第六章 Assembly of All the Armies 帝国軍集結

第六章 1 ガラフォールへの同行者

 ベルジェンナ軍は、三日間の滞在予定を二日で切り上げてガラフォールへ出発した。


 キールを経由する軍が多く、街道は渋滞を起こして各軍に予定の遅れを余儀なくさせ、近郊に大軍が野営可能な土地がほとんどないこともあってとくに宿泊施設の不足が深刻化した。

 キール総督クレギオン男爵は、フォーセイ広場を臨時の野営地に開放する措置までとったが、それでも収容しきれなくなり、ベルジェンナ軍は後続の軍に押し出されるような格好になったのである。


 ガラフォールまでは二日の旅程で、翌日の日暮れ前には、遠くの山上にヴァルム城を望んで広々と開けるガラフォールの草原に到着した。

「帝国軍全軍が集合できるような大きな空き地ってどんなところだろうって思ってたけど、ちゃんとあるもんだなあ!」

 先頭で旗手をまかされて得意そうに馬上にあったペデルが、驚きの声を上げた。


「ほんとね。東街道からさほど遠くないし、平坦に開けて肥沃そうな台地なのに、耕作にも放牧にも利用されていないようだわ。領主がよっぽどのんきか無能だったのね」

 ペデルの横に並びかけながら、セイリンが彼女らしい感想をもらした。


「おまえたちなあ、平気ですぐそういうことを軽々しく口にするから子どもあつかいされるんだぞ。無知をさらけ出してるようなものだ」

 背後から叱りつけるように言ったのは、ムスタークだった。


「まあ、軍役も戦場も知らないんだから無理もなかろう」

 馬の上で不安定に身体を揺らしながら、ウォルセンが笑った。

「ヴァルム公国は、四方を大国に取り囲まれている厳しい土地柄なんだ。むこうに見える城は、フィジカルの時代に何回攻城戦にさらされたか知れやしない。ガラフォールの野はそのたびに戦場になってきたのさ。きれいに草が生えそろって平和そうな風景に見えるようになったのは、スピリチュアルの支配下に入ったやっと数年前のことなんだ」

 戦史のことなら生き字引のようなウォルセンに説明され、ペデルとセイリンは恥ずかしそうに顔を赤らめた。


 日頃自分の苦労に理解のない若者たちに当てつけるように、ムスタークはつけ加えた。

「わかったか。大地には血がしみ込み、まだそのあたりに拾い残された骨が転がってるかもしれんのだ。しかし、これが数年したら、すっかり黄金色のみごとな麦畑に変わっていることだろう。国家っていうのは、生き物のように苦労して手をかけて成長させていくものなんだ。スピリチュアルの騎士なら、そういう眼でものを見ることを憶えろよ」


「やめとけ、ムスターク。口うるさくすると嫌われるぞ」

 ウォルセンが含み笑いしながら横から口を出した。

「よけいなお世話だ。若者に手本を示すのが年長者の役割だろう。おまえみたいに反面教師にしかならんやつに言われたくない。なあ、ロッシュ――」

 ムスタークが憤然として言い、ロッシュに同意を求めると、ロッシュは微妙に首をかしげながらうなずいた。

「たしかにそのとおりだが、スピリチュアル同士がここをふたたび戦場にしないという保証もない。この集結でも、その予兆が感じられるかもしれぬ……」

 つぶやくように答えたロッシュには、帝国軍集結が何を引き起こすかということしか頭になかった。


 きれいに陣割りされて無数の天幕や馬をつなぐ柵が連なっている間を抜けていくと、中央に白い幕が張りめぐらされた広い一角が見えてきた。

 そのむこうには多くの人の気配がして、ときおり大きな拍手や歓声が上がっている。

「わあ、もう競技会が始まってるんですね!」

 年上の騎士たちに説教されてへこんでいるように見えたペデルが、ケロリとした明るい声で言った。

「どういうことだ? 予定が遅れて、全軍が集まるにはまだ数日はかかるだろうに」

 ウォルセンが危なっかしそうに手綱を引きしめ、そちらに首を伸ばした。


 競技会に出る者の人選と世話係を担当しているラムドが、要領よく説明した。

「なにしろ領国が五〇もありますからね。出場する選手も膨大になります。だから、到着した順に毎日予選をやっていくんです。日によって気象条件などに差があって記録がまちまちになりますから、毎日最優秀者を選んでいって、最終日にそれを集めて決勝戦をやることになっているんですよ」

