第二章 Malrie's Alliance マルリイの盟約

第二章 1 もうひとつの傭兵隊

「なあ、ゴドフロアよ――」


 横を歩いている男が、なれなれしく声をかけた。

 セザーンという名で、見栄えのいい顔につねに薄笑いを浮かべたような表情をしている。

 本人は相手を馬鹿にしているのではないようだが、かといって傭兵の中でも名の通ったゴドフロアに対してさえ、敬意をはらうつもりはまったくなさそうだった。


「ん……なんだ」

 ゴドフロアはそんな相手の態度になどまったく関心なさそうに、遠くの山並みまで延々とつづく湿地帯を眺めわたしながら、気のない返事をした。


 峠越えの途中で襲撃にあってから二週間がたっている。

 戦いが乱戦になってしまったせいで、同行している傭兵は三分の二ほどに減っていた。

 隊長を失ってから、自然とゴドフロアが指導者格に押し上げられてしまった。

 べつに号令をかけるわけでもなかったが、ゴドフロアの後をついて行きさえすればいくらかでも安心していられそうだと、だれもが本能的にさとったのだ。


 ゴドフロアは徹底的に面倒事をさけた。

 人の眼につきやすい農耕地や開けた放牧地には足を踏み入れないようにしてきた。

 集落があれば迂回し、さもなければ夜間とか雨降りや霧の深いときをねらって通過した。

 やっとひと気のない荒れ地に出て、久しぶりに陽の光を全身に浴びながら歩くことができるようになった。

 

「キールのデュバリを知っているか?」

 セザーンが世間話でもするようなのんびりした口調で尋ねた。

 ゴドフロアたちとは、昨日山中でたまたま出っくわしたのだった。

 セザーンは十数人の仲間を引き連れていた。

 こちらと同様に、彼らも例にもれず食いっぱぐれた傭兵たちだった。


「周旋屋のデュバリか」

「そう、そのデュバリさ。帝国一、二をあらそう武器商人だが、おれたち傭兵の間じゃ周旋屋の元締めとしてのほうが名が通ってる。あいつが張りめぐらした情報網のおかげで、辺境の小さな街の周旋屋に飛びこんでもすぐに仕事にありつけたものだ」

 ゴドフロアのむこう側を歩いているダブリードが口をはさんだ。

「おれが聞いた話じゃ、戦争する両方の陣営に傭兵を送りこむほどだそうだな。どっちが有利か、当事者よりデュバリに聞いたほうがよくわかるって、もっぱらの噂だった」


「ああ、そのとおりだ。金もしこたま持ってるし、あちこちの王族や権力者ともつながりがあった。……ところが、あいつがとうとう捕まったそうだぞ」

 セザーンは、気を引く言い方をした。

「何かまずいことでもしたのか?」

 ゴドフロアも、さすがに傭兵の総元締めのことには興味を示した。

「長年にわたって世情を紊乱してきた罪だとさ」

 さもおもしろそうに、セザーンが答えた。

 それを聞いて、ダブリードが憤然として言った。

「冗談じゃねえぜ。悪いのは、戦争をおっぱじめようとする領主や自治都市の統領のほうだ。むしろ傭兵だけでかたをつけられたり、傭兵のおかげで有利になる分、負担や犠牲は少なくてすんだはずだろう。そりゃ、言いがかりってもんだ」


 しかし、ゴドフロアはさほど驚かなかった。

「スピリチュアルの傭兵嫌いは昔からのことだ。金で命を売るのも、ころころ雇い主を取り替えるのも気にくわないのさ。しかも、キールの領主になったのは、元の帝国軍第三師団の将軍だったクレギオンだ。皇帝の右腕と呼ばれ、苛烈で的確な指揮ぶりで名をはせたものだが、頑固で謹厳なことでも有名だった。やつにかかれば、戦いで金を稼ごうとするような者はみんな同罪なんだろう。傭兵を根絶やしにする気なら、元締めを捕らえてしまうのはたしかにいちばん有効な手だ」

「なるほどな。急に傭兵狩りがはじまったのは、それがきっかけか……」

 ダブリードは舌打ちした。


「では、おまえらはこれからどうする気だ?」

 ゴドフロアは、悠然としているセザーンに尋ねた。

「なに、自分で雇い主を探すまでよ。徴兵制なんていったって、きのうまで野良仕事や荷馬車引きをしていたようなやつらを、そう簡単に兵士に仕立てられるはずがない。頭数をそろえるのにも四苦八苦しているところは、いくらでもあるだろう。新領主のだれもがクレギオンみたいな石頭ばかりとはかぎらないからな。どうだ、ゴドフロア、おまえたちもおれたちといっしょに来ないか? おまえなら、スピリチュアルの軍隊に入ったって、すぐに出世することまちがいなしだぞ」

