5-3 切り札

 ユウキはミリアルドに念押しされ、何とも云えぬ複雑な気分だった。

 自宅に帰る足取りがこんなに重いのは久し振りなのだ。小学生の時にレナと些細な事で大喧嘩をした以来かもしれない。今回もレナにまつわる事というのは何とも因果な事だろうか。

『ユウキ、既にレナさんは知っていると思いますよ。それを話さないのは、貴方から話してくれるのを待っているからでしょう。ユウキは女心というものをもっと理解するべきです』

 Aegisからの説教にユウキは咽喉がからからと乾く。

「まさかアイギスに女心まで教えられるとは・・」

「私の人格のベースは姿の通り女性です。女性の気持ちが理解出来るのは当然の事ですよ」

 清廉な騎士にして、実直なその性格に女性らしさを感じた事は余りないのは黙っておこう、とユウキは心の蓋をそっと閉じる。

『この先三〇〇メートルにレナさんの魔力反応を確認』

 Aegisが計測した距離は丁度ユウキの家の前だ。

『彼女の行動パターンを考えれば今回の行動は想定の範囲内です』

「それもそうだ」

『貴方が今日あの事を話すのも想定の範囲内ですよ?』

「そんな事まで想定しなくていいよ」

 お節介だ、と文句の一つでも云おうとしてユウキは口を噤んだ。レナが玄関の門に背中を預けて立っていたからだ。トレーニング用のジャージを着ているのを見ると、ランニングを終えた後なのだろう。街灯に照らされ首筋が汗ばんでいるのが見える。そう時間は経っていないらしい。

 レナはユウキの姿に気が付くと、

「お帰り、ユウちゃん。今日も遅かったね」

「ちょっと野暮用でな」

 時刻は既に九時を過ぎている。八月という事もあり、外は夜になっても未だ何もしなくても汗ばむ程だ。レナはユウキへと近付くと、

「ユウちゃん、私に云いたい事あるんでしょ?」

 ユウキに向き合う。少しだけ近付いた目線は、レナを一層近くに感じさせる。ユウキは腹を決めると、

「二十日に開催されるマジックファイトのワールドオープントーナメント。俺も出場出来る事になったんだ。NIMAの推薦枠で」

「知ってる。私も出場するから」

 今年の開催国は日本だ。開催国には優先枠が与えられ、他国よりも多くの優秀な選手を選出する事が出来る。レナも去年の戦績が評価され出場する事になっている。

 しかし、レナが云いたい事はそんな事ではない。レナはその先に待っている言葉がある。ユウキはレナから視線を外す事なく口を開く。

「レナは一回戦シード。二回戦に上がってきた奴と闘う事になる。一人はレナをナンパしてきたあのガルシア・オスロ。アイツはこっちに来る前にアメリカ代表として既に選抜されてたらしい。そして、もう一人は・・・俺だ」

 レナは真剣な面持ちで頷く。

「知ってる。勝ち上がった方が私と闘う事になるね」

「あのガルシアって奴には悪いけど、勝つのは絶対に俺だ」

「自信あるんだ?」

「ああ」

 ユウキは力強く頷いた。その眼は、レナが今まで見てきたどんなユウキの眼よりも強さに満ち溢れていた。つい四ヶ月前のユウキとは全くの別人だ。

「私に勝つ自信もある?」

 ユウキは迷いを捨てる。もう隠し事はしたくないのだ。

———レナだったら絶対に聞いて来ると思ってたよ。

「・・ああ。レナには悪いけど、俺が絶対に勝つ」

「絶対とか云うんだ。私なんて眼中にもないんだね?」

「―――ない」

 そこで初めてレナは悲し気に瞼を伏せた。

「・・否定もしてくれないんだ。良い勝負が出来るよとか、お互いに健闘しようとか、そういう事も云えないくらいに、私とユウちゃんは力の差があるんだね」

 ユウキは黙って何も云わなかった。その沈黙が解答だ。

「うん。分かったよ」

 レナは小さく納得するように声を漏らした。そして、いつもの笑顔に戻ると、

「正直に話してくれてありがとう、ユウちゃん。これで、スッキリした気分で闘えるよ」

 ユウキはその笑顔にほっと胸を撫で下ろす。

「そっか。嫌な奴だって怒られるかと思った」

 レナは首を横に振る。

「ううん。嘘をつかれたり、本当の事を隠されるよりずっと良い。でもね、私は負けるつもりないよ。ユウちゃんがどんなに私よりも強くたって、勝負に絶対は無いから」

 レナの言葉はユウキにとっての戒めでもある。

「そうだな」

「ユウちゃんこそ、油断して一回戦で負けたりしないでよね?」

「肝に銘じとくよ」

 ユウキはそう云って小さく笑うと、「おやすみ」と云い残してレナの隣を通り過ぎようとした。しかし、ユウキは足を止めた。着ていたシャツの袖口をレナに掴まれたからだ。

「八月三十一日!」

「えっ?」

 ユウキはレナの方へと向き直る。

「八月三十一日にNMA主催の花火大会があるの」

 レナが訴えているのは大会が開催されるバトルアリーナ近くで行われる花火大会の事だろう。毎年大会の全行程が済んだ翌日に表彰式と閉会式を執り行う事になっている。式は昼頃に行われるが、その日は一日中お祭り騒ぎをするのが慣例となっているのだ。


「一緒に行こう」


 ユウキはレナの手をそっと握った。

「ユウちゃん・・」

「こういうのは男から誘うもんだろ?」

「うんっ!」

 レナはまるで咲き誇る桜のように満面の笑みを浮かべた。


 ユウキはレナを玄関先まで見送ると、自宅へと戻り自室のベッドの上に大の字になって寝転んだ。

『先程のレナさんに対する対応は及第点ですね。彼処で彼女を抱き寄せてキスまで出来たら満点合格でした』

 出歯亀根性も良い所だ、とユウキは我ながらAegisに悪態を付きたくなる。

「余計なお世話だ。大体、俺のこの感情は・・その恋愛感情とは少し違うんだよ」

『そうなのですか?私はてっきりレナさんと同じ気持ちを抱いていると思っていました』

 ユウキは自分で主張していて貌が熱くなる。

「俺もそうかなと思ってたんだけど、今はちょっと違う気がしてるんだ。何か歯車が上手く噛み合っていないというか・・何か上手く言葉に出来ない」

 ユウキは自分の心中にもやもやとした霧が掛かっているように感じていた。

『それは思春期特有の葛藤というものです。私が云えるのは《後悔》しないように行動せよ、という事だけです。レナさんを無碍に傷付ける事も許しません』

 Aegisの説教にユウキは腕で貌を隠す。

「分かってるよ。―――最近、思うんだけどさ」

『何ですか?』

「アイギスが段々母親みたいな口調になってるのは気のせいか?」

 今まで戦闘に関して説教される場面は何度もあったが、まさかプライベートな事柄まで注意を受けるとは思わなかった。そこは多少なりとも鬱陶しいと思っているが、何となく反論し難いのは何故だろうか。

『それは気のせいです。私は貴方の良きパートナーとして助言をしているに過ぎません』

「そうなのか?」

『そうです。それよりもシャワーを浴びては如何ですか?スッキリした気分になると思いますよ』

「そうかもしれないな」

 ユウキはベッドから起き上がると部屋を出て行った。何時の間にか大会への杞憂は不思議と無くなっていた。

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