8-12 好敵手達

 アイリーンの見舞いに行った後、ユウキは直ぐにホテルの自室へと戻った。ミリアルドとセルフィに食事に誘われたが、疲れたからという理由でそれは断った。

 ユウキには何よりも大切な事が待っている。

 ユウキは一直線にベッドへと向かい、その勢いのまま大の字に寝転がる。そのまま目を瞑り、意識を彼女へと集中させる。

 小高い丘にある小さな煉瓦造りの家。サンルームを兼ねたベランダには、真っ白なテーブルが一つ、それと対になるように椅子が二脚向かい合って並んでいる。テーブルにはティーセットが並び、既に紅茶が注がれている。

 一脚の椅子にはアイギスが腰掛けている。

 真っ青な空をそのまま映し替えたようなワンピースを来ている彼女は、まるで小説に登場する架空の存在に思えた。

「ユウキ、座ってください」

「ああ」

 ユウキは吸い寄せられるように椅子に腰掛けた。目の前に出されている紅茶を一口口に含み、このもどかしい緊張感をやり過ごそうとする。しかし、上手くいきそうにない。目の前にいる普段と全く違う雰囲気のアイギスが気になって仕方が無いのだ。それでも、ユウキには先ず云っておかねばならない事がある。

「アイギス、ごめん」

 ユウキはテーブルに頭をぶつけようとしているのだといわんばかりに頭を深く下げた。アイギスは困ったように頭を振ると、

「ユウキは悪くありません。謝罪しなければならないのは私の方です。あんな大事な試合で心を乱して、ユウキに怪我を負わせてしまった」

 アイギスはユウキの左腕に巻かれた包帯を見て眉根を顰める。

「これは俺の責任だよ。俺があの時にアイギスを傷付けるような事を云ったのがそもそも悪いんだ」

「いえ。違います」

「違わないよ。俺が―――」

「違うのっ!!」

 突然の大声に、ユウキは目を見開き、思わず背筋をぴんと立てた。アイギスはバツが悪そうに俯いている。

「ユウキにいつもの私らしくないと云われて、私は私が分からなくなった。機械である私がそんな事を思う事自体オカシイのに」

 アイギスは意を決したようにユウキの目を見詰める。

「漸く分かった。何故私がそんな人間のような事を思うか?」

 ユウキは目を離す事が出来なかった。彼女の目に炎のように燃える決意に目を奪われたからだ。

「単純な話だったの。―――私は嘗て人間だった」

「まさか・・」

 ユウキは驚愕した。

「私の名はアイギス・ファーレイ。三年前に任務中に敵の呪術によって精神を破壊されたNMA直属特殊魔導部隊隊長」

 ユウキは開いた口から声が一切出てこなかった。アイギスの語る事が真実だとしても、上手く頭に話が入ってこない。

「精神を破壊された私は様々な治療を受けた。でも、医師達は直ぐに匙を投げたの。幾ら身体を治療する事は出来ても、無くなった心まで取り戻す事は出来なかった。私は一人病室で打ち捨てられたように眠っていた。そこに現れたのが、ラルフ博士だった。彼は私の治療と称して私を引き取り、とある実験の被検体とした。それが、プロジェクト『Aegis』」

 ユウキはラルフに最初に会った時の事を思い出す。

「実験ってまさか・・!?」

「そう。ラルフ博士は私を『Aegis』として魔法武器の一部に組み込んだ」

「何て事を・・」

 幾万の魔術があれど、現代では非人道的な魔術は禁止されている。その道理さえも、ラルフは簡単に覆してしまった。

「俺はまんまとその実験の片棒を担がされたのか・・・」

 情けないを通り越して、特別な魔法武器を手に入れて浮かれていた自分に腹が立つ。貌を紅潮させているユウキを見て、アイギスは初めて肩の力を抜いて微笑んだ。

「ユウキはやっぱり私の為に怒ってくれるんだね」

「えっ?」

「私はそれがとっても嬉しい」

 ユウキにはアイギスが嬉しそうに微笑んでいる理由が分からなかった。

「ラルフ博士はユウキが思うような人じゃない。私が今こうして自分を取り戻しているのがその証拠」

 アイギスはユウキの手を取り自分の手を重ねる。ユウキは驚いたように目を丸くする。

「ラルフ博士は私の精神を回復させる為に、私の性格や特徴を真似た疑似プログラムを作成し、常に私の身体と同期させた。それは今も続いている。砕けた硝子の欠片を一つ一つ繋ぎ合わせるようにね。プログラムは謂わば、私の精神を繋ぐ接着剤みたいなものなの。その治療のお陰で、私の精神は徐々に回復傾向にあった。でも、後一歩のところで私の精神はそれ以上繋がらなくなった。そこで、ラルフ博士は次の手に出た」

 アイギスはユウキに《何か》を伝えるように掌をぎゅっと握り締める。ユウキははっとして口を開いた。

「次の手が、俺って事?」

「そう。ラルフ博士は生前の私と同じ経験をさせ、私の精神の深化を図ろうとした。今思えば、それも狙いだったのだろうけど、それは本命じゃなかった。ラルフ博士が信じた可能性は、《戦い》じゃなかったから」

 アイギスはもう一方の手を伸ばし、ユウキの両手を包み込む。ユウキはその温もりに身体が少しだけ固くなる。

「人が持っている精神という概念の中で最も重要なもの。―――それは人を愛する事」

 アイギスは目を伏せ、頬を桃色に染める。

「・・私は、ユウキに恋をした。精神を破壊されるまでの十六年間、私はそんな感情を誰にも抱いた事はなかった。でも、今は分かる。私の心を紡いでくれたのは、ユウキを愛する気持ちだって」

 言葉にしてしまえば、簡単な事なのかもしれない。それでも、溢れるこの気持ちが、想う人に届くように大切に口にした。

 ユウキはどうしていいか分からなかった。手持ち無沙汰自分の心の所在が分からなくなる程、緊張で胸が一杯でどうしようもない。

「えっとこういう時、その、何て云ったらいいか―――」

「いいの。今はいい」

 アイギスは人差し指でユウキの口をそっと塞いだ。

「レナさんとの関係も知っているし、私だけ抜け駆けするのはフェアじゃない。それに、私の身体が目覚めるにはもう少し時間が掛かるから、現実では未だユウキには会えない。だから、その時になったら、ユウキの返事を聞く事にする」

 ユウキは小さく頷いた。

「それともう一つ。―――AIとしての私の意識は消えつつある。恐らく、次の試合が最後・・になると思う」

 ユウキはアイギスの腕を取り、何かを云おうと口を開いた。しかし、口を何度か開いても上手く言葉が出て来なかった。

 アイギスには分かっていた。たとえユウキが言葉で語らなくとも何を云おうとしているのか、を。

「―――お互いに最後まで全力を尽くしましょう」

「・・ああ」

 ユウキはアイギスの手を握り締め歯を喰いしばり頷いた。頬を撫でる風がいやにざらつくのは、自分の心が刺々しく騒いでいるからだろう。ユウキはアイギスの貌を見る事が出来なかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る