異世界人
スノウィンの町に着いたのは陽が暮れた頃だった。流石に今日は宿を取って休む事にし、丁度二部屋空いている宿が取れた。部屋割りは当然我が一部屋、シェルミナとレイルが一部屋を使う。
部屋に荷物を置き、小娘共は早速温泉へと向かって行った。この宿では温泉が引かれているそうで、料金を払えば宿泊客もそうでない者も入る事が出来るそうだ。しかも、時間制限はない。流石に消灯時間になれば入浴は禁じられるが、それまでの間なら何時までも入っていられるそうだ。
そこまで興味はなかったが、我も折角来たので温泉に入る事にした。
「はぁ……」
我は深く息を吐く。首から下が温もりに包まれ、疲労が段々と溶け落ちていくような感覚がする。
「温泉も、悪くはないな……」
我は陽が暮れて星が輝いている夜空を見上げ、温泉に対する評価を改める。今思えば、こうやって温かい湯につかって身体を落ち着けるのは何十年ぶりだろうか? 研究仲間と一緒に旅行に無理矢理連れ出されて以来だな。あとはずっと研究に没頭し、悪魔との大戦っがあり、大罪人として追い掛けられ、リッチーとなった後も身体を濡らして拭くぐらいしかしていなかった。
いやはや、たかが温かい水と舐めていた。温泉とはここまで人の疲れと心をほぐすものなのか。あぁ、ずっとこのまま温泉に浸かっていたいものだ。
意識が段々と剥離していく。瞼も落ちていく。いい感じに睡魔が襲い掛かって……………………。
「…………む?」
どういう訳か、我は何時の間にやら温泉から出ていた。辺りを見渡せば、脱衣所の一角に設置されていたベンチに寝ていたようだ。頭にひんやりと濡れたタオルが置かれており、一応局部を隠すようにタオルが掛けられている。あと、無性に喉が渇いて意識がぼんやりとしているな。
「あ、気が付いたみたいだね」
と、誰かが声を掛けてくる。上体を起こして声のした方を向けば、腰にタオルを巻き、瓶を四つ持った大体十代後半に見える黒髪で黒眼の男性がこちらに歩いて来ている。優男と言う顔立ちで、筋肉もあまりなく痩せ形。ただし、背筋をぴんと伸ばしているので姿勢はよくなよなよした雰囲気は微塵も感じられない。
「びっくりしたよ。何しろ、君は顔を真っ赤にして段々と沈んで行ったんだからね」
「沈んだ?」
「そう。あんまりお風呂に入った事無いのかな? だからのぼせる感覚とか分からなかったんじゃない?」
はい、と優男は手に持っていた瓶を一つ我に渡してくる。やや疑問符を浮かべながら瓶と優男の顔を交互に眺める。
「君に上げるよ。喉乾いてると思うし。あ、フルーツ牛乳飲める? 飲めないなら別なの買って来るけど」
「いいのか?」
「うん。ほら、のぼせて体中の水分が無くなってると思うしさ。何か飲まないと」
「後ほど代金は渡す」
「いいよいいよ、気にしなくて」
と、優男は我の横に座り、瓶の蓋を取って中身を一気に煽る。色からして、優男が飲んでいるのもフルーツ牛乳だ。様々な果物の果汁が合わさった甘い臭いが鼻孔をくすぐり、我も飲みたくなる衝動に駆られ、蓋を開けて我も喉を鳴らして一気に飲む。
舌で牛乳によって和らいだ果物の甘味を感じ、胃の腑に冷たい液体が注がれ火照った体が急速に冷やされていくのを実感する。そして全身に潤いが戻っていくような錯覚にも襲われる。
ものの数秒で飲み干してしまい、それでもまだ喉の渇きが収まらないでいると優男が更に二瓶我に手渡してくる。
「はい、どうぞ。でも、あんまり一気に飲まないでねって、もう遅いか」
優男の声を合図に、我は二瓶を一気に飲み干す。これによって喉の渇きが無くなり、意識も先程よりはっきりとしてきた。
「ふぅ、一心地ついた」
我は空の瓶を一纏めにし、優男に向けて頭を下げる。
「助かった。改めて礼を言う」
「だからいいって。と言うか、君さ。年の割に言葉遣いが古風? というよりもおじいちゃんっぽいね」
「まぁ、それはそうだろうな」
何せ、我の実年齢は八十なのだからな。優男から見ればれっきとしたおじいちゃんだ。
「ん?」
「いや、何でもない」
