8-7 好敵手達

 潮風が生温い海岸沿いの深夜の公園広場はしんと静まり返っている。

 小さな街灯の下で風切り音が等間隔で空気を斬り裂く。

 アイリーン・キャメロットは愛用の魔法武器『ロンゴミニアド』を手に、型の稽古を行っていた。自信の身長を悠に越える長さを持つ長槍。それをまるで自分の一部のように縦横無尽に振りかざす。その動きの一つ一つに意味があり、流れがある。流線を描くように乱舞する槍は闇夜さえも斬り開いてしまいそうだ。

「ふぅーっ」

 ロンゴミニアドを振り下ろした所で、アイリーンを大きく息を吐き出した。額には汗が滲み、訓練用のスポーウェアはすっかり汗だくになり素肌に張り付いている。

「・・今日は此処までにしておきましょう」

 ベンチに掛けていたタオルで流れてくる汗を拭う。

 アイリーンは毎晩型の稽古を欠かさず行っている。五歳の時に槍を手にしてから、一度も欠かす事無くだ。型の稽古は彼女の中にある志を胸に留めるためのものでもあった。  

 騎士の血筋を持つ名家の長女として生まれたアイリーンにとって、武芸は欠かせないものだった。特に、キャメロット家は代々女系の騎士として名を馳せた名門だ。家督相続人として、長女のアイリーンが一族の跡取りとしての名誉を引き継ぐ事は既に決定している。

 その栄誉に応えるためには、誰にも勝る力が必要だった。

 アイリーンは自分の生き方を疑う事をしない。

 ただ一族の期待に応える為に、研鑽に研鑽を重ねていった。自分が強くなればなるほど、一族の期待に応えられる。それが、彼女にとって最高の誉れであり、何よりの喜びだった。

 その強さをより強固なものにしたのが、マジックファイトだった。

 マジックファイトと出会ったのは、アイリーンが十歳の頃だ。

 父に連れられ、世界大会を見学に訪れた。アイリーンはその華麗な試合に直ぐに心奪われた。

 蝶のように舞い蜂のように刺す。

 アイリーンが想像していた闘いとは一線を画す華麗なる舞台は、実に彼女の好みのものだった。何より気に入っていたのが、世界の頂点に立つ人物が女性である、という事だった。男を完膚なきまでに叩き潰す《彼女》の試合は今でも忘れられない。

 そして、《彼女》はアイリーンにとって、今でも唯一尊敬するマジックファイターでもある。

 アイリーンはそれからマジックファイトに取り憑かれるように鍛錬を積んでいった。

 魔術の素養は誰にでもあるが、アイリーンは神に愛された側の人間だった。膨大な魔力量を最初から所有していたお陰で、直ぐに世界の頂点へと登り詰める事が出来た。

 しかし、あと一歩というところで、彼女は人生で初めての壁にぶつかった。

 アシュレイ・ディーリングだ。

 初めてマジックファイトの世界大会で出会ったアシュレイは、既にマジックファイトジュニア部門の頂点に立つ男だった。その頂点から彼を引き摺り下ろすべく、彼女は決勝戦の試合に意気揚々と挑んだ。アイリーンはそれまで一度も負けた事はなかった。今回もアシュレイに負ける自分の姿など想像もしていなかった。

 が、結果は完全な敗北で終わった。天と地ほどの差がある、と身体の芯から思わせるような負けだった。アシュレイは今まで闘ってきた相手とは全くの異質だった。新次元の住人のようにも思えた。

 それからというもの、アイリーンは打倒アシュレイという目標を胸に秘め、只管に研鑽を重ねてきた。男が簡単に音を上げるような訓練にも、血反吐を吐きながら耐え抜いてきた。

