6-6 初陣
ユウキは格闘魔装を身に纏い、既にバトルフィールドに入ると、レナがこちらに向かって来るのを眺めていた。
試合直前にミリアルドは云った。「情けを掛けてはいけないよ」と。ユウキは苦笑いをするしかなかった。昨晩あれだけ啖呵を切っていて、たった半日で心配される程心が揺らいでいる。自分が勝つか負けるか、それが問題ではなかった。レナと《戦わずに》勝つか。その方法が結局は分からなかった。眼中にないと遠ざけても、絶対に自分が勝つと宣言してみても、レナは棄権をしなかった。彼女はこうして自分の目の前にやって来てしまった。
翠を基調とした格闘タイプのバトルスーツ。脚部に装着されているのは、レナの魔法武器『ヴィーザル』だ。脹脛からアキレス腱のラインには小型のジェットブースターが内蔵されており、魔術と組み合わせる事で爆発的な推進力を生み出す。つま先からは魔力で精製するブレードを展開する。
―――攻撃パターンも全て解析済み・・レナに勝ち目はない
『ユウキ、勝負に絶対はありません。小さな油断は必ず貴方を敗北へと誘います。いつもの貴方であれば、敵を軽視しない筈です』
ユウキの内心を読み取るようにAegisは苦言を呈す。
『どうかいつもの貴方に戻ってください。そうでなければ、私は貴方と共に闘えません』
「アイギス・・」
その時、ユウキは気が付いた。気が付かされたのだ。自分が一人で闘っているのではないという事を。ここまでの強さを手に入れられたのは自分だけの力ではない。ラルフ、ミリアルド、セルフィ、NIMAの研究員達、戦技教官達、そしてAegis。
今自分が抱いている感情は、ただの慢心だ。自分が強いと過信し、相手を、自分を見ようとしない愚か者の考えだ。それはきっと自分とAegisが求めている強さに繋がらない。繋がる筈もない。
ユウキは右の拳を握り締め、
「ふんっ!」
それを思いっ切り自分の額目掛けて突き出した。
試合開始のカウントダウンが進む中、ユウキの行動は周囲を大いに驚かせた。
「ユウキ選手!いきなり自分を殴ったぁああああ!」
コリンが前のめりに叫ぶ。
「ユウちゃん!?」
正面で構えていたレナも思わず構えを解くくらいに驚いている。
ユウキはそんな反応などお構い無しだった。突き立てた拳を引くと、額からは血が滲み鼻筋を通り地面へと落ちていく。
「・・Aegis。一分以内に決着を付ける」
『いいでしょう』
Aegisはユウキの不器用な様子を、まるで傍らで満足そうに笑っているように応える。
『同じ格闘タイプ同士です。決定的な力の差というものを見せ付けてあげましょう』
「ああ」
ユウキはレナを睨み付け構えを取る。
レナはその覇気に圧されそうになりながらも、ユウキの闘う意志を必死に受け止める。
―――ユウちゃんは本当に私を倒す気で来る・・私だって・・・私だって!!
