第四章 6 史上最短の勝利

 正面の貴賓席に王族の姿はひとつもなかった。


 あまり好戦的でないといわれる王のもとではさほど珍しいことではないらしく、戦士を讃えるファンファーレが吹奏されると、王国軍選抜委員会の進行管理官という男が慣れた様子で観衆に短い挨拶をし、決勝を戦う両部隊に型どおりの訓示を与えた。


 相手方の隊長トゥランは、見るからに自信に満ちあふれた壮年の男で、初めて三〇騎隊で挑戦する小部族の隊長ガロウを無視して、その頭越しにゴドフロアに尊大な口調で話しかけてきた。


「南部の傭兵だと? おまえの突きや個々の仲間の武器の腕はみごとだったが、馬に不慣れでは王国軍でやっていけんぞ。またいつかの機会に出直すことだな」

「忠告は感謝するが、傭兵は仕事なしでは生きていけん。勝たせてもらう」

 ゴドフロアは平然として、ぶっきらぼうに応じた。


「まあ、せいぜいがんばるがいい。しかし、子どもを背負って戦うとは、いったいどういうつもりだ?」

「この子はおれの一部だ。どんなときだろうといっしょにいるのは当然のことだ」


「うるわしい父親の愛情だが、戦場はそんな甘いもんじゃない。手加減はせんぞ」

「ああ。ひとつ聞いておく。娘がおれの一部なら、戦いに加わっても文句はないか?」

「かまわんさ。木剣以外の武器でも使わんかぎり、な。おれが認めよう」

 トゥランが余裕たっぷりにそう答えたところで決勝前の儀式が終わり、両軍はゆっくりと東西の定位置に向かった。


「指揮をおれにまかせてくれないか」

 馬を歩ませながら、ゴドフロアは小声でガロウに言った。

「ん……どういうことだ?」

「敵の戦いぶりを見たが、モルガーの部隊とはまるで動きがちがう。さっきの陽動作戦や奇襲戦法も、二度めは通用しないだろう。それに、おれたち傭兵がおまえたちの敏捷な動きについていくのには限界がある。おまえたちがこっちに合わせてくれ」

「おまえに勝てる秘策があるというのか?」

「ある――」

 ゴドフロアはニヤリと不敵に笑った。


 戦闘開始と同時に、ガロウ隊はいきなり相手部隊にむかって突進した。

 騎馬隊が先行するが、直進だから傭兵隊もピタリと離れず、きれいな二列縦隊をつくっている。


 出方を探ろうと石壁ぞいに移動しかけていたトゥラン隊は、ただちに同じ陣形に組み直して突撃に移った。

 正面からのぶつかり合いでは勢いが勝負になる。

 押されてしまえば分断され、各個撃破される危険がある。

 名うての騎馬隊はそのことを知りつくしていた。

 最後尾にいて旗手もつとめているトゥランが指示するまでもなく、彼らの対応には一瞬の遅滞も乱れもなかった。


 両軍の動きを見た観衆はいっせいに総立ちになり、たちまち興奮は最高潮に達した。

 二つの隊列が中央で激突した――と思った瞬間、木剣をわずか一、二合させただけで、ガロウ隊はなんと真っ二つに分裂してしまった。

 左右の列が先頭からきれいに分かれ、大きくトゥラン隊を迂回しはじめたのだ。


 高速に達したトゥラン隊は、ガロウ隊の得意の包囲攻撃を許さないためにも、その勢いのまま駆け抜けるしかなかった。

 しかし、先頭を行く騎馬兵が、どんどん割れていく敵の列の最後尾に眼にしたのは、まったく奇妙なものだった。

(乗り手がいない……どういうことだ?)