 その成果を以て、アシュレイを叩き潰す。アイリーンに迷いは無い。

 アイリーンは汗を拭き終わったタオルを丁寧に畳みベンチに置くと、ロンゴミニアドの切っ先を月に照らす。

 祖国英国の伝説の王が持ち得たと云われている槍の名を冠した自慢の愛機だ。黄金の月はそれを讃えるように、淡い光を照らし出す。


「おいおい、あれ見てみろよ」「あれって有名なアイリーンじゃね?」「おっ、マジかよ!」「ウソ!?おーマジじゃんか!」


 十メートル程先から複数人の騒がしい声が聞こえる。

 等間隔に並ぶ街灯の光が明滅するように彼等をアイリーンの元へと引き寄せて来る。


「おぉ、やっぱりホンモンのアイリーンじゃんか!!」


 茶髪の男がアイリーンを指差しけらけらと声を上げる。その周囲の人物達も次々と同じように声を上げる。仲の良い友人グループなのだろうか。年は十代後半か、二十代前半に見える。夏らしい軽装と真っ黒に焼けた素肌。それに選手とは思えない風貌から推測すれば、直ぐに地元の人間だと分かる。

―――この公園は選手以外立ち入り禁止の筈だけど・・頭の悪そうなところを見ると、そんな事も知らないようね。

 会場と会場近くのホテル並びに周辺施設は、夜二十一時以降、原則的に選手とその関係者以外の者は立ち入り禁止となる。これは、多くのファンを持つ選手を保護するための施策だ。人気選手は有名なアイドルやスポーツ選手のように熱狂的なファンがいる。彼等は時として《無謀な方法》で選手達を追い回すのだ。それを避ける為の措置でもある。施設内には多くの警備員も配置されている。

「だから云ったろ?夜に特訓してる奴がいるんじゃないかってさ?」

「そうだな。しかも、これってかなり《当り》の部類に入るんじゃん?」

「つーか、汗でジャージが身体にぴったりくっ付いてんのちょーエロくね?」

「バっカ!聞こえんだろうが!」

 男達は馬鹿げた声を上げながら大笑いをしている。よく見ると、手には缶のアルコール飲料を持っている。全員が酔っぱらっているらしい。

―――訓練も終えたし、もう戻りましょう。

 アイリーンは騒がしくしている男達は完全に無視しその場を立ち去ろうとした。


「おいおいノリ悪くねぇ?」


 男達は小走りで移動すると、アイリーンの前を囲むように立ち塞がった。

「俺達さ、アイリーンちゃんのファンなんだぜ?」

「そうそう、だからもう少しファンと交流しようよ~」

 アイリーンは男達を一切無視し、男達の間を通り帰ろうとする。一人の男が苛立つように舌打ちをすると、

「なにガン無視きめてんだよ!」

 アイリーンの肩をがっちりと掴んだ。それを見た短髪の男が、

「もうメンドくせーからやっちまおうぜ?」

「つーか俺もう我慢できねーし」

 男達が甘い菓子に群がる蟻のようにアイリーンを囲もうとした時だった。


「あぁあああっああああああああ!?」


 アイリーンの肩を掴んでいた茶髪の男が突然悲鳴にも似た声を上げその場に倒れ込んだ。男は芋虫のように身体を丸め、右手を守るように握っている。

「おいっ、どうしたんだよ!?」

 苦しむ男に友人達は心配そうに近寄っていく。長髪の男が茶髪の男の指を見ると、

「何だよ・・これ・・・!?」

 血の気が引き真っ青な貌になりその場にへたり込んだ。茶髪の男の五本の指先は全てが通常とはあさっての方向を向いていたのだ。指の関節からは皮膚を破り骨が飛び出している。

「男の癖にだらしがないのね?たかだか指を折られたくらいで大声を上げるなんて見苦しい事この上ない」

 アイリーンは男達を蔑むように見下げる。男達はその瞳に背筋が寒くなった。まるで、絡新婦の蜘蛛の巣に搦め捕られた羽虫のように一歩もその場から動く事が出来ない。

「そこで見苦しい声を上げている不敬者を連れて、私の前から早々に去りなさい。次は指だけではすまない」

 糸から解放された男達は、必死の形相でアイリーンの前から姿を消した。アイリーンは触れられた右肩を恨めしそうに睨むと、

「今日は念入りに洗わないと・・」

 吐き捨てるように云い残すとホテルへと脚を進めた。

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