第四章 2 傭兵が生き残る道
「なんだか、いろいろと複雑な事情があったようだな」
月光を映した湖のほとりを野営地への道をたどりながら、ガロウが言った。
「ああ、まあな。だが、もう過ぎた話だ。聞き流してくれ」
「しかし、おかげでおれにもわかったことがある……」
ガロウの言葉に、ゴドフロアはふたたびドキリとした。
「あの娘が言っていたじゃないか。おまえがスピリチュアルや盗賊と戦って、彼女を救ってくれた、と」
「まあ、そのとおりだが……」
ガロウが何を言うつもりなのかと、ゴドフロアは不審に思った。
「それは、まずおまえが盗賊ではないという証拠じゃないか。それに、ネイダー砦のスピリチュアルどもを全滅させたのも、たまたま砦を守っていたのがやつらだったというだけじゃなくて、過去にもそうやって戦った因縁があったからだったのだな」
ゴドフロアは眠りこんだマチウを抱え直し、黙ったままうなずいた。
「あの気立てのよさそうな娘は、おまえに心底感謝して信頼しているようだった。あの涙に嘘はない。そして、いちばん肝心なのは、おまえが北方人の命を救ってくれたことだ」
ガロウはいきなり立ち止まり、ゴドフロアのほうに向き直った。
「なのに、おれはおまえたちをやっかい払いすることしか考えていなかった。許してくれ」
真剣な声で言うと、深々と頭を下げた。
「そこまでされると……なんか妙な気分だな。なりゆきでそうなっただけだ。おまえに感謝されるようなことじゃない」
「そうか? 南部人にはわからないかもしれないが、北方人は何より家族を宝のように大切にし、仲間のことを思いやり、同胞のために命がけで戦うのだ。敵の敵が味方とはかぎらないと言ったが、同胞の恩人はまちがいなくおれたちの友人だ」
「ずいぶんきっぱりとしているものだな」
「北方人は単純だが明快だ。嘘は言わないし、口に出すことには飾りもない。だから厳格で残酷な一面もある。それを承知のうえでなら、おれがなんとか生きる道を探してやる。しかし、その機会を生かせるかどうかは、おまえたちしだいだぞ」
どうやら思いがけないことがきっかけでガロウの信用を得たようだった。
「それにな……」
紋切り型の言い方しかしないガロウが、妙に含みのある口調で言いかけた。
「何だ?」
「実は、俺たちは砦でのおまえたちの戦いっぷりを岩陰に隠れてずっと見ていたんだ。思いがけないきっかけで始まったし、だいぶ浮き足立っているやつもいたな。だが、おまえが実にうまくまとめていた。とくに感心したのは、そうやって大切そうにしている子どもが危険にさらされているのに、平然としてその機会を利用したことだ。おれは一瞬ムカッときたが、その後の成り行きを見て納得させられた。子どもを心から愛して信頼してなけりゃできることじゃない、とな」
ガロウは真剣なまなざしで言った。
「いや、あれは運を天にまかせただけさ」
ゴドフロアはニヤリと苦笑したが、眼は笑っていなかった。
無表情なガロウの観察眼の鋭さに感心したのだ。
「おまえが気に入ったよ。南部にも気骨のあるやつがいたんだな。こうなったら、おまえらがどうなるか見届けさせてもらうぞ」
偃月刀を振るうようにすっぱり言い切ると、ガロウは高らかに笑った。
北方王国に来て思いがけない形で得た信頼は、しかし、新たな困難さと出会うためのきっかけにしかなりそうになかった。
南ならもう冬空と言ってもいい満天の星が冴え冴えと輝く北の夜空を見上げながら、ゴドフロアは唇を噛みしめた。
周囲の風景は、湖沼地帯から草原へ、さらに砂塵の舞う荒涼とした砂漠へと変わっていった。
「大陸の南側からは信じられないような眺めだな。世界に果てというものがない。いったいどこまでつづいているのだ?」
ちっぽけな土地を眼の色を変えて奪い合う南部の国々ばかり見てきたゴドフロアは、あきれたように嘆息した。
「果ては……たしかに、ないと言えばない」
ガロウが、うまく説明する言葉を手探りしながら答えた。
「どういう意味だ?」
