PANTS-de-mic[パンデミック]

渡葉たびびと

第1話 下着狩りの少女

 ――あの日、姉はパンツに壊された。


 ――だから、私は。



 そして、少女は斧を手に取った。



 * * *



 パステルカラーの布地が空を埋め尽くす。

 群れをなし、宙に漂う。その総数は五十か、百か。


 色とりどりの布地の群れ。その一つ一つは薄手で、リボンや紐などの装飾がついており、そして、ゆるやかなT字の形状をしている。


 そう、それはパンツ。

 女性用の下着、パンツの群れだ。


 パンツの群れはパタパタと自由に空を舞い、散発的に降下する。ある個体は農作物を荒らし、別の個体は道行く女性に襲い掛かろうとあたりを旋回する。

 野生化したパンツは人類社会に被害をもたらす、害獣なのだ。


「ワシの……ワシの畑がぁぁァァ!」


 老人が地面に手をつき、恨めしげに目を血走らせている。怒り、無念、哀しみ。様々な感情が彼の瞳に流れ込んでいくが、農夫はパンツを排除する術を持たない。

 目の前ではパンツが次々と、彼の育てた綿めんを食い荒らしていく。人生を賭けて耕してきた、我が子のような土地が蹂躙されるのを、彼は見ている事しかできない。


 パンツを前に人は、無力なのだ……!

 一部の専門家を除いては、だが。


 老人の眼前に影が落ちた。手のひらがかざされている。小さな手だった。


 下がれ。邪魔だ。

 小さなてのひらは、無言でそう告げていた。

 老人は顔を上げて目の前を見た。


 少女が自然体で立ち、静かに空を睨んでいる。


 ボブに切り揃えられた艶のある黒髪に、鋭い目つき。怜悧れいりな印象の風貌。

 服装は濃紺のセーラー服。長袖をまくり、両肘と両膝にサポーターを巻いている。


 そして右手に、武骨な戦斧バトルアクス


 50センチほどの柄の先に、幅広の片刃。

 ぶあつい刃の側面には、大きく『抗菌』の文字が刻印されている。


 上空を旋回する布の群れの、その速度が上がった。少女の匂いを感じ取ったか、円を描きつつ下降してくる。畑を荒らしていた個体も飛び立ち、散発的に接近。狙われている。


 ――好都合だ。

 老人が走り去るのを確認し、彼女は斧を構えた。


 少々、多勢に無勢だろうか?

 いや。問題になる数ではない筈だ。

 一流の下着屋パンターにとっては。


 少女の名は織野おの小春こはる

 よわい15歳。私立、黒土くろつち女学院に通う一年生。そして、たった一年で業界に名を知られるまでになった、凄腕の下着屋パンターである――!


 小春は跳躍した。


 彼女のまわりを周回し、包囲しつつあったパンツの群れは面食らったように隊列を乱した。完全に包囲される前に小春が先手を打った形だ。


 右手一本で、斧を振りかぶる。


 細く小柄な小春の身体を、愛らしいと表現する者がいる。しかし服の下を見れば、その細さは極限まで身体を絞り込んでいるがゆえであり、胴体から四肢の先に至るまで、一切の無駄がない事がわかるだろう。


 細いが華奢ではない、戦士の肉体。彼女には重量感のある戦斧を片手で操るだけの膂力りょりょくがある。


 横薙ぎに一閃。


 複数枚のパンツが巻き込まれ、一撃を受けた数枚は力を失ったようにはらはらと舞い落ちていった。

 小春の斧は、刃の先を意図的に丸めてある競技用のものだ。よって切断力はないが、かわりに『抗菌』の文字が示す通り、消毒作用がある。


 着地して即座に後ろを振り向く。相手を囲み、常に死角から襲い掛かるのがの常套手段だ。パンツに知性はないが、知能はある……と考えられている。

 案の定、近距離にまで迫る数枚があった。白、水玉、縞、クマ柄……問題はない。ノーモーションから再び一閃。


 目の前を薙ぎ払い、しかし、さらに四方から迫る数枚。

 水色、ピンク、リボン付き。

 斧を振りぬいた遠心力を利用し、一回転。そのまま背後までを巻き込む。


 一撃が重いかわりに、戦斧は連撃に向かない。手数は少なければ少ないほど良い。だから一度の攻撃で、いかに多くの獲物パンツを巻き込めるかを常に考える。パンツの配列を見て、最も効率的な斬撃の軌道を思い描く。


 一回転の攻撃を出し終える。その致命的な隙を逃すまいと……真上から、一枚! 色は挑戦的な黒。三次元的な突撃である。これは斧でカバーしきれない。

 小春は、左手の鎖を頭上で振り回した。上空の攻撃をブロックする。


 彼女の斧の、持ち手の末端からは鎖が伸びていた。鎖鎌ならぬ、鎖斧とでもいうべき形状である。小回りのきかない斧の隙を、鎖で埋める。これが下着屋パンター、織野小春の戦闘スタイルだ。


 三次元に対応した防御に、パンツの群れが一瞬ひるむ。その瞬間を、彼女は見逃さなかった。

 左手で鎖を持ったまま、右手の斧を素早くテイクバック。

 そして、前方への――投擲!


