第四章 Mirage City of Karbalad 蜃気楼の都
第四章 1 北国の再会
ゴドフロアたち傭兵は、兵糧を積む荷馬車や馬の後ろに乗せられて山脈を越えた。
北方王国の国境警備隊は、後方にネイダー砦陥落を知らせる早馬を先行させてしまうと、のんびりと帰途についた。
警備隊とはいっても前線基地のようなものがあるわけではなく、山脈の南側まで進出するのだから実質的には遠征部隊である。
あわよくばネイダー砦を突破し、近隣の集落まで足をのばして荒らしまわろうという意図もあったらしい。
二〇騎ていどの人数なら、協定では侵略軍とはみなされない。彼らはそれを〝偵察〟と称しているらしいが、そうやって帝国側に脅威をあたえつづけることで、協定が形ばかりの臣従にすぎないことを知らしめることがねらいなのだ。
最大の障害であるネイダー砦はゴドフロアたちによって陥落したものの、道がふさがれて機動力となる馬を越えさせることも同時に不可能になった。
砦の体制と道の状態がスピリチュアルによって復旧するまでは緊急事態は生じないだろうと判断し、隊長であるガロウという男が引き上げを決断した。
当面敵に追撃される恐れもなく、冬の到来にはまだ間があるのか天候は小春日和の穏やかさで、山越えには最適だった。
「それにしても、えらくのんきなもんだな」
ダブリードは隊列を眼で追いながら不審そうにつぶやいた。
規模は小さくても警備隊といえば軍隊のはずだが、いっこうにそれらしくないのだ。
行軍の開始や停止はほとんどなりゆきまかせだし、きちんと隊列を組むでもない。
敵に背後を突かれる不安がないとはいえ、まったく緊張感が感じられない。
遅れる者が出たり隊列が間延びしたりしないのは、乗り手がそろって卓越した技量の持ち主で、馬まかせに走らせているだけで常にある程度の速度が維持されているからだった。
おまけに、列の先頭でいきなり早駆け競争が始まったりする。
ガロウはただ笑って見ているばかりか、自分から率先して参加することさえあった。
「これがほんとに、精強でもって知られた北方王国軍かよ」
パコも、そのありさまを眺めながら眼をパチクリさせて言った。
一見だらしなくて規律も何もなさそうに見えるのは、それが北方人というものだからというしかないようだった。
北方王国は南部とは何から何までちがっているというつかみどころのない漠然とした風評も、まずだいいちに、こういう根本的な考え方や姿勢の違いに発しているのかもしれなかった。
「まいったな。北方王国に傭兵が不要なわけがわかってきたぞ……」
ゴドフロアがそうつぶやいたのは、だれかが岩肌に一頭の大鹿を見つけたときだった。
遠征も終わりに近づいて、食料、とくに新鮮な肉が底をついてきていた。
騎馬兵たちは一瞬も迷うことなく、突然の狩りが始まった。
彼らは、われ先にとてんでんばらばらに馬を駆って斜面へ突進した。
作戦もなければ指示を出す者もいない。
全員が、自分こそが獲物をしとめるのだと意気込み、好き勝手な方向へと散っていく。
鹿は、穴だらけの包囲網の隙間をぬうように逃げまわり、彼らを翻弄して楽しんでいるかのようだった。
ゴドフロアたちはポツンと荷馬車とともに取り残され、その様子を遠くから見守っているしかなかった。
ほとんどさえぎるもののない風景の中では、騎馬兵たちの動きの効率の悪さが手に取るようにわかった。
どう見てもふざけて遊んでいるようにしか見えない。
だが、ある一瞬を境に様相が一変した。
大鹿を仕留められそうだとみるや、その空気がたちまち全員に伝わり、陣形と役割分担がピタリと決まった。
隊全体が、ひとつの生き物のように生き生きと躍動しはじめる。
それまで空回りしていた力を有効にする明確な方向性が定まると、全体として数倍もの攻撃力と化した。
大鹿はたちまち追いつめられ、あきらめたように矢や手槍を無数に受けて大地に崩れ落ちていった。
その様子を見届けて大きなため息をひとつつき、ダブリードが言った。
「まるでなぶり殺しだ。北方王国の連中は血も涙もないって噂はほんとだな。……だが、傭兵がいらないって、どういう意味だ?」
