第二章 2 真夜中の襲撃

 めずらしく満腹になった傭兵たちは、思い思いに寝心地のよさそうな乾いた場所を見つけて早々に眠りについた。

 肌にまとわりつく蚊を叩くパチンパチンという音がしだいに間遠になり、やがて鳴きかわす虫の声しか聞こえなくなった。


 小さな人影がそっと立ち上がったのは、そんなときだった。

 マチウはたき火のところに行き、奇妙なことを始めた。

 まだ燃え残っているそだを一本ずつ音をたてないように引き抜いて、手近な水たまりにつっこんで消してしまったのだ。

 あたりは闇に返り、冴えざえとした月明かりだけになった。


 マチウはすっかり眠りこんでしまっている見張りのわきをすり抜け、足音を忍ばせて草むらのほうへ分け入ってしゃがんだ。

 シャーッと小水がはじける小さな音がしたが、それはついでのことにすぎなかったようだ。

 服装を直した後もそのまま草むらにとどまり、何かを待つようにじっと耳をすませた。


 しばらくすると、魚がはねるようなかすかな水音がした。

 しかし、それは一度きりでなく、あっちでもこっちでも同じような音が聞こえてきた。

 マチウには、今までの経験から、この程度の物音ではゴドフロアたちが目覚めることはないとわかっている。

 マチウからしたら、大人たちはおかしなくらい眼も耳も悪いのだ。

 音はしだいに大きくなりながら、しかも四方から近づいてくる。

 今でははっきりと人間がたてる足音だとわかる。

 その輪はさらに縮まり、マチウがひそんでいるほんのすぐそばをサワサワと草をこする音が通りすぎた。


 そっと立ち上がって後ろをふり返ると、黒い影の群れが眠っている傭兵たちを取り囲んでいくのが見えた。

 中の一人がいらだだしげに手を振り、無言であちこちに指示を出している。

 どうやら横たわっている傭兵のそれぞれに仲間を一人か二人ずつふり分けて、一度に襲いかかろうという魂胆らしい。

 たき火が消えているせいで足元がよく見えず、分担を決めるのにてまどっているのがわかる。

 マチウは胸をどきどきさせながら、その様子を見守った。


 いつ始まるのか? 