「負けれられない!」
レナの瞳の奥に闘志の炎が燃え盛る。
それが試合開始の合図となり、ゴングが鳴った。
レナはすかさず魔法陣を展開すると、
「モード、『ルフトシュトローム』!」
脚部のブースターが一気に展開し着火される。ブースターの内部からはまるでジェット機のようなエンジン音が唸りを上げる。その威力を更に魔法陣が強化していく。
「ブースト!!」
レナはリボルバーに装填されたフルメタルジャケットの弾丸のようにユウキに襲来する。その速さはユウキの予想を上回るものだった。
が、レナはユウキの遥か手前で急降下した。レナが向かっていたのはユウキではない。バトルフィールドの中心だ。
「はぁああああっ!!」
レナはフィールドに向かい勢いの付いた右脚を振り抜いた。
バトルフィールドはマジックファイト用の特殊素材で作られている。衝撃吸収剤が多く含まれており、激しい闘いでの怪我防止に役立っている。
だが、魔力の込められた攻撃は別だ。
レナの攻撃に耐えられず、拉げるように陥没したフィールドは、瞬く間に木の皮が剥がれるように捲り上がり宙に舞った。波涛のように迫るフィールドの瓦礫はユウキまで到達するのにそう時間を要しなかった。
「Aegis!」
『防御陣起動』
ユウキは敢えてその場を動かずその大波を受ける事を選択した。
―――レナの狙いは、俺が宙に舞う一瞬の隙を突く事だろう。宙に浮けばほんの数秒隙が出来る。そこをすかさず攻撃・・レナが攻撃を加えた場所は、謂わば、台風の目のようなもの。周囲の景色はよく見える筈だ。
ユウキの防御陣に向かい、砂礫のように崩れた瓦礫が投擲されてくる。それ自体は一切ダメージにならない。が、周囲は土煙に包まれ、視界はほとんど零に近い状態となる。
『レナさんの急激な魔力収束を確認。ユウキ、警戒を』
「分かってる。位置は?」
『前方約五メートル』
ユウキは身構える。魔力の収束点は完全に把握している。攻撃の来る方向さえ分かれば、探知している程度の収束砲は防ぎ切る事は簡単だ。ユウキは防御に徹する。
レナはユウキの様子をスナイパーのように監視していた。
―――警戒が厳しい・・でも、ユウちゃんの性格を考えれば狙い通りだ!!
レナは口元を緩め小さく笑みを零す。
土煙が薄れていき、やがて視界が明らかになってきた。魔力反応は変わらず、前方約五メートル。ユウキの眼にもうっすらとレナの翠の魔力光が肉眼で見えてきた。
―――なにっ!?
見えた瞬間にユウキは奥歯を噛み締めた。
魔力が予測位置で収束されているのは確かだ。しかし、それは単独で蛍のようにふわりふわりとその場で揺蕩っている。レナの姿は何処に無い。
『もう一つの魔力反応を感知!距離は・・右上方約一メートル!』
「ちっ!」
ユウキがアイギスの探知に反応した時は既に遅かった。レナは空に昇っていた土煙の中から現れた。レナは右脚を振り被っている。
「斬り裂け!!風ノ太刀(シュベート・デ・ウィンズ)!!」
レナが右脚に展開している魔力の刃は先程のものとは形状が異なっていた。つま先ではなく脚部全体を包むように魔力が刃の形を模している。
ユウキは自身の掌を重ね更にもう一つ防御陣を展開。避けるタイミングを逸した以上、受け切るしかない。レナの渾身の蹴りがユウキに襲い掛かった。
「ぐっ・・!!」
腕に受けた衝撃が身体を駆け巡り、ユウキの身体を大きく揺らす。踏ん張った足がフィールドに喰い込む程の威力だ。
ユウキの表情が苦痛に歪む。レナは歯を喰いしばり、《狙い》のものを破壊する事に焦点を絞る。強力な魔力同士のぶつかり合いが稲光のように点々と発光する。
―――この威力は想定以上だが・・受け切れない程じゃないぜ、レナ!
ユウキにはレナの攻撃に耐え切れる自負があった。外周の防御陣が破壊されても、自身が展開した防御陣は風の属性を含む魔術に対抗する為に組み合わせているものだ。レナの攻撃では絶対に破る事は出来ない。
二人の視線が交錯する。その時、ユウキには見えた。レナの眼が《何》を狙っているか。
レナはユウキの掌の防御陣との接触点から脚部をずらし一気に外周の防御陣を叩き潰す。レナの攻撃も限界点を迎え脚部の魔力は消失した。
その瞬間、レナは左脚でユウキの腕を蹴り上げ、再びしなやかに空に飛び上がった。レナは何かを指示するように右腕を振り上げ、ユウキに照準を定める。
「魔力砲台『メイルストローム』発射!」
ユウキの正面で突然、目映い光が明滅した。それは単独で浮遊していた魔力光の位置からだった。ユウキは漸くレナの攻撃パターンの意味を理解した。
―――最初からアレを俺にぶつけるつもりだったのか!?