 鎖の尾を引きながら、戦斧が突き進む。軌道上のパンツが被弾し、次々と舞い落ちる。そして鎖が伸びきったところで、小春は鎖を両手で掴み……ハンマー投げの要領で回転した。遠距離に届いていた斧が大きく水平に動く。


 遠巻きに様子をうかがっていたパンツの群れが、恐るべき勢いで巻き込まれていく。必殺の範囲攻撃……大輪撃たいりんげき。技の名は授業中に考えて自分でつけた。


 空を埋めていたパンツの大半が撃ち落とされ、パステルカラーの雨となって眼下へ降り注ぐ。幻想的ですらある光景だった。だが小春は、間違っても見入ったりはしない。まだ終わってはいない。鎖を引き戻す。


 布の雨に紛れ、抜け出してくるパンツがある。大技の後はそれだけ隙も大きい。斧も鎖も今は使用できる体勢ではない。鎖を引きながら、身をひるがえす。一か所に留まる立ち回りから一転、身軽さを活かす細やかなステップワーク。


 左右からピンクと白、フリル付き。身をひねってかわす。パンツと戦う場合、まず守るべきは顔面。次いで、手足。うかつに腕でガードもできないとなると、素手で立ち向かうのは相当に苦しい。だから下着屋パンターの多くは武器を使う。


 背後から、挑発的な赤パンツが迫る。前方に身を投げ出し、四肢を守るように体を丸めて前転。起き上がり周囲を警戒する。

 視界に脅威はない。再び鎖を引く。その瞬間。


 真下から、黒!


 撃ち落とされたパンツに紛れて、身を潜めていたのだ。流石の小春もこれには不意をつかれた。やむなく手で払う。

 相手は自在に動く布地である。手足に絡みつかれれば、関節を封じられる危険性がある。これが四肢を守るべき理由だ。


 上手く指先を使い、触れる面積を最小限にした上で払うようにすれば、関節技に持ち込まれる危険は少ない。下着屋パンター特有の技術。小春も迷うことなく、そうした。黒パンツが指から離れた。直後、その指に、細い布が絡みつく感触。


 ――ひもパン!


 ゾクリとした悪寒が駆けた。一瞬にして少女の額に汗が浮かぶ。


 黒パンツは両端の紐をほどき、小春の指にそれを絡めた。指関節狙いか? 腕を伝って、肘? それとも――

 プロゆえに思い至るいくつもの可能性。その分だけ逡巡が伸び……そのまま隙となった。「黒」は指先を起点に、上へ飛んだ。防御を試みる。だが間に合わない!


「ふ…………ッ!?」


 最も守るべき顔面に、黒パンツが飛びついていた。凄腕の下着屋パンターも、一度崩されればこうなる。パンツの群れとの戦いは常に危険と隣り合わせだ。


 通常であれば息を止めるべき状況。だが小春の平静は乱されていた。驚愕から生じた、浅い呼吸。それが致命的な仇となった。

 パンツの香りを吸引してしまう。流れ込んでくる。うっとりするような匂いとともに、パンツの『記憶メモリー』が――


 ――もうすぐ高校二年生。特に誰に強制されるでもなく、自然と校則を守り、悪いことはしない「普通」の良い子。成績は中の上。部活には入っていない。最近は、このままでいいのか、と悩んでいる。自分は、もしかして「つまらない子」なんじゃないだろうか。何の特徴もなく、日常にこれといった刺激もない。今まで気にした事もなかったが、そういえばパンツだって真っ白なのしか持ってなかった。変わりたい。そうだ、今日こそ冒険


 ここで小春は顔面からパンツを引き剥がした。


「……っ、はあっ!」


 下着屋パンターには鋭い嗅覚が不可欠である。特定のパンツを嗅ぎ分ける能力を求められる事があるからだ。しかしこうした局面で、それは弱点となる。


 パンツは嗅覚から人を支配する。心地よい匂いと、の女性の記憶メモリーを同時に味わうことは、大変な快楽を伴う。あと少し嗅ぎ続けていれば、中毒者コレクターとなってしまっていただろう。


