4-5 ダンス・イン・ザ・マジカルランド

 アルベルト・ファゴットの正面には見知らぬ少年が立ちはだかっている。貌は幼く身体も未発達。未だ此の世の絶望を知らないのだろうと思わずにはいられない。

———少年という季節は人生の中でほんの一瞬だ。彼からは私が既に喪った《何か》を持ち合わせているように感じる。

 その《何か》さえ、アルベルトにはもう分からない。だが、それを少年から奪い取る事は自分にとってこの上ない悦びになる。その確信には絶対の自信があった。

「私はアルベルト・ファゴット。この通り、魔導士をやっている。少年、名を聞こうか?」

 嗄れた声で老人はユウキに名を尋ねる。

 伸び切った白髪頭と顎髭。全身を覆う黒いローブからは枯木のような細い腕と細い指が伸びている。まるで髑髏に皮だけを張り付けたようなしわくちゃの貌は不気味な笑みを浮かべている。歯は既に何本か抜け落ちているようで、歯と歯の間から見える暗闇がこちらを喰べたそうに口を開けている。

『気を付けてください、ユウキ。真名を名乗れば呪いを受ける可能性があります』

 Aegisは頭の中で敵の呪術の警戒を促す。

『分かってるよ、Aegis。あんな分かり易い誘いになんか乗らない』

 ユウキは腰に掛けている鞘から剣を抜き、アルベルトに切っ先を向ける。

「お前のような悪人に名乗る名はない」

「ほう、呪詛への牽制か。ただの莫迦な小僧というわけではないようだ」

「勝手に云ってろっ!」

 アルベルトは細い指をユウキへ向ける。

「私が何故、無差別に猿共を襲ったのかは聞かないのかな?」

 ユウキは眼光を鋭く光らせ、アルベルトの言葉を一蹴する。

「そんなものはお前を倒した後に警察に任せる。無差別に民間人を襲って平気な貌をしている奴の話を、俺がまともに聞く義理はないね」

 ユウキは胸元に剣を引き寄せ臨戦態勢を取る。

「老人に剣を向けるとは、最近の若者は教育がなっておらんな。私が、ちと躾をしてやろう」

 アルベルトは不気味な笑みを浮かべると、両手に小型の魔法陣を展開する。

『ユウキ!』

「云われなくても!」

 ユウキは脚部に魔力を集中させ一気に加速した。そのスピードのまま一気に間合いを詰める。

―――魔術発動前に決める!

「はぁあああああっ!」

 ユウキが振り下ろした剣を、アルベルトは両手に発動させた魔法陣で受け止めた。魔方陣に剣が接触し激しい火花が散る。

「猪武者とは、実に術に掛ける甲斐があるな」

 アルベルトは歯がまばらに抜けた口を大きく開き、腹の底から笑い声を上げる。

「吹き飛べ、小僧が!」

 剣を受け止めた両手の魔法陣が、まるでシャボン玉が溶け合うように融合していき、一つの魔法陣となってユウキの正面に展開される。

 次の瞬間、一つとなった魔法陣が悲鳴を上げるように炸裂した。ユウキはそのままその爆裂した炎に呑み込まれていく。

 アルベルトは爆煙から消えるように距離を取ると、構えていた両手を後ろ手に組み直す。

「己の魔力を最小限に。敵の魔力は最大限に利用する。それが魔導士の《戦》というものよ」

 アルベルトは正面の黒煙を満足気に眺める。洗練した己の術に酔っているかのように一人頷いている。

―――対人地雷型魔法陣『爆雷陣(ヘレ・ミーネ)』。触れた瞬間に爆裂する至極単純な陣。しかし、その威力は人一人を軽く吹き飛ばせる。あの少年は肉塊にすらなれず消滅した。


「ユウちゃん!」


 地上から微かに声が聞こえる。

 アルベルトは眼下を見据えた。そこには年若い少女が涙を浮かべ立っている。アルベルトは舌舐めずりをしながら彼女をじっくりと見定める。

「まあまあの魔力を持っているな。あの小僧は殺してしまったし、あの少女を美味しく戴いてやろうか。———そうか。私の大いなる実験の被験者となって貰った方が良い。あの若い肉体は嘸かし調べ甲斐がある」

 アルベルトは楽しい遊びを覚えた子供のように嬉々として雄弁となる。

 嘗て実験を行っていた際、魔術核を取り出すのに時間が掛かり過ぎた為、多くの被験者が死んでいった。三十年の間にその反省を踏まえ、頭の中で理論の再構築は済んでいる。

———先ずは肉体を改造し、実験に耐えられるようにしなければな。

 今度こそ必ず成功する。

 アルベルトにはその自信があった。


「誰を殺したって、クソジジイ!」


 突如、大声と共に黒煙の中から白刃が飛び出しアルベルトを襲う。

―――なにっ・・!?

