。座る」


 二人して城壁を背もたれにして腰を下ろした。私は城を、あおいは寮を抜けだしてきているはずなのに、私たちには少しも焦りはない。本当は分かっているんだ。私たちの近くには今、セレスティアさんがいる。彼女は私とあおいが交わした言葉を聞いていた。だから、ここに私たちが来ることを知っている。でも、知っていながら姿を現さないし、口をはさんだりもしないんだ。だから私たちも甘えることにした。今日がもう最後だから。私とあおいが、普通の女の子として、何の気がかりもなく会うことができる最後の日だからだ。


「あのメイドの子とは上手くやれそう?」

「うん。きっと大丈夫だと思う」

「そ。まあ、あんたなら上手くやれない人を捜す方が難しいでしょうけどね」

「あはは。じゃあ、あおいはどう? 寮なんて今まで住んだこともないし、大変なんじゃないの?」

「別にあんたに心配される様なことはないわよ。あおいだってもう大人だし、周りに合わせることぐらいできるわよ」


 そう言って、あおいはプイッとソッポを向く。


「そう? でも、あんまり無理しないでね。本当に辛くなる前に私に言ってよね」


 私は向こうを向いたままのあおいに対して言う。


「わ、分かったわよ! 本当にきつかったら言うわよ! ったく、あんたっていつもそうなのよね……。せっかく心配して来てやったのに、全然元気そうじゃないの……」


 ぶつぶつと文句を言うあおいを私は笑顔で見つめていた。でも実際、あおいのことが心配なのは本当だ。今でこそ私たちはバンドメンバーとも仲良くやっているけど、最初の方は結構大変だった。あおいは人見知りだ。それに、最初の印象が悪い人とはすぐに壁を作ろうとする。部活内でもそういう態度をたまに見せるから、結構部活内では彼女の敵も多かった。そんな彼女を私はなんとか輪の中に入れようとした。理由は単純に、もっと、彼女の良い面をみんなに見て欲しかったからだ。

 結局、私とあおいは四人のバンドを組んだ。二人は、あおいが難しい性格ながらも、その中の良い部分もしっかり見出してくれた人たちだった。そういう人たちが沢山いてくれればいいけど、世の中はそういう人ばかりじゃない。途方もない悪意を持つ人や、素直に人の良さを見出そうとしない人なんていくらでもいる。私は、そんな人のためにあおいが傷つくのは見たくないし、彼女の良さが見出されないのも嫌だと思った。だから本当は、私はあおいの傍にいたかった。傍で、皆との距離が縮まるのを見ていたかったんだ。


「ちょっと、遥ってば」

「え? 何?」

「ったく、あんたって子は……。大丈夫よ。もう、あの時みたいなことはないわよ。あの時よりもあおいはずっと大人になったし、もうヒーローの登場なんて期待してないって」


 そう言って、あおいはサッと立ち上がる。


「あおいだって何にも考えないで付いてきた訳じゃない。あおいはあおいなりに今後のことを考えてる。少なくとも、あんたの足枷になるつもりはない。もしそうなるのなら、あおいはここを出ていく。あんたの邪魔はしない」


 そう言うあおいの表情には力強さがみなぎっていた。確かに、昔酷いいじめに遭って泣いていたあの子とは違う。ツンツンしているところは変わらないけど、彼女は格段に強くなった。確かに、私が過度に心配する必要はないのかもしれない。


「分かった。私はあおいを信じてるから。きっと一緒に戦えるようになるって信じてるから、だから……」

「……何よ、それ?」

「指きり」

「何に対して?」

「えっと、一緒に戦うまで、お互いに根を上げない、約束?」

「約束? じゃないでしょ。あんたが根を上げたらあおいだってお払い箱よ。まあ、それで気が済むならいいけど」


 あれこれ文句を言いながらも、結局私の言う通りやってくれるあおいは、本当にツンデレだとおも、ゲフンゲフン……。


「「指切った」」


 私は名残惜しそうに指を放す。心なしか、月明かりに照らされたあおいの顔は、少し赤みを帯びていたような気がした。


「さ、もうこれで十分でしょ? あんたには明日から重大な役目が待ってる。あおいは、あんたをちょっとでも助けられる様に、せいぜい頑張らせてもらうわよ」

「うん、待ってるから……」


 考えるよりも先に身体が動くのは、私の癖だ。寂しいとか、別れが辛いとかそういう気持ちじゃなくて、ただ単に、この子が大切だと思う気持ちが、私をこの行動に走らせた。

 私は、何も言わずにあおいを抱き締めていた。あおいは、私をふりほどいたりしなかった。何も言わずにそっと私の頭に手を持っていき、優しく撫でてくれた。

 涙を流すのは、もうこれきりにしよう。明日からは、強い勇者であろう。人々の希望になれるように、できるだけ凛としていよう。そう心に決め、今はただ泣いた。


「頑張りなさいよ。あんたなら、きっとできるから」

「うん……」


 そして、あおいは寮へと戻っていった。私は黙ってその後ろ姿を見送った。

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