 小春は黒を投げ捨てると、衝動に任せて戦斧を振り下ろした。

 それが最後の一枚だった。生き残りは既に逃げ去り、この場にはもういない。


「はあっ、はあっ……! はぁー……ふう……」


 息は荒く、怜悧であった眼は血走っている。

 胸を押さえる。吸い込んだ毒気を抜くように、深呼吸を繰り返す。

 中毒者コレクターにだけは、なるわけにはいかない。


 呼吸を落ち着かせると、少女はようやく安堵したような表情になり、斧を置いてその場に座り込んだ。



 * * *



 明日香あすかがその地にたどり着いた時、既にパンツの駆除は終わっており、生気を失い地面に散らばった布地の山を業者が片づけているところだった。


 農地から住区へと分け入って歩く。道行く人々が次々と振り返って明日香を見る。


 身を包んでいる濃紺のセーラー服は小春と同じものだ。長身かつメリハリのある体型で、ボディラインの優美な曲線は高校生にしては大人びている。

 そして黒いタイツに包まれたスラリと長い脚が一歩一歩地面を踏むたびに、ポニーテールに結った長い黒髪と、主張の強い乳房が揺れる。

 つり目気味の凛とした顔立ちも整っている。男ならずとも二度見したくなるような美女だった。


 また、もう一つ特徴的なのは、彼女の持つ包みだ。身の丈ほどもある長い棒が、布で包まれている。それを楽々と肩に担いで美女は歩いていた。


 やがて、ある民家の前まで進んだところで彼女は足を止めた。耳慣れた声が聞こえ、明日香の表情が明るくなる。民家の玄関先からは、老人と少女の会話が漏れ聞こえていた。


「では、約束の報酬だ。本当に、感謝する……!」

「…………いえ」


「あの、それで、織野おの真夏まなつ、という名を聞いたことは……」

「? いや、申し訳ないが……前に言った通り、聞いたことはないのう」

「そう……ですか」


「人探しかね? 警察にでも……」

「あ、いえ、真夏は……姉は家にいます」

「? いったいどういう事かね」


「……姉のパンツを、探しているんです。その手がかりが何かあればと」


 その後、小春と老人は二、三言会話したが小春は目に見えて落胆していた。彼女は軽く会釈すると背を向け、早々にその場を立ち去る。老人も見送りながら明らかに困惑しており、とても勝者の凱旋とは呼べない雰囲気であった。


 が、明日香はその空気を読むような事はしない。小春を見つけたのだから、する事はひとつだ。彼女は足早に、背後から小春に近づいた。


「……師匠っ!」

「えッ」


 突然声をかけられた小春はビクリと細い肩を震わせ、恨めしげに振り向いた。


 明日香は構わず笑いかけ、小春の身長に合わせて腰を落とす。豊満な乳房がたわむ。だが小春は少しだけ明日香を睨むと無言できびすを返し、再び歩き出した。明日香は慌てて身を起こし追従する。


「そ、そんな目で見ないでくださいよ~。また黙って来ちゃうんスから、もう。おかげで師匠の大活躍を見そびれましたよ!」

「…………。」


 小春と明日香は、同じ学校に通う同業者という事で面識があった。そう、明日香もまた下着屋パンターである。しかし友人、というにはまだ距離が遠いように思われた。小春は人付き合いが苦手なタイプで、明日香が話しかけても二回に一回は返事がないのが通例であった。


「あ、もしかしてテンション下がってますね。また見つからなかったんスか? お姉さんの……。まあ、他の人が知ってるかもしんないッスよ! 何だったらアタシが、町中の全員に聞いて――」


「……もう聞いたよ」

「えっ」

「2回ずつ聞いた」

「…………マジ?」


 小春は短く言い切った。この町を訪れた時と、パンツ駆除の後に一回ずつ、聞いて回ったのだという。依頼人の老人は二周目の最後だったのだ。これには明日香も絶句するしかなかった。

 町から害獣を駆除した、いわばちょっとした英雄である小春と歩いているのに、先ほどから誰も声をかけてこない理由が、なんとなくわかった気がした。


「それにしても師匠、何でいつもミッション連れてってくんないんスか? 連れション(※連れだってミッションに行く事)しましょうよ~」

「……私は師匠じゃない。何も教えるつもりはないし」

「そこは見て学ぶんで大丈夫ッス!」


 この町唯一の駅に向かいながら、二人は会話を続けた。小春の腕前に惚れ込み勝手につきまとう明日香を、小春は許しも拒否もしていない。少なくとも、今のところは。


「それに、ミッションだって一人より二人のがラクじゃないスか? 使ってやってくださいよ~。参戦しないと賞金だって出ないんスから。アタシみたいな弱小にはそうそう依頼も来ないし……」

