9-2 王者への挑戦
ユウキは一人、施設内の公園のベンチでぼうっと空を眺めていた。何処まで続く蒼穹は、まるで彼女の瞳を映しているように見える。
ユウキは迷っていた。
ラルフに『Aegis』と『アイギス』の真実を確かめるか否か。
アイギスが語った真実を自身が知る事はこの計画の一部だった、とユウキは考えている。ある段階で、『Aegis』が『アイギス』である自分を取り戻し、『アイギス』として覚醒する事は、ラルフにとって計算通りの事象だった。
ユウキの心中は複雑だが、それでもアイギスが人としてまた生きられる事はとても喜ばしい事なのは間違い無い。
きっとそれは、心の底から祝福するべき事なのだ。
そう思わなければならない。
そう思うのが当然だ。
しかし、ユウキはどうしても素直にそれが出来なかった。
ユウキにとって、『Aegis』は自分と共に此処まで頑張ってくれた大切なパートナーだ。辛い訓練で挫けそうになった時も、泣き言を云って全てを投げ出しそうになった時も、自分を見捨てる事なくいつも傍にいてくれた。励ましてくれた。それはユウキにとってどれだけの支えとなったか。
どこまでが『Aegis』でどこまでが『アイギス』なのか、ユウキには最早分からなくなっていた。ユウキにとっては目の前で微笑んでくれたアイギスはどちらだったのだろうか、と。
彼女の言葉によると、明日の試合が『Aegis』として闘える最後の試合だと云う。それはつまり、明日の試合で『Aegis』は完全に消えてしまうという意味なのだろう。
―――何が最後まで全力を尽くしましょうだよ・・簡単に割り切れるかよ・・・
「そんなのってないよな・・」
ユウキはぼそりと呟き俯いた。
昨日の夜以降、どのようにアイギスとコミュニケーションを取っていいか分からず、今日になっても一度も話していない。挨拶すらしていない。こんな事は一緒にいるようになってからは初めてだった。
アイギスからも問いかけはない。
昨日の試合前までは、飽きる位、試合の事やたわいのない事、色々な事を話していた。だが、今は気まずさが頭の中で先行して会話が出来る自信がない。
「ユウちゃん」
ユウキが聞き覚えのある声に貌を上げると、レナがはにかみながら立っていた。オーバーシルエットのシャツにデニム。髪はポニーテールに纏めている。マジックファイターではなく、《普段の》レナだ。
「どうしたんだよ、こんなところで?」
「それはこっちの台詞かも」
ユウキはレナが座るベンチのスペースを空ける。レナはそこに腰掛けると、
「とりあえず、決勝戦出場おめでとう」
「ありがと」
ユウキは上の空。レナから見れば一目瞭然だ。しかし、レナはめげずに話を続ける。
「試合の後は結局全然お話出来なかったから、こうやって話すの何だか久しぶりに感じるね?」
「ああ」
「私も日本代表として大会の運営のお手伝いとかしてたんだよ。知ってた?」
「ああ」
「ユウちゃんの試合だっていつもちゃんと観てたんだよ?」
「ああ」
「ユウちゃんは私の事が好き?」
「ああ」
———重症だ。
レナはこんなユウキを久方振りに見た。たまに上の空の時はあるが、自分の事を好きなどと素直に返事した事は一度も無い。それは扨置いても、何か悩んでいるのは明白だ。それが何かはレナには分からない。だが、それが何であっても自分のする事は変わらない。昨日の試合から何かおかしいと思ったのはやはり間違いでは無かったのだから。
レナは唇をキュッと締め、俯いているユウキに向き直る。
―――こういう時は、幼馴染として甘やかせてあげるのも大事だよね?
レナの頭の中には選択肢が二つあった。
一つは、頭を撫でて上げる。もう一つは、ぎゅっと抱き締めて上げる、だ。このような場合、女として温もりを与えて安心させてあげるのが一番だと、レナは妄想を膨らませていた。
前者は簡単に出来そうだが、後者はかなりハードルが高い。周囲には誰もいないとはいえ、一目につく可能性は十分にある。そのまま抱き合って何となく《そのような》雰囲気になった時平静でいられる自信もないと少しだけ邪な欲望はあるが、今は落ち込んでいるユウキを何とかして笑顔にしたかった。
―――ハードルは高いけど、抱き締める方がきっと断然効果的。朝にちゃんとシャワーだって浴びたし、歯磨きもバッチリ。ちょっと汗かいちゃってるけど、変な匂いとかもしてないから大丈夫。ユウちゃんを一番励まして上げられるのは私しかいない!
レナは心の中で鼻息荒く拳を握ると、いざ作戦に挑む。
ごく自然に、ユウキの肩を持ち、そっと自分の胸に抱き寄せる。隣同士で距離も申し分ない。違和感無く手を伸ばす事が出来る。レナは俯くユウキの様子を横目でちらりちらりと確認すると、さりげなく左腕をユウキに向かい伸ばし始める。
『ユウキ』
その声にユウキははっとし背筋を伸ばした。レナは突然のユウキの異変に驚き、亀の首のように腕を元の位置に引っ込める。
『いつまで情けない貌をしているの?ちゃんと前を向いてしゃんとして!』
アイギスから嘗てと同じように激が飛ぶ。違いは敬語でなくなった部分だろう。だが、根っこの部分は変わっていない。
『貴方が私の事を考えてくれているのはよく分かってる。でも、貴方が何を悩んでも進んだ針は戻らないし、私も貴方もそんな事望んでいない。―――だから、一緒に前を向こうよ。うじうじするユウキなんて《ユウキらしくない》よ?』
ユウキはその言葉に両手で貌を覆った。
―――莫迦な事ばかり考えて堂々巡り。まるで昔の自分に戻ったみたいだ。全く情けない・・
決別した筈の弱い自分が、機を窺ったように貌を出す。それも含めて自分で、その弱い自分を叩きのめすのもまた自分なのだ。自分を信じ抜いて、自分を生きるしかない。
『俺への当て付けのつもりかよ?』
『そう思うなら、今の自分らしい自分らしく振る舞ってみて。きちんと証明して!』
『・・分かったよ』
ユウキはベンチから立ち上がると、
『先ずは明日の作戦会議といこう、アイギス?』
『望むところ』
頭の中に漂っていた靄はいつの間にか何処かに消え去っていた。
「レナ、ありがとな」
「えっ?うんっ!」
戸惑うレナを余所にユウキはスッキリとした貌をしている。
「悪いけど、明日の試合の準備があるからまたな」
レナは腑に落ちない部分があったが、ユウキが元気になったのようなので笑顔でそれに応える。
「うん!明日の試合頑張ってね!」
「ああ!」
ユウキに手を振りながらレナは少しだけ首を傾げる。
―――どうしてあんな急に元気になったんだろう?まるで私以外の誰かに励まされたみたいな・・
一方、アイギスは内心ほっと胸を撫で下ろしていた。
―――恋敵にこれくらいの意地悪をしてもバチは当たらないでしょ?
我ながら狡い手だと自分でも笑ってしまうが、それでも譲れないものはある。自分の事で悩んでくれているユウキを見ているのも限界だった。アイギスは元気になったユウキの横貌を見てほっとしたように微笑んだ。
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