第二章 4 動乱の種子
「しかし?」
「貴族制を採用したのは、残念ながら盟約に参加した選帝官たちが優雅な貴族生活を享受するためではありませんよ。そして、あえて言えば、皇帝を中心とする揺るぎない体制を固めるためだけでもないのです」
「きみは……何を言おうとしているのだ」
問い返した公爵の声から、スウッと血の気が引いていくようだった。
「聡明なボルフィン公が、気づかないふりをなさっていること。いや、気づいていることを認めたくないこと。認めることを恐れていること……ですかな」
若者が吐く毒の息は、さらにその濃度をましていく。
「ばかな。マルリイの盟約は、すでに果たされたはずだ。われわれの意を受けて選ばれた皇帝によって、大陸制覇は成しとげられた。われわれがみずからの手で恒久的に皇帝を支えていくという仕組みも、貴族制という形で完成された。そして、今やわれわれはこうして望みどおり貴族の座に就き、領地も賜わった……これ以上、いったい何を求めようというのかね」
「説明が必要ならば申し上げましょう。まずだいいちに、貴族に列せられた者が五〇人もいること。つまり、五〇もの領国が乱立したわけです。貴族の称号を受ける光栄さもさることながら、自分の領地を持てる喜びはこのうえないものでしょう。取るに足らないごく小さな国であろうと、一国一城の主であることには変わりないわけですからね。貴族から騎士に取り立てられることもまた、腕と才覚を認められた証しであり、輝かしい名誉であり、それなりの俸禄の保証でもある。選ばれた者たちは、だれもが歓迎したはずです。そうですよね?」
「当然だ」
「しかし、やはり五〇という数には無理がありますよ。これは、貴族に列せられるにふさわしい資格をさまざま勘案していくと、それらの条件に該当する人数が五〇前後もいたということです」
「人数に領地の数を合わせたということだな」
「ええ。その証拠に、授爵については、当人からも周囲からもまったく不平や異論が出なかったはずです。しかし、実情に合わない数であることは事実です。フィジカルの旧国家の版図、町や村の境界、都市の領域といった区分けがすでに存在しています。住民の一体感をこわさず、無用な混乱をまねかないためには、こちらの都合だけで勝手に線引きすることは不可能だった。しかたなしに既成の領域や城塞に貴族を割り振り、その時点でもっともわかりやすく妥当な形で分割するしかなかった。当然、領地の大小や位置、その豊かさといった点で不公平や無理な区割りも生じました。苦境におちいるところが出てくるのは必然なのですよ」
「貴族制には不備があると……。だが、われわれにはスピリチュアルの気高さと、帝国貴族の誇りがある。少々の不便や不足くらいは――」
「我慢するのが当然だ、とおっしゃるのですか。しかし、それにも限度があります。ひとつ例をあげましょうか。ある辺鄙な国境に砦として造られた山城と、その周辺に点在する小さな村々を併せただけの国があります。いかにも牧歌的で美しい風景ですが、もはや隣国ににらみをきかす意味はなく、険しい山々に囲まれて交通が不便なうえに、それ以上の開拓の余地もその人手もない。領主がたとえ公爵のような高潔なスピリチュアルであったとしても、領民はフィジカルです。他国の豊かさやにぎわいを見せつけられれば、彼らに不満を持たずにいろというのは無理でしょう」
「それは……」
ボルフィンは反論することができなかった。
「最初から、問題の種子ははらまれていたわけです。しかも、貴族制であるかぎり、領地も領民も領主の財産です。彼はそこにかならず繁栄をもたらし、名誉にかけても守りとおさねばならない。返上することはこのうえない屈辱であり、地位も財産も失うことを意味します。彼がついに他国を侵略することを決意したとして、それを非難することができるでしょうか」
「そのような火種がいくらもあるというのかね?」
「ええ。ですが、それらは発火点にすぎません。いったん戦いの火の手が上がれば、たちまちあちらこちらに広がっていくことでしょう」
「ばかな! それではフィジカルの昔と同じになってしまうではないか。だいいち、そんな暴挙を皇帝府が黙って放置しておくはずがない」
「そうですね、たしかに、われわれには強大な皇帝府がある。帝都アンジェリクをはじめ、大陸南部全体の五分の一を占める豊かな直轄領を持ち、旧帝国軍のスピリチュアル兵士四分の一に相当する五〇〇〇の近衛騎士団を擁する皇帝府がね」