 始まってしまったらもう遅い。

 だが、襲撃する者がいちばん無防備になるのは獲物に全神経を集中させた瞬間だと、本能的にわかっていた。


 ようやく影たちの動きが止まった。

 ゴドフロアのそばにも二人が配置され、そこに指示を出していた影が最後に加わった。

 彼らがいっせいに剣を振り上げたその瞬間……


 ピシッ――


 ゴドフロアの胸をねらって剣を突き下ろそうとしていた影が、いきなり頭をガクッとのけぞらせ、よろけながら顔面を押さえた。


 その音を耳にして、傭兵たちがむくっといっせいに跳ね起きた。

 だれもが眠っていたとは思えないすばやい動きだった。

 身体の下に隠していた剣は、すでにさやから抜き放たれていた。


 不意をつかれたのは、むしろ怪しい影たちのほうだった。

「ウグッ」

 顔面を押さえた男が、ゴドフロアが下から突き上げた剣につらぬかれ、真っ先にうめき声を上げて倒れた。


 ある者は剣を上段に構えたまま驚きに硬直し、がら空きの胴をなぎ払われて後方の水たまりにはね飛ばされ、派手な水音を上げた。

 あるいは、逆手に持って突き下ろそうとした剣先をかわされ、地面にめり込んで抜けなくなった者もいた。

 そいつはたちまち逆襲され、突き立った自分の剣の横にはいつくばった。


 つぎの瞬間には、ゴドフロアたちもほとんどが立ち上がって乱戦になった。

 そうなると、敵も味方も同じような格好をしているために区別がつかない。

 たがいが見合ったり牽制しあって、ぎこちない奇妙な戦いがあちこちでくり広げられている。


 そこに、草むらからつぎつぎとパチンコの弾が飛来した。

 ゴドフロアは、仲間の背後から斬りかかろうとしていた敵の手に弾が当たり、剣を取り落とすのを見た。

 おかげで仲間はあやういところで難を逃れた。

 闇にまぎれてすぐにはわからなかったが、混乱に拍車をかけるように飛来する弾は、正確に敵だけを狙って放たれているのだ。

 敵は、顔や股間など無防備な部分を狙い撃ちされ、うずくまったり、うめき声を上げる者があいついだ。

 たちまち形勢は逆転した。

 弾に当たって思わずひるむ者や悲鳴を上げる者がいると、ゴドフロアたちは迷わずそいつに襲いかかった。

 戦いはものの数分とかからずに収束した。

 ゴドフロアたちの一方的な返り討ちだった。


「やっ。こいつ、セザーンといっしょにいた男だぜ!」

 襲撃してきた相手の面頰をはがしてみると、見憶えのある顔が現れた。

「セザーンならここにいる」

 ゴドフロアが、自分を串刺しにしようとして最初に倒された男を剣の先で示した。

 気取った長髪と金のかかった甲冑は、まちがいなくセザーンのものだった。


「そうか。こいつら、おれたちと別れたふりして、こっそり後をつけてやがったんだ」

 腕を負傷したヴィドルという若者が憎々しげに吐き捨てた。

「だが、どうして同類のおれたちを狙うんだ? おれたちが文無し同然なのは、こいつらだってわかってただろうに」

 ディアギールという背の低い男が納得いかない表情でつぶやくと、ダブリードが胸くそ悪そうに言った。

「簡単な謎解きさ。こいつらの目当ては、おれとゴドフロアの首だったんだ。二人分合わせれば、ふつうの傭兵のかるく二、三〇倍の金額になるだろう。セザーンのやつ、ちょっと目端がきいて情報にも通じていた。出会ってすぐにおれたちがこの隊の中にいるとわかったときから、襲撃をたくらんでいたにちがいねえ」


「お、おまえら、そんなにひどい悪事を働いたのか?」

 ディアギールは、ギョロリと眼をむいて二人を見上げた。

「ああ、スピリチュアルから見ればそういうことになるんだろう」

 今さら隠しておいてもしかたなかった。

 ゴドフロアはもどって来たマチウを抱き上げ、苦笑まじりに言った。

 ダブリードは威嚇するように剣を上げ、周りの傭兵たちをにらみつけながら言った。

「おまえらもおれたちの首を狙うか? 返り討ちにあってもかまわんなら、いつでもかかってきていいぞ」


 ディアギールが恐ろしげに首をすくませ、ぶるぶると横に振った。

「とんでもねえ。おまえらの強さは、いっしょに戦ったおれたちがいちばんよく知ってる。そんな馬鹿なまねはしやしねえよ」

 セザーンたちの半分はゴドフロアとダブリードが倒したのだ。

 ほかの者もディアギールに賛同しておずおずとうなずいた。

「そ、そうさ。さっきだって、ゴドフロアの……いや、大将のおかげで命拾いしたんだ。やつらが近づいてくる前にこっそり起こしてくれなかったら、今ごろ串刺しにされて、やつらの代わりに草むらに転がってるとこだ。首を狙うなんてめっそうもねえよ!」

 若いヴィドルが力みかえって訴えた。


「それならありがたい。だが、おまえらが礼を言う相手はこの娘だぞ。……おまえ、やつらが襲ってくるのを知っていたな?」

 ゴドフロアが腕の中のマチウに尋ねると、マチウはこくんとうなずいた。

「かりにいったとき、こっそりこっちへもどってくるのが、とおくにみえた」

「どうして言わなかったんだ。おまえが眠らないからおかしいと思った。眠れないんじゃなくて、眠らないようにがまんしているのがわかったからな。それで、おれも眼を覚ましていたんだ」

「だって、いえばみんなきをつける。きをつけるとあいてにもわかるよ」

「そのとおりだ。ちゃんと警戒していれば、やつらは近づけなかったはずだぞ」

「でも、ずうっときをつけているのはたいへんだよ。つきのないよるも、あめのふるよるもあるもん。まいばんねられなくなるよ」

「それで、一気にかたをつけようと思ったのか」

 マチウがこくんとうなずくと、ゴドフロアはにっこりと笑ったが、眼にはキラリと光る驚きの色があった。


「たき火を消したのもおまえのしわざだな。あれでやつらの動きが制限されて、おれたちと五分五分になった。自分には月明かりさえあれば敵を狙い撃ちできると、最初から考えていたってわけか。それで、草むらに隠れていたんだな」