そう思った時には既に遅かった。
収束した魔力はレーザーカノンのように一気に放射され、ユウキの身体を飲み込んでいった。ユウキは防御陣どころか、防御をする体勢さえ取る事さえ出来なかった。ユウキは場外へと押し出され壁面に叩き付けられた。盛大に土煙が舞いユウキはその中に埋もれていった。
レナがフィールドに着地すると、会場から盛大な歓声が沸き起こる。
「レナ選手の強烈な一撃が決まったぁあああああ~!!ユウキ選手、これは絶体絶命か!?」
コリンの実況で更に会場が盛り上がる。誰の眼から見てもレナの方が断然に有利だ。確かに、魔力の残量はレナの方が大幅に減っている。しかし、ダメージはユウキの方が大きい筈だ。
レナは大きく肩で息をしながら、呼吸を少しずつ整えていく。
―――私の攻撃は完璧に決まった。ユウちゃんは防御すら出来ていなかった。いくらユウちゃんが私よりも格上だといっても、直撃を受ければ大ダメージは必至・・の筈!これは私がユウちゃんをよく知っていればこその作戦。私だから出来た作戦!
レナの狙いは、ユウキの自信を逆手に取った作戦だった。
―――ユウちゃんは自分を殴る事で色々なものを振り切った。それは油断を捨てたという意味。私の魔力はユウちゃんに及ばない。だったら、ユウちゃんは敢えて隙を作らずに私の先手を《必ず》防御してくる。それも、私の魔力の性質を考慮した布陣に間違い無い。だから、私はユウちゃんの防御を抜く為だけに、ヴィーザルへ自分の魔力の半分をつぎ込んだ。魔力の収束を囮に私は土煙に紛れて一時的に魔力をシャットアウト。ユウちゃんが魔力の反応だけに気が付いた瞬間に私が急襲を掛ける。一回しか使えない奇襲作戦だけど、これで五分と五分へ持っていければ、私にだって勝機はある!
レナの思惑通り、ユウキは場外に吹き飛ばされ壁面に激突した。
自分の有利は誰の眼から見ても明らかだった。しかし、レナの胸中には自分が優位に立っているなど微塵も無かった。土煙が開けた瞬間。そこからが本当の勝負だと直感していたからだ。
「さあ、ユウキ選手。場外に出て十カウントで勝負が決してしまいます。このままダウンしてレナ選手の勝利となってしまうのか!?」
会場はレナの勝利だという空気が漂っていた。昨日のユウキの勝利はただのビギナーズラック。まぐれ勝ちだという者も現れ始めている。
アシュレイは会場の隅で土煙の方向を見詰め、会場の反応をほくそ笑んだ。
「何人かは気付いているけど、素人じゃやはり《分からない》みたいだね。彼の強さはまだまだこんなものじゃないって事にね」
突然、土煙が渦を巻き一瞬で消え去った。其処にはユウキが何事も無かったような貌をして立っていた。魔力砲の直撃を受けたのにも関わらず、魔装にも傷一つ付いていない。
「ユウキ選手、何と何となんと~~~全くの無傷です!!こちらで計測しているライフポイントでも軽ダメージと判定されております。これは一体どういう事なんでしょうか、マリクさん」
コリンの隣に座っているマリクは気難しい貌で顎に手を当てると、
「単純な話です。レナ選手の攻撃力がユウキ選手にダメージを与える程ではなかった、というだけですよ」
「しかしながら、レナ選手はユウキ選手の防御陣を破壊しましたよね?」
「確かにそうですね。ですが、こう考えては如何でしょうか?ユウキ選手は十ある防御系の魔力の内、八を自身のバトルスーツに、後の二を外部に回していた」
コリンの解説に会場が感嘆の声を漏らす。
「ユウキ選手が防御の姿勢を取ろうが取るまいが関係はありません。彼の纏っているバトルスーツ自体が、その名の通り鉄壁の防御を誇る『アイギスの盾』という事なのでしょう」