「北方の大地は、山脈から離れれば離れるほど、わずかに起伏しながらだんだんと下っていくのだ。あんまり遠ざかりすぎると……どうなるかわかるだろう?」
「そうか、紫色のガスの中に踏み込んでしまうのだな」
「季節や天候によっては、どこまでガスが押し寄せてくるか予測がつかん。山脈が見えなくなったら、そこはもう危険な場所ってことになる。おれたちは〝境界未詳地帯〟と呼んでいる。砂嵐や低い雲にとり巻かれて方向の見当を失ってしまったときには、たとえ何日でも遊牧民は覚悟を決めて下手に動いたりしない」
それが、北方王国に来て最大の驚きだったかもしれない。
出稼ぎのような国境警備の仕事を終えたガロウたちは、とりあえず部族の元へ引き上げることになるのだが、むこうも家畜を連れて広大な荒野を移動している。
その消息を知るためには、方々から人が多く集まってくる都市を目指すのがいちばん手っ取り早かった。
ゴドフロアたちの身の振り方についても、そこでガロウが心当たりを探してみるということになった。
野営の支度に取りかかると、当番以外の者はきまって遊び半分のような剣の稽古を始める。
最初は離れて見物していた傭兵たちも、しだいにその輪に加わるようになった。
北国の若者たちは無口でとっつきにくかったが、やはり戦士同士はたがいの力量や技に興味がある。
ランペルが重い大鎚をすばやく器用に振り回してみせたり、パコが機械仕掛けのクロスボウをあやつって遠くの鳥を精確に狙い撃ちしてみせると、騎馬兵たちは素直に感嘆の声をあげた。
腕試しを通じて両者は自然に打ち解けていった。
「ほう、南部にはそんな便利な仕組みがあったのか――」
ゴドフロアたちが北方王国の軍制にまったく疎かったのと同様に、北方の戦士たちも〝傭兵〟という兵士の位置づけがいまいち呑み込めていなかった。
ガロウがたずねると、参謀の資質のあるディアギールが要領よく説明した。
ガロウは、南部全体に張りめぐらされた傭兵募集の情報網のことを聞いてえらく感心した。
「デュバリっていう頭のいい商人が考案したのさ。おかげで、おれたちは仕事を求めてあてもなくさすらう必要がなくなったんだ」
ディアギールは、知り合いのことでも自慢するように得意げに言った。
「北方王国とはえらい違いだな。おれたちの軍役は、義務でもなければ安定した身分でもない。兵士の資格はその都度勝ち獲るものなんだ」
「どういうことだ?」
「どんな役目であろうが、志願した者同士が勝負して手に入れなけりゃならないってことさ。勝ち抜くのは何よりの栄誉だし、戦うこと自体が喜びなんだ。戦争などなくても、そうやっておれたちは鍛えられる。今回の任務も、競合した六部族から選ばれたものだ」
ガロウは、何人もの同胞の血を吸ってきただろう腰の偃月刀を叩いた。
「なるほど、それが北方軍か……」
傭兵たちは話を聞いて一様に息をのんだ。
目指す製鉄都市ナブラは、木立一本ないゴツゴツした針のような岩が林立する低い山の谷間にあり、ゴドフロアたちの眼下にいきなり現れた。
巨大なすり鉢状の縦穴が谷底深くうがたれていて、掘り崩された壁面にはクモの巣のように足場が組まれ、無数の人間が掘削や運搬の作業に忙しく立ち働いていた。
「鉄鉱石を掘っているんだ。ここで採れる良質の鉄がなけりゃ、まともな剣や鍋は作れやしない。おまえらも穴掘りやるか? 仕事はきついが稼げるぞ」
活気と熱気に満ちた風景に驚く傭兵たちに、ガロウの副官格のバルクがあちこち指さしながらからかうように言った。
もうもうと煙を上げる工場群は谷筋に位置し、土と岩を固めて作られた小さな家々が山肌をびっしりと埋めつくしている。
縦穴を囲む山の斜面に初期に掘削されたものらしい無数の古い横穴や坑道が、今は店舗や作業場やさまざまな施設に転用されていた。
崖っぷちにつづら折りにつけられた道からのぞくと、横穴は意外に広くて、天候に左右されずかなり快適そうなことがわかった。
天井と横幅を大きく掘り広げられた坑道は、さながら地中の商店街といった風情で驚くほどにぎわっていた。
