第五章 4 獄中の男

「デュバリ、起きているか」


 ツェントラーが、むこう向きに横たわっているボロボロの服の男に呼びかけた。


 顔だけをふり向けたデュバリは、タイマツの揺れる炎の光をすかすようにして鋭い視線を油断なく周囲にはわせた。


「……そっちの男はいつもの牢番頭ではないな、ツェントラー。ということは、拷問でも、正式な尋問でもないわけだ。俺に裏取引を持ちかけに来たか、さもなければとうとう俺の命を闇に葬り去ろうとでもいうのか?」


「おぬしがずっと地底の牢獄にいるのと死んでるのとで、どこに違いがある?」

「あるかもしれんぞ」

 長い間夜昼の区別もつかない牢獄にありながら、デュバリは意外と精力に満ちた声で言い、起き上がってこちらに向き直った。

 ぼうぼうに伸びた髪とひげに覆われているが、年齢の割に身体も引きしまって精悍な表情をしており、一代で成功した大商人らしくなかった。


「外の世界で何が起こっているか、言い当ててみせようか。なんなら、三〇〇〇の傭兵軍団に、ガラフォールへの集結で手薄になっている皇都アンジェリクを襲撃させてもいいのだぞ」

「ほう、帝国軍の集結のことまで知っているのか?」

 ツェントラーには驚いた様子はなく、冷淡なまでの抑揚のない声で尋ねた。


「俺は人と情報を操ってきた男だ。それくらいのことを知るのはぞうさもないことさ。親父は老舗の武器商人だったが、昔どおりの商いをするだけで才覚がなかった。俺は若い頃から親父を手伝って武器を売り歩きながら、もっと大きな商売にすることを考えた。そこで、大陸全土にコツコツと情報網を作り上げていった。どこの国でどれだけの数の傭兵を必要としているか、どんな傭兵がどんな作戦に必要なのかまで、仔細に把握していった。そして、その傭兵をたちまち集める仕組みを作り上げた。もちろん、そうやって同時に親父の何倍もの武器を売りさばいたがね。肝心なのは情報網、つまり信用のできる人のつながりだ。これは形が見えない。おまえたちが俺を地底に押しこめようと、それは今でもそっくり生きているってわけさ」


「そうかな。しょせん、わずかばかりの金や甘い言葉でつった信用だろう。そんなものは朝つゆのようにはかない。情報も同様に、新鮮なうちに活かしてこそ価値がある」

「わかってるさ、おまえの魂胆はな。俺が探り出す情報が欲しいんだろう。だから、それを入手する手づるをあえて断ち切ろうとはしていないようだ。情報網は、俺という存在があってこそ存続し、ちゃんと機能するのだからな。気位の高いスピリチュアルのおまえに、はたして俺に頭を下げるだけの度量はあるのか?」


「だが、おぬしがそうやって自慢たらしく言う分だけ、自分の首を絞めているのだぞ。いくら情報を豊富に集めることができたとしても、それを買う相手と接触できない以上、そんなものに何の価値もないし、そもそも存在さえしてないことになる。おまえをたった今殺したって、こちらはすこしも損になるわけじゃない」

「ただ生き延びるくらいの代償で貴重な情報をもらせとでも? 甘く見るなよ、ツェントラー。俺の商売も財産もいっさいがっさい取り上げた相手に、はいそうですかと素直に従うはずがなかろう。たぶんそこの若造が何か聞きたいのだろうが、無駄足だったな。さっさと帰るがいい」

 デュバリは言うと、前のようにゴロリとむこう向きに横になった。


「では、これを無視できるかな――」

 ツェントラーは、壁の陰に隠れていたジョルジュを手招きした。


「父さん!」

 ジョルジュが呼びかけたとたん、デュバリの肩がぴくりと動いた。


「……ツェントラー、見損なったぞ。娘を人質にして、俺を脅迫しようってのか」

「父さん、どうかこっちを向いてちょうだい。このとおり、あたしは縛られてもいなければ、剣を突きつけられてもいないわ。あたしは自分の意志で来たのよ」

 デュバリはそれでも姿勢を変えようとしなかった。


 ジョルジュはつづけた。

「スピリチュアルには家も財産も店も商品も取り上げられたけど、サー・ツェントラーは、あたしには指一本触れさせなかったわ。それどころか、新しい棲み家と仕事もあたえてくれた。あたしは今、前に御用商人のヴェルカンが持っていた娼館に住んでいるのよ」

「ヴェルカンの娼館だと? じゃあ、娼婦にされたというのか。ツェントラー、よくもそれで娘を助けたなどと言えるな!」

 デュバリは憤然としてふり返った。


「早とちりするな。表向きはベラを女将のままにしてあるが、本当の所有者はおまえの娘だ」

「何だと?」

「そうよ、父さん。娼館というのは隠れみのにすぎないのよ。あたしは顔見せするだけ。決まった客しか相手にしないことにしてあるの。誓って、客など一人も取ったことはないわ」


 それを聞いて、ロッシュは初めて合点がいった。彼女が〝ジョルジュの娼館〟と言ったのはそういう意味だったのだ。


「まあ、おまえがそう言うのなら信じよう。俺の娘にかぎって、娼婦にまで身を落とすとは思えんしな。だが、それを恩に着せて俺を抱きこもうとしても無駄だぞ。ジョルジュも、もうこれ以上こんなやつの世話になるな。俺はそのうちなんとか手はずをつけて逃亡する。おまえがこいつらの手の中にいたらそれもできなくなる」


「……いいえ、それは不可能よ、父さん。週に一度、ワインとあなたの好物の牛の舌のソテーがこっそり出るでしょ。父さんは、番兵や食事を運んでくる子どもをうまく手なずけているつもりかもしれないけど、あれはあたしの差し入れだし、あなたが外と交信できるのは、あたしがサー・ツェントラーに密書をそっくり手渡しているからなのよ。逃してくれる者など、けっしてここに近づくことはできないわ」

「まさか……」


「情報が入ったのは、このひと月で五回だろう。八日前には番兵から、五日前には使用人のロメルから緑色の紙を受け取っているはずだ」

 ツェントラーが言うと、デュバリが初めて緊張で身体を硬くするのがわかった。


「安心しろ。おまえが使っている何種類もの複雑な暗号は解読できていないし、密書はいっさい間引いたりもしていない。たとえ解読できたとしても、おまえの知識と判断に照らさなければ価値のわからないものが大半だろう。情報の断片とはそういうものだ」

「さすがツェントラーだな。よくわかっているじゃないか」

 デュバリは半ば感心し、半ば悔しそうに歯を噛みしめながら言った。


「だから彼に協力して、父さん。そうすればここから解放されるわ」

「いや、そうとわかればまだしばらくここにいてやる。俺の代理のジョルジュを介して情報は入ってくるわけだし、俺を簡単に殺すわけにはいかないこともわかっているようだからな。その間に、どうするかゆっくりと考えさせてもらうさ」


「なら、そうするがいい。だが、おまえが持つ情報収集能力というのがいったいどれほどのものなのか、少しくらい見せてくれてもいいだろう」

「さあ、ものによるがな。……で、お若いの、俺に何が聞きたい?」


 デュバリはすぐにその意味をさとり、品定めするようにロッシュを正面から見すえた。



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