 不意を突かれたアルベルトは防御陣を展開するのに一瞬反応が遅れた。何とか状態を逸らしその刃を避け切ってみせようとした。しかし、ユウキの切っ先は確実に狙いを定めていた。

 ユウキは一歩引いたアルベルトを一瞥すると、剣の刃の感触を確かめる。

『少し浅かったようです、ユウキ』

「そうみたいだな」

『まだまだ踏み込みが甘いからですよ』

 Aegisの余計な一言にユウキは眉をへの字に曲げる。

「・・分かってるよ。説教はアイツを倒してから聞く」

『分かりました。反省はきっちりとして貰います』

 黒煙から飛び出したユウキは怪我どころか、鎧に傷一つ付いていない。まるで、アルベルトの攻撃が初めから無かったかのような様子だ。

 一方、アルベルトは一文字に斬られた胸元を信じられない様子で見詰めている。滔々と流れる血を掌で抑えると、その掌には赤黒い血糊がべっとりと付着する。もう何十年と見ていなかった己の血だ。

「小僧が・・粋がりおって・・・!!」

 自信があった術を破られた事に対して、アルベルトは明らかに苛立ちを募らせていた。先程まで余裕の笑みを浮かべていた貌は、悪鬼の如く変貌している。

 一方、ユウキは冷静な自分自身に驚いていた。闘う前は初の実戦と考えるだけで身体が震えていた。しかし、その震えも今となっては武者震いだと思う事が出来る。アルベルトに負ける気がしないのだ。胸の中で熱い炎が猛々しく燃え盛り、それが己の勝利を予感させる。

 ユウキはAegisに問い掛ける。

「Aegis、あの男の情報は分かったか?」

『はい。彼はアルベルト・ファゴット。第二級犯罪者です。三十年前に大量の少年・少女を用いて魔術核の摘出を何度も試み、のべ一六人を殺害しています。どうやら昨日収監されていた南極刑務所を脱走したようです』

「そうか。そんな奴は尚更此処で倒さなきゃな」

『その通りです』

 改めて気を引き締めると、自然と剣を握る掌が熱くなる。赦してはいけない敵を倒す、と心が昂る。

「誰を倒すだと・・誰を倒すだとぉおお!」

 アルベルトは激昂し再び魔法陣を展開する。

 しかし、ユウキは一切動じない。

『彼の魔術核は封印処理がなされています。それでも魔術を行使出来るという事は―――』

「古代魔術って事か?」

 Aegisは否定する。

『いえ。術式は近代魔術のものに酷似しています。恐らく自身で術式を組み替え、古代魔術と同じ作用を生じさせているのでしょう。古代魔術が外部から魔力を精製するとはいえ己の魔術核が機能していければ意味がありません』

 ユウキはAegisの理路整然とした説明に頷くと、脇構えを取る。

「そうか。流石、古参の魔術師といったところか」

『ですが、私達の敵ではありません』

「全くだ」

 ユウキはアルベルトと同様に魔法陣を展開させる。

 だが、発動タイミングが早かったアルベルトは既に魔術を展開している。アルベルトの周囲にはまるで蛍が飛ぶ回るかのように魔力光が数百と浮遊している。

 アルベルトは腕を天高く掲げ、それをユウキに向かい振り下ろすと、

「虐殺せしめる黒弾(ニーダー・マヘン)!」

 と、叫ぶ。魔力光はその命令に従うように、烏の羽根のように鋭利な刃に変貌させる。それらはユウキに向かい一斉に発射された。

 ユウキの正面には数百の弾丸の雨が迫り来る。

———不思議だ・・全然怖くない!