我は頭を振り、誤魔化す。流石に他人に実年齢やリッチーになった事は言えないからな。
「所で、名は何と言う? 我はシオネ=セイダウンという」
「シオネくんね。僕は高遠久遠……えっと、クオン=タカトーだよ」
と、優男……クオンはやや苦笑いを浮かべる。
名前を言い直した事といい、髪の色や瞳の色と言い。こやつはもしかして……。
「クオンは異世界から来たのではないか?」
「えっ⁉」
確認の意を込めた我の一言に、クオンはびくりと肩を上げる。この反応からして、是と見て間違いないだろう。
異世界人。どういった原理か分からないがこことは違う世界からこちらの世界に来た者達の総称だ。
異世界人に共通しているのは魔法の存在は空想上の産物である事、黒髪黒目である事、そしてニホン語と言う彼等の国の言葉を話す事が上げられる。ニホン語はかくも珍しく、ヒラガナ、カタカナ、カンジと文字が三種類存在する。魔法言語や古代文字と言う訳でなく、現行で三種類が日常で使われているらしい。
そんなに使っていては頭が混乱するのではないか? と我は思ったのだが、当人たちにとってはそれが当たり前であり、逆に使いやすいとの事。まぁ、確かに三種類も文字があれば応用は利きやすいだろうしな。
何故そんな事を知っているのかと言えば、我は過去に異世界人に会った事があるからだ。会ったのはたった一度で、それも悪魔との大戦のさなかでの事だった。
あの時に出逢った異世界人は魔力こそ我より劣っていたが、特異なギフトにより悪魔どもを蹴散らしていたな。もし、あの異世界人がいなければ、悪魔との戦いは熾烈を極め、下手をすれば敗北していたかもしれない。
それ程にあの異世界人が立てた功績は偉大なものであり、英雄として語り継がれてもいい筈なのだが当人はそれをよしとしなかったらしく、大戦終了後にギフトの効果と合わせて【リライティングメモリー】を全ての者に向けて発動し、記憶の書き換えを行った。
まぁ、我は【リライティングメモリー】が発動した瞬間に最大出力の【レジストマインド】を自身に発動したので、記憶の改竄は行われていない。しかし、他の者は普通に記憶の改竄は行われ、異世界人自身とその者の行動の記録全てが忘れ去られた。
あの異世界人を覚えているのは恐らくは我だけだろう。今は何処で何をしているのか分からないが、恐らく何処かの避暑地で隠居生活でも送っているのだろう。
我はあの異世界人を探そうとは思っていない。あの者の魔力はあの時点で打ち止めであり、更にギフトの力と合わせても我の呪いを解く事は出来ないと確信しているのでな、探す必要はさらさらないのだ。
おっと、色々と逸れてしまったな。以前異世界人と出逢った事がある故に、クオンが異世界人だと分かった訳だ。
「えっと、どうして分かったの?」
当の本人は目を白黒させている。余程予想外だったのだろう。まぁ、似たような名前や、黒髪黒目の人種も少数ながら普通にいるからな。普通はそちらを連想するだろう。
無論、我も異世界人と出逢っていなければそう連想しただろうな。
前述の他にも、クオンが異世界人だと分かった根拠はある。それは魔力だ。この世界の者の魔力と違い、異世界人の魔力には違和感があるのだ。まるで後付されたかのように身体にあまり馴染んでいないのだ。
かと言って、身体が拒絶反応を示す訳でもなく、魔法の発動も阻害される事はない。あまりにもちぐはぐで霧散してしまうように感じがするのだ。それはひとえに異世界人の世界では魔法が存在しないからだろう。この世界に来て身体が急激に対応した結果、だと我は見ている。
まぁ、これはあくまで我の考えであって、正解ではない。
どちらにせよ、そのような魔力の違和感を感じたので、前述の事も加味してクオンが異世界人だと分かったのだ。
その事を端折りながらクオンに話せば、驚き半分、納得半分と言った感じのリアクションを取ったな。
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