1-2 眼差しの先

 私立天龍寺学園中等部。

 幼等部、小等部、中等部、高等部、大学の学校施設が併設する天龍寺学園の最寄り駅では、毎朝この学園に所属する生徒達で埋め尽くされる。制服の胸ポケットに金糸で刺繍された校章が特徴で、東京都内ではすっかりお馴染みの光景だ。

 天龍寺学園は生徒総数数千人を抱えるマンモス校として知られている。日本国内だけでなく、世界からも生徒を募る《開けた》学校としても有名だ。

 また、世界の優秀な教育機関としてもトップ一〇に名を連ねているほど、優秀な人材を世に送り出している。特に、著名な魔術研究者を多く輩出している事で有名で、毎年募集人数の十倍もの受験生が受験している。就職先も安定しており、研究機関や学術機関だけでなく、世界的な企業とも幾つものパイプラインを持っている。今やこの学園は世界の魔術を更なる高みに導く担い手と称しても過言ではない。

 その人だかりの中で殊更に話題にされているのは、昨日行われた『マジックファイト・ワールドチャンピオン』だった。世界中のテレビ局やネットで生中継され、視聴率は七十%をゆうに越えているモンスター番組だ。

 マジックファイトは、今やどんなスポーツ競技よりもポピュラーな存在となっている。世界クラスの大会となれば、巨額の富が動き、一大興行として莫大な収益を生み出す打ち出の小槌となっている。マジックファイトに多大な投資を行っている企業も昨今は少なくない。

「なあ昨日のアシュレイとアイリーンの試合観たか?」

「観た観た!マジ凄かったよな!」

 携帯端末で録画しておいたのだろう、昨日行われた試合を楽しそうに観ながら、小等部の男子生徒二人が歩いている。

 そのやや右斜め後ろを眉をへの字に曲げ、ユウキはひっそりと歩いていた。

 小等部の生徒は高学年なのだろう。身長は一五〇センチを少し越える程度だ。

 ユウキはその横を少しだけ早歩きで通り過ぎようとしていた。歩調を早め、さり気なく男子生徒二人を追い越した直後、背後から何の遠慮もない失礼な声が聞こえて来る。

「あっ!アイツだろ。ウチの中等部で有名な《ちびっ子中学生》!」

「ばっか!聞こえるっての」

 ユウキの耳には《しっかりと》聞こえていた。耳にタコが出来るほど聞かされている《悪口》だ。校内でも既に百万回は聞かされている。

―――もう慣れっこだっての・・

 ユウキは心の中で不機嫌そうに悪態を付きながら歩調を緩めず中等部の校門へと急ぐ。

 幼等部は勿論、小等部、中等部、高等部は制服のデザインも異なれば、鞄のデザインも異なる。中等部や高等部の生徒となると見た目でどちらか判断出来ない場合もあるが、制服や鞄のデザインを見れば一目瞭然だ。

 しかし、小等部と中等部の生徒が比較される事は少ない。中学生ともなると男女共に身体が著しく発達する時期だ。男はより男性らしく、女はより女性らしく身体が発達する。所謂、第二次成長期と呼ばれる期間だ。

 ユウキはその恩恵に未だ預かれていない数少ない生徒だった。

 身長は一五五センチしかなく、一年間で一センチしか伸びていない。肌が白く童顔である事も加味され、中等部の格好をしていなければ、小等部の生徒と間違われる事も少なくない。映画を観に行く際は必ず無人の券売機を使用する事を心掛けている。そうしなければ、必ず小学生と間違われるからだ。中学生が小学生と間違われる事がどれほど屈辱的な恥ずかしめであるか、世の人間は理解していない。

 天龍寺学園の幼等部から高等部までは一箇所に校舎が集中している。大学だけは此処から二駅離れた場所に施設が建てられている。大学ではより専門的な学問を学ぶ為の施設が多く配されており、学術機関としての毛色が強いからだ。

 駅から伸びている学園通りを真っ直ぐに進むと、幼等部、小等部と順々に校門が見えてくる。その先に中等部の校門があり、その斜向いに高等部がある。小等部の校門を過ぎれば、その通りを歩いているのは中等部の生徒のみとなる。高等部は最初から向かいの通りを歩いているため一緒に歩く事は余りない。

 ユウキは早歩きのペースを少しずつ落とし、漸く安堵の溜め息を付いた。中等部の生徒に紛れれば、少なくとも小等部の生徒に莫迦にされる事はない。

 天龍寺学園の生徒は基本的にエスカレーター式で学年が上がっていく。中等部ともなれば、ほとんどが見慣れた生徒だ。ユウキの《小ささ》は既知のものとなっている。今更、ユウキの悪口を云う人間も少ない。入学時から数えれば常に朝礼で一番前に立たされるのももう慣れっこだ。

 今年で中等部二回生となってもそれは変わらず、これから行われる始業式でも一番前に立つ事になると、ユウキは覚悟していた。ユウキより小さい男子同級生はいないからだ。どのクラスの所属になろうが、それは不変だ。

 校門を入ると、桜並木のアーチが生徒達を出迎える。東京では珍しい枝垂桜の桜並木だ。今年は開花の時期と始業式の時期があったようで、目の前が桜色に満たされるほど満開だ。

 そこを抜けると、生徒専用の校舎入り口がある。そのすぐ横には大きな白地の掲示板が仮設されていた。始業式名物のクラス分け発表だ。既に多くの生徒がそこに群がり一喜一憂している。嬉しそうに手を取り合う女生徒や、あからさまに嫌そうな貌をしている男子生徒もいる。

 小等部から高等部一回生までは各クラス三十人程度、計六クラスが作られる。年によってまちまちであるが、転校生や留学生が転入してくる事はよくあるので、多少人数は増減する。高等部の二回生に学年が上がる際には魔術の専門分野が別れる為、クラスは更に細分化されていく。

 ユウキは周囲を見渡し仲の良い友人を探す。しかし、見える範囲には見当たらない。

―――名前探してもらおうと思ったのに・・

 渋々と人混みから二、三歩距離を取りユウキは目を細める。近くに行った所で落ち着いて自分の名前を探せるわけはない。人混みはチビにとっては嵐の荒波のように無情なのだ。

「えっと俺のクラス、俺のクラスっと―――」

 ユウキが一生懸命自分の名前を探していると、

「おっはよーユウちゃん!」

 急に背後から大きな声を掛けられ、

「おわぁ!?」

 ユウキは思わず素っ頓狂な声を上げる。尻餅を付きそうになりながらも何とか堪え、ユウキは背後を振り返った。其処に立っていたのは、幼馴染のレナだ。

「・・・何だ、レナか」

「あからさまに嫌そうな貌するのやめてくれないかなぁ。結構傷付くんだけど」

 今にも黴が生えてきそうなユウキの視線に、レナは少しだけむくれたように反論する。

「学校で俺に話し掛けるなんて云ったろ」

「そんな約束した記憶ないし」

「じゃあ、今ここで約束しろ」

「年上に乱暴な口を聞く子の云う事なんか聞けませんよーだ」

 一瞬互いに睨み合い、ユウキの方から視線を外し口を噤む。そのまま黙り込んで、ユウキは黙々と自分の名前を探し始める。レナはそれを横目で見ながら、

「そんなに気にする事ないのに・・・」

 ぼそりと呟き、ユウキと同様に自分の名前を探し始める。

 レナ・ヴェルスキー。ユウキより一つ年上の中等部三回生。日本人と欧州人のクォーターだ。腰まである髪は薄紅色で、祖母譲りの自慢らしい。陸上部のエースで、去年は短距離走の選手として全国大会まで進んでいる。

 マジックファイトの選手としても日本内ではそこそこ有名で、ジュニア部門の大会でも上位の成績を修めている。中学に上がってからは益々身長がすらりと伸び、その大人びた容姿にファンも少なからずいるらしい。

 ユウキとは家が隣で年が一つ違いという事もあって、兄弟のように育てられてきた。お互いの好きなもの・嫌いなもの、得意な事・苦手な事、人には云えない恥ずかしい思い出も知っている仲だ。

「あー、俺一組か」

 ユウキは態とらしく呟くと、そそくさと校舎入り口へと向かってしまった。

「ちょっと待ってよ、ユウちゃん!」

 レナは自分のクラスを急いで探し当てると、ユウキを追い直ぐさま横に並んだ。ユウキはレナを無視し黙々と歩き続ける。下駄箱で一度別れたが、レナはユウキの横に再び並ぶ。

 中等部の校舎は四階建てで構成されており、一階は職員室や保健室などの特別教室が並ぶ。生徒の教室は二階からで、学年が上がると階層も上がるようになっている。階段を上がりながら、レナはユウキの態度を気にする事なく話し掛ける。

「今日は始業式だけでしょ?私今日部活ないから帰りに買い物付き合ってよ」

 ユウキは視線を会わせる事無く、

「陸上部の連中と行けばいいだろ」

 と素っ気ない態度を取る。

「最近全然一緒に買い物行ってないし。ユウちゃんと行きたいんだよ」

「俺は行きたくない」

 ユウキのつんとした態度が変わる様子はない。

 レナはユウキが何故このような態度を取っているか知っている。

 それは周囲からのある《噂》が始まりだった。

 ユウキとレナが幼馴染である事は、ユウキの学年内でもレナの学年内でも周知の事実として知れ渡っている。幼等部から一緒の生徒が殆どなのだ。一つや二つ歳が離れていても顔見知りは多い。小等部低学年くらいまでは校内で二人が並んで歩いていようが、話していようが、遊んでいようが、誰も何も云う事はなかった。それをからかう生徒も少なからずいたが、気に留める程でもなかった。

 しかし、小等部高学年になってから、その関係は変化し始めた。身体の変化と共に、その変化は少しずつ、しかし着実に二人の関係を今までのものとは異なるものにしていった。

 決定的に変化したのは中等部になってからだ。

 レナは中等部に上がると、男子生徒から交際を求められる事が多くなった。それは中等部の先輩や同級生だけでなく、高等部の先輩からも告白を受ける程の人気振りだったのだ。小等部から伸び始めた背は中学になると一六〇を越え、それに伴いスタイルもより女性らしくなっていった。同級生の女子が羨む程の容姿端麗振りだ。男子生徒がそれを放っておくわけは無い。

 だが、レナはそういった人達の告白を断り続けた。

 それが、ある《噂》を生み出したのだ。

 レナがユウキを好きなのではないか、という噂だ。

 確かに、レナはユウキの事が子供の頃から大好きだった。それが恋愛感情である事も早くに気が付いていた。

 しかし、レナはその気持ちをユウキに明かす事はなかった。ユウキに自分を拒否されるのが怖かったからだ。もしも告白を断られれば、《幼馴染》という関係は一気に崩れる。レナはそれが何よりも怖かった。だからこそ、誰にも明かさず心にこの気持ちを秘め続けてきた。幼馴染という関係性が心地良かった事が、かえってレナの心の鍵を頑にした。

 レナが告白を断り続けていると、やがて《自然と》ユウキへと矛先が向くようになっていた。

 レナを好いている男子生徒からすれば、ユウキは有り体に云って邪魔な存在だった。

 中学一年生の秋になると、ユウキはある一定の層から執拗な嫌がらせを受けるようになった。嫌がらせとは目に見えるものではなかった。かといって、魔術を使用するような悪質なものもでもなかった。それが余計に陰湿さを際立たせた。

 ユウキが受けた嫌がらせは、ユウキの容姿に対するものだった。

 ユウキは小等部の高学年から自分の背が低い事を気にするようになっていた。回りが大きく成り始めている中で自分だけが小さいままなのは、ユウキの心を焦らせていた。

 それを事ある毎に陰口として云われるようになったのだ。それも、レナを絡めての話が殆どだった。

 『チビがレナちゃんと並んで歩くな』、『お前といるとレナちゃんが恥をかく』など、謂れのない言葉ばかりをユウキは毎日のように浴びるようになった。

 ユウキも最初は気にしていなかった。その素振りも見せなかった。

 仲の良い友人達が二人の事を庇ってくれていたからだ。

 しかし、その年の秋以降、ユウキは誰の目からも見てもレナを避けるようになっていった。最初は平日だけだったが、休日さえもレナと貌を合わせる事をしなくなった。レナの母親は、『ユウキ君もお年頃だからそっとしておきなさい』とレナを嗜めたが、レナ自身は納得がいかなかった。毎年クリスマスもお正月も一緒に過ごしていたのに、それさえも出来なくなっていたのだ。

 しかし、ユウキがレナを避ける事で、ユウキへの嫌がらせも沈静化していった。嫌がらせの中心層だった上級生も今や高等部に上がってしまっている。

 関係性を戻すには新学期しかない、とレナは心に決めていた。嫌がらせがなくなれば、きっとユウキとは元の関係に戻れると信じていた。

 しかし、ユウキの態度は一切変わらず、つんとした態度のままだ。

―――もう一押しして強引に遊びに誘っちゃえばきっと!

「まあまあ、そんな事云わずにわ―――」

「あのー、レナ・ヴェルスキーさんですよね!」

 元気溌剌とした声がレナの声を簡単に掻き消す。

 ユウキとレナは階段を登る足を止めた。三階に上がる手前の階段の踊り場には見慣れない男子生徒が立っていた。リボンタイの色は水色。三回生である証だ。短めの金髪と蒼い瞳。一目で外部からの転入生だと分かった。

「えっと、そうですけど・・・」

「やっぱりだ!」

 男子生徒は目を輝かせながら階段を降りて来ると、レナの手を両手で握り締めた。

「えっ!?ちょっと!?」

 レナの動揺を他所に、男子生徒はレナとの距離を更に詰めると、

「三月に行われたジャパンガールズマッチ観ましたよ!あの時から貴女の大ファンなんですっ!」

 手を握ったまま男子生徒は鼻息を荒くしレナに迫る。

「ははは・・ありがとうございます。とりあえず手、離してもらえますか?」

 男子生徒はレナのやんわりとした注意に一瞬思考停止すると、

「これはこれは失礼しました!ついつい本物と会えて興奮しちゃって」

 掴んでいた手を素直に放した。男は名残惜しそうに胸元で手をもじもじさせている。

「それじゃ私はこれで。行こう、ユウちゃん」

 レナはその場を去ろうとした。

「少々お待ちを」

 男子生徒はスケートで滑るかのようにレナの前に立ちはだかる。レナは笑顔を保ちながらも、苛立ちからか少しだけ口元が引き攣っている。

「ご紹介が遅れました。私は本日からこの学園の生徒として転入してきましたガルシア・オスロと申します。レナさんと同じ三回生で、クラスメイトでもあります。どうぞ宜しく」

 ガルシアは白い歯を輝かせレナに握手を求めた。

「・・レナ・ヴェルスキーです。よろしく」

 レナは渋々とその握手に応じる。ガルシアは握手をしたかと思うと、慣れた様子でレナの横にポジションを取り肩を抱く。

「ちょっと何なんですか!?」

 温厚なレナもこれには流石に怒りを露わにした。周囲でその様子を見ていた生徒達もガルシアの態度に驚愕している。しかし、ガルシアはそんな視線など気に留めずに、

「僭越ながら、教室までこの私がエスコートさせていただきます。さあさあ参りましょう」

 レナの反論をすっかり無視し、ガルシアは強引にレナを連れて行こうとする。

「おい待てよ」

 突然、ガルシアの手は強引に振り解かれた。ガルシアは驚いたようにその声の主を見る。其処にはユウキが苛立ったように立っている。

「レナが嫌がってるだろがっ!」

 レナとガルシアの間に入るようにユウキは声を荒げた。

―――ユウちゃん!

 レナはユウキの今の姿を昔の思い出に重ねていた。いつも泣き虫なユウキがレナを守る為に駆け付けてくれた少し昔を。

 ガルシアはユウキの姿を頭の天辺から爪先まで見渡すと、

「どうして、小学生がこんな所にいるんだい?」

 と、キョトンした様子で首を傾げる。悪気が無い様子が更にユウキの怒りの炎を焚き付ける。

「てめぇ・・・」

 ユウキの沸点は直ぐに臨界点を迎えた。レナから見れば、ユウキは後一押しすれば大噴火をする。頭から上がる煙がその証拠だ。

―――不味い!ただでさえ私の為に怒ってるのに、これ以上は本当に・・

「おい、そこで何してる!?」

 まさに助け舟だった。教師が偶然にも通りかかってくれたのだ。教師がユウキ達に近付いて来ると、

「お前達何をしていた?」

 ガルシアは状況を理解出来ていない。

 ユウキは怒り心頭。

 身から出た錆とはいえ、ここはレナが上手く云い訳をするしかなかった。

「何でもありませんよ、先生。転入生のガルシア君が自己紹介をしてくれていただけです」

「こんなところでか?」

 教師の云い分も御尤も話だ。此処は多くの生徒が行き来する階段の踊り場だ。初対面の自己紹介をする場所としては些か場違いだろう。

「私も突然だったので・・ねえ、ガルシア君。貴方はここで自己紹介をしてくれたんだよね?」

 ガルシアはいまいち状況を理解出来ていないようであるが、

「そうです。私はレナさんに自己紹介をしました」

 と、事実をありのままに語った。教師は困ったように溜め息を付くと、

「・・まあいい。さっさと教室へ行きなさい。始業式に上級生が遅れたとなっては下級生に示しがつかないからな。お前達は三年だろう」

「勿論です」

 レナは内心で胸を撫で下ろした。天龍寺学園は生徒の自主性を奨励する代わりに、規則に反する者には容赦をせず罰を下す。場合によっては、退学をさせられる事もあると云う。

「では行きましょう、レナさん」

「分かってるから」

 レナは教師がいる手前教室に急ぐしかなかった。その場でユウキに『ありがとう』を云えられず、後ろ髪を引かれる気持ちで一杯だった。

 ユウキはふんと鼻を鳴らしその場を黙って後にした。

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