「――これ」

「?」


 愚痴る明日香の胸元を、小春は手にした茶封筒で軽く叩いた。明日香はなんとなく受け取り、中を確認する。

 8000円。封筒には今回の依頼料、その全額が入っていた。


「あげる」

「えっ、ちょ」


 小春は明日香を振り返りすらせずに言った。それは明日香に対する優しさでも、うるさいから黙らせようとしたのでもなく、そもそも報酬などに興味はない、とでもいうような様子だった。

 報酬とは別に出来高の賞金と交通費が協会から支給されるとはいえ……流石に明日香もこれを受け取るのははばかられる。


「いらないの?」

「いやいや返しますって! なんか色々と終わりでしょこれ貰ったら! ホラ……」


 明日香は大げさな身振りで封筒を突き返そうとした。

 ――が、その動作はピピピ、というそっけない電子音に遮られた。小春のポケットからの音だった。


 彼女は明日香の腕を最小限の動きでかわしながらスマホを取り出し、たった今届いたメッセージを確認する。戦闘時の身軽さを思わせる、軽やかで無駄のない動きだ。

 そして道の先に見えてきた駅に視線を向けながら再び歩き出し、珍しく自分から口を開く。


「……電車。私は逆に乗るから」

「え? 帰らないんスか? どちらへ?」

「……梨盆りぼん市」

「うっわ。完全に逆方向じゃないスか。急用か何かで?」

「…………。」

「おおう。ここでだんまりッスか」


 会話が続いていても、小春は急に黙ってしまう事がある。出せる情報を出し終えたら終わり、というパターンも多い。会話のキャッチボールが本当に苦手なのだろう。一度に使えるコミュ力が底をついたのだと、明日香は解釈している。


 こんな様子なのに、自らの目的のための聞き込みだけは、いくらでもやってのけるのだから大したものだ。


 結局、その後二人は無言のまま改札を抜けてホームへ出た。

 遠く聞こえる踏切の音とともに、電車の接近を告げるアナウンス。

 先に来たのは、小春が乗る側の電車だった。


「……じゃあ」


 絞り出すような挨拶とともに小春は電車に乗り込んだ。目を閉じ、軽く息をつく。発車のベルが鳴る。そのまま明日香が乗り込んできて、ドアが閉まった。


「えっ」


 思わず声が漏れた。明日香がいたずらっぽく笑う。


「――ミッションっスよね、さっきの着信。何か依頼あったんでしょ!? もお~冷たいんスから」

「ええー……」

「今度こそ連れション(※連れだってミッションに行く事)行くッスよ。大丈夫! 迷惑はかけませんので! あとこれは返します!」


 明日香は意気揚々と茶封筒を突き返す。小春はおずおずと受け取った。


「まあ……別にいいけど」

「え? 何て?」


 小春の声は小さすぎて、電車が走り出してしまうともう聞こえない。



 * * *



 召集のあった日の夜。


 梨盆りぼん市の女子更衣室喫茶『Pololi』に集まったメンバーを見て、アキはやや驚いた。これほどの面子が集まるとは、相応に大規模なミッションである事が予想できる。


 学校やプールの女子更衣室を改装して作られた女子更衣室喫茶は、下着屋パンターたちの情報交換や打ち合わせの場としてよく使われる。理由は男子禁制だからだ。


 下着屋パンターは基本的に女性の職業であるため(男性が女性用下着を狩っていたら色々と問題だろう)、余計な野次馬を排除できるこういった環境は好ましいと言えた。適度に狭く、簡単に貸し切れるのもポイントである。


 向かいのロッカーで着替える下着姿の店員に紅茶を注文しながら、アキは今一度店内を見渡す。やはり、普段とは違う。彼女自身『猟犬』のアキと呼ばれる、そこそこ名の知れた下着屋パンターではあるが……それを上回るビッグネームが、何人も見受けられる!


 古来より魔を滅してきた一族の末裔である『対布忍』ツバキ!

 傭兵出身。作戦立案と兵器運用に長けるベテラン『パンツァーマスター』亮子!

 実刑判決を受けていた元・伝説的下着ドロ、『盗賊パン・デッド』穂乃花!

