第六章 5 目撃者は吟遊詩人

「優勝したら正規軍の黒鉄の甲冑をもらえるんじゃなかったのか? これじゃ、前とほとんど同じだぜ」

「文句言うな。下着はまっさらの支給品だし、肩当てやかぶとは打ち直したり補強してくれてる。変わっちゃいないのは、おまえのまずいツラだけだ。だいいち、あんな不慣れな重い甲冑を着込んでたら、思うように動けないだろうが」


「まあな。だけど、気分てもんがあるだろ。北方王国の騎馬兵になった気がするか?」

「しかたねえさ。きっと騎馬の大軍で押し寄せていける戦いじゃねえから、おれたちみたいな連中が王太子に気に入られて選ばれたんだ」

 不平屋のゴールトとディアギールがそんな会話をしながら歩いている。


 しかし、彼らが登っている岩山は険しく、ところどころに数日前の雪も残っていて、黒鉄の甲冑など、同行している正規軍の兵士でさえだれ一人身につけていない。

 彼らは民族服にターバン姿で、武器をかついでいるのでなければ兵士にも見えなかった。


 岩壁にへばりつかないと体勢を保てなくなってからしばらくして、ようやく尾根を越えてふつうに立てる場所に達した。

 眼下に広がったのは、傭兵たちが久しぶりに眼にする大陸南部の広大な風景だった。


「見ろ。あれが目標のザールトだ」

 道案内をしてきた百騎隊長のトレブが、下方を指さした。


「なんだ。難攻不落っていうから、いかめしい城塞都市かと想像していたけど、かわいらしく固まったちっぽけな街じゃないか」

 眼のいいパコが、恐る恐る崖から身を乗り出して言った。

「だから、こんな山の上までおまえたちを連れてきたんだ。周囲をよく見てみろ」


 ザールトの街は、広大な針葉樹の森の北のはずれに位置していた。

 山脈と森を区切るように細い川が流れ、その谷底にある。

 川のこちら側は垂直に近く切り立った断崖絶壁である。

 川は街の端で何倍もの川幅がある大河グランディルに合流していた。


「なるほどな。これは自然の要害だ。グランディル川に架かる橋はない。合流地点に面した城門を閉ざされてしまったら、攻め込むのはもう不可能になる」

 ゴドフロアが腕組みして言うと、ガロウはトレブをふり返って言った。

「守りの固さはわかった。だが、この街は守る一方だ。西街道はグランディルをはさんだ対岸にあって、そこを南部から進軍してくる帝国軍を食い止める役には立たない。こんな小さな場所を占領したところで、帝国に脅威を与えることはできんと思うがな」


 ガロウの口調は百騎長を相手にしてもぞんざいだった。

 北方王国では、よほど高貴な者に対してしか敬語を使う習慣がない。

 独立、対等という考え方がしみついているのだ。

 むしろそういう口のきき方に信頼感や親近感が表れる。


「そう、軍事的にはな。だが、ザールトは貴重な岩塩の産地なのだ。ほら、岩山の中腹に段々畑のように切り拓かれた、たくさんの池のようなものの連なりが見えるだろう。山の中から塩鉱に水を導き入れ、流れ出た塩水をあそこで天日で干して塩を採るんだ。昔からこの川の水は塩からいので知られていて、ザールト川と呼ばれていた。それが街の名前の由来でもある」

「そうか、ザールトとは塩のことだったか」


「塩は人の生活に欠かすことができない。ここを押さえられてしまったら、南部ではたちまち塩の値段が高騰して、反乱にさえなりかねない。だから南部の近隣の諸王国は、昔から無人の森林地帯をはるばる越えて派兵して、無理やりザールトより上流の山脈の中に北方王国との国境を置くようにつとめてきたのさ」


「すると、王太子は、大集結とかいうお祭り騒ぎで帝国軍が手薄なうちに、金づるの塩を握るのと、国境も一気にこっち側まで押し返そうっていう腹なのか?」

 ガロウの副官のバルクが、横から口をはさんでたずねる。


「殿下のお考えは、わしらなどにはとうてい想像もつかん。帝国の出方しだいでもあるだろう。だが、南部の姿はこの三年ですっかり変わった。わが王国との関係も今までどおりにはいくまい。王は、帝国が攻め寄せることなどありえないとお考えのようだが……」

 トレブはそれ以上の立ち入った発言を控えたが、ゴドフロアには王太子のもくろみがようやく見えてきた気がした。


 ザールトがそれほど重要な場所であるからには、ガロウたちが許されていたような略奪行為ていどの国境侵犯ではすまない。

(……ザールトを占拠するのは、帝国と王国の両方を挑発するためなのだ)


 南部じゅうの眼が大集結に集まっているときをわざと狙っているのは、衝撃の効果を大きくするのが目的だろう。

 帝国軍があわてて大軍を差し向けてきたとしても、狭くて曲がりくねった街道が主戦場では、一気に撃破することは難しい。

 エリアスが動員できる大隊だけでも迎撃は可能だ。

 そうしているうちに、山脈を越えて帝国軍が王国に侵入する恐れが出てくれば、帝国との衝突をためらっている国王も、ついに重い腰を上げざるをえなくなるにちがいない。


(全面戦争に持ち込む気か……)