 マチウはもう一度うなずいた。

「ちゃんと〝きゅうしょ〟にあてたよ」

「ああ、たしかに貴重な援護だった。しかも、敵味方を見分ける助けにもなったしな。だが、おれたちが何も気がつかずに眠りこんでいたら、あぶないところだったぞ」

「オヤジはちゃんとめをさますとおもってた。でも、ちょっとしんぱいだから、いっぱつめはオヤジをころそうとしてたあいつをうったよ。かぶと、かぶってなかったしね」

 マチウが指さしたのは、変わり果てた姿で横たわっているセザーンだった。

 たしかに、眉間のど真ん中に血がにじんでいる。


 ほかの者たちは、ポカンと口を開けて二人のやりとりに耳を傾けていた。

 マチウの話を聞けば聞くほど、彼らの眼や表情に驚きと賞賛の色が広がっていった。

 ダブリードは素直に感嘆のおももちで言った。

「おれはてっきり、マチウは怖くなってさっさと逃げたんだとばかり思ってた。そうか、そこまで考えてたのか。たしかに、真っ暗闇だったおかげでやつらは襲撃に手まどったし、おれたちの反撃をかわせなかった。それに、パチンコでやつらを狙い撃ちしてくれなかったら、こっちにも犠牲が出てたことだろう。あぶなく同士討ちになってたかもしれねえ。あれがおれたちを救ってくれたんだ」


 いつも文句ばかり言っているゴールトが、そのときのことを思い出したのか、ブルッと身体をふるわせて言った。

「お、おれは、自慢じゃねえが、ひどく寝ざめが悪いんだ。たき火が消えて蚊がまた寄ってきたせいで、しばらく前から半分眼が覚めてた。ちくしょう、ちゃんとたき火にそだをくべとけよなぁ、とか思ってたんだ。だが、もしそうでなかったら……」

「ゴールトよ、おまえが礼を言うべき相手は、蚊じゃなくて、マチウだぜ」

 ひょろりとした長身のランペルがゴールトの肩をたたきながら言うと、どっと笑いがわき起こった。


 ギョロ眼のディアギールが、興奮気味に言った。

「山盛りのごちそうといい、完勝に終わった戦いといい、今夜のところは何から何までマチウの手柄だったな。おれたちは、えらい戦力をかかえてるぜ。スピリチュアルの一個中隊にだって負けやしねえ!」

 マチウはゴールトに抱っこされたり、ランペルに肩車されたりして楽しそうにケラケラ笑っていたが、さすがに眠気を我慢するのも限界にきて、ゴドフロアの腕の中にもどってきたとたん、たちまち安心してぐっすりと眠りこんでしまった。


