第4話 Friends will be friends

「あ、あのさあおい、ちょっと、話があるんだけど……」


 放課後の帰路、私は隣で菓子パンを頬張りながらケータイをいじっている親友、香月(かつき)あおいに声を掛けた。

 ちなみに今は、私が初めてアルカディアに降り立った日の翌日だ。フィオナと出会い、スリの男たちを憲兵に突き出した後、セレスティアさんが私をこっちの世界までまた送ってくれたのだ。


『あの、色々失礼なことを言ってしまって、すみません……』


 あの出来事の後、意気消沈する私に対し、セレスティアさんは、


『気にする必要などありません。勇者なら、それくらい気が強い方が良い。実は少し心配していたんです。あなたが優しいのは存じていますが、優しすぎて何も意見が言えない人だったらどうしようかと。だから少し安心しました。あなたは、そのままでいいと思います』


 そう言って、彼女は笑った。だから私も笑うことにした。彼女は、『明後日、お迎えに上がります。その前に、こちらの世界で片付けておくべきことは片付けておいてください。しばらくは、戻って来られませんから』と言ったので、私は整理できることはしっかりやっておこうと思い、さっそく行動に移したのだった。


「……何よ藪から棒に。今ちょっといいところだから明日にして」


 あおいは適当に私をあしらう素振りを見せる。


「あ、ごめん。じゃあ、明日でいいや……」


 私がそう言うと、あおいは隣で思いっきり大きな溜息をついて見せた。


「ったく、冗談に決まってるじゃないの。遥さ、あおいと一体何年一緒にいる訳? いい加減にそれくらいの冗談瞬時に理解しなさいよ」

「う、うー、ごめん……」

「だーもー! そうやってまたすぐ涙目になる! 悪かったわよ! 何かジュースでも奢ってあげるから機嫌直してよ!」


 あおいはチャームポイントのショートポニーを揺らしながら、近くにある自販機へと走っていく。どうやら本当に何か奢ってくれるらしい。

 それにしても私は、あおいとこんなやりとりを一体何回繰り返してきたのだろうか? 地元が同じだったこともあり、小学校から高校まで全部同じ学校で、しかも全部同じクラスというのはもはや不思議な縁があるとしか思えない。

 そんな楽しいやり取りを、当分、いやもしかしたら、もう永遠にすることができないかもしれない。そう考えると、私の心は暗いもので満たされていってしまいそうになる。

 あおいに告げるのは躊躇われた。私はあなたの元からいなくなってしまう。しかもその理由が、異世界で勇者になるからなんて理由だなんて、あおいは到底納得してくれるとは思えなかった。


「遥、ほら」

「……ありがとう、あおい」

「? どうしたのよ、さっきから上の空みたいだけど」

「そ、そんなことないよ。私はいつも通りの私だって」


 そう強がって、あおいからもらったジュースの缶を開ける。瞬間、コーヒーの良い香りが私の鼻孔をくすぐった。

 隣であおいも缶を開ける。あおいは苦い飲み物は嫌いだからいつも飲むのは果汁入りのジュースだった。


 高校に入り、私とあおいは同じ軽音部に入部した。私はギター、あおいはベース。「なんでベースにしたの?」と私が聞くと、あおいは「ベースの渋さが分からないなんて、遥も子供ねえ」と言った。しかし、それまで私はあおいがベースが好きだと言っていたのを聞いたことがなかった。あの子の趣味はある程度理解しているつもりだった。小さい頃からピアノを習っていたあの子が、急にベースをやりたいと言い出したら疑問に思うのは当然だ。

 後であおいのお母さんから聞いたのだけど、あおいは別にベースに興味があった訳じゃなかったのだそうだ。


『あの子素直じゃないから言わないと思うけど、本当は遥ちゃんと同じ部活に入りたかっただけだったんだと思うのよ。遥ちゃんが中学の時からギターをやり始めて、あの子はちょっと怖くなったんだと思うの』


 高校一年のある日、あおいがお手洗いに行っている間に、あおいのお母さんが話してくれた。


『怖い? 何が怖いんですか?』

『遥ちゃんが、あおいの知らないことに興味を持つことで、あおいから離れていってしまうんじゃないかって、きっとあの子はそう思って怖くなったんだと思うのよ』

『そんな! 私があおいから離れるなんてことありませんよ!』


 私が必死になってそう言うと、あおいのお母さんは優しい笑顔で言った。


『大丈夫よ、私はちゃんと遥ちゃんのこと分かってるから。でも、あの子は人よりもずっと心配症なの。だから時々言ってあげて。あの子に、あなたの言葉であなたの想いをね』


 あの日のあの言葉を、私は決して忘れないと思う。あおいは口では強気なことを言うけれど、本当は気が弱いことを私は誰よりも知っていた。そんなあの子を、私は守りたいと思った。ずっと友達でいたいと思った。そしてその気持ちは今だって変わらない。私にとってあの子が隣にいるのが当たり前で、今みたいに他愛ないことでじゃれ合うのが不変なことなんだと、そうであれば、私はどれだけ嬉しいだろうか。


