9-1 王者への挑戦
決勝戦前日。
洋上に浮かぶ決勝戦専用のシーフィールドは着々と最終調整が進行している。行程は順調そのもので、滞り無く工数が消化されていく。
『フィールド』と言葉では定義付けされているが、実際は海洋上に様々な人口の建造物や障害物を配置していき、より実戦に近い《戦場》を再現している。それらを巧みに利用し試合をより優位に運ぶのも決勝戦に進んだファイターには求められてくるのだ。
魔法武器のリミッターも全て解除される手前、フィールド周辺に張られるバリアには更に入念な点検が加えられる。周囲に被害を齎しては元も子もないからだ。ファイター達は漸く自身の魔力を最大限に解放出来るようになる。
試合会場に大きな変更はあるが、観客席は元の会場と変更は無い。試合のフィールドとして使用していたアリーナには更に観戦席が用意され、多くの観客が入場出来る仕様に変更がなされるのだ。
決勝戦のフィールドには選手以外が入場する事を許されていない。それは偏に観客の安全を考慮する為だ。観客が間近で試合を観戦する事が出来ないのはデメリットであるが、リミッターを外した魔法武器の威力を鑑みると、運営上観客を入場させるのは難しいというのが正式なNMAの見解でもある。過去に何度か《そのような》事故が生じた事も考慮しての判断なのだ。
アシュレイは一人、海岸沿いの砂浜からシーフィールドを眺めていた。既に関係者以外の人間が入る事を禁止されている海岸はがらんとしている。
「君がこんなところにいるなんて珍しいね、アシュレイ?」
アシュレイが振り返ると、いつの間にかラルフが立っていた。相変わらずの猫背にそぐわない《俊敏な》動きだ。顎に生えた無精髭を指先で撫でながら、何やら云いたそうな貌だ。
「貴方こそ、どうしてこんな所に?《例の》実験で忙しいと思っていたけど」
「まあね。《目処》が立つと、研究者というのは途端に暇を持て余すものさ」
アシュレイは悟ったように口元を緩めると、
「そうか。なら、明日は更に楽しみになったよ。漸く僕が本気を出せる時が来る」
その声はとても意気揚々としている。
「それは僕も保証しよう。ユウキ君は、君の《真の強さ》に相応しい初めての好敵手となる」
「ラルフにお墨付きを戴けるとは、間違い無さそうだ」
アシュレイは再びシーフィールドへと視線を向ける。その横貌には今までに見た事がないような高揚感を携えている。
アシュレイの本当の強さを知っている者は数少ない。
それはアシュレイ自身が、己の強さを巧妙に隠してきたというのもあるが、何よりも彼に本気を出させる相手が同年代にいなかったのが一番の要因だろう。
不動の強者。
彼の足下に辿り着く事さえ出来る者は今までいなかった。
だが、ユウキ・シングウジはアシュレイの咽喉元に剣を突き立てる挑戦者へと変貌した。《その為》にこの短期間で無理矢理に力を引き上げたのだ。通常なら二年掛かる行程を僅か四ヶ月弱で消化した。そのカリキュラムを作成したラルフの実力もさる事ながら、ユウキ自身の努力が何よりも賞賛に値する。不平不満を零す事なく、ただ只管に強くなる事だけを望み、それだけに真剣に向き合ってきた。
勿論、彼には才能がある。
実の母から受け継いだ魔術師としての才覚。
しかし、それだけでは強くなれない。
才能を開花させるのは、どんな時代に於いても、己の研鑽にのみ掛かっている。それに気付ける人間は少ないが、ユウキは今まで己の弱さを散々卑下していた事で、それが見えていたらしい。後ろ向きというのも、時には役に立つのだと考えさせられる。
片や、アシュレイは強くなり《過ぎた》魔術師だ。
強さに憧れる事も、尊敬の念を抱く者も《既に》いない。
ギルバートインダストリーの次期当主として、父を超える強さと頭脳を手に入れたアシュレイに、誰も逆らう事は出来ない。父であるギルバート・ディーリングでさえ例外ではない、と多くの人間が思っている事だろう。
ラルフの目から見れば、寧ろそれこそが今のアシュレイがアシュレイ足り得る《不可欠な》要因だと考えている。それは周囲の目を錯覚させる仮面と云ってもいいかもしれない。真偽が二の次であるのは世の常というものだ。
―――アシュレイの強さではなく《弱さ》と向き合えるのは、同じ強さを持ち、同じ痛みを持つユウキ君だけだと、私は確信しているよ。
アシュレイの銀髪が潮風に揺られる姿は何処か悲し気な肖像に思えた。
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