 もう一度寝場所を作るためにセザーンたちの死体を片づけながら、傭兵たちの興奮はなかなかさめやらなかった。

 戦いで高ぶった神経と、命が助かったという喜びで、だれもすぐには寝つけそうにない。

 新しくたきつけた火を囲むと、あらためて祝宴が始まってしまった。


 つい前の夜まで寝食を共にしていた連中まで相手にして戦って生き延びた傭兵たちは、一人の例外もなくあらためて強い仲間意識で結束したようだった。

 夕食の残りがまだたっぷりあり、とっておきの貴重な酒も引っぱり出された。

 もう夜襲を心配する必要もなかったから、ゴドフロアは彼らの好きなようにさせた。


 すこし離れたところで、眠っているマチウをかたわらに横たえ、ゴドフロアはダブリードと並んで座っていた。

 そこにヴィドルが、広い葉っぱの上に焼き直したフナをのせて持ってきてくれた。

 その身をむしって口に運びながら、ダブリードが言った。

「とうとう傭兵仲間にまで狙われるようになっちまったな……」

 その口調は、夕方の真剣な話し方そのままだった。

「うむ」

 ゴドフロアがうなずいたのもあのときと同じだった。


「おまえ、何か考えがあるようだったじゃねえか。あの連中は、ますますおれたちの後にくっついてくる気になってる。傭兵をつづけていけそうなうまい手だてはあるのか?」

「うまいかどうかはわからんが……」

 ゴドフロアは、すこし間をおいてから言った。

「北方王国へ行こうと思う」

「北方王国だと! あそここそ、傭兵には未踏の地じゃないか」


 ダブリードの驚きは当然だった。

 傭兵どころか、南部からはいまだかつて一軍たりとも北方へ攻めこんだ者はいないと言われている。

 その逆に、北方王国の騎馬兵の剽悍さは、大陸じゅうに知れ渡っていた。

 南部ではその侵入を恐れ、ケルベルク城のような城砦都市まで造ってつねに警戒をおこたらなかったほどだ。


 しかし、数十年前、スピリチュアルの帝国との間で停戦協定が結ばれたことで、戦争と呼べるほどの規模の戦いはほとんど絶えてしまった。

 ときたま少人数の騎馬軍団が山脈を越えて南部の村や町を荒らしまわることはあったが、それも協定に触れない規模の襲撃にとどまり、スピリチュアル軍との衝突はたくみに回避されていた。

 彼らは獣のように襲来し、疾風のように去っていくという。

 どのような戦いぶりで、どれほど強いものなのか、具体的にその脅威を伝えられる者は、今ではほとんど存在していなかった。


「だいいち、やつらが傭兵を必要としているかどうかさえわからないだろうが」

「そのとおりだ。おれには、北方王国にあてなどひとつもない」

「じゃあ、なんで北方王国なんだ?」

「消去法だよ。もう、あそこしかないということだ。セザーンが言っていたように、どこかの新しい国の軍隊に入るという手はたしかにある。おれがブランカから逃亡した奴隷で、カナリエルの逃亡に手を貸した傭兵だということも承知のうえで、それでも召しかかえようとする国も、たぶんあるだろうとは思うが」


「まあな。スピリチュアルが一枚岩だとは、おれも思わねえ。何十も国ができれば、いろいろな国があるだろうしな。だいたい、そんな数に分割しなきゃならないっていうのが、そもそもおかしいじゃねえか」

「案外、それは当たってるかもしれんぞ。スピリチュアルではなく、やつらに邪魔者あつかいされるおれたちだからこそ、こんな形で帝国の支配が始まったことがうさん臭く感じられるし、真実を見抜くことができるかもしれん。……しかし、だからといって、いちおう貴族づらをしてすましているスピリチュアルの領主を、一人ひとりあたって本音を確かめていくのはとうてい不可能だ」

「たしかにそうだ。こうやって逃げ回るだけでも大変なのにさ」


「それに……おれは、相手がどんなやつで、何を考えているんであれ、スピリチュアルに加担することだけはしたくない」

「そうなのか? おれは、これでもスピリチュアルに滅ぼされたケルベルク城の一族だ。やつらは憎んでも憎みきれない仇だからな。だが、おまえは、スピリチュアルの子どもにオヤジと呼ばせているじゃないか。おまえが親父だってことは、あのスピリチュアルのすげえべっぴんが女房だったってことになるんだろ」

「まさか……そんなことは考えてもみなかった」

 ゴドフロアは、心から意外そうな表情でダブリードの顔を見返した。

 たき火の明かりを受けて、ゴドフロアのほおがかすかに赤らんでいるように見えなくもなかった。


「冗談だよ。だったら、ブランカで奴隷にされて、よっぽどひどい目に遭ったのか?」

「それもある。だが、どう言ったらいいのだろう……」

 ゴドフロアは、自分の心の中をあらためてのぞきこむかのように、炎をじっと見つめてつぶやいた。

「カナリエルは、スピリチュアルの生き方に息苦しさを感じ、在り方にも反発して逃げようとしたのだ。スピリチュアルとしての誇りはしっかり持っていたが、それは自分自身に対する誇りだった。たぶん、それは矛盾していることなのだろう。だから、やむにやまれず、思い切って逃亡という行動に出てしまうしかなかったのだ。あの娘が間違っていたとは、おれにはどうしても思えない」

「やっぱり、ほれてたんだよ、あの娘に」

 からかうというより、ダブリードの口調は妙にやさしくなぐさめるようだった。


「そうかな……」


 ゴドフロアは、マチウがはだけた上着をかけ直すようなふりをして顔をそらした。

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