 でも、私は決断してしまった。この世界を離れ、異世界であるアルカディアを救うと心に決めた。

 あおいを残したままこの世界を離れることを決めたきっかけは、やはり、先日の母の死だった。

 必死に励まそうとしたあおいに、私は一時の感情できつく当たってしまったのだ。家族が皆揃っているあおいには私の気持ちは分からない、多分、その様なことを言ったんだと思う。


「最低だ……」


 あの日、言ってしまった言葉を後悔しながら、一人泣きはらした。いくら仲が良くたって、人には言っていいことと悪いことがある。私が言ったのはそんな、人と人の関係上決して言ってはならない事だった。心配してくれた親友に対してそんな言葉を吐いてしまう私は、もうあおいの親友ではいられないと思った。その資格がないと思った。

 アルカディアに行くと決めたのは、もしかしたらあおいから逃げるという口実もあったのかもしれない。我ながら本当に最低だと思った。それでも私は、辛辣な言葉を吐いてしまった親友に対し取り繕う言葉が見当たらなかった。


 あおいとこうやってまともに話しているのは、実は一カ月以上振りのことなんだ。あおいを傷つけてから、私はいつも一人でいた。決して誰も寄せ付けなかった。


 あおいを見つめる。あおいは一カ月前と全く同じように私と接している。多分これは、彼女なりの気遣いなんだと思う。「あおいは全然気にしてないよ」という意思表示なんだと思う。それが堪らなく私の胸を締め付ける。こんなにも優しい彼女を傷付けた自分が許せなかった。


 辛かった。別れを告げなければならないことが、本当に辛かった。今すぐにでも涙が零れ落ちてしまいそうだった。でも言わなければ。もう決めたのだ。私はアルカディアを救うと決めた。だから断ち切らなければならない。親友への未練を、今断ち切る必要があるのだ。


「あのさあおい、聞いてほしいことがあるんだけど」


 今度はもう、声は震えていなかった。


「……何?」


 やや間があったが、あおいが尋ねた。


「今日、あおいを呼び出したのは、実は……」

「あー! なんかあおい、急にコーヒーに挑戦してみたくなっちゃった! 遥、何かオススメのコーヒー教えてよ!」

「あおい、聞いて……」

「いきなりブラックに挑戦するのは厳しいから、最初は微糖あたりかなぁ。遥、あんたはどれがいいと……」

「あおい! 話を聞いてよ!」

「嫌よ! あんたきっと凄くつまんないこと言おうとしてるんだもん! あおいはつまんない話は大嫌いだから、絶対聞かないからね!」


 あおいは駄々っ子のように私の言葉を突っぱねる。確かに強情なところもある子だけども、ここまで拒絶の反応を見せたことに私は驚きを隠せなかった。


「あおい、私は……」

「どうして、あんたはいつもそうなのよ……」

「え?」


 予想外の言葉に私はあおいを見る。なんとあおいは、目を涙でうるませてこちらを見つめていた。


「あ、あおい!?」

「あおいは、あんたがあおいに何を言おうが全然気にならないんだからね! だから、あんたがどれだけ気にしてるのか知らないけど、もうちっちゃいことでグズグズするのはやめてよ! いつまでも気にされてたらあおいだって迷惑なんだからね!」


 私は思いもよらなかったあおいの感情の吐露に言葉を失っていた。あおいは尚も続ける。


「最近あんたはずっとあおいを避けていたのに、今日になって急に一緒に帰ろうなんて言うから何かあるって思ったのよ。案の定、帰り道もずっと上の空だし、気付かない方がおかしいのよ! 何よ!? 一体あおいにどんなつまらないことを言うつもりだったの!? もうあおいとは喋りたくないとか!? この街にはもういたくないとか!? ……それとも、じ、自分から、死んでやるとか!?」

「い、いくらなんでも、じ、自殺なんて、考えたことないよ!」


 私も思わず声を荒げてしまう。しかし、あおいはそれに負けじと叫び返す。


「当たり前でしょ! 自殺したいなんて言ったらぶん殴ってるところよ! そんなことしてあんたのお母さんが喜ぶ訳がない! そんな親不幸、あの人は絶対に許さないでしょうからね!」


 あおいは一通り叫び終わると、尚も肩で息をしながらも、若干だけクールダウンして尋ねた。


「それで、あんたは何を言うつもりなの?」


 真っすぐなあおいの目。だから、私ももう隠さなかった。


「今日は、あおいにお別れを言いに来たの」

「そう、なのね、やっぱり……」


 あおいの表情が曇る。


「理由は何? やっぱり、あおいが、あんたに何もしてあげられなかったから……?」

「ち、違うよ! あおいは何も悪くない!」

「だったら何!?」

「あおいが原因なんじゃないよ。多分、こんなこと言っても信じてはもらえないと思うけど、この際だからはっきり言うよ」


 私は息を大きく吸う。あまりに突拍子もないことだ。きっとあおいは信じてはくれないだろう。でも、それでも私は本当のことを伝えたい。決して彼女を嫌いになった訳じゃないって事は、どうしても分かっていてほしかったから。