「いや、おれの推測にすぎん……が、たぶんまちがってはいない。まあ、そのうちはっきりするだろうさ」
ゴドフロアは、謎めいた言い方をしたきり、獲物を囲んで歓声を上げるガロウたちをいかにも興味深そうに眼を細めて見守っていた。
山道が下りになってまもなく、早馬の知らせを受けてやって来た交替の警備隊とすれちがった。
ガロウはとくべつ詳しい報告をするわけでもなく、馬に乗ったまま責任者の印の腕輪を手渡し、それだけで任務完了となった。
最後の峠を越えるといきなり視界が大きく開けた。
北方王国の地形は極端だった。
この先にはもう視線の届くかぎり高い山は見えず、どこまでも広々と開けたなだらかな土地がつづいている。
大地はいくつかの色のまだら模様をなしていた。
黒い色はむき出しの土だろうし、薄い茶色や緑は草の種類の違いだろうと想像がついたが、木立ちがろくにないせいで、いったいどれだけ広大な風景を眼にしているのか、まったく見当もつかない。
背後をふり返ると、南部から見えた北方山脈をほぼ裏返した形の高い山嶺が長く連なっていた。
しかし、印象はずいぶんちがう。
北から押し寄せてきた灰色の雲がぶ厚くかかり、頂上付近はもう白い雪におおわれはじめていた。
山に降る雪の量は、南側よりもずっと多いにちがいない。
山脈に深く切れこんだ谷筋から流れてくる雪解け水がつくった川が、広い草原の中を何本も蛇行している。
川沿いには、ときおりこんもりとした木立ちの中に家々が建ち並んでいる集落が見え、周囲の土地に畑を作って暮らしているのがわかった。
「なんだ、ずいぶんのどかな景色だな。田舎じみてはいるが、見たところ南部とたいして変わらねえじゃねえか」
ディアギールが拍子抜けした声でいった。
たしかに、雪や寒さにそなえて多少頑丈な造りになっているだけで、家々のたたずまいに大きな相違はなかった。
傭兵たちはだれもが、山脈の北側では何から何まで南とは違っていると聞かされて育ってきている。
人々は決まった家を持たず、家畜を追って一年中草原を移動して暮らしているらしいというくらいの、漠然とした知識しか南部人は持っていない。
ゴドフロアがつぶやいた。
「北方王国の版図は、大半が無人の草原や砂漠だとしても、南部全体にほぼ匹敵する広がりを持っている。長らく南部にとって脅威となっているのは、なにも軍隊の精強さのせいばかりじゃない。それを支える独自の文化や別種の豊かさが存在するからさ。いろいろな場所があって当然だろう」
山脈に近いこのあたりは湖沼地帯と呼ばれ、地味も肥えていて、乾燥した北方王国にあっては例外的に定住が進んでいるらしい。
流れはやがて一本にまとまり、山脈をぐるりと迂回して南部へとつづき、グランディルの大河となる。
村々には酒場はあっても宿屋はなかった。
その代わり、かならず野営できる広い場所が確保されていた。
家畜や馬を一時的に入れておける囲いもあるのが、いかにも北方らしかった。
騎馬兵たちは、当然のようにこれまでと同様に焚き火を囲んで野営した。
アシの生い繁ったかわいらしい湖のほとりの村で泊まることが決まったとき、隊長のガロウがゴドフロアを酒場に誘った。
隊員たちは毎晩きまって大酒をくらって騒いだが、酒場で飲むことはめったにない。
酒場には酒を買いに行くだけである。
そのときも、酒を入れる革袋を両手に下げた隊員が二人ついてきた。
店はこぢんまりとして飾り気がなく、いかにも村のなじみ客ばかりを相手にした息抜きや社交の場といった感じだった。
黒くすすけた太い梁にタバコの煙が雲のようにからみついて、ターバンを頭に巻いた客たちがたむろしている。
一目でゴドフロアを異国の戦士と気づき、たちまち会話が途絶えた。
ガロウは気をつかって、カウンターからいちばん遠くの奥まった席に腰を下ろした。
「おまえたち、何が目的で王国くんだりまで来たんだ?」
エール酒のジョッキの泡ごしに、ガロウが鋭い眼つきでたずねた。