 ゴドフロアは、その誘いに黙って首を横に振っただけだった。


 翌日、道らしい道もない湿地帯の途中で、セザーンの一行は別の方向へと歩み去った。

 ゴドフロアたちと同行していた者のうち、何人かがそちらに誘われてついて行ったために、数の上では逆転してしまった。


 その夜は湿地帯での野営になった。

 いくらか土の乾いた場所を見つけると、まずたき火に蚊いぶしの薬草を投げこむ。

 視界が開けているうえに水音を消しにくい分、さほど夜襲を警戒しなくてすむのだが、蚊に悩まされるのが唯一の難点だった。


 セザーンたちが向かったのは、西の方角に見えた小さな集落だった。

 今ごろは酒や温かい食い物にありついているかもしれない。

 ついて行った仲間は、それを期待したからでもあった。

「やれやれ。おれたちは、自分でめしのネタを集めなきゃならねえってわけか」

 蚊いぶしの煙を腕や顔にすりこむと、当番の数人がしんどそうに立ち上がった。

「文句があるなら、おまえらもセザーンといっしょに行けばよかったじゃねえか。さっさと何か捕まえてこい。水の中には魚が泳いでるし、それをエサにする水鳥や動物もいる。ひとがんばりすりゃ、腹いっぱい食えるぞ」

 ダブリードが、腹立たしげに言って追い立てた。


「おまえも行ってくるか、マチウ」

 ゴドフロアが、かたわらでパチンコの弾にする黒くて硬い木の実を小さな手で熱心により分けている子どもに声をかけると、たちまち大きな眼を輝かせてうなずいた。

「すこしは練習になるだろう。ただし、草むらのヘビには気をつけるんだぞ」

 ゴドフロアの言葉にもう一度大きくうなずくと、マチウはパチンコと弾の入った布袋をつかみ、先に行った者たちを追いかけて走りだした。

 水たまりをたくみに避け、ピョンピョンとウサギのように身軽に跳ねていく。

 フィジカルの子どもにはとてもまねのできない俊敏な動きだった。


「まったく奇妙なやつだ……」

 ダブリードは子どもの後ろ姿を見送りながらつぶやいたが、それはマチウのことを言ったのではなかった。

「おまえも、迷っているようなら、あいつらを追っていってもよかったんだぞ」

 ゴドフロアが言ったのも、狩りに出かけた者たちのことではなく、別れたセザーンたちのことだった。

「いや、迷ってなんかいねえよ。おまえと同じで、いちおう帝国全土に指名手配されてる身だしな。スピリチュアルの軍隊なんかに入ったら、いつか正体がばれちまう」


 ダブリードは盗賊として、ゴドフロアはブランカからの逃亡奴隷として、カナリエルとの関連は伏せられたままの手配書が、街々の役場の掲示板に貼り出された。

 しかし、その直後に帝国全体が新体制にあわただしく移行し、それにともなって人も組織も大きく変わった。

 そのどさくさにまぎれ、彼らの捜索はろくに行われないままに放置されたようだった。


 スピリチュアルとすれば、ゴドフロアたちを捕縛してカナリエルの拉致と殺害の犯人に仕立て上げ、それで一件落着ということにして帝国の威信を保つというやり方もあったはずだった。

 おそらく、皇帝をはじめとする上層部の意向が、カナリエルの死をいたずらに騒ぎ立てることに消極的だったにちがいない。

 一説には、皇女が北方王国の王子との結婚をひかえていたという噂もあった。

 それによって新体制への移行と同時に北方王国との連携を強化することも画策されていたとしたら、カナリエルを失った帝国は面目をつぶしたことになる。

 皇帝府の沈黙の理由もうなずけるものだった。


 ゴドフロアは、カナリエル逃亡の真の動機を知っていた。

 しかし、カナリエルをとりもどそうとした皇帝府の思惑が、また別なところにあったとしても不思議はない。

 ブランカやアンジェリクではどうだかわからないが、事件のことは世間ではほとんど話題にのぼらないまま忘れ去られつつあった。

 おかげで二人はさほど警戒する必要もなく、なんとかこれまで傭兵稼業をつづけてくることができたのだった。


「あいつら、同じ傭兵だっていうのに、ずいぶんのんきなものだと思ってさ。とくにあのセザーンって生意気なやつ、ぜんぜん汗臭い感じがしなかった」

「元はどこかの王族か貴族の御曹司だったのかもしれん。そういう身分はスピリチュアルのせいで一掃されてしまった。中には傭兵になった者がいてもおかしくない」

「それでか。気取って身ぎれいにしてたし、ちっとも餓えてるような様子がなかった。貴族なら金もたんまり持ってるだろうな」

「いや、それはどうかな。十分な金があれば今ごろ傭兵などつづけてないだろう。押し込み、辻強盗、誘拐……腕力と武器にものをいわせて、悪いことならなんでもやってきたんじゃないか。貴族にとっては、庶民など最初から奪い取る対象でしかないだろうし、傭兵と盗賊の区別もあるまい」


