目覚めのキスをあなたに。
「本当に、困った子ねぇ……でも、あんたが一番功労賞だわ」
拳を握り締め廊下に膝を付いて俯いていた黒崎の頭が無造作に撫ぜられた。耳朶に響く声はよく知るもので、それだけに反応は遅れた。がばりと顔を上げ、金魚のように口をパクつかせる目の前、面白そうな笑みを浮かべた彼女がいた。ずいっと差し出される古いアルバム。
「ついでにね、アレの名前、適当に書いといてくれる? ……雄也?」
「あ、ああ……」
「じゃ、よろしく」
ひらっと手を振ってまた目の前で姿が消えた。願望が見せた幻かと思うも受け取ったアルバムは腕の中にある。わけわかんねぇ……と舌打ちして取り出す油性ペン。そのまま黒崎はフリーズした。アレって七不思議のことの気がするが……名前を作れと? アレはそもそも男なのか女なのか。罅の入った鏡に目をやり、頭を掻き毟る。
「わっかんねぇ……!!」
悪態をつく黒崎の視界が歪む。ヘンな女、ヘンな大人。あんなのふたりもいて堪るか。間違いなく“そらちゃん”でしかありえない。無事だった。実感が唐突に沸いてあとからあとから涙が溢れる。勿論素直にそれを認めるなんてしない。難題を押し付けられてムカつき過ぎて泣いているんだ。そう誰もいないのに言い訳を口にして黒崎はアