第四章 5 エリアスの陰影

「なんだ、ぜんぜん期待はずれじゃないか」

 不満そうな若い声は、しかし、言葉とは裏腹に、激しい戦闘を眼にした余韻であきらかにはずんでいた。


 そこは、貴賓席でも一般の観覧席でもなかった。

 小さく切り取られた窓がある。

 円形闘技場の全景が、そこにちょうどすっぽりと視界に入る。

 高さもほどよく、地上にいる人間の位置関係はもちろんのこと、いちいちの仕草や表情まで生々しく見てとることができる。

 まちがいなく最高の見物席だった。


 だが、危険防止用に太い鉄格子がはめられ、目の細かい鉄網まで張られていた。

 そこは本来楽しむことを目的にした場所ではない。

 声の主がいるこの場所は、選抜会で新たな戦力を発掘しようとする高位の者が、観衆に姿を見られたくない場合や、ひそかに出場者の力量を見極めたいと望むときに用いる部屋だった。


 四隅に灯明が燃えてはいるが、後ろに控えた年配の男は黒鉄の甲冑を着込み、若いほうは身体にぴったりとした黒革の乗馬服姿だった。

 まるで、闇の中に二つの首が不気味に浮かんでいるような光景である。


「選抜会に出すのは早すぎたのです。騎馬での戦闘訓練がまだ足りておりません」

 甲冑の男が、感情を押し殺した、冷淡なほどの低い声で慎重に答えた。

「そうなのかな……。おれには何か、あの連中には決定的に欠けているものがあるような気がするんだ。果敢さ……熱狂というのか……まさに敵の騎馬兵が見せた猛獣のように本能的なものが、やつらには欠けていたように思うがな。相手の隊長はほとんど指示など出してなかった。だれもが思うがままにふるまって、ピタリと統一された動きになる。部隊とはああでなければならん。デモーシュ、そうは思わぬか?」

 年配の男とは対照的な開けっぴろげな口調で、若い男はずけずけと言った。


「おっしゃるとおりでしょう。ですが、市中の武術学校にひそかに金を与えて特別な部門をつくらせ、選抜会に出せるような部隊を養成するように命じられたのは、殿下ご自身ではありませんか。そのような隊に草原の部族育ちと同じものを求めるのは、どだい無理というものです」

 デモーシュのほうも、丁寧な言葉づかいほどにはへり下ってはいない。

 この相手に対して言うべきことに余計な遠慮は無用なのだ、と思いさだめているかのようだった。


「ああ、わかってるとも。王国のめんどくさい――というか、むしろいい加減な軍制のせいだ。『戦え』、『勝ってこい』ですむような勢いまかせの戦いばかりならこういう選び方でもかまわんだろうが、精密な作戦を手際よく遂行できるような部隊を採用することなど不可能だ。あれを見るがいい――」

 若い王太子は窓の前の場所を半分開け、甲冑の男を手招きした。


 闘技場では、一位のトゥラン隊と四位の部隊の戦闘が始まっていた。

 トゥラン隊は最初から押しまくっている。

 統一された動きには無駄がなく、意表を突こうとする敵の動きにも、技量に優れた個人技で的確に対応している。


「さすがはトゥランですな。着実に追いつめている。ほどなく決着がつきましょう」

「そうだ。水も漏らさぬ正攻法の圧倒的な戦いぶり。観衆はこういう戦いを見るのがいちばん好きだ。しかし、眼を見はらせ、驚愕させるようなものはひとつもない。相変わらず、そういう隊ばかりが勝ち抜いて選ばれるのが選抜会だ。おれが思い描くような働きをしてくれそうな者たちは、王国軍のどこを探してもいない」


「さきほどの騎馬隊と南部の傭兵の混成部隊はいかがです?」

「変わった取り合わせだな。あんな連中が出るとは知らなかった。ぜんぜん別のことをしているのに、それがちょうどうまいことかみ合った。なかなか面白かったが、トゥラン隊には通用せんだろう。モルガーの部隊がなんとか勝ち抜いてくれるのを期待していたが、こうなっては作戦を根本から考え直さなくてはならんか……」


「その作戦にこだわっておられますな。殿下なら、南部の数か国を一挙に奪い取ることも、さほど難しくはないでしょうに」

「フン。けしかけるなよ、デモーシュ。王国軍全軍の統帥権でもあれば話は別だが、おれに動かせる権利があるのはその五分の一、つまりおまえの大隊ひとつに過ぎん。いくつ国を奪い取ったって、帝国の近衛軍が出てきたら尻尾をまいて逃げ帰るしかない。父上は、それ以上の兵力を預けてはくれぬのだ。おれが反乱を起こして王位を簒奪せぬかとでも恐れているんだろう」