 ユウキは左腕を柄から離し片腕で剣を握り直す。そして、握った右腕を弓のように引き、それを天高く掲げた。

「焔龍焼尽!!」

 詠唱と共に、ユウキの周囲に龍の如く白銀の閃光が舞い上がった。その閃光はユウキを守るように身体を包んでいく。

 アルベルトの魔術は瞬く間にその光の中に呑み込まれていく。閃光にアルベルトの術が着弾すると同時に蝋燭が溶けるように消えていく。全ての羽根の弾丸が消え去るにはそう時間は掛からなかった。

「莫迦な・・この私の術が。こうも簡単に・・・」

 アルベルトは信じられないものを見るかのように一歩、また一歩と後ずさりをしていく。額には脂汗が滲み、貌は電気を流された蛙の足のように引き攣っている。

 ユウキはその隙を見逃す程お人好しではない。閃光の中で銀の刃が瞬き。

「烈光一閃!」

 ユウキは天高く掲げた剣を両手で持ち一気に振り下ろした。空に登っていた白銀の閃光は流れを変え、アルベルトに向かい一気に放射される。放出される魔力の波動は瞬く間にアルベルトに押し寄せた。

「この程度でっ!!」

 アルベルトは素早く正面に三重の防御陣を展開させ、両腕でその術を向かい受ける。その波動は腕を軋ませアルベルトのを追い詰めていく。

———何だ・・この威力は・・・!?

 術の威力はアルベルトの想定を遥かに超えていた。その術の威力に一枚、また一枚と防御陣が破壊されていく。

―――嘘だ・・嘘だっ!!このままでは私は・・

 アルベルトは己の自信を放棄出来ない。放棄するのはこの無意味な戦いだと自分自身に云い聞かせる。

———仕方が無い。此処は撤退するしかない。

 それが喩え屈辱的な行為だとしても自分の命があってこその物種だ、とアルベルトは戦からの撤退を正当化させる。

 アルベルトは勝ち目がないと見ると直ぐさま逃げるという選択肢を選んだ。アルベルトにとって転移魔術は十八番だ。

「防御陣が消える前に転移すればっ!!」

 アルベルトは急ぎ魔方陣を展開しようと試みた。


「そんなバレバレの手を見逃すかよっ!!」


 アルベルトは貌を上げ空を見上げた。そこには愛する青い空など無かった。在るのは、剣を振り被る白光の騎士だ。

「くたばれぇええええ!」

「ひぃっ・・!?」

 容赦なく剣は振り下ろされ、アルベルトはその斬撃の直撃を防御を取る暇もなく受けた。

 恐怖の声さえも上げる暇もない。隕石のように一直線に地面とへ落下し、そして叩き付けられた。地面に激突したアルベルトを中心に、コンクリートの地面は漣のように捲れ上がる。

「命までは取らない。安心して捕まりなよ」

 ユウキは魔力反応が消えたのを確認すると、剣を鞘へと納める。

 アルベルトの身体に斬撃の傷は最初のものだけだった。ユウキは魔力の波動のみでアルベルトを圧倒したのだ。

 一息付くユウキにAigisは透かさず物申す。

『中々の戦果です、ユウキ。ですが、今の貴方の実力であれば、後一分三十二秒早く敵を倒す事が出来ました。反省点は次回の訓練から指導させて貰いますよ』

 ユウキは自分ではそれなりに闘えたと思っていた。が、Aegis的にはまだまだという事らしい。

———相変わらず厳しい教官殿だよ。

 ユウキは武装を解くと、

「分かったよ。また頑張って鍛えなきゃな」

『はい。共に頑張りましょう』

 遠くからサイレンの音が聞こえてくる。警戒を促すサイレンもこのような状況に聞くと安心出来るものだ。

「警察も漸く到着か。俺達も被害に遇った人達の救助に行こう」

『了解です。ですが、その前にレナさんの元へ行ってあげてください。彼女の笑顔に応えるのも、貴方の大切な仕事ですよ』

 ユウキは下から聞こえる声に耳を傾ける。その声は自分の名前を呼んでいる。

「ユウちゃーん!」

 レナが笑顔で手を振っている。その笑顔を見るだけでどこか安心する自分がいた。

「そうだな」

 ユウキは手をレナに応えるように大きく手を振った。

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