「なるほど。それなら文句は出ないし、毎日真剣勝負を見られる。他国の到着を待つ間の退屈もまぎれるってことか。よし、せいぜい楽しませてもらうことにしよう」

 どの競技にも最初から出る気のないウォルセンは、そう言って気楽に笑った。


「おい。おれも見物くらいできるんだろうな? 帝国軍がどの程度の力量のものか、おれが目利きしてやろう」

 後方から偉そうに怒鳴った者がいた。

 二〇騎と定められた騎馬兵用のほかに、荷駄を運ぶための馬が数頭いる。

 そのうちの一頭を図々しく占領したヒゲ面の男だ。

「大丈夫ですよ。今回の競技会は、フィジカル兵の技量向上の目的もあって、フィジカル専門の部門も設けられているんです。立ち見席からですが、ちゃんと見られます」

 フィジカルの男にも丁寧な口調のままで、ラムドが答えた。


「立ち見だと? 人を何だと思ってる。大陸一の武器商人だぞ。毎日何十丁もの銃を試し撃ちしてたんだ。腕前だって、にわか仕込みの若僧なんかに引けはとらんぞ」

「ちょうど銃の部門に出す予定だった者が狩りで指をケガして困ってたんですよ。だったら、代わりに出場しますか、デュバリさん?」

「おお、いいとも。スピリチュアルのやつらに眼にもの見せてやる!」

 豪語したのは、なんとキールの地下の牢獄に幽閉されているはずのデュバリだった。



 あのとき、デュバリは言っていた。

「スピリチュアルの全軍が集まるとなれば、その隙をついて帝国のどこかで密かに事が起こることも考えられるが、また一方、集結の場で生じることはいやでも耳目を集めことになる。皇帝や諸侯にむかって、不満や窮状を訴えようとするかもしれんということだ。いずれにせよ、何ごとかをくわだてる者なら、けっしてこの機を逃しっこない……」


 ロッシュもそう思った。

 そして、いかに自分がそうした情報のとぼしい、帝国内にただよう危機が匂いたつような生の空気を呼吸できない辺境の地に追いやられているかを実感せざるをえなかった。


 親友のエルンファードはまさに逆の立場にいる。

 巡検使として、たった一人でその空気に頰をさらし、鼻腔にさまざまな異臭を嗅ぎとっていることだろう。

 しかし、皇帝府直属の近衛兵という立場上、任務に関わる秘事に触れることははばかられた。

 ロッシュもあえて尋ねようとはしなかった。

 ただ「帝国を目指す――」とだけ、心のうちにあるものを告げたのみである。


 ところが――

 牢獄から立ち去りかけたロッシュたちの背中に、デュバリが声をかけた。

「ちょっと待て、お若いの。あんたはもしや、ベルジェンナのロッシュじゃないのか?」

 ツェントラーがピクリと眉を上げ、いぶかしそうにふり返った。

「やっぱりな。ツェントラーと堂々と並んだ様子や、板についた美男子っぷりから、そうじゃないかと思ったのさ。ブランカにだって、おれの情報網は通じている。ツェントラーとともにクレギオンの懐刀と並び称されていたそうだな」


「だったらどうだというのだ?」

「ことスピリチュアルに関する情報については、フィジカルのものの見方のほうが客観的で正鵠をうがってることはよくある。皇女の脱走と奪還戦についてもさまざまな噂が聞こえてきた。キールの入城式典では、エルンファードという男の戦功がえらく華々しくほめたたえられていたが、ブランカのフィジカルたちは、実質的には皇女の婚約者だったロッシュの作戦と指導力、実行力がものを言ったと見ている。いい男の評判ってのは三割がた差っ引いて聞いとくもんだが、意外とそのとおりかもしれんと思ったものだ。こうして会ってみて、それは確信に変わった」


「私に何が言いたい?」

「どうだ、おれの身柄を引き取る気はないか?」

 つねに落ち着きはらった相貌を崩さないツェントラーが、大きく眼をむいた。


「さっきはそうは言わなかったぞ。まだしばらくここにいるんじゃなかったのか?」

「傭兵のことをしゃべっているうちに、気が変わったのさ。もう傭兵を周旋していける時代じゃねえ。じゃあツェントラーの情報屋になればどうかといえば、同じキールにいるんじゃどれほどの自由も与えちゃくれねえだろう。気軽に出歩くこともままならねえはずだ。そうなったら、地底の牢獄にいるのとたいして変わりやしねえ」


「私について来てどうする気だ?」

 ロッシュは用心深くたずねた。

「もちろん情報は提供するさ。欲しいだけな。遠い辺境にいるあんたなら、大陸のすみずみで何が起こっているのか、のどから手が出そうなくらい知りたいはずだ」


「逃亡しないという保証はあるのか?」

「さあな。退屈なら逃げるかもしれんさ。だが、あんたといっしょにいれば、いろいろと面白いことに出っくわすような予感がする。思ってもみなかったような新しい生き方が見つかるかもしれん。すくなくとも、ただの情報屋でくすぶったまま終わることはあるまい。ツェントラーって男は、おれを閉じ込めて一生飼い殺しにするくらい平気でやりそうだからな」


 ツェントラーはそれを聞いて、カラカラとさも愉快そうに笑った。

「わたしに対する当てつけは聞かなかったことにしてやるが、そいつはたしかに名案だ。なあ、ロッシュ?」


「しかし、デュバリはキールの重罪人なのだろう」

「おまえの役に立ちそうだと説得すれば、クレギオン閣下も諒解してくださるさ。娘のジョルジュが人質同然でキールにいるのだ。デュバリは逃げられっこない。それに、情報はどうせジョルジュの元に集まってくるんだし、それを共有すればいいだけのことだ。いや、そのうち父親顔負けの情報通になるかもしれん」

 ジョルジュにむかって言うと、彼女もはにかんだように明るい笑みを浮かべた。


「フン。頭のいいやつらは話が早い。じゃあ、おれも行くぞ。ガラフォールへ――」

 デュバリは勢いこんで立ち上がった。

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