 鞍だけをつけた馬が二頭、こちらにむかって疾走してくるのだ。

 見ると、二頭の手綱がたがいに結び合わされている。

 そしてさらに、それぞれの馬のくつわにはロープがつけられ、左右の騎馬の列へと伸びていた。

 馬を引いているのは、仲間の後ろに相乗りした空馬の乗り手らしい。


 このままでは、空馬とぶつかってしまう――


 トゥラン隊の先頭に迷いが生じかけたとき、ガロウ隊はさらに意想外の行動に出た。

 別の兵の何人かが、後方の空馬の脚元をめがけ、いきなり手にした木剣を投げつけたのだ。


 地上の乱闘にでもならないかぎり、騎馬兵が自分の馬を離れることなどありえないし、唯一の武器である剣を手放すなどということは、それ以上に思いもよらないことだった。

 それだけでも、トゥラン隊はもちろんのこと、戦闘を見つめるすべての眼を驚かせた。


 脚を打たれた二頭の空馬は、相次いで地面に前のめりに倒れ込んだ。

 あせっていた先頭は、何の意図かと疑うより先に、そこにポッカリと生じた空間を見て正直ホッとした。

 ただちに乗馬の足の運びをととのえ、障害物となって横たわる馬の上をひらりと跳び越えた。


 後続の騎馬もつぎつぎとみごとな身のこなしで跳躍していく。

 一糸乱れぬその動きはまるで優雅な群舞を見るかのようで、機敏な対応を見せたトゥラン隊に観覧席からは拍手さえ起こりかけた。


 と、そのとき――

 大きく波打つ急流のようなその隊列にむかって、真横から小さなものが飛んだ。

 それはくるくると回転しながら宙を舞い、頂点に達したところでちょうど最後に跳躍した旗手のトゥランの頭上にさしかかった。


 トゥランは接近してくるものを眼の端にとらえたが、避けようにも自分も同様に宙にあり、馬を精一杯高く引き上げて跳躍のまさに最高点にあった。

 姿勢を変えることも、手綱を放すこともできない。

 危険を察知したときの本能的な動作で、わずかに首をすくめることができただけだった。


 危惧した衝撃は来ず、首筋に何か柔らかなものがかすかに触れる感触だけが残った。

 しかし、〝助かった〟という安堵の思いは、たちまちドキリとする驚きへ、そして取り返しようのない絶望へと急転することになる。

 それくらいアッという間の出来事だった。


「ダブ!」

 弧を描いて馬列の真上を通過した小さな人影が叫び、反対側の馬上にあった丸刈り頭の傭兵の腕に飛び込んだ。


 いったい何が起こったのかと一瞬静まりかえった観覧席は、腕の中の子どもが嬉しそうに頭上に差し上げた鮮やかな黄色い旗を見て、たちまち雷鳴のような歓声と拍手、さかんな口笛がごちゃごちゃに入り混じった大熱狂に包まれた。


 それにひと呼吸遅れて、ようやく我に返ったかのように勝負の結着を知らせるドラが大きく打ち鳴らされた。

 戦闘開始からまだ一分とたっていない。

 北方王国の長い選抜会の歴史上、これが最短で結着した戦いとなった。


「よくやったぞ、マチウ!」

 ゴドフロアが馬を寄せてくると、マチウはダブリードの馬からピョンと身軽にゴドフロアの身体に飛びついた。

 マチウの身体をトゥランめがけて絶妙なタイミングで投げ上げたのは、もちろんゴドフロアである。


 傭兵たちは馬を飛び降りてゴドフロアとダブリードのところへ駆け寄り、騎馬兵たちは観覧席からの鳴り止まない称賛と祝福の声に手を振って応えている。

 ほとんど戦いらしい場面もないままあっけなく敗れ去ったトゥランの部隊は、この事態をどう受け止めていいかわからず、呆然と馬を止めて立ちつくすだけだった。


 ガロウ隊は、選抜会や『国王杯』と呼ばれる春の競技会における勝者が顕彰される『勇者の間』の祝勝会場へと導かれた。

 三〇騎隊への抜擢を祝う宴席は、数部隊がまとめて選ばれる少人数の警備隊の選抜会のときなどと比べれば、料理は豪華で豊富だし、酒もずっと高級だった。


 異例の時期に行われた臨時の選抜会とあってか、王族はおろか、大部族の首長や軍の高官たちの列席もなかったが、傭兵も騎兵も、美しく着飾った女たちににこやかにかしづかれ、そんなことを不審に思うような者はだれ一人いなかった。


 宴もたけなわとなった頃、一座の盛り上がりに水をさすまいとするかのように、黒鉄の甲冑の人物が彼らの後方に静かに歩み寄り、低い声で言った。

「私は、王国軍第五大隊長のデモーシュ。優勝部隊のガロウ隊長に、王太子エリアス殿下のお召しである――」


 そこで初めて、この異例の時期の選抜会を主催したのが、王太子エリアスであるらしいことがわかった。

 ガロウは緊張のおももちで立ち上がり、そっとゴドフロアらに目配せしてからデモーシュに従って勇者の間を出た。


 エリアスの居室は闘技場をまるごと抱える広大な宮殿の北端にあり、塔の上からは茫洋とかすんで空との境界もさだかでない夕映えの砂漠しか眼に入らなかった。


「……そうか。そのほうたちは、ネイダー砦の陥落を知らせてきた警備隊だったのか。すると、あの傭兵たちが、砦をみごとに突破したその当人というわけだな」

 王太子エリアスは窓辺からふり返り、片膝を屈したガロウに正対した。


 エリアスは、ガロウが目撃したネイダー砦の攻城戦の一部始終をくわしく説明させ、さらに興味深げな顔つきになった。

「ふむ……実におもしろい。そうは思わぬか、デモーシュ? 傭兵の戦いぶりがだ」

 横に控える大隊長デモーシュは、おもむろにうなずいた。


「ゴドフロアという傭兵は、今回と同様、娘を利用したことになりますな。ふつうなら思いもつかない、かなり危うい作戦ですが、それゆえに成功したともいえましょう」

「いや。利用、というのとはすこしちがうな。それに、いくら見込みの薄い方法でも、どちらの場合も、やつにはもうそれ以外にやりようがなかったということだ」


「娘を犠牲にしてでもですか?」

「あの男は、自分が死ねば娘は生き延びられぬ、娘が死ぬならそのときは自分の命もなかろう――そういう覚悟でいるのかもしれん。だからこそ、人の意表をつく果敢な行動を、娘とともにためらうことなく遂行できる」


「子を守るべき親が、そのような覚悟を持てるものでしょうか?」

 デモーシュは驚きと不審の入り混じった表情で言った。

 家族を何より大切に思う北方民族ではとても考えられない心性である。


「たしかに信じがたい話だが、おれにはわかる気がする。……ガロウ、おれのあだ名を知っているな」

 いきなり思いがけない質問をされて、ガロウは一瞬うろたえた。

「えっ。いえ……めっそうもない」

「かまわぬ。人はおれを何と呼んでいる?」

「お……〝伯父殺しのエリアス〟と」


「そのとおりだ。おれは、志を同じくする、唯一の理解者だった伯父を殺して生き延びた男だ。やったことは正反対に見えるが、おれとゴドフロアには、どこかしら似通ったところがある気がする。……よし、気に入った。今回の任務はおまえたちにまかせるぞ」

 エリアスは何か心に期するところがあるようにきっぱりと言い、かたわらのデモーシュにただちにガロウ隊の出発の準備にかかるように命じた。

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