 だから私は告げた。異世界から使者が来たこと。異世界では私の勇者としての力が必要であること。実際に私が向こうの世界に行って魔法を体感してきたこと。そして、向こうで苦しんでいる人のために、私は自分の力を使いたいと思ったこと。それらを過不足なく、私はあおいに伝えたのだった。


「そんな、こと、いきなり信じろって言われたって……」


 あおいが動揺の色を見せる。あおいの反応はもっともだ。でも、それ以上私に想いを伝える手立てはなかった。すると、その時だった。


「ハルカ、御迷惑でなければ、私が彼女に説明をさせてもらえないでしょうか?」

「せ、セレスティアさん!?」

「だ、誰この人!?」

「おっと失礼。私は彼女の話に出てきた異世界アルカディア王国の使者、セレスティア・アークライトと申します。突然こんな話を聞いても理解出来ないと思ったので、私が補足説明をさせてもらおうと思いましてね」


 突然のセレスティアさんの登場にひたすら困惑するあおい。それもそうだ。突然ファンタジーの世界から出てきたような格好の金髪の美少女が目の前に現れたら驚くに決まっている。


「ハルカがおっしゃったことは本当です。それは決して、あなたに対して嘘を言って誤魔化そうとしているわけではありません。彼女がアルカディアに行くのは、私が彼女に懇願したからです。どうかアルカディアを助けて欲しいと。彼女はその優しさから、私の願いに応えてくださったのです」

「ど、どうして、それは遥じゃないといけないの? 他に人ならいくらだっているでしょ?」

「確かに魔力素養の高い人間は沢山います。実際、あなたは見たところ、なかなか優れた魔力素養の持ち主だ。でも、それだけでは駄目なんです。我々の世界は争い事で満ちています。前任の勇者はそれを力のみで御そうと考えました。ですが、力だけでは争いを治めることはできません。人を動かす人柄、カリスマと言ってしまっては大袈裟ですが、それに近い物を持ち合わせていなければなりません。預言者、そして私の見立てでは彼女にはそれがあります。この争いに終止符を打てるほどの力を、彼女は持ち合わせているのです。それが、彼女を勇者に選んだ理由です。……お分かりいただけましたか?」


 セレスティアさんの言葉を、おあいは必死に理解しようと頭を巡らせているようだった。


「……つまり、遥は強い魔力と、人を惹きつける魅力の持ち主だから、勇者に適任だって、そう言いたいの?」

「まあ簡単に言ってしまえば、そういうことになりますね」

「そう。じゃああなたは、自分の世界が平和になるためなら、こっちの世界の住人のことなんてどうでもいい……そう言いたい訳ね?」

「あ、あおい……」


 あおいの言葉にセレスティアさんの表情が曇る。彼女にも、当然良心の呵責がある。わざわざあおいに説明するために現れたのも、彼女なりの責任の取り方なのだろう。それでも、彼女は揺らぐことはない。それこそがセレスティア・アークライトたる所以なのだ。


「そうです。私は、こちらの世界の人々が哀しむことを知っておきながら、我々の世界の住人が救われる道を選びました。なぜなら、私にはもうこれしか道がないからです。どれほどの恨みを背負おうとも、私は国を守る責務がある。あなたにどれほど罵倒されようとも、決して私はハルカを譲らない。それだけは、おわかりいただきたい」


 そして、彼女は深く頭を下げた。

 あおいは呆然とその様子を見つめている。セレスティアさんの本気を見せつけられ言葉が出ないのだろう。


「遥は……」


 ふと、あおいが言う。


「遥はそれで納得なの? いきなり縁もゆかりもない世界を助けてくれって言われて、『はい助けます』って答えたの? あおいやバンドのみんなのことなんて一回も考えなかったの?」

「……考えたよ。悩んで悩んで悩み抜いたよ」

「その結果がこれなの? あおいたちなんて簡単に捨ててしまうの?」

「違うよ! 決めたけど、寂しさも申し訳なさもあった。だから、だからこそあおいには言わないと思ったの! お別れを言わないとダメだと思ったの!」

「そんなのいらないよ! 面と向かってそんなこと言われるくらいなら聞かないほうがよかった! あんたはいつもそう! いつもそうやって、困ってる人を助けに行っちゃう……あおいの時みたいに……」


 そう言って、あおいは私から顔を背けた。

 あおいがきっと怒ることは分かっていた。それでも、これは私の宿命なのだと思った。だから、成し遂げなければならないと思った。だからもう立ち止まる事はできない。

 心が張り裂けても譲れない。私の思いは、ここで決まった。


「ごめんね、あおい……」


 私は歩き出す。それを見て、セレスティアさんも歩き出す。でもその時だった。


「……あ、あおい!?」


 あおいが、私の手を掴んでいたのだ。

 あおいはジッとこちらを見つめている。


「あおい、手を放……」

「……あおいも、連れて行って」

「え?」

「あおいもそのアルカディアとやらに連れて行ってって言ってんのよ!」


 あおいの言葉に、私もセレスティアさんも驚愕するより他になかったのだった。

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