2-2 国立魔術研究開発機構 第一五研究所

 ユウキが自宅の最寄り駅に着いた頃にはすっかり陽が落ちていた。家路を急ぐ会社員や学生が次々と改札を出て行く。ユウキもその流れに乗り改札を出て駅のロータリーから真っ直ぐ家に向かっていく。駅から自宅まではゆっくり歩いて十五分程だ。

 ユウキの父であるコウキはジャーナリストとして世界中を飛び回っている。

 滅多に家には帰って来ず、一ヶ月に一度会っていれば頻繁に会っている方に数えられる。

 ユウキは父親の仕事の大切さを理解している。だから、父が家に中々帰って来られない事を責めたりはしない。一人で身の回りの事は出来るし、生活費は毎月余る程貰っていたりもするのだ。金銭的な意味では、何不自由ない生活も送れている。

―――今日はもう疲れたし、お腹も減ったな。でも飯作るの面倒臭いし、インスタントで済ませよう。

 今になって思うと、学校から図書館に行った後、そのまま研究所へと連れて行かれた。その間、何かを口にした記憶もない。お腹が減っているも当然だ。

「でも、あの時は全然平気だったんだよな」

 研究所でラルフと話している時には、自分が空腹だと考えてすらいなかった。寧ろ、胃がキリキリと痛んでそんなところまで思考が及ばなかったという方が正しい。彼の見透かすような視線でずっと緊張していた身体が漸く解放されて、緩んだ結果かもしれない。

 家に帰り先ずは夕食を済ませ、その後は明日の授業に備えて予習。シャワーを浴びて特訓に備えて充分な睡眠を取る。

 ユウキはそれ以外に何か大事な事を忘れているような気がした。

———何だっけ・・?

 特訓というキーワードでユウキは閃く。

「そうだ!『Aegis』っていう魔法武器貰うのすっかり忘れてた!」

 研究所に行った目的は『Aegis』を貰う事だった筈だ。

 しかし、ワールドオープントーナメントに出場する話になり、すっかり頭から抜け落ちていた。

―――ラルフさんから明日貰う事にしよう。

 いずれにせよ、明日から大会に向けた特訓なのだ。魔法武器を使いこなす必要もある。

 体調を万全にしておく事も肝要だ。今の自分がどの程度特訓に耐えられるかは全く想像が付かない。しかし、絶対に諦めずに続けなければ勝利への道が見える事はない。

 勝利への道を探すのも、作るのも、きっと自分なのだ。それこそ、ラルフが云うような《死ぬ気》の努力があってこそのものかもしれない。

 ユウキはスタートラインから既に走り出した。今は前を向いて腕を振り足を前に出して、ただ目的地に向かって走るしかない。


「ユウちゃん!」


 怒鳴る様な大声にユウキははっと我に返る。

 ユウキは既に自宅近くに来ている事に今になって気が付いた。住宅街に入ってからずっと考え事をしていた所為か、自分がどの程度歩いていたかさえ分からなくなっていたらしい。

 声の主。

 街灯の灯りの下を走って来るのは、不機嫌そうに口をへの字に曲げたレナだった。

 ユウキはレナの貌を見て《反古にした》約束を思い出した。

———滅茶苦茶怒ってるな、これは。

 レナは今日の午後に一緒に買い物に行こうと誘ってきていたのだ。それはきっとレナなりの気遣いだった、とユウキは今になって思える。一方的な約束だったが、きちんと断る事も出来たのだ。そういう曖昧な態度がきっとレナに心配を掛けている。

―――ちゃんと謝らないとな。

「ユウちゃんっ!こんな時間まで一体どこに行ってたの!?」

 まるで門限を守らない子供を叱りつける母親だ。閑静な住宅街には似つかわしくない叱責が、涼やかな四月の夜空を駆け抜ける。

 ユウキは正直に答える。

「図書館に行ってただけだよ」

 レナは怒り心頭と云わんばかりに、

「私との約束を破って!?大体最近のユウちゃんは―――」

「悪かったよ」

―――あれ・・?

 ユウキの反応にレナは言葉を思わず飲み込んだ。ヒートアップしていた頭の中で一気に冷却されていく。

 レナは最近の溜まりに溜まっている不満や鬱憤を打ちまけようとしていた。

 ここまでつんけんとした対応をさられるのは我慢出来ないし、ユウキとそんな風にいたくはなかった。

 いつも仲良く一緒にいたいから。

 その想いを胸に、たとえ突き放されても絶対に離れないと固く決意し、ユウキの帰りを家の前で待っていたのだ。自分がユウキに不満を撒き散らせば、ユウキは絶対にその場から逃げるか、黙るか、「五月蝿い」と云って一蹴するものだと思っていた。

 だが、どうだろうか。ユウキは素直に謝罪を述べた。とても普通の事であるのに、レナは吃驚して戸惑いを隠せない。

「今までの事も謝る。本当にごめん」

「うん」

 レナはユウキの謝罪にただ頷くしか出来なかった。ユウキの貌が心なしか赤く染まっている事にさえレナは気が付いていない。

「それから明日からは《いつも通り》だから」

「いつも通り?」

 ユウキは息を大きく吸って大きく吐き出した。まるで大事な何かを決意するような眼差しだ。レナもそれに触発されて身体が固くなる。

「俺は、その・・レナの事ちゃんと大事に思ってるから。だから、明日からはちゃんといつも通りだ!」

「えっ!?」

 レナは余りにも吃驚し過ぎて開いた口が塞がらなかった。

 レナからユウキに対して、それとなく《それらしい》事を伝えた経験は何度かある。だが、ユウキからは一度もない。

 その言葉だけで、レナの中に溜まっていた不満と鬱憤は一気に吹き飛んでしまった。

「そういう事だから!」

 ユウキはそのまま黙り込んで歩いて行こうとする。

 一方、レナは嬉しさのあまり貌の弛みを隠せない。自分でも頬が弛みきっているのが分かるくらいだ。

「待って!ユウちゃん待って!」

 レナは早歩きで歩くユウキの背後に付いて行き、後ろからユウキの貌を窺う。ユウキは俯いたまま振り返らない。が、心なしかユウキの耳元が赤く染まっているのが見えた。

―――初めてちゃんと言葉にしてくれた。それがとっても嬉しい!!

 レナは小悪魔のような悪戯な笑みを浮かべ、ユウキの肩に寄り添う。

「ユウちゃん、もーいっかい!もーいっかい云って?」

「いやだ」

「もーいっかい!」

「やだ!」

 二人の砂糖菓子のような問答が夜の住宅街を淡い色に染めていった。

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