「そういや、誘われてついてったやつらも、そんなことにためらいのない自堕落なやつばかりだった。なんてこった、傭兵の評判はますます地に堕ちることになるぜ」

 不愉快そうに吐き捨てたダブリードに、ゴドフロアは皮肉たっぷりに言った。

「盗賊も傭兵もやるおまえに言われてりゃ世話ないな」

「ふん、勝手にほざくがいい。だがな、おまえが傭兵にこだわって盗賊を毛嫌いするように、おれたちはおれたちなりに、傭兵稼業と盗賊稼業をきっちり分けていた。さもなけりゃ、黒鷲団があんなに長いことつづいたはずがねえ。どう言えばいいのかな……〝ちゃんと闘う傭兵〟と〝しっかり盗む盗賊〟を、徹底してやってきたってことだ」

「なるほど、うまいことを言うな」


 ゴドフロアは感心して愉快そうにニヤリとしたが、ダブリードのほうはブスッとした不機嫌な表情のままで言った

「ところが、今や世間の眼もその両方を区別しやしねえ。傭兵のほうだって、セザーンみたいなやつが平気でのさばる時代になってきた。おれたちも、このままこそこそ逃げまわってるだけなら傭兵ですらなくなっちまう。いったい、どうするなん気だ?」

 ダブリードの声はいつになく真剣だった。

「うむ」

 ゴドフロアは重々しくうなずいた。


 何か心に期するところがあるようだったが、それを口にする前に、夕陽に赤く燃え上がるように染まった草むらのむこうから、にぎやかな声が聞こえてきた。

「オヤジ!」

 体格のいい若者に肩車されたマチウが手を振った。

 後につづく者たちは、だれもが両手に水鳥やピチピチはねる大きなフナを何匹もぶら下げている。

「すごいぜ。半分以上はこの子が射ったんだ。おれたちは、走りまわってそれをかき集めてたようなもんさ」

 若者が興奮ぎみに叫んだ。


 その晩は、餓えた傭兵たち全員が久しぶりに汁気たっぷりのうまいものにありつき、腹いっぱいつめこむことができた。

「娘っ子の腕を見せたかったぞ。百発百中、しかもすげえ早わざだ。鳥が飛び立ったとたんにこうだからな」

 いっしょに狩りに行ってマチウの腕を間近で目撃した男が、おおげさな身振り手振りをまじえながら解説した。


「ゴドフロアが不死身のわけだ。こんど戦いがあったら、この子をおれに貸してくれねえかな」

「バカ。おまえが背負ったんじゃ、ろくに動き回ることもできやしねえぞ。それに、ゴドフロアなんて呼び捨てにするのもやめようぜ。これからずっと、おれたちはゴドフロアとマチウについてくんだからな」

「〝オヤジ〟でどうだ?」

「オヤジと呼んでいいのはマチウだけだ。〝隊長〟は死んじまったやつのことだしな。そうだ、〝大将〟がいい」

「おお、それがいい、それがいい!」


 傭兵たちの盛り上がりぶりになどかまわず、ゴドフロアは保存用に残しておいた獲物をひとつひとつ手に取って点検していた。

「マチウ、当てるだけじゃだめだぞ。急所を狙うんだ」

「きゅうしょ?」

 マチウも周りがほめそやす言葉などまるで耳に入っていないかのように、ゴドフロアが指さすところを食い入るように見つめている。

「生き物ならたいがい心臓がいちばんの急所だが、パチンコの威力はたかが知れている。要は動けなくすればいいわけだ。鳥なら風切羽――ほら、ここだ。この羽をやられると、もう飛べなくなる」


「そうそう。だがな、人間の場合はめんどくさいぞ。面頰とか甲冑で防御してるからな。たとえば、こいつならここを狙うんだ」

 ダブリードが横から口をはさんですぐそばにいた若者を指さすと、マチウはすかさずパチンコをかまえた。

「わっ。やめてくれ、お願いだ!」

 若者はあわてて股間を押さえて逃げだした。


 秋が深まりつつある荒れ地を、男たちの遠慮のない笑い声が渡っていった。

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