ユウキはバトルフィールドに戻りながら、その解説を聞いていた。
―――へぇ、気付いた奴もいるのか。
『流石はNMAの局長ですね』
「全くだ」
ユウキはカウント八でバトルフィールドに戻った。再び試合再開のゴングが鳴る。
『レナさんの作戦は私達の心理をよく呼んだ素晴らしいものです、お陰で、ユウキが切った啖呵は台無しになりました』
「・・格好悪いって云いたいんだろう?」
『分かっているのであれば、ここから名誉挽回していきましょう』
「当たり前だ!」
ユウキは構えを取り、両手に魔力を収束し始める。
レナは一歩後ずさりもう一度作戦を練り直す。魔力はジリ貧で大技は後一発がいいところ。その上、ユウキに加えた攻撃で、ヴィーザルには大きな負荷が掛かっている。右脚部の損耗は大きい。
―――何とか勝てる策を・・
「余所見をしてる暇なんてないだろ、レナ?」
レナの正面から突き刺さるような声が聞こえた。ユウキは既にレナの懐に飛び込んでいた。
―――あの距離を一瞬でっ!?
作戦を立てようと思考したのが隙となった。レナは腕を十字に固め防御の体勢を取る。
「はぁっ!」
光を纏ったユウキの掌底がレナの腕を軋ませる。
「きゃぁっ!?」
レナの身体はその一撃に耐えられず宙を飛びフィールドに叩き付けられる。レナは体勢を立て直そうと、フィールドから身体を起こす為に両腕を踏ん張った。しかし、先程受けた攻撃で、レナの両腕は痺れ自身の身体を支える事すら出来なかった。
倒れたレナを覆うように大きな影が視界に広がった。倒れたレナを追従するようにユウキが間合いを詰めたのだ。
―――腕が駄目なら!
レナは最後の魔力を込め魔法陣を脚部に展開しようとした。
「それはもう読んでる」
ユウキは掲げた両手をレナの両脚に叩き込んだ。
「あっあぁああぁあぁあ・・・!?」
レナの脚部はその威力に容赦なく叩き潰される。展開しようとしたブースターは全て着火前に破壊。推進力は無力化されてしまった。
レナは完全に四肢を封じられた。レナはもう立つ事さえ出来なかった。ユウキはレナにトドメをさすべく腕を振り上げる。
「ズルいよ、ユウちゃん・・こんなに強いなんて・・・」
「あの時云ったろ?容赦しないって」
「そうだね・・」
レナは覚悟を決めるように目を瞑った。ユウキは振り上げた腕をレナの顔面に向かい振り下ろした。
しかし、レナが受けると思っていた痛みは訪れなかった。ユウキからの攻撃は一向に来ない。レナは恐る恐る薄目を開け状況を確認しようとする。
「あれ・・?」
ユウキはレナの傍らに立って腕組みをしている。
「いつまで眼なんか瞑ってんだ?」
「どういうこと・・?」
レナは状況が理解出来なかった。しかし、会場正面のスクリーンには『WINNER ユウキ・シングウジ』と表示されている。
しかし、レナはギブアップしたつもりはない。まして、ノックアウトされてもいない。
「レナ、立てるか?」
ユウキはレナに手を指し伸べる。だが、レナの腕は痺れが残っていて上手く力が入らない。レナが困ったようにユウキを見ると、
「ちょっとごめんな」
ユウキはレナの身体を抱えるように持ち上げた。
コリンはここぞと云わんばかりに目を輝かせる。
「ユウキ選手、レナ選手をお姫様抱っこです!これは勝者の役得というところでしょうか。おっと、レナ選手のファンからブーイングが上がっております」
ユウキはそんなことお構いもせずレナを抱いたまま歩き出した。
「ちゃんと掴まらないと危ないぞ」
「だって・・恥ずかしいよ」
レナは頬を赤らめながらも、ユウキにしっかりと身体を預ける。