そうした場所があちこちにあって、鉱山や工場とはまったく関係なさそうな旅人や住人も多く往きかっている。
「変わった街だろう。だが、豊富な鉄鉱石を南部にも輸出していて、今や王国中でも指折りの景気のいい都市になっている。国中から人が集まって来ているから、いろいろな情報も手に入りやすいのだ」
ガロウはそう言ってゴドフロアや部下たちを安酒場に残し、バルクと連れ立って知り合いのもとを訪ねていった。
夕暮れどきになり、すっかり仲間のようになった傭兵と騎馬兵が酒でほどよく盛り上がってきた頃になって、二人がようやくもどってきた。
「どうした……部族に何かあったのか?」
若い騎馬兵が、眉根をしかめて固い表情をしたガロウに問いかけた。
だが、その後ろにいるバルクは反対に顔を紅潮させて明らかにひどく興奮しているようだった。
二人の対照的な様子に、みんなの眼がたちまち集まった。
「いや。部族の居所はわかったし、悪い知らせなどない。だが……」
ガロウが言いよどむと、代わりにバルクが口を開いた。
「新規の部隊募集が始まってたんだ」
「エッ。もうすぐ冬だぜ。こんな時期にか?」
バルクがつづけた。
「ああ。その年の正規軍を選ぶ恒例の大選抜会なら、新年早々と決まってる。おれたちが警備隊の役目を手に入れたような小さな仕事の場合だけが、季節ごとに数回開かれる。しかし、ふつうそれも夏までだ。冬が近づくほど、遠い地方からわざわざ集まってくるのは困難になるからだ。こんな時期の急な募集というのは、おれにも記憶がねえ」
「じゃあ、どういう名目なんだ?」
あらためてガロウにむかって問いかけると、ガロウはようやく重い口を開いた。
「それが明らかにされていないから迷っているんだ。それと……募集部隊の規模というのが三〇騎隊なんだ」
「三〇騎!」
騎馬兵たちがいっせいに声を上げた。
ガロウが引き連れている人数ではとても足りない。
それに、〝三〇〟という数には特別な意味があるようだった。
「おれもいつかは『三〇騎長』と呼ばれてみたいと願ってきた。三〇騎隊となれば、大選抜会で正規軍への編入に挑戦することができる。最高栄誉の王都守備隊にだって応募が可能だ。晴れて選ばれたあかつきには、王国軍の象徴である黒鉄の甲冑を支給され、一年間の正規軍人の身分と特権が与えられる。部族の者たちにとっても、それはこのうえない誇りだ。……だが、うちの部族のような小規模の集団では、精強な若者を三〇人も駆り出すのは容易なことじゃない。この人数がやっとだったんだ。それに今からでは、部族に増員を頼んでも間に合わんだろうし……」
酒をすすりながらガロウが淡々と語ると、しびれを切らせたバルクがいきなり立ち上がって怒鳴るように言った。
「そんな奥歯にものがはさまったような言い方は、ガロウらしくねえぜ。おれたちは、警備隊に応募したときからスピリチュアルと一戦交える覚悟だったんだ。力はあり余ってるし、実戦慣れして腕と度胸のある傭兵たちもいる。合わせればちょうど三〇人だ。こんな絶好の機会を逃す手はねえ!」
「おれもそう思うさ。だからといって、仲間はもちろんのこと、傭兵たちにそれを強制することはできまい。ちゃんとした選択肢を用意してから相談すべきだと思ったからこそ、こんな時間まであちこちに当たってゴドフロアたちの仕事を探してきたんだ」
「その顔では、どうやらあまりいい成果はなかったようだな」
ゴドフロアは皮肉っぽく唇の端を持ち上げて言った。
「鉱夫や荷役の仕事くらいならあるんだが……そんなんじゃやっぱり不足だよな?」
ガロウがやっと頰をゆるめて本来のざっくばらんな表情になって言うと、ゴドフロアも小さく微笑んでうなずき返した。
そのとたん、傭兵も騎馬兵もワッと歓声を上げた。
「ガロウを三〇騎長とやらにしてやろうぜ!」
ゴールトが酒杯を掲げて叫ぶと、一座はさらに盛大に沸き返った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます