1-3 眼差しの先

 午前中の入学式やオリエンテーションが終わると、午後からは半休となっていた。

 ユウキはレナに見付からない内に学校を出ると、そのままモノレールに乗り《とある場所》に向かっていた。

 そこに向かうのは、ユウキの最近の日課でもある。休日は一日中入り浸るくらいだ。

 モノレールの座席に腰掛け、ユウキは朝の出来事を思い出していた。

―――外人から見たら、俺なんてどうせ小学生だろうな・・

 あの時は初対面の人間に小学生呼ばわりをされて無性に腹が立ったが、本当はそれに対して苛立っているわけではない。ガルシアがレナに軽々しく触れた事にご立腹だったのだ。

 レナにあのような態度を取る事が良い事ではないと、ユウキは重々承知している。

 切っ掛けは確かに噂や嫌がらせだったかもしれない。

 しかし、ユウキはそれで十分に思い知っていた。自分が如何にレナに《相応ししくない》人間であるかという事実を。

―――小学生に間違われる中学生が、レナと一緒にいられるわけない・・

 幼馴染という繋がりが無ければ、ユウキとレナの接点など皆無だろう。レナは陸上部の短距離走のホープで、マジックファイトの有名選手。かたや、何の取り柄も無いチビの中学生だ。余所から見れば、同じ土俵にさえ上がらない。

 そう考えている内に、ユウキはレナの隣にいる事が段々と後ろめたく感じるようになっていった。自然と距離を取るようになり、今まで一緒に居た距離も何時の間にか忘れてしまった。

―――ほんと、男として情けない。こんなんじゃ全然駄目なんだ、俺は・・!

 自虐的に考え事をしている内にモノレールは目的地の駅に到着していた。改札を出ると、ユウキは真っ直ぐに目的地に向かう。

 それは直ぐに目に入った。

 天高く伸びる古代バロック様式を模したビル。それが数多く並びその空間を席巻している。ビルの大きさはまばらであるが、どのビルにも『NIMA』という文字が掲げられている。

『国立魔術研究開発機構』。通称、『NIMA (National Institute of Magic Arts)』は各主要国家に配置されており、著名な魔術研究者も多数在籍している。各研究室ではそれぞれ魔術の発展の為のプロジェクトが進められており、日夜様々な技術が実験・研究されている。

 その中には一般向けに開放されている施設もある。

 ユウキが向かっているのは、その中の一つである図書館だ。図書館といってもただの図書館ではない。

 NIMAが所有している魔導書や歴史書、魔術研究の書籍を多数所蔵している図書館だ。魔術書の中には禁書とされているものも多数あるが、そういった類のものは残念ながら公開されていない。研究者が《絶対に》安全と太鼓判を押したものだけが一般向けに公開されているのだ。貸し出しが禁止されているため、直接図書館に行く以外の方法で所蔵されている書物を読む事は出来ない。

 しかしながら、この図書館は一般向けに開かれるとはいえ、許可証がない者は入場すら認められない。その許可証を取得するには厄介な難関がある。

 許可証の取得には身分証明書の提示と、NIMA主催で実施される魔術試験に合格する必要がある。

 この魔術試験が厄介なのだ。魔術試験は座学と実技があり、両者共合格点を取得しなければ試験合格にならない。学術機関の試験よりも難しいという声もある。

 ユウキはその試験に五度目の挑戦で見事合格した。

 合格したのは、今年の春だ。部活に入らず必死に勉強と魔術の鍛錬に努め、去年の夏休みから休日は一日中部屋に引き蘢り試験対策をしていた。それが漸く実ったのだ。

 しかしながら、中学生で合格するのは別段珍しい事ではない。この試験を合格した最年少は五歳だ。それも一度で満点合格したらしい。その記録は未だに破られていない。

 合格者の名前は『アシュレイ・ディーリング』。ワールドチャンピオンシップジュニア部門で二連覇を果たしている人物だ。

 世の中には自分を遥かに超える天才が山ほどいる。

 この合格に胡座をかく事なく精進をしていかなければならない、と思う反面、どんなに努力してもその天才達には一生敵わないと空しくなる。自分の必死な努力が、彼等にとっては努力にすら値しない。アシュレイを見ていると、そんな諦めを覚える。

 ユウキはお目当ての研究書を手に取ると、いつもの窓際の隅の席に腰掛けた。手に取ったのは、古代魔術の研究書だ。NIMAに所属している現役の研究員が書いたもので、ユウキは同じ人物が書いた他の研究書も好んで読んでいた。

 著者の名は『ラルフ・ウォルター』。

 この研究者は優秀な人物だ、とユウキはいつも感嘆していた。

 内容もさる事ながら、難解な術式や魔導に関して、ユウキ程度が持っている知識でも理解出来る平易な文章で論ぜられているのが何よりも素晴らしいと思った。それに感動している内に、いつしか尊敬している自分がいる。