 そして昨年の賞金ランキング3位、弓でライフル以上の精密狙撃を行う熟練者……『熊狩り』の瑠璃るり


 出自は違えど、一人一人が恐るべき技量を持つパンツ狩りのプロ集団だ。アキは喉を鳴らしてツバを飲み込む。


「……つまり、市街戦も想定する必要があるという事だな」


 小さなテーブルに地図を広げながら、亮子がタバコをもみ消した。

 正式なミッション発表はまだだが、彼女らは既に作戦の検討を始めている。


「私はここに来るまでにも市内で一戦交えてきた。奴らは既に人里にまで根を張っているぞ」

長物ながものや飛び道具が使えないのは面倒だな。住民に当てたら減給だ」


 ツバキが無感情に報告し、瑠璃が報酬の心配をする。ミッションの達成と同列に金の話をするのは、ある意味で彼女らがプロフェッショナルである事の証左でもあった。


「状況によっては市街封鎖の方向も検討するべきじゃ……」


 なかなかに特殊な条件下の戦いとなりそうだ。アキも自らの意見を述べる。だがその言葉は、けたたましく開けられたドアの音と、同時に発せられた素っ頓狂な声に遮られた。


「おっくれてスミマセーーーーン! いやーーここ道わかりにくすぎッスよ!!」


 薄暗い店内で話し合っていた全員が振り返り入口を見た。長身の美女が、あっけらかんとした笑顔で立っている。実に見事なプロポーションに何人かが感嘆の息を漏らす。だが知らない顔だ。


 部外者か? アキはいぶかしんだ。が……視線を少しずらして気が付いた。美女の横に無表情な顔で突っ立っている少女。こちらは知っている。


 的確な斧さばきと独創的な範囲攻撃で、実力なら既に業界で五指に入るとも噂される新鋭、『重刃ヘヴィブレイド』の小春。昨年の賞金ランキングは10位。しかも協会への登録が遅かったため、半年程度でこの実績。期待のホープだ。

 そして横の美女は確か、ただの腰巾着のルーキー。名前は忘れた。


「……ああ、『重刃』か。好きに座ると良い」


 視線だけを入口に向け、亮子が低く言った。美女……明日香のほうは無視である。冷たいようだが、下着屋パンターは実力主義の世界。ここにいるトップランカー達にとっては、なおの事そうだろう。


 彼女らは今、いかにしてパンツ……女性用下着を狩りつくすかの算段を立てるのに忙しいのだ。


「――全員揃ったぞ」


 そして亮子は名簿を見ながら、近場の店員に告げた。清楚さと華やかさを見事に両立した花柄のランジェリー上下を身に着けたモデル経験のある店員は、空のグラスをトレイに乗せて片づけつつ


「かしこまりました。では通信をお繋ぎします」


 一礼し、リモコンを操作した。店の隅の小さなディスプレイに、呼び出し中の表示が映る。テレビ電話の相手は……今回の依頼人。


「もしもし……聞こえてるかしら。画面越しでごめんなさいね」


 ややあって画面に映し出されたのは、優美なたたずまいの女性だった。

 店内にわずかな動揺が走る。依頼人の名を知らされていなかった者は驚いただろう。彼女の顔を知らない人間は、この場にいない。


 女性の名は絹美きぬみ。異名は『女帝クイーン』。

 昨年の賞金ランキング、その1位である。

 彼女は落ち着いた笑みを浮かべ、艶っぽい声で話し始めた。


「それじゃあ、仕事の話を始めましょうか。……時間もあまりないし。私も、すぐにそちらへ向かうつもりよ。この人数で察しのついた子もいると思うけど、今回は並大抵の仕事ではないの」

「勿体ぶるな」


 あくまで優雅な口調の絹美に、瑠璃が口を挟む。

 それに対し女帝は、形の良い唇を微笑の形に歪め、しかし目の奥は決して笑わず理知的な光を保ったまま……この場のプロたちに通達した。


「――下着同盟アンダー・グラウンドが、動き出した」


 無言のまま、その場の空気が変わった。一流の戦士たちの目の光が緊迫したものに変化する。

 それを画面越しに感じ取ったか。女帝もまた一段、口調を重くし、


「理解したかしら。覚悟して貰う必要があるわ。今回は、おそらく……」


 告げる。


「人類がパンツというものを発明して以来、最大の戦いになる」




 ――その言葉に、小春は無言で拳を固めた。


 少女に手を握らせたのは、緊張でも、恐怖でもなく。

 小さな身体の中で静かに、しかし絶える事なく常に燃え続ける、


 殺意。

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