2-1 国立魔術研究開発機構 第一五研究所
ラルフに半ば無理矢理連れられてやって来たのは、彼が管理する研究所の一つで、『第一五研究所』と呼ばれる研究施設だった。NIMAの広大な敷地の中を十分程歩いて様々な施設を横目で見てきたが、この第一五研究所は他の施設とは隣接しておらず独立している。外から見ると、小振りなドーム型球場のような形をしており、研究施設というよりは運動施設に近い外見だ。
研究所内はがらんとしていて、ユウキの思っていた研究所のイメージは異なっていた。どちらかと云えば、マジックファイトの試合会場施設に近い。
マジックファイトの会場は通常二つの施設が用意される。
一つ目は予選に用いられる複数のリングが用意された会場だ。ここでは幾つかのリングが用意され試合が同時進行で行われる。
二つ目は通例であれば、準々決勝から用いられるドーム型の会場だ。
より強固な結界が試合場に用意され、空戦戦闘も許可される。会場の観客は、その結界に守られながら試合を観戦する。これは魔法武器のリミッターを解除し出力が上がるため危険が伴う事を考慮しての処置だ。一般的な予選では半分の出力で試合を進める。
第一五研究所は後者と造りが酷似している。ユウキは試合会場には入った事はないが、テレビやネットで何度も施設内は見ている。
「君が云いたい事も分かるよ。このラボは少し特殊でね、《魔術戦闘技術専門》なのさ」
施設内をきょろきょろとするユウキを横目にラルフは説明する。
「此処は、マジックファイトの試合会場を《完璧》に再現してあるのさ。ファイターの様子を常にモニターするセンサーもあれば、それを数値化するモニターもある。傍から見るとそんな機材は見えないだろうけどね、私達研究員が作成した特製の機器類も施設内に設置してある。ここで戦闘する者は、全てを丸裸にされるというわけさ」
「なるほど」
ユウキは心から感心するように頷く。
「ユウキ君!」
「はいっ!」
ラルフは急に大きな声を出しユウキの名前を呼んだ。それにつられて、ユウキもその声に応える。二人は向き合うと、
「君にはこれからここで、世界ランカー級まで強くなってもらう。そして、その強さを《ここ》で証明してもらいたい」
ラルフは白衣のポケットから携帯端末を取り出すと、ある広告を表示した。
「『ワールドオープントーナメント』!?」
ユウキは余りに無謀な挑戦に声を上げる。
ラルフはユウキのリアクションに満足気な笑みを浮かべる。
「そう。今年の八月二十日から三十一日に渡って開催される四大大会の一つだ。どうだい、中々の大舞台だろ?」
ユウキは突拍子の無い提案に面喰らったが、頭を冷やし返答する。
「それはそうですけど。俺には出場資格がありませんよ」
ユウキだって世界四大大会の出場規定くらい知っている。
ワールドオープントーナメントは、個人のチャンピオンを決める世界大会の一つだ。但し、予選もなく、階級も関係なく出場可能がこの大会の特徴でもある。
毎年主要国の何処かで行われ、世界ランキング上位十名からランダムで選択された四人とそれ以外の選手で大会は行われる。世界ランキング上位者以外の選手は主催国の優秀な選手を優先的に選考する傾向にある。NMAやNIMAからの推薦枠があるのも特徴だ。
「まさか・・」
ユウキは頭の中で大会の規定のある文言を思い出した。
「そう。君の思う通り。ユウキ君には、NIMAの推薦枠としてこの大会に出場してもらう。この通り既にエントリーは済んでいるよ」
「ええっ!?」
ラルフの携帯端末のスクリーンにはユウキのプロフィールと出場登録書が映し出されている。ユウキは何度も瞼を擦り、何度も瞬きしそれを見直したが、やはり結果は変わらない。ラルフが云うように本当にエントリーが完了しているようだ。
―――いつの間に・・
「君を此処に案内する間にちょちょっとね。これくらい私には造作も無いよ」
確かに云われてみると、ラルフは片腕でユウキの腕を掴み、もう片方の手で携帯端末をいじっていた。あの短時間に彼はユウキのプロフィールを住民データベースから照会し登録を済ませていたのだ。
ユウキは余りの急な展開に呆然とするばかりだった。
「これで逃げ場はないよ」
「えっ・・?」
ラルフの眼鏡越しの瞳が鋭利な刃物のように光る。
「君は此処で強くなるしかない。どう、《覚悟》は決まったかい?」
「えっとそれは・・」
情けない話だ。あれだけ強くなりと豪語したのにも関わらず、いざ挑むとなると足が竦む。大言壮語この上ない。ユウキの目の前にはスタートラインが見えている。誰でも何かを始める為に立たなければならない場所だ。
しかし、ユウキは其処に立つ事を躊躇っていた。
強い気持ちに伴わない不甲斐無い自分がいるからだ。自分の実力くらい中学生にもなると大体見えてくるものだ。自分の実力と努力値。それを鑑みて頑張ってみても、世界ランキング上位者に敵わない事なんて分かり切っている。