 魔導書は難解な文章や暗号を使用するのが一般的だ。それを誰にでも分かり易く説明するのは、実際は至難の技なのだ。

 理由は簡単。魔導書は秘匿するものであるからだ。誰にでも理解出来る魔導書は魔導書足り得ない。

 ラルフ・ウォルターはそれを完全に覆し、誰にでも分かり易いように魔導書を解説している。特に、機密性の高い古代魔導書を紐解く事に秀でているらしい。古代魔術は近代魔術よりもより難解な暗号や言語が使用されているため今では研究者のみが探求するものになってしまっている。

 一般的に、近代魔術と古代魔術は異なる部分が多い。

 その中でも最たるものが《魔術行使の方法》だ。近代魔術は自身の魔術回路で魔力を行使するが、古代魔術は魔力回路を身体の外に配する事で魔力を行使する。

 体内の魔力回路を使用する近代魔術では、自身の鍛錬で魔力を高めるのが一般的だ。故に、自身の所有する魔力以上の魔術は行使出来ないし、魔力が切れれば魔術は一切使用出来ない。

 一方、古代魔術は外部から魔力を収束させ行使する為、簡単に自身の実力以上の魔術を行使する事が出来る。自身の魔力を使用するわけではないので、無限に魔術を使用し続ける事も可能だ。しかしながら、外部から魔力を蒐集し操作するのは専門的な技術を要する。少しでも扱いを誤れば、自身にその魔力は跳ね返って来る。多くの魔術師が魔術の暴走で命を落としているのは、余りにも有名な話だ。

 ユウキが愛読しているこの研究書は、まさにその古代魔術の行使に関して詳細に書き記したものだ。ユウキは自分が強くなるには、古代魔術を学ぶしかないと考えていた。少なくとも、マジックファイトの上位ランカーは古代魔術と近代魔術を併用している。彼等と同じ土俵に立つ為にはそれしか道は無い。

―――自分に自信が持てるくらいに強くなれれば、俺は・・


「随分熱心に読んでいるね?」


 ユウキははっとして声の方向に貌を向ける。

「こんにちは、熱心な読書家くん。その本は面白いかい?」

 スーツの上に白衣を纏った男だった。簾髪と銀縁の眼鏡が何となく胡散臭さを演出しているように見える。この界隈で白衣を着ているのは、研究職に就いている者だけだ。このようなところをふらふらとしている研究者は珍しい。

「・・ええ、はい」

 研究者の中には《変わった》人間も多いと聞く。話し掛けてきた男はまさにそれに当たる、と思った。余り関わり合いを持ちたくないユウキはそれ以上は口にせず本に視線を戻す。

 男は顎に手を当て何か思い付いたように笑みを浮かべると、

「・・そうか。なら、その研究書を書いたのが《僕》だって云ったら、君の態度は変わったりするのかな?」

 ユウキは目を見開き思わず口をあんぐりと開けた。

 男はくすりと笑みを零す。

「分かり易いリアクションありがとう。では、改めて聞こう。この本は《面白い》かい?」

「はいっ、とても!」

 ユウキははきはきと返事をする。現金な反応に男はにやりとする。

―――これは聞いていた以上かもしれないな。変わり身というか、切り替えが早いのも《あの人》そっくりだ。

「良い返事だ。君、名前は?」

 ユウキは椅子から立ち上がると、

「ユウキ・シングウジです。天龍寺学園中等部二回生です」

 と、小さく一礼する。

「私はラルフ・ウォルター。ここの技術部主任を務めている。よろしく」

 二人は互いに堅い握手を交わす。

 ラルフは指先で眼鏡の縁を撫でると、

「君は古代魔術に興味があるのかい?」

 と、ユウキに質問する。

「はい」

 ユウキは素直に返事をする。ラルフは顎に手を当てると、

「ほう・・・それは何故かな?何か理由があるのかい?」

 と、如何にも興味津々といった様子で更に質問する。

「それは・・えっと・・・」

 ユウキは躊躇うように口籠る。

 ラルフはすかさずユウキの様子を察すると、

「安心するといい。私達の周囲には既に簡易の結界を張ってある。私達の会話が誰かに聞かれる心配はない」

 ユウキはちらりと背後を窺うと、誰もこちらを気にしている様子はない。確かに目を凝らすと、薄い碧色の結界が周囲を覆っている。NIMAの研究者という肩書きは伊達では無いらしい。

