第三章 4 国境突破
積み重ねられた大岩の真下に来た。
岩は斜面から完全にせり出していて、今にもマチウの上に崩れ落ちてきそうだ。
遠目には下に渡されているロープが支えているように見えていた。
オヤジは「ロープを切れば岩が崩れて道をふさぐ仕掛けだ」と言っていたが、いくらなんでも細いロープ一本でこれだけの数の巨岩を支えきれないことくらい、マチウにも十分想像できた。
どういう風になっているのか、どうしても自分の眼で確かめたくなって、気づいたらフラフラとさまよい出してしまっていたのだ。
(そうか……)
砂袋が岩の下側の要所要所にぎっちりはさみこまれている。
袋の口が渡されたロープにひとつひとつ結びつけられているのがわかった。
張りきったロープを切ると、それに引っぱられて砂袋の口がいっせいにほどけ、砂がこぼれ落ちて岩が転がり落ちる仕組みなのだ。
ためしにちょっとロープを引いてみようとしたとき、いくつもの足音が入り乱れて聞こえてきた。
ふり返ると、林の中から傭兵たちが飛び出してきて、一直線に砦の前を駆け抜けようとしている。
道に一人だけ残っていた歩哨がそれに気づき、あわてて銃をかまえて警告しようとしたが、傭兵たちは容赦なくその男に襲いかかった。
歩哨がやみくもに放った弾丸は見当ちがいの方向にそれ、走り抜けざまにランペルが振るった剣の一撃をくらって後方に弾き飛ばされた。
「マチウ。だいじょうぶか!」
真下でゴールトが心配そうに呼びかけたが、彼にはどうすることもできない。
最後尾から来たディアギールに背中を押され、しぶしぶまた道の先へと走りだした。
マチウは急いで大岩をはい登った。
崖ほど角度はきつくなく、手がかりや足がかりはいくらでもある。
ぎっちり組み合わされた岩は軽いマチウが乗ったくらいではビクともしなかった。
崖の途中で登ることも降りることもできずにいる二人の歩哨を置き去りにして、たちまちてっぺんまでたどり着いた。
上に立って見渡すと、積み重ねられた大岩は、幅数十メートルにわたって道の上にせり出している。
マチウは大岩の上をぴょんぴょんと跳びつたい、ロープが塔の上から延びているところまでやって来た。
すると、銃声を聞きつけた警備兵たちが、砦の出入口からつぎつぎと石段を駆け降りていくのが見えた。
出入口は当然、北方王国とは正反対の側に設けられているから、傭兵たちを追うには城壁をぐるりと回りこんでいく必要がある。
しかし、スピリチュアルのスピードは恐ろしく速く、ぐずぐずしているひまはなかった。
背中の革袋からナイフを抜き出そうとすると、塔の上から怒鳴り声が聞こえた。
「おい。子どものくせに傭兵どもの仲間か? ロープから手を離せ。さもないと……」
見張りが銃をかまえてこちらを狙っていた。
警備兵たちの先頭は、もう城壁の下にさしかかっている。
すぐにロープを切らないと間に合わない。
(ほんきでうつきじゃない――)
その肩が緊張してないのがわかった。
見張りは時間を稼ごうとしているのだ。
大岩の下を味方の警備兵たちが通過してしまうまで、マチウを引きつけておこうとしてるだけだ。
マチウは迷わずナイフをふるってロープに切りつけた。
「やめろっ!」
威嚇射撃の弾がすぐそばの岩をえぐったが、マチウは手を止めようとしなかった。
張り切ったロープは硬く、なかなか切れない。
着弾地点がだんだん近くなっていく。
そのとき――
「ぐわっ」
見張りが悲鳴を上げ、同時にロープがついに切れた。
「マチウ、ロープにつかまれ!」
ゴドフロアの声だった。
マチウはハッとして、手元に残ったほうのロープの端を握りしめた。
とたんに足元がグラリと揺れ、まるで巨獣の群れがいっせいに目覚めたかのように動きだした。
と思うと、斜面全体が轟音とともに大波をうってなだれ落ちていった。
一瞬にして地形が変わり、マチウの身体は崖がごっそりえぐれた後にできた空間を飛んでいた。
ロープの端は見張り塔に結びつけられている。
いっぱいに見開いた眼に、砦の石の壁がみるみる迫ってきた。
(ぶつかるっ)
と思ったとき、身体のほうが勝手に反応して両足を持ち上げ、ちょうど着地を決めるような具合に足裏でうまく衝撃を受けとめていた。
すると、マチウのすぐ横をかすめて、マチウを狙っていた見張りの身体が猛スピードで墜落していった。