だからこそ、ユウキはマジックファイトの試合に出場をしなかった。自分が出来る限りの努力をして必死に挑んで勝てなかった時の事を考えるだけで、足に鉛を括り付けられたように動く事が出来なかったからだ。
「ユウキ君」
立ち尽くすユウキをラルフは真っ直ぐな瞳で見据える。ユウキは矢で射抜かれたように視線を外す事が出来ない。
「君はどんなに努力しても彼等に勝てないと思っているのだろ?どうせ自分なんか世界上位ランカーに勝てるわけがないと?」
ラルフの云う通りだった。それ以上も以下もなく見抜かれている。
「努力をしても報われない事はある。それは確かな真実だ。努力して報われる事が絶対であれば、誰だって努力をしてみようと思うだろう。でも、現実は違う。どんなに努力をしても届かない場所がある。報われない事がある。だから、努力をする事に疲れるし、その内諦めもする。最後には、努力する《方法》さえも忘れて小手先だけの自分の出来上がりだ」
ユウキは思わず眼を逸らしたくなった。見たくもない真実を、まるで積み木のように順番に自分の目の前に積み上げられるようで苦しかったからだ。
「でもね、努力を忘れた者には、一生その場所に辿り着く《機会》さえ無くなるんだ。これは愚かな行為極まりない。これと同じように大事なのは、努力ってのはがむしゃらにするものじゃない。自分が行きたい場所に辿り着く為に何が必要かを考えて継続するのが肝要だ。それが出来る人間に初めて《機会》ってものが与えられるんだよ」
ラルフは緊張感を解き、へにゃりと笑みを零す。
「つまり私の云いたい事はね、行きたい場所が見えているなら一切手を抜かずに全力で走って行けって事さ。考えて止まる事も確かに大事だよ。でも、立ち止まるのと立ち尽くすのは違う。―――君は、死ぬ気で努力をした事はあるかい?」
突然質問され、ユウキは戸惑う。
「その貌はしてないね。だったら、もっと簡単だ。《死ぬ気で》努力をしてみるといいよ。もう限界だってところからもう一歩踏み込んでいくんだ。奥が見えたらまたその奥に。その奥が見えたら更にまた奥に。それが出来れば、きっと君は今まで見た事がない世界が見えるよ」
楽しそうに鼻を鳴らし、ラルフは得意気にする。
ラルフの云っている事が出来る人間がこの世に何人いるだろう。《それ》が出来ないから多くの人が努力する事に挫折していくのだ。報われない自分を誰も見たいとは思わない。
「さあ、改めて聞こう。《覚悟》は決まったかい?」
咽喉元に刃を突き立てられているような気分だった。少しでも判断を間違えれば簡単に咽喉元を掻き斬れられる。しかし、その刃から身を引いたとしても、きっと背後には底の見えない崖が大口を開けて待っている。
―――俺の行きたい場所はこの刃の先にある。俺は・・俺は・・・!!
その時、最後に見た母の背中が頭の裏を過った。その背中は堂々としていて、どんな事でも出来そうな気がした。母から受け継いだ意志と誇りを忘れてはいけない。ユウキの中でじりじりと燻っていた炎が叫ぶように猛りを上げる。
「俺は・・試合に出場します。そして、必ず強くなります!」
自分でも本当に声が出ているか分からなかった。頭の中に心臓が移動してきたように、心音が騒音のように響いている。身体も太陽をそのまま体内に取り込んだように熱くなっている。
ラルフは満足気に微笑むと、
「うん、いいね。君の見ているものを私も見たくなったよ。では、約束通り君に力を貸そう」
「ありがとうございます!」
ラルフの期待にはどうやら応えられたらしい。ユウキはほっと胸を撫で下ろす。
「では、ユウキ君の覚悟も決まったところで、《協力者》を呼ぶ事にしようか」
「協力者?」
「そう。私は魔法武器の技術の専門家であって、魔術や戦術に関してはからっきしなのさ。その為の専門家だよ」
ラルフはそう云ってある方向を指差した。それはユウキ達が立っている方向と丁度真逆の位置だ。其処にはいつの間にか二人の男女が立っていた。
「彼等が今から君の先生だ」
ラルフは何かを企むような笑みを浮かべ、ユウキの背中をそっと押した。
二人はユウキの目の前にやって来ると、
「話は聞いてるよ」
「プロフィールで見たよりもずっと可愛いねぇー」
と、ほぼ同時にユウキに話掛けて来た。
ユウキは間近に見た二人の容姿に思わず口をあんぐりと開けてしまった。
二人は驚くほど瓜二つなのだ。翡翠色の瞳とブラウンの髪。背丈も同じで二人とも一七〇センチを少し越えるくらいだ。男女の双子という事は聞くまでもなく直ぐに分かったが、ここまで似ていると造りものではないかと疑ってしまう。
「ユウキ君。僕はミリアルド・マーズ。これから宜しくね」
ミリアルドと名乗った男性の印象は、《きっちりしている》だった。着用している訓練用のジャージもファスナーを上まで留めている。挨拶をされただけであるが、お辞儀の角度も訓練された兵士のように完璧だ。
「私は妹のセルフィー。よろしくー」