「まだ躊躇っているのであれば、私が君の背中を押そう。もし君が素直に話してくれるというのであれば、私は君の《劣等感》を克服する為の手助けをしようじゃないか」

 ラルフの不敵な笑みに、ユウキは全てを見透かされていると直感した。ラルフの眼には既にユウキが抱えるどうにもならない《靄》が見えているのだ。

―――正直に話してもいいのか?初対面の人間に。でも、この人なら・・

 悩んだところで埒は空かない。どうせ服の上から裸を見られているようなものなのだ。今更恥ずかしがっても仕様が無い。

 ユウキは思い切って口を開いた。

「誰にも負けない強さが欲しい・・から・・です!」

 ラルフはそれに対して小さく頷く。

「ふむ。強さが欲しいか。中々正直な願望だ。なら、こんなところで読書に浸っているのではなく、身体を鍛えるなり、軍に志願するなりすればいい」

 ユウキは唇を噛み締め俯く。

「中学を卒業した後は、世界魔術協会(NMA)の武装部隊に志願するつもりです。でもその為には―――」

「それ相応の力が必要となる。少なくとも、『マジックファイト』の世界ランキング上位の実力が必要となる、かな?」

 ラルフはユウキの言葉の先を読み取った。

「———その通りです」

 ユウキは力無く答える。

「だろうね。魔術協会お抱えの魔術師は生え抜きの実力者ばかりだ」

 『マジックファイト』は世界的に認知されている魔術競技の一種、というだけではない。

 己の肉体と魔法武器(Magic Arms)を以ての決闘スタイルで競い勝負を決する。今ではNMA主催で様々な大会が催され、特に四大大会と称される世界大会は、トーナメント形式の大会として最大規模・最大権威を持ち、多くのファンを持つ。

 大きくアダルト部門とジュニア部門に別れており、基本的に二十歳以上はアダルト部門、ジュニア部門は十二歳から十九歳が出場可能だ。

 マジックファイトには世界ランキングも存在し、年間の公式大会成績に合わせて『階級(クラス)』が決定されている。下から順に、スクワイア、トルーパー、ナイト、シュバリエ、エクセス、グラディエーター、パラディンと格付けされ、パラディンと名乗れるのは世界ランキングの一位の者だけだ。

 世界ランキング上位者となると、名誉だけでなく莫大な賞金や企業からの援助も受けられる。特に、人気選手はマスコミでも大きく取り上げられ、スター並みの扱いを受ける場合も多い。一攫千金を狙いマジックファイトに挑む者も少なくない。

 しかしながら、ランキング上位に上がる事は容易ではない。上位ランカーの実力は、軍の尉官クラスに相当するとされている。

 軍にスカウトされるという事もたびたび見られる。

 近年では、異世界の任務が多くなっている軍にとって、優秀な人材は幾らいても足りないようだ。

 軍と同様に優秀な魔術師を常に求めているのが、世界魔術協会だ。協会の主な仕事は魔術に関する万物の保護と蒐集、そして管理だ。異世界を含める世界には多くの魔術が存在している。世界魔術協会で管理されている世界は五十一あり、これは世界のほんの一部とされている。

 異世界とは、管理世界の外にある世界を指す。協会の統治下にある魔術は厳重に管理され安全性を確保されている。しかし、異世界で管理されていない魔術は、時に世界に悪影響を及ぼす。これを未然に防ぐために日夜活動しているのが、魔術協会の武装部隊だ。彼等は魔術師の中でも特に優秀な者しか入隊を許されない、魔術協会の中でも魔術師の憧れの場なのだ。

「それにしても、どうしてあんな危険な任務の仕事に就きたいんだい?それこそ軍でも十分だと思うけど」

 ユウキは両手の拳を螺子を締めるように握り締める。

「俺の母さんが未だ生きていた時に、NMAの武装部隊にいたんです。母さんは口癖のように云っていました。この仕事は世界の幸せを守るためのものだ、って。だからどんなに辛くても苦しくても頑張っていられる、って。母さんがその話をする時、いつもとても嬉しそうな貌してました。いつの間にか俺の中でも同じ気持ちが湧いてきて・・だから、俺も同じ仕事に就いて母さんの意志を継ごうと思ったんです」

 ラルフはバツが悪そうに頬を掻くと、

「―――そうか。それは悪い事を聞いたね」

 ユウキは小さく首を横に振る。

「いえ。もう七年も前の話ですから。気にしないでください」

 ユウキは消え入りそうな笑貌をラルフに向けた。それは新雪のように無垢で、氷雪のように儚く見えた。

「《それ》が、君が《強さ》を求める理由というわけだ」

「そうです」

「なるほどね」

 ラルフは一言呟くと、椅子の回りを巡回する鷹のように歩き始める。時折、頷くような素振りを見せるながらも、それを何回か繰り返し、その度に椅子を一周、また一周としていく。

―――一体何を考えてるんだろう?

 ユウキがラルフの挙動を訝し気に見ていると、急にぴたりとその動きを止める。貌だけをこちらに向けると、一目散にユウキの正面へと近付いて来る。

「決めた!今、はっきりと決めた!君に私の試作型魔法武器『Aigis(アイギス)』を与えよう」

「はぁっ!?」

 ユウキの驚きと動揺を余所にラルフは一方的に話を続ける。

「私が今実験している『Aigis』は今までの魔法武器とは全く別のアプローチで性能を実験しているものでね、《強くなりたい》という君の願いにぴったりなんだよ。うん、実にピッタリだ!最高のカップルと云っても過言ではない!これはいいデータが取れそうだ!」

「ちょっとあの―――」

 ユウキが熱く語るラルフをそっと止めようとすると、急にラルフはユウキの腕を掴んだ。

「へっ!?」

「善は急げだ!早速私のラボへ行こう!なに安心し給え。君が『Aigis』を完璧に使いこなせるように、《それなりの》戦闘技術官も付けよう!」

 ラルフに云われるがまま、引き摺れるまま、ユウキは研究所へと行く事になってしまった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る