「医務室までの我慢だ」
「・・私重くない?」
「野暮な事聞くなよ。黙って俺に任せろ」
「うん。分かった」
ユウキは淀みない足取りで試合会場を後にした。会場にはユウキへの小さなブーイングが残された。
医務室への通路に入りユウキとレナは二人きりとなった。
「ねえ、私ってどうして負けたの?もしかして気絶してた?」
レナは少しだけ腕の感覚が戻って来たのか、ユウキの首に手を回す。レナの貌が少し近くなると、ユウキは少しだけ視線を逸らしながら、
「十カウントだよ。ダウンしてたんだから、当然ダウンカウント取られるに決まってるだろうが」
「あぁ、そっか・・」
レナははっとしたように口を開く。
「そういうこと。レナのダウンカウント負け」
「だから、最後の攻撃も途中で止めたの?」
ユウキは小さく首を横に振る。
「いや。あれは振りだけしてただけ。ダウンしてる相手に追い打ちなんてしないよ。追い打ちしたら、俺反則負けするし」
ユウキが云うように、フェアな闘いを考慮し、マジックファイトのルールではダウンした相手に追い打ちを掛ける事は禁止されている。
「・・もしかして意地悪したの?」
レナはじっとユウキの眼を見る。ユウキは後ろめたそうに目を逸らす。
「もう!真剣勝負の時にどうしてそういう事するの!」
「悪かったよ。ごめん」
「もう次やったら口きいてあげないんだから」
「分かった。もうしないよ」
「なら、よろしい」
レナは何故か心が清々しい気分だった。ユウキに負けて悔しい思いはある。しかし、ユウキには自分に勝って欲しいという想いもあった。矛盾した気持ちだが、それが本心だ。子供の頃に喧嘩した時のようなやり取りをしてほっとしたのもあるかもしれない。
もうすぐ医務室というところで、曲がり角から数人の選手が現れた。男が三人、女が二人だ。それはレナと同じ日本代表の選手だった。彼等はユウキに親の仇を見るような眼でユウキを睨み付ける。
一人の選手が一歩前へ出ると、
「レナを此処まで運んでくれてありがとう。医務室までは俺達で運ぶから」
ユウキは久々にこのような視線を受けた気がした。とても《ありがとう》という感謝の意を伸べている表情をしていない。
「分かりました」
ユウキはそれ以上は何も云わず、抱えていたレナをゆっくりと通路の床へと下ろした。レナはチームメイトの不穏な空気を諌めようと声を出そうとしたが、ユウキは小さく首を横に振りそれを制した。レナは悲しそうに瞼を伏せてそれに従う。
床に下ろしたレナをもう一人の選手が抱き抱えようとすると、
「肩だけ貸してくれればいいよ」
「でも・・」
「医務室直ぐそこだし。もう大分楽になったから」
レナの提案にその選手は渋々と従った。レナは肩を借りゆっくりと立ち上がる。本当は未だ自力で立てるような状態ではなかった。しかし、チームメイトのユウキに対する余りに冷たい視線に、レナは少しだけ憤りを感じていた。それは小さな抗議だったのかもしれない。
ユウキは何となくレナの作り笑顔に勘付きながらも、敢えて何を云わなかった。
「それじゃ、俺はこれで」
波風を立てないよう、ユウキは一礼しその場を早々に去ろうとした。
「おい、ちょっと待てよ」
ユウキは強い語気に呼び止められ振り返る。
レナに肩を貸している選手は一歩下がると、代わりに他の選手達が前に出る。
―――流石に無茶はしてこないと思うけどな。
『ユウキ、警備員を呼びましょうか?』
『大丈夫だよ、Aegis。彼等も選手だ。乱暴はしてこない』
ユウキはAegisを静かに諭す。。
『・・分かりました。しかし、彼等の対応次第では、私は私の判断をします』
『分かった』