一方、セルフィと名乗った女性の印象は《のんびりしている》だった。兄のミリアルドがしっかりとしている所為か、セルフィは何処か抜けているように見える。同じ貌をしているのに印象が違うのは男女の違いというだけではないようだ。
「この二人はウチの主任技官でね。主に魔法武器の試用試験の時にお世話になっているんだ。ミリアルドの専門は魔術格闘。セルフィの専門は魔術戦技だ。二人とも腕は確かだから、基礎からみっちりと教えてもらうといいよ」
「ミリアルドさん、セルフィさん。よろしくお願いします!」
ユウキは二人に深々と頭を下げた。
―――どうやらちゃんと腹を決まったようだね。いい感じだ。
「ああ。よろしく」
「よろしくねー」
ミリアルドとセルフィにもユウキの熱意は伝わったようだ。
「それじゃ、今日はこれくらいにしてお開きとしよう。訓練は明日から。ユウキ君は毎日放課後に此処に来て頂戴。休日は朝からね。入館許可証は君の端末に既に送信しておいたから」
「ありがとうございます」
ユウキは制服の内ポケットから携帯端末を取り出しそれを確かめる。確かに許可証がインストールされている。とてつもない早業だ。
「これから大会までのおよそ五ヶ月間。《死ぬ気で》頑張りなさい」
「はいっ!」
ユウキは元気よく返事をすると一礼しその場を後にした。ユウキが入り口を出て行くのを見送ると、
「それにしても随分と意地悪をされていましたね、ラルフさん?」
ミリアルドは訝し気な視線をラルフに送る。
「そうかな?発破をかけるのも大人の大事な仕事だと思うけど」
「もう少し云い方があると云ってるんです。あの歳頃の子は難しいんですから」
「へぇ。随分と彼の肩を持つね」
「僕にも彼のように自分の弱さが嫌でどうしようもなかった時期がありましたから。彼の気持ちはそれなりに理解出来るつもりですよ」
ミリアルドは淡々と話す。
「だったら尚更彼の力になってあげてよ」
「勿論ですよ。元々そのつもりでこの仕事を引き受けましたから。―――《ハルカさん》にお世話になった恩返しがやっと出来ます」
「そうかい」
二人はそれ以上、何も語らなかった。黙して語らずとも、二人には伝わるものがあるからだ。
「それは兎も角、彼に『Aigis』を渡さなくて良かったんですか?」
ラルフは怠そうに頭を掻くと、
「先に渡そうとも考えたんだけどね。彼も一杯一杯で今しがたはすっかり忘れていたようだし、《彼女》とのご対面は後日としよう。———でも、確信はあるんだ。彼と彼女はきっと最強のパートナーになれるってね」
ラルフは胸を張り堂々を云い切る。
「凄い自信ですね。いつもの《勘》ってヤツですか?」
「ああ。勿論」
―――科学者が勘を頼りにしていいんだろうか・・?
「いいんだよ」
ミリアルドはラルフに心を見透かされ思わずたじろぐ。
ラルフという男は、こういう男なのだ。神のように全てを見通し、そして見透かす。ユウキ・シングウジを『Aigis』の所有者に選んだのも、彼の思惑の一つに過ぎない。自分が神の掌の上で転がされている気分になるのは、ラルフと一緒にいる時くらいだ。
「セルフィの方も彼を気に入ったようで良かったよ」
ラルフは少し離れた位置で体育座りをしているセルフィを横目で見る。セルフィは頭をメトロノームのようにゆっくりと動かしながら鼻唄を歌っている。彼女の視線の先には、幾つもの魔力光が蛍のように浮遊している。
「セルフィが指導に向いているとは思いませんが」
ミリアルドが不安気に愚痴を零すと、
「でも、魔力の精密操作に於いて彼女の右に出る者はいないよ。ウチの中で彼女がナンバーワンだ」
ラルフは断言した。
「まあ、それは認めますけど・・・」
兄としては非常に不安である、と貌に懇切丁寧に書かれているのはミリアルドらしい。寧ろ、不安しか無い。だが、ミリアルドもセルフィのずば抜けた能力を認めている。指導官としてはざるだが、一魔術師としては一流だ。
ラルフはミリアルドの肩を叩くと、
「『Aigis』を完全制御するには、セルフィの教えは必要不可欠だ。それに楽しみじゃないか?セルフィがどのようにユウキ君に魔術操作を教えるか、さ?」
ミリアルドはラルフの表情を見て眉を顰める。
「・・面白半分にしか聞こえないのは気のせいでしょうか?」
「気のせい、気のせい、気のせいだよー」
ラルフは誤摩化すように掌を蝶のようにひらりひらりとなびかせ、のらりくらりとその場を去って云った。
ミリアルドは彼の掴み所の無い性格が得意ではないが、ラルフの力が《本物》である事は認めている。だが、彼が自分のように大人としてしっかりしているかと云えば、それを断言するのはとても難しい。
「僕だけでもしっかりしないと!」
ミリアルドは決意を堅く決め、ユウキの指導に望む事を誓った。
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