「言ったはずだ。南部はスピリチュアルに征服されて、もうめぼしい戦いは久しくなくなってしまった。それに、おれたち傭兵はスピリチュアルどもに嫌われている。あっちに残っていたら、食いっぱぐれるばかりか、いずれ命さえあぶなくなったことだろう」
ゴドフロアは、いっしょに連れてきたマチウにクルミの殻を割ってやりながら、率直に言った。
実際は何度もあわやという目にあっているのだが、ゴドフロアが本気で命の危険を感じるほどのことはなかったということだ。
「建前ではないのだな? 北方人のおれたちには、傭兵と盗賊の区別などつかん」
「そういうことか」
「ああ。鼻持ちならないスピリチュアルのやつらを、気持ちのいい目に合わせてくれたからな。追い返すわけにもいかないから連れてきてやったが、いつまでも連れて回ることはできん。かといって、解放したとたんにおまえたちが村々を荒らしはじめたりすれば、こっちが責任を問われることになる」
「心配するな。仲間にはおれがそんな真似はけっしてさせん」
ガロウはいちおううなずいたが、表情は硬いままだった。
「言っておくが、こちらには傭兵の仕事などないぞ」
「だろうな。おまえたちの様子をずっと見ていて、なんとなくわかってきた。警備隊といっても、大きな軍隊からその役目のために割かれた部隊じゃなさそうだ。おそらくおまえの一族……というのか、おまえが属する集団から選ばれた戦士たちだろう。軍規で統制された部隊というより、血族としての信頼で結ばれた仲間同士という感じだった。大鹿を追いつめていったときのみごとな連携ぶりは、軍隊の訓練などでつちかわれるものじゃない。北方王国の軍制がそういう単位で構成されたものなら、たしかに、金で一人ひとりが契約する傭兵が入り込めるような性格の軍ではない」
ゴドフロアが冷静に分析してみせると、ガロウは眼をむいてうなった。
「……そこまでわかっていたか。まさにおまえが見抜いたとおりだ。おれたち遊牧民族の男たちは、生まれたときから命をかけて家族や家畜を守る者になれと教えられて厳しく育てられる。子どもだって、真剣を振りかざして斬り合いの稽古をして遊ぶ。南部とは大きく違っているのは当然だ。北方の男はすべて戦士でなければならないのだ」
「すごいものだな」
「わかっているなら話は早い。南ではお尋ね者になっていて身の置きどころがないというなら、この際すっぱり傭兵稼業から足を洗って、こちらでまともな仕事を探すことだ。遊牧民はみな家族が単位だから他人を容れてはくれないが、こういう村やもうすこし大きな町には雇ってくれそうなところやそうした仕事がないわけじゃない。おまえが仲間を説得してくれれば、俺が口を聞いてやっても――」
ガロウが途中まで言いかけたとき、いきなりすぐそばでガチャンと大きな音がした。
見ると、床の上に割れた陶製のジョッキが転がっていて、一面にこぼれた酒が広がっている。
運んできた女が、その前で口に両手を当てて立ちすくんでいた。
「あ……あなた、ゴドフロアなの?」
女は眼をいっぱいに見開き、こちらを見つめていた。
「フィオナ……おお、フィオナじゃないか」
ゴドフロアも驚いて、女の顔をまじまじと見返した。
「このひと、だれ?」と言うように、マチウが二人の顔を交互に見上げた。
ケルベルク城に住んでいた羊飼いのゲオルの若い女房だった。
数年たった今でも、まだ娘のような印象にほとんど変わりはなかった。
「無事だったか。なんとか逃げおおせたんだな」
「あなたがたった一人でスピリチュアルや盗賊をくい止めて戦ってくれたおかげよ。何とお礼を言っていいか……」
ケルベルク城から脱出したときの恐ろしい記憶がよみがえったのか、フィオナは身を震わせて涙ぐんだ。
夫のゲオルは、ゴドフロアたちを盗賊から逃がすためにみずから犠牲になったのだ。
「礼なんていい。おまえもずいぶんつらい思いをしたのだ。……ステファンはどうした? あいつもいっしょだったのだろう」
「ええ、ええ。あの人は旅慣れてもいるから、何度もくじけそうになるあたしをはげまして、どうにか連れて帰ってくれたんですよ。ここはあたしの故郷の村なんです。あたしは赤ん坊をかかえている身だし、ゲオルが遺した家もあるから、いつまでもいてくれていいって言ったんですが……」