「なにしろ、殿下は〝伯父殺しのエリアス〟と異名をとるお方ですからな」

 デモーシュの声に軽い皮肉の響きが混じった。

「何を言う。あのとき、ウォルド伯父を殺せ、とおれの耳元にささやいたのは、随行していたおまえじゃないか。おれはそんなことなど考えてもいなかったのに」

 エリアスも、わざとムキになって反論するような口調で応じた。


「ですが、実際、むこうがどう出るかまったくわからなかったのです。使者を殺して、王家に反旗をひるがえすこともありえた。王は、万が一そのような対応をされた場合に備えてあなたを選んだのです」

「王太子が殺害されたとあれば、大軍を派遣する立派な口実になるからな。煙たい存在である伯父上の精強な部族を叩きつぶすには絶好の機会だ。小さい頃から、おれはずっと鬼っ子あつかいだった。強大な王家に優れた王太子はいらぬ、か」


「王も王妃も、性格のお優しい第一王太子ハイラム殿下を溺愛しておられます」

「お優しい、な。ものは言いようだ」

 エリアスは吐き捨てるように言った。


「殿下を救ったのは、何よりその性格の違いです。伯父上を殺害したあなたがうろたえていたりすれば、周囲の者たちにたちまち寄ってたかって惨殺されていたことでしょう。返り血を点々と浴びた壮絶な形相で、部族の主だった者たちを一喝し、タジタジとさせた。それこそ、お一人でその場にいる全員を斬り殺さんばかりの迫力でしたよ。ハイラム殿下にはとても……いや、ほかのだれにもあのようなことができるとは思えません。結局、あなたはあなたご自身をお救いになったのです」

「とんでもない。おれだって、腰がくだけそうになるほど動揺していたさ」

 二人は、しだいに真剣な口調になっていった。


「それを周囲にさとらせぬのが英雄というものです。彼らが殿下を仇とするどころか、反対に一族を挙げて臣従することに決めたのは、王太子に未来の栄光を見たからです」

「わかっているぞ。おまえが陰で動いて、あの者たちを説き伏せたことはな」


「ええ、私は力説しましたよ。これは単なる王族内の権力争いにとどまらない。王国の浮沈がかかっているのだ、と。しかし、殿下という最高の持ち駒がなければ、私の主張など詭弁と嘲笑されたことでしょう。それを証明したのが、三年前、諌める伯父上ウォルドがすでにないのをいいことに、王家がスピリチュアルの誘いにうかうかと乗せられて、帝国との政略結婚に踏み切ろうとしたことです。ハイラム殿下の王位継承を、ただただ安泰にせんがためにです。それがどれほど危険な罠だったか……」


「そうだ。王国があやうく乗っ取られかねんところだった。おれは憤懣に堪えきれず、盛大な見送りでキールの入城式典とやらに出発する兄の行列を横目に、こっそり王都を抜け出して山脈の古城跡へ登ったものだった」

「シャウスの古城――長年南部へにらみをきかせてきた城塞でしたな。五〇年前に帝国と結ばれた協定の一環として粉々に打ち砕かれ、放棄させられた。あれはまるで、王国の未来を暗示するような荒涼たる廃墟でした」


「ああ。引き連れていた軍勢はわずか一〇〇騎に過ぎなかったが、おれは、もしかすると本気で断崖を駆けくだり、ブランカへ攻め込むつもりだったのかもしれぬ」

 エリアスは、遥か彼方を見るような眼をして言った。


「私がお止めしても無駄だったでしょう。殿下を思いとどまらせたのは――」

「飛空艦……そう、朝もやをついて飛来した巨大な飛空艦だった。ケルベルクの野を悠然と山脈へと向かってくるあの威容を眼にしたとき、おれは自分が本当に敵とすべきものはあれだと、眼が醒める思いがした。眼下の草原で何が起こっていたのかはわからぬが、飛空艦は、巨体をものともせぬ臨機応変な動きでスピリチュアルの作戦遂行に貢献していた。おれは思った。あれと戦えるようにならなければ、大陸制覇など夢のまた夢……いや、王国の黄昏をこの眼で見ることになるのだ、とな」


 デモーシュが、小窓にかがみ込むようにしてエリアスの注意をうながした。

「……殿下、トゥラン隊と例の混成部隊が整列しております。まもなく決勝戦が始まるようです」

「そうだな。自分で開いた選抜会だ。収穫はなくても最後まで見届けておこうか……」

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