第四章 3 伯父殺しの王太子

 ナブラを出発したときには、傭兵たちも全員が馬にまたがっていた。

〝三〇騎隊〟と称するためには、形の上だけでも騎馬兵でなければならなかったのだ。


 戦士としてこれからもやっていけるならと、傭兵たちは各自がため込んだ金を惜しげもなく出し合って馬を調達した。

 ガロウたちも、部族に持ち帰るはずだった警備隊の報酬の一部を差し出して援助した。


「なんとか格好はついたが、おれたちが南部人だってことは一目でばれちまうぜ。おまえたちみたいに立派なヒゲをたくわえるのは無理にしても、頭にターバンくらい巻いたほうがいいのかな?」

 馬にも不慣れなランペルが、当惑ぎみに横に並んだバルクに問いかけた。

「心配するな。北方人は何についても現実的な考え方をする。禁じられてるのは、無理に頭数をそろえようとして別々の部族同士が野合することだけだ」


「よその部族とおれたちとで、どういう違いがあるっていうんだ?」

「騎馬民族は、部族内の結束が固い分、他の部族のやつらのことなんて虫けらとも思っちゃいねえ。そうでなくても、長い間選抜会のたびに戦っていがみ合ってきた相手同士だぜ。敵との戦いをそっちのけにして、いつ仲間割れを起こすかわからないような連中を選ぶほど危険なことはないだろ」