その口ぶりからすると、夫を亡くして不安なフィオナは、どうやら命がけの逃避行を共にしたステファンを頼りにしようとしたらしい。
「でも、彼はここに着くと、すっかり人が変わったようにふさぎこんでしまったんです。隊商にいた人だから、一つ所に腰を落ち着けるのに耐えられなかったんだろうし……それに、きっとあのきれいな人のことが忘れられなかったんですね」
カナリエルのことだ。
ゴドフロアも、ステファンがカナリエルに一目惚れしていたことは知っている。
ゴドフロアにとってあの逃避行が忘れがたい経験だったように、ステファンにとってもカナリエルの死を看取った喪失感は大きなものだったのだろう。
「では、もうここにはいないのか?」
「赤ん坊もいることだし、とにかくあたしが働かなくちゃと思ってあちこち仕事の口を探して、やっとこの店で雇ってもらえることになったんです。ところがその日家に帰ってみたら、彼の革カバンもなくなっていて……」
フィオナは大粒の涙をまた新たに両眼に浮かべると、テーブルの端にすがってワッと泣き崩れた。
孤独と不安に耐えてずっと懸命に自分を支えてきたものが、懐かしいゴドフロアの顔を見ていちどに崩れ去ってしまったようだった。
マチウが、眼の前で震えているその手にそっと自分の小さな手をそえた。
ほかの客たちは酒が届かないことに文句も言わず、黙って聞き耳を立てている。
すっかり店の看板娘になっているらしい若い未亡人のフィオナの身の上話に、だれもが興味津々の様子だった。
「しかし、おまえが無事でいてくれたことがわかってなによりだ。あんなつらい体験は早く思い出にしてしまって、新しい生活を築くことのほうが大事だぞ」
無骨なゴドフロアには慰めようもなく、無理に笑顔をつくって言うと、フィオナがふと思いがけなく眼が覚めたような明るい表情になって顔を上げた。
「ええ、そのとおりですね。あたしにはまだ生き甲斐になってくれる可愛い子どもも残ってるんだし……そうか、この娘さんはあのときあなたが背負っていた――」
「ああ、そうだ。あの子だよ」
ゴドフロアは急いでうなずいて言った。
マチウがスピリチュアルであることをフィオナがうっかり口にしてしまうのではないかと、内心気が気ではなかった。
北方王国の人々にとって、南部人など珍しいだけでものの数にも入らないのかもしれないが、たとえ子どもであってもスピリチュアルとなればどんな騒ぎが持ち上がるかわからなかった。
「活き活きした眼をして、なんて可愛らしいのかしら。なんだか急に元気が出たのは、きっとこの子があたしの手を優しく握ってくれたからだわ。何かあったかいものが伝わってくる感じがしたもの。ほら、ちょうどあの人が、逃げる途中の窪地であなたの背中の火傷を手当てしてあげたみたいに」
ゴドフロアはドキリとした。
(そうか……これはまさにあの力だ)
フィオナが言ったのは、スピリチュアルが持つ不思議な力のことだった。
それを経験したことのあるゴドフロアだからこそ、フィオナが同じ力の影響を受けたのがはっきりとわかった。
そしてそのこと以上に、いつの間にか幼いマチウがその力を使えるようになっていたことに驚いたのだ。
さいわいにも、南部人に比べてずっと現実的で迷信や占いも信じないと言われる北方人の男たちは、だれもがフィオナの言葉をお世辞か大げさな言い方くらいにしか思わず、微笑ましそうに眼を細めてこちらを見たり、中にはもらい泣きしている者もいた。
引き上げるときになって、フィオナは戸口まで見送りに出てきた。
「見て。冬の分厚い雲に閉ざされる前のいちばんきれいに澄みわたった北方の夜空よ。この空みたいにあなた方の旅がつつがなく続きますように――」
フィオナは、ゴドフロアの腕に抱えられたマチウの手に北方名物の固い焼き菓子の袋を握らせてキスすると、彼らの後ろ姿にむかっていつまでも手を振っていた。
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