Aegisは明らかに彼等の態度に苛立ちを募らせている。
一方、レナは早々に医務室へと運ばれて行ってしまった。「ちょっと待って」というレナの焦る声が聞こえてきたが、それは無視されたようだ。レナの声は程なく遠くへ消えた。
ユウキは小さく溜め息を付くと、
「何か用でしょうか?」
「用がなきゃお前なんか呼び止めたりしねぇよ」
「そうよ!」
レナが居なくなった途端、益々相手の態度は悪くなる。
「それで用件は?」
ユウキは淡々と質問する。
「単刀直入に云う。今直ぐ二回戦の勝ちを取り消して大会を辞退しろ!」
「・・はぁっ!?」
ユウキは自分の耳を疑った。何を血迷ったかは分からないが、急に試合勝者に向かって大会を辞退しろなど正気の沙汰ではない。が、ユウキの考えは彼等に通用しないらしい。揃いも揃って全員がそれが当然のような貌をしている。
ユウキを気を取り直して、
「理由を教えてくれませんか?」
と取り敢えず理由を聞く事にした。
「お前は試合中に不正を働いた。大会規定ではダウンした相手の追い打ちは禁止とされている。さっきの試合でお前はダウンしているレナの武器を破壊した。これは明らかに反則行為だ」
「彼女は一度ダウンして上半身だけは浮かせていました。確か、大会規定でダウンと判定されるのは、フィールドに両肩と背中が接触している時だけですよね?」
指摘されている点など、当然ユウキは理解している。
「お前が攻撃を加えたのはダウンした直後だ。レナが身体を浮かせる前だった」
「云い掛かりはやめてください。仮に、貴方が云うように俺が攻撃していたら、その時点で俺は反則負けの判定をされている」
「それは嘘ね。ヴィーザルが破壊された際に更に追撃しようとしていた事が、貴方がルールを理解していない証拠よ!」
女性選手が更にユウキを追い立てる。
「結局、俺は攻撃をしませんでしたよ」
「それでもあんな行為をする時点で、フェアプレイの精神に反しているんだよ。日本主催で行われている世界大会でお前みたいな日本人選手が勝ち上がるなんて大恥もいいところだ!お前の所為で、俺達日本代表が勝ち上がるチャンスが減るんだからな!」
―――それが本音って事か・・
ユウキはフェアプレイからかけ離れた発言に辟易した。
今回の主催国は日本だ。当然、日本選手が勝ち上がれば大会は盛り上がるし、国の威信を他国へと示す事が出来る。しかし、その真逆の結果となれば、気運は盛り下がって行く。ホスト国はある意味負けを許されない立場であるという側面を持っているのだ。
今大会に出場している日本選手の成果は芳しくない。先程のレナも含めると、残っているのは六人。リュウ・ミナカミ以外で残っている選手は、勝ち上がっている他国の代表選手と比較して実力的に劣る。そうなれば、三回戦までに残る可能性がある選手はリュウ以外にいない。
幸いユウキとレナのブロックは特別シードの世界ランカーがいないブロックだった。三回戦に勝ち上がって来る選手の実力もレナと同じかそれ以下だ。順当に勝ち進めば四回戦まではいける。リュウ以外の選手が勝ち残り、世界ランカーに奇しくも敗北する。他国の世界ランカーであればいいのかという疑問があるが、それが彼等の欲しいシナリオなのだろう。
彼等に大きなプレッシャーが方々から掛かっているのは少しだけ同情する。お偉方はさぞかし理不尽な期待を彼等に寄せているのだろう。だが、それも含めて《代表選手》である事を忘れていけない。
「そうですか。なら、俺じゃなく、審判にでも大会本部にでも抗議すればいいでしょう?試合は全部録画も配信もされてるんですから、《事実》は直ぐに判明する筈ですよ」