「そうだ。近衛軍に対抗できる勢力など、南部には存在しない。近衛軍とは、いわば帝国の警察組織だ。帝国の平和と安定をはかることこそ、彼らの役目なのだからな」
「たしかに、そのような暴挙には、皇帝は近衛軍を出動させることでしょう。ただし、その前に、紛争地の周辺諸国に鎮圧を命じるはずです。まず当事者同士で決着をつけさせるようにするでしょう。近衛軍は、紛争の拡大を防ぐのと、戦いが思わぬ結果をまねかないように調整するための、いわば監視役として出動するのです。そして、しかる後に皇帝府が、処罰なり再分割なりの紛争処理をおこなうことになると思いますよ」
「どうして近衛軍が直接介入しないなどとわかる?」
「簡単なことです。帝国内部の安定も大切ですが、それより重大なことがあるでしょう」
「北方王国の脅威に対する備えか」
「そうです。われわれ貴族は常備軍をかかえているわけではありません。騎士たちは、平時には領土経営のさまざまな方面にわたって貴族を補佐するのが役目ですし、兵は必要に応じて徴用されるフィジカルの民兵です。帝国の存亡の危機というほどの大きな事態に、つねに備えているわけにはいかないのです。常時出動可能な態勢にあるのは、近衛軍のみですからね」
「では、われわれがどこかから侵略された場合には、不条理な敗北を喫してしまいそうな絶体絶命の危機にでもおちいらなければ、近衛軍の助けは期待できないと」
「ですから、常日頃から警戒をおこたってはならないのです。しかし……」
「また『しかし』か」
公爵はうんざりしたように顔をしかめた。
「いや、つづきです。鎮圧が当事者や近隣諸国にゆだねられるということは、解決のあかつきには、参戦した国々が敗戦国を併合したり、分割によって領土を拡張することが認められる可能性があるということでもあるのです。戦いを仕掛けられることは、けっして一方的に被害をこうむることを意味するわけではないのです。であれば、意図的に隣国の暴発を誘うという手もあることになりませんか?」
「わたしならそんな挑発には乗らない。それに、いくら窮乏したとしても、最初から寄ってたかって叩きつぶされるとわかっている無益な戦いをくわだてようとする者など、どこにもいるはずがないではないか」
「どうやら公爵は、紛争を起こした側がかならず負けて罰せられるとお考えのようですな」
鼻で笑うような若者の言い方に、ボルフィンはむっとして言った。
「あたりまえだ。どのような理由であれ、帝国の平和を乱すことは最大の悪であり罪だ」
「ですが、こういうこともありえますよ。圧迫を受け、困窮したあげくに戦争にうったえた小国に対して、他国が同情し、こぞって加勢するのです。そうなれば、小国を圧迫しつづけてきた優勢な大国の側が、思わぬ敗戦をこうむらないともかぎりません。その場合、いったい理はどちらにあることになるのでしょう?」
公爵は息をのんだ。
「まさか、そんなことが……」
「絶対起こらないとは言えませんよ。それに、近衛軍が警察ではないように、皇帝府だってかならずしも正義をつかさどる審判者ではないかもしれない」
「では、いったい何だというのかね」
「皇帝は、今や貴族制の最上位に君臨する王というだけです。言い換えれば、最大の領地と最強の軍隊を有する最有力の貴族であるにすぎないのです。だからこそ、帝国内の小競り合いなどにかかずらうより、皇帝位をおびやかす唯一の存在である北方王国との緊張関係にのみ備えようとするでしょう」
「そんな……」
「となれば、紛争の解決にあたっては、その原因の追及や勝敗の帰趨より、むしろどのように収拾するのがもっとも波乱が少なく、現実的であるかを最優先に考慮するはずです。すくなくとも、五〇か国もの乱立状態を解消しようとする方向に進んでいくのが当然でしょう。領国が淘汰されていくのは必然なのですよ。……おわかりいただけましたか? これが、まごうかたなき帝国の現状なのです」
若者は、力をこめて断言した。
「皇帝府までがあてにならぬとは――」
言いかけたまま、ボルフィン公爵はしばらく言葉を発することができなかった。
「ですが……」
若者はふたたびニヤリと不敵な笑みを浮かべ、なぐさめるような口調で言った。
「ご心配にはおよびません。公とランダールの国には、何より心強い後ろ盾があるではありませんか」
そう言われて、公爵はハッとして顔を上げた。
「それが、マルリイの盟約だと――」
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