「なるほど。他国者でも部族が受け入れた人間ならかまわないわけだ」

「ああ、めったにないことだがな。任務の内容はまだ不明だが、選抜会の種目に早駆け競争はねえから安心するがいい」


 しかし、選抜会の期日は迫っていた。

 荷馬車も売り払って身軽になった騎馬隊は、一路選抜会が行われる王都へと急いだ。

 冬の前触れの強い西風に砂塵が舞い、視界を何度もさえぎったが、彼らが行軍を止めることはなかった。


「あれが蜃気楼の都だ」

 砂丘の端の断崖までたどり着くと、先頭のガロウがゴドフロアたちに前方を示した。


「しんきろう、って?」

 ゴドフロアの鞍の前に座ったマチウが首を伸ばした。

「真夏の熱い砂漠を渡っていると、とんでもなく遠い場所からでも水に浮かぶあの白い尖塔が、揺らめく陽炎の中に幻影となって見えるのさ。大陸一の都市だ」

 マチウが眼をみはったのは、北方王国の王都カルバラートだった。


 ガロウの言葉はけっして大げさではなかった。

 浅くて広い川の中州を埋めつくすように、家々がびっしりと建ち並んでいる。

 そのちまちました小ささと比べると、中央に輝くようにそそり立つ白い四本の尖塔の高さは信じられないほどだった。

 尖塔に四隅を護られるような形で、丸い綿帽子のような屋根をいくつもいただいた王宮らしい巨大な建造物がうずくまっている。


「そのとおりだな。あんなにまっすぐ高々とそびえる塔も、ひとつであれだけの規模を誇る宮殿も南部にはない。街の広がりも同様だ。すごいものだな」

 南部の都市のほとんどを眼にしているゴドフロアも驚いた。

 独自の精緻な建築技術の存在だけでなく、大規模な造営事業を可能にする富と権力の証しである。

 北方王国は、けっして南部人があなどるような野蛮な人間がつくった国ではありえなかった。


「北方王国がいかに強大か、これを見るだけでわかるだろう。スピリチュアルどもが大陸を制覇した気でいるなんて、ちゃんちゃらおかしい」

 ガロウは得意がる風もなく言った。


 砂漠の中を悠然と流れる大河にも奇異の思いにとらわれた。

 それは山脈からの流れを集めたグランディル川の源流だった。

 この地を北の頂点として南にゆったりと蛇行し、山脈の割れ目のような深い渓谷を越えて南部へと至るのである。


 広い石橋を渡って市街に入った。

 街を囲む石垣は防御のためというより、川の増水による洪水に備えるためのものらしい。

 王国には外敵に攻め込まれるという観念すらないのかもしれなかった。


 街の中は大通りといわず路地といわず、無秩序とも思える人だかりがしていて、異国風の笛や太鼓の音があちこちから聞こえ、街じゅうがさながら市場のようだった。

 国のいたるところから人が集まっているせいか、南部人の傭兵をもの珍しげに見やる者はいても騒ぎ立てる様子はない。

 声をかけてくる露店商人や宿の呼び込みもいるが、地方からの買い出し客やふつうの旅人とあつかいはほとんど変わらなかった。


 市中では警備兵以外は騎乗は禁止だと言われ、ゴドフロアたちも馬を引いて歩いた。

「あの連中は何だろう?」

 パコが指さした先に、甲冑の警備兵とはあきらかに違う騎乗の人影があった。


 ガロウがあわてて仲間を制止し、道を開けるように命じた。

「第三王太子のエリアスだ。無礼があればたちまち首が飛ぶぞ。馬のくつわをしっかり押さえとけ」


 南部風の身体にぴったりとした黒い革の乗馬服姿が珍しくて人目を引くが、高貴な身分にしてはけっして華美なものではない。

 平民でないのが一見してわかるのは、むしろ帯同している従者たちの派手な赤い服や、手入れの行き届いた乗馬の見事さのためである。


 市民の歓声に小さく手を挙げて応えたりしながら、王太子はゆったりと馬を進ませた。

 半裸の踊り子や娼婦らしい女がさしのばす手を気軽に握り返したり、何か冗談を言って白い歯を見せて笑ったりしている。


「ずいぶんとさばけた王子のようだな」

「ああ。カルバラートはおろか、国じゅうの人気者だ。国王になるのが早いか、スピリチュアルの帝国を倒して大陸の帝王になるのが早いかと、もっぱらの評判だ」

「ほう。そんなに威勢がいいのか」

「実力もあるぞ。まだ一〇代で成人したての頃だが、とてつもなく豪胆なことをやってのけたことがある。強大な王国にも争いがまったくないわけじゃない。王族内の権力闘争だ。王妃の兄――つまり王太子にとっては伯父に当たる人物だが、王家に次ぐ大部族を率いる族長だったその男を、王太子は一刀のもとに斬り殺した」


「そうか、あいつが〝伯父殺しのエリアス〟か」

 ダブリードが興味深そうに通りに身を乗り出して王太子を眺めた。

「なにやら物騒な話だな」

 ゴドフロアは、その噂が南部に伝わってきた頃には、外界から遮断されたブランカの暗い独居房の中にいたはずだった。


 ガロウはあたりをはばかって声を低めて言った。

「族長は、年貢に当たる献上用の駿馬の頭数をいつわった。その件を追及するために王家から遣わされたのが、王太子エリアスだった。巨大な移動天幕に招き入れられた彼は、にこやかに歓迎の握手をしようと差し出された伯父の手首をむんずとつかみ、もう一方の手で偃月刀を抜き放つと、ためらうことなく一刀両断したという」

「そいつはすげえ」

 ダブリードは息を呑み、あらためて道のむこうにいる王太子の姿を見上げた。


「もちろん事件には背景がある。族長は、スピリチュアルに対する王の弱腰に批判的だった。わざと年貢の申告をごまかしたのは、それに抗議する意思表示だったわけだ。王家が年若い王太子を遣わした真意は不明だが、血族の、しかも年の離れた者同士で語り合えば、険悪な争いになどなるはずもなく、穏便にことを収められると考えたのだろう。その証拠に、王太子につけた従者はわずか数人にすぎなかったという。族長のほうも、意思表示はできたわけだから、頭数の件は手違いだったとでも王太子に釈明してあっさり済ますつもりでいたにちがいない」


「ところが、どちらの思惑にも反して、王太子は伯父を殺してしまったというんだな。そんな無謀なことをして、よく生きて帰れたもんだ」

「王太子は包囲した伯父の部下たちにむかって一喝したという。『王国の正義が厳粛に行使されたのだ。異議を唱えるのは反逆だ。おまえたちは反逆者となるか!』とな。手出しする者はおろか、声すら上げる者はなかった。彼を無事に帰したばかりか、その後彼らは部族を挙げて第三王太子を後援するようになったのだ」


「どういうこった?」

 ダブリードは、当惑して眼を白黒させた。

 ゴドフロアがニヤリと笑って解説した。

「簡単なことじゃないか。伯父の部族は、王太子の果敢な行動に、伯父その人の遺志を受け継ぐ心意気と実行する力量を感じ取ったのさ。この王太子なら、スピリチュアルを撃退し、王国の旗を大陸全土にひるがえさせることが可能だと信じたんだろう」


「さすがは、ゴドフロアだ。北方人の考え方、ものの見方がわかってきたな。もちろん、そこには計算もある。族長を失い、反逆者の汚名を着たままでは、部族が王国の中で没落していくのは見えている。もっとも実力のある王位継承者の後ろ盾になることで、汚名をそそぎ、将来の立場さえ固めようとしたってことさ」


「だが、第三王太子と言ったな。王位継承者はほかにもいるということか?」

「王太子は四人いる。優先順位はない。王が逝去するか譲位を表明したとき、王位を請求する者が名乗りを上げる。一人ならすんなり決まるが、対抗馬が出れば決戦ということになる。後に禍根を残さないために、敗れたほうは宮廷を去るのが決まりだ。もし宮廷内に何らかの地位と権力を保持したままでいたいなら、継承権を放棄するしかない」


「決戦とは?」

「決闘さ。王国の民を納得させるものは、何よりはっきり眼に見える結果だからな」

 王太子の行列が近づいてきて、ガロウはピタリと口をつぐんだ。


 馬上の若者は、身体つきこそ宮廷育ちらしく華奢にさえ見えるが、しなやかな身のこなしは確かな技量を感じさせた。

 さほど濃くない口ヒゲの下には、余裕のある優美な笑みをたたえた唇がのぞいている。


 だが、王太子エリアスのいちばんの特徴は、長いまつげに隈取られたタカのように鋭い眼光を放つその眼だった。

 正面からひたと見すえられたら、眼をそらさずにいられる者は少ないにちがいない。


(そうか、あの眼は……)

 まったく異なった外貌をしているものの、ゴドフロアが自然に連想したのはカナリエルの婚約者だったロッシュのことだった。


 このとき、二人は広大な大陸じゅうでもっともかけ離れた場所にいる。

 もちろん、ゴドフロアにはそんなことは知るよしもなかった――。

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