「だから、そういう考えがフェアプレイの精神に欠けていると云っているんだ!お前から申し出る事に意味があるんだよ!」
彼等は分かっているのだ。本部に問い合わせれば、ユウキに反則の事実などないと分かってしまう事を。焦りを見せているのがその証拠だ。
このままでは埒が明かない。ユウキは少しだけ強硬手段に取る事にした。
「仕方ないですね。なら、一緒に本部に行って事実を確認しましょう。それで、確認出来た事実次第で俺は大会を辞退します。でも、それが覆されれば、俺は逆にこの行為を本部に訴えますよ。事実無根にも関わらず、これだけ云い掛かりをして、試合を辞退しろと《脅し》た。これは脅迫行為と取られてもおかしくないですよ?」
「お前っ・・!」
最も怒りを露わにしていた男がユウキの胸ぐらうを摑み取った時だった。
「何してるんだっ!!」
通路を埋め尽くすような大声が響いた。彼等はその声に覚えがあるらしい。急に全員が借りてきた猫のように身を縮こませている。
彼等の背後から現れたのは、世界ランキング第七位、日本代表のリュウ・ミナカミだった。
身長一九〇センチを越える巨体とそれを包む鉄のように鍛えられた筋肉。短く刈り込まれた坊主頭と迫力のある鋭い眼。
「キャプテン違うんです!」
「黙って手を離せっ!」
「はいっ!」
蜘蛛の子を散らすように男はユウキから手を離し後退った。リュウは熊のようにのっしのっしとユウキの前へと立つと、
「すまないっ!」
ユウキの腰の位置よりも更に深く頭を下げた。
「こいつ等がお前にした行為の責任は全て俺が取る!だから、どうかこいつ等のことは許してやってくれ!」
「キャプテン!」
「お前等は黙ってろ!」
リュウはそのまま頭を上げずにチームメイトを叱咤した。その声に気圧され選手達は押し黙る。
「・・責任を取るって事は、貴方が彼等の脅迫行為の責任を取って大会を辞退するって事ですか?」
ユウキの質問に一人の選手が前に出ると、
「お前何を―――」
「黙っていろと云ったろうがっ!」
選手達は完全に沈黙してしまった。リュウは少しだけ間をあけると、口を開いた。
「・・男に二言はない。俺がこいつ等の代わりに大会を辞退する」
擦れた声でリュウは云った。選手達は悲愴な表情で後悔の念に駆られているように見えた。誰もが自身の軽率が如何に愚かな事だったか反省しているのだろう。
ユウキは後ろ手で頭をぽりぽりと掻くと、
「貌を上げてください。ミナカミさん」
リュウは躊躇うようにそっと貌を上げた。ユウキは貌を上げたリュウを見上げると、
「貴方が試合を辞退したら多くのファンが悲しみますよ」
「お前・・」
「俺は謝罪していただいただけで十分ですから。これで手打ちにしましょう」
リュウは彫りの深い眼を細くすると、
「・・お前良い奴だな」
「そんなことないですよ。それじゃ、俺はこれで」
ユウキは頭を下げその場を立ち去ろうとした。
「お前、名前は?」
リュウがずいと身体を寄せそれを阻む。
「ユウキ・シングウジですけど」
「そうか!」
リュウは夏の太陽のような満面の笑みを浮かべると、
「必ず勝ち上がって来い、ユウキ!俺はお前と闘ってみたい!」
両肩をがっしりと掴まれ宣言された。その迫力に圧され、
「・・はい」
ユウキが返事をすると、リュウは大きく頷き背中を押した。ユウキはそのままその場から離れる事となった。強引で暑苦しい人物だったが、悪い気はしなかったのは何故だろうか。そんな事を考えながら、ユウキはホテルへと足を向けた。
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