 ゴドフロアには、しかし、そこまで大きな事態の見通しを立てるすべはなく、そうなったらどうするかと思い悩むほどの理由もない。

 敵が帝国――すなわちスピリチュアルであることははっきりしており、ゴドフロアが戦う理由としてはそれだけで十分だった。


「まあ、少々手狭かもしれないが、南部をおびやかす拠点にはなりそうだ。兵馬を載せられるような軍船で山脈の急流を抜けさせるのは難しいが、ここからだったらいつでも発進できるようになる」

 ゴドフロアが腕組みしながら言うと、トレブがうなずいた。

「しかし、それは獲ってからのことだ。おれたちは先陣を切ってザールトの防御を崩すのが任務だ。そのためにおまえたちが選ばれたんだ。おまえたちは、とんでもない奇策を弄して選抜会を突破したらしいじゃないか。何か、うまい手立ては思いつかないか?」

 トレブの百騎隊はガロウ隊の支援部隊としてつけられたものだが、地位からすれば彼が責任者の立場にある。

 悩ましげに顔をしかめてゴドフロアの横顔を見た。


 エリアスは、この奇襲作戦に適した部隊を採用するのが目的で、時期はずれの選抜会を開いたにちがいない。

 そう考えれば、武術学校のモルガーが率いていた三十騎隊は、エリアスの息がかかった連中だったのかもしれない。

 そのあては外れたが、代わりにゴドフロアたちが王太子の眼鏡にかなったということだろう。


 ガロウがトレブに確認するようにたずねた。

「つまり、最初から城門を守る兵と堂々とわたり合えるほどの大軍を送り込むことができないのは、まず国境の砦を突破する必要があるからなんだな?」

「あきらかな国境侵犯になる。ビュリスに向けてただちに烽火が上がる。砦の警備兵は東街道のネイダー砦の数倍いて、激しく抵抗してくるだろう。国境を突破できても、兵を渡す舟を用意せねばならんし、門を閉ざして守りを固めた城門への攻撃に手間取っているうちに、救援部隊に挟み撃ちにされてしまうかもしれん」


「大軍で攻めたてるのは愚策ってことか……」

「だが、ザールトが襲撃されてからなら、警備兵の大半はそちらに割かれて兵力は分散するし、われわれ百騎隊は背後から追い討ちをかける有利な形に持ち込めることになる」

 エリアスの第五大隊は、山脈の北側の野営地でこちらの攻撃開始を待っている。

「なんとか通過できそうなおれたちだけで、まず最初にあの城門に攻め込めっていうことだな。これはそうとうの難問だぞ……」


 ゴドフロアが腕組みを解き、絶壁の真下を指さした。

「塩の運搬船などが着く船着場は、街路に沿った川岸にあるようだな。すると、門の内側にある入り江――こちらの崖を削ってつくったような場所は何のためのものだ?」

「ああ。あれは貯木場だ」

「ちょぼくじょう?」

 最近では何にでも興味を示すマチウが、カゴから身を乗り出してゴドフロアの肩ごしに下をのぞき込んだ。


「ザールトのもう一つのなりわいが林業なんだ。川のもっと上流の森で、高級家具や豪邸の建築に珍重される香りがよくて色つやのいい銘木が採れる。スピリチュアルが貴族制を敷いてからは、とくに需要が高まっているらしい。上流から切り出した木を流すと、あの貯木場でまとめて大きないかだに組むんだ。グランディルに押し出すときには、舟みたいに何人かが乗り組んで運ぶことになっている」

「では、つねにあんな風にかなりの数の丸太が水に浮いているわけか……」

 ゴドフロアの眼が、キラリと意味ありげなきらめきを放った。


「何か奇策があるのか?」

 ガロウが、不安と信頼が半々の表情でゴドフロアに問いかける。

「奇策っていうのは、たまたま成功したからそう呼ばれるのだ。しなかったら笑い話にもならない悲惨なことになる。だが……そうだな、やってみる価値はありそうだ」



 国境の検問所に、北方民族の衣装でえらく身長差のある二人の男がやって来た。

 背負った荷は北方産の色とりどりの玉石をつないだ安物の装飾品で、検問したスピリチュアルの警備兵には、二人は南部の都市にそれを運んでいく人足に見えた。

 あまり北方人らしくない容貌はターバンの陰に隠され、さほど怪しまれもせずに通過した。


 検問所から二キロほど西街道を南下すると、二人は船着場に降りて渡し舟に乗った。

 対岸のザールトはまだ一キロ以上川下だが、グランディル川の流れが急なために、このあたりから漕ぎださないと渡りきれないのだ。

 舟のへさき近くに陣取った長身の男は、二人の漕ぎ手を相手に帝国軍の大集結のことなどを話題に噂話に花を咲かせ、もう一人は反対の船尾で商品を選り分けたりしている。

 晩秋の陽光が川面にキラキラと映える、のどかな渡しの光景である。


 そのうち、船尾の若い男が荷の箱から何かを取り出し、舟べりからそれをそっと水の中に落とした。

 すると、それに引かれて荷の口からスルスルと細いヒモがつぎつぎたぐり出されてくる。

 男は船頭たちに気づかれないように荷の上におおいかぶさり、昼寝するふりをしながらそれを見守った。

 青黒く色をつけてあるヒモはすぐに水にまぎれ、だれにも気づかれることはなかった。


 渡し舟は、いかめしく川の上にそびえる城門の下をくぐってザールトに着いた。

 二人の男は、いかにも初めて訪れた街に興味を引かれたようすであちらこちらと見て回りながら川沿いの道をたどり、最後は街の端に対岸にむかって架けられた吊り橋の上から、塩田が重なる風景を珍しそうに眺めてもどってきた。


 小さな街だから、宿屋は酒場をかねた一軒しかなかった。

 わざわざ渡し舟に乗ってまでここに宿をとりにくる旅人はやはり少ないのだ。

 酒場の部分はそれに比べてずっと広々として、繁盛しているらしくきれいで居心地よさそうだった。

 塩作りやその運搬に当たる作業人たちや木材関係の人間がたくさんいて、食事や仕事上がりに一杯やりに集まってくるからだろう。

 警備のために駐屯している二〇〇人ほどの兵士も入れたら、たしかに毎日かなりの数の客が見込めるにちがいない。


 二人は窓際に席を取り、城門のほうを指さして小声で何やらさかんに話しこんでいる。

 城門は、グランディル川とザールト川の合流地点から数十メートル入り込んだところに水門もかねて堂々と立ちはだかっている。

 木材の産地らしく、大木を組み上げて造られた建造物で、石造りの城にも見劣りしない。

 実際、街には兵舎らしきものは見当たらないから、兵士は全員あそこで暮らしているにちがいない。

 まさにあれは城なのだ。


 門の内側には太い木製の格子が吊るされていて、巻き上げ機で上下する仕組みになっている。

 あれを降ろされたら、外敵は街の中には一歩も入ってこられない。

 川が増水したときには、貯木場の木材を流さないためにも閉じられるのだろう。


 谷間の街は早々と日が暮れ、酒や食い物を求めて労働者たちが酒場に入ってきた。

 彼らがそろって一杯機嫌になる頃には船着場のあたりは真っ暗になり、城門のかがり火からの光が明々と見えるだけになった。


 店の奥から一人の若者が現れた。

 首のあたりがふわふわした女物のような真っ白いシルクのシャツを着て、気取ったケープを肩に羽織っている。

 大きな三角帽も風変わりだった。

 それが伝説や物語の中の〝吟遊詩人〟のスタイルだと知らなくても、店が雇った芸人であることはだれにも見当がつく。

 もうすっかりおなじみらしく、待ってましたと手を叩く客もいるし、給仕の女たちは挨拶代わりの抱擁を求めたりしている。


 若者は定席になったカウンターのスツールに軽く腰掛け、ツィターをつま弾きながら歌いだした。

 何曲めかを歌っているところで、若者はおかしな二人組の男に気づいた。自分の歌声にまったく興味を示さないばかりか、食事やおしゃべりに夢中になっている様子もなく、片隅の席から暗い窓の外にばかり眼を向けている。


 男たちは一度席を立って外出し、しばらくしてまたもどってきた。

 そのとき、ひときわ長身のほうの男が、警戒するような眼で酒場の中をぐるりと見回した。

 顔の両脇に垂らしたターバンに隠されて見えなかった顔があらわになった。


(あいつは――!)

 思わず歌の文句を失った若者は、こわばった照れ笑いをとりつくろい、代わりに手癖になったツィターのアルペジオを繰り出してごまかした。


 若者の記憶の中では、その男は凶悪でいかにも残虐そうなイメージしかなかった。

(そうさ、あいつさえいなかったら、今頃ぼくは、カナリエルと、そしてあの可愛らしい子どもといっしょに……)


 三年前の出来事が、走馬灯のように激しく頭の中を駆けめぐった。

 実際、あれは急展開につぐ急展開の出来事だった。

 思い出すたびに苦しくなり、そのたびに心の奥底にしまい込んで二度と思い浮かべまいと誓ってきたものだ。


(なのに、あの男がまたぼくの前に現れた)

 心臓が割れ鐘のように激しく打ち、今夜はとても歌いつづけられそうにない。

(いや、それどころじゃない。ぼくもあいつの兄の仇の一人なんだ。あいつにこのぼくだって気づかれてしまったら――)


 若者が思わず腰を浮かせかけた、その瞬間のことだった。

 パァン――

 一発の銃声がどこか遠くで起こった。


 すると、まさにそれを待っていたかのように、長身の男が連れの若い男といっしょに真っ先に立ち上がった。


 忌まわしいことが持ち上がる。

 きっとそうにちがいない……


 ステファンはつられて夢遊病者のようにふらつく足で立ち上がった。

 ツィターを思わず取り落としたことにも気づかずに――。

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