8-11 好敵手達

 瞼がこんなに重いのは生まれて初めてだった。どんなに苦しい鍛錬を積んだ翌日でもこんな事はなかった。きっとこれが真の敗北というものなんだと実感する。そして、疲れ切ってしまったんだ。身体も心も。擦り減らした雑巾のように、汚れて襤褸となってしまった。

 ベッドの上に寝ている身体を起こしたくなかった。誰とも貌を会わせたくない。こんな情けない姿など誰にも見せたくない。

 しかし、横目で見ると、傍らには今最も会いたくない人物が腰掛けている。


「・・そんな目で見るなんてひどいな」


 梅雨の湿り気のような視線を向けられ、ユウキは困ったように頬を指先で掻く。

「・・負けたのね、私は」

「ああ」

「そう。私は負けた・・・」

 口にすると益々実感が湧いてくる。世界三位の実力者が初出場の選手に破れる。事実をただ述べるだけでも滑稽で笑えてくる。

 アイリーンはベッドに肘を付きゆっくりと身体を起こすと、耳元の髪を搔き上げる。ちらりとユウキの左腕に巻かれている包帯を見ると、

「それで、《勝者》の貴方が《敗者》の私に何か用かしら?」

「随分と棘のある云い方だな・・」

 ユウキは不満そうに呟く。

「綺麗な薔薇には棘があるものよ?」

「・・そうですかい」

 自身を薔薇に例える人間を初めて見た。ユウキは内心で思ったが、表情には一切出さなかった。

 アイリーンは指先で遊ぶように髪を弄る仕草を見せると、

「本題に戻すけど、私に何か御用でも?」

 明らかに目が帰れ、と訴えている。が、ユウキはそれをお構い無しに質問に応える。

「普通に心配して様子を見に来ただけだよ」

 アイリーンは鼻で笑う。

「貴方の攻撃で私は意識を失ったのよ。それで心配などとよく云えたものね」

 ユウキはムッとしたように口をへの字に曲げる。

「あの程度の攻撃で《世界第三位》様が気絶するとは思わなかったもので」

 アイリーンの額に青筋が走る。

「良い度胸じゃない?一度勝った程度で実力が上だとでも思っているのなら、随分と自信過剰ね。ビギナーズラックという言葉も知らないのかしら?」

「その幸運に見放された人がよくそんな事が云えるよ」

 互いに睨み合い。まるで三竦みならぬ二竦みだ。

 暫く睨み合っていると、アイリーンが呆れたように視線を逸らした。

「出て行って」

 アイリーンは一言そうユウキに告げると、ベッドに横たわり掛け布団を頭まですっぽりと被り丸くなってしまった。

「・・分かったよ」

 ユウキは掛けていた椅子から立ち上がる。

 誰にも頼ろうとしないのは、彼女なりのプライドと強がりなのだろう。風の噂では、アイリーンは使用人さえも連れず単身で日本へ来たという。この場に誰も見舞いに来ないところを見ると、それは事実なのだろう。

 ユウキは一つ溜息を付くと、

「最後に一つだけ」

 ユウキの声にもアイリーンは布団に包まったまま動かない。しかし、ユウキは気にせずそのまま続ける。

「また君と闘えるのを楽しみにしてる」

 静かなメディカルルームの中でユウキだけの声が木霊した。アイリーンからは返答はない。ユウキはそれ以上何も云わず部屋を出て行った。

 ユウキが出て行き、一人ぼっちになったアイリーンは身体を小刻みに震わせ、今にも口から出てしまいそうになる嗚咽を何とか堪えていた。

「次こそは私が―――」

 頬を伝う涙は身体を焦がす程の熱を持っているように感じた。その熱は、自分の中で未だ燻っている勝利への執念だと、アイリーンははっきりと実感していた。

「―――勝ってみせる」

 アイリーンは自分に云い聞かせるように呟いた。

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