反射的に塔の上を見上げると、抜き身の剣を手にしたダブリードが身を乗り出していた。
「おまえもロープを切って落としてやろうか、くそガキ。勝手なまねしやがって、あやうくこっちが全滅しちまうとこだったぜ」
さすがにあっかんべーで応じる余裕も気力もなかったが、ダブリードの横にゴドフロアの笑顔が現れた。
「オヤジ!」
マチウはたちまち元気を取りもどしてロープを懸命にたぐり、壁面を走るような速さで登っていった。
ゴドフロアとダブリードは、警備兵たちが飛び出していくのをやり過ごしてから砦に踏みこんだのだ。
残っていた兵は一〇人足らずで、狭苦しい屋内ではスピリチュアルの身軽さも数的な優位さも生かせない。
不意をついたゴドフロアとダブリードの前には敵ではなかった。
「スピリチュアルはもうすこし手強いと思ってたんだがな」
「ケルベルクの草原で戦った相手は、たぶんロッシュが選抜した精鋭部隊だ。なあに、そのうちイヤでもあいつらと再会することになるさ。楽しみはそのときまで取っておけ」
血しぶきを浴びてよけい凶悪な顔になったダブリードにむかって平然と言いながら、ゴドフロアは飛びついてきたマチウを抱きしめた。
街道の上にまだもうもうと土煙を上げている巨岩の上を越えていくと、パコたちが駆け寄ってきた。
路上には三人のスピリチュアル兵の死体が転がっていたが、傭兵たちはなんとか全員無事だった。
崖崩れは絶妙なタイミングで起こった。
もうすこし遅ければ警備兵の大半が崖下を駆け抜けてしまい、先行した傭兵たちは包囲されて全滅の憂き目にあっていたことだろう。
逆に早すぎれば、ゴドフロアとダブリードが多数の敵の中にとり残され、マチウもろともなぶり殺しにされるところだった。
追跡した警備兵のほとんどが大岩の下敷きになったのだ。
ダブリードは仏頂面をしたままだったが、ランペルたちは笑顔で三人を迎え、「こんどもマチウのおかげだ」と無事に合流したマチウを代わるがわる抱き上げた。
「ほんとだぜ。崖崩れに巻き込まれずに助かったやつらは、後続の味方をほとんど失って動揺してた。さもなきゃこっちも犠牲が出てたかもしれねえ。やっぱりマチウの手柄だ」
ディアギールが心底嬉しそうに言った。
「だが、喜ぶのはまだ早そうだぞ。あっちから妙な音が聞こえる」
ダブリードが街道の先を指さした。
蛇行する道の山陰から、馬に乗った人影がわき出すようにつぎつぎと現れた。
全員がたっぷりとした黒や白の布の装束をまとっている。
軽やかな騎乗ぶりは見まがいようがなかった。
北方王国の騎馬兵だった。
後方は大岩でふさがれていて逃げ場はない。
北方軍の剽悍さは音に聞こえているし、相手は二〇騎以上もいる。
完全に多勢に無勢だった。
抵抗しても無駄だとだれもがさとり、突っ立ったまま彼らが近づくのを待った。
騎馬兵たちは、そのまま大岩の上に駆け登っていくつもりではないかと思うほどの速度で疾走してきて、ゴドフロアたちを取り囲むと魔法のようにいっせいにピタリと馬を止めた。
「これは珍しい。おまえらは南部の傭兵か?」
中に一人だけ、ターバンも装束も濃い青を身に着けた男が、馬を前に進ませてたずねた。
すぐ眼の前にいたパコとゴールトが思わずうなずく。
「警戒厳重なネイダー砦の連中がよく通してくれたな……と言いたいところだが、なかなか派手なことをやらかしたようじゃないか」
男は、大岩で何十メートルにもわたって完全にふさがれた街道と、人の気配が絶えた砦のほうを見やり、さも愉快そうに歯を見せて笑った。
「そんなにまでしてわが王国に来ようとしたわけか。敵の敵は味方だと単純に思わんほうがそっちの身のためだが、久しぶりに痛快な光景を見させてもらった。われらの大地を見物させるくらいのことはしてやろう。歓迎されるかどうかは、おまえたちしだいだ」
「おまえは何者だ?」
ゴドフロアがたずねた。
「自分の名を名乗ってから聞くもんだ」
「傭兵のゴドフロアだ」
「そうか。俺は、王国警備隊東部管長のガロウだ。ついて来るがいい」
青衣の男は、短く言い捨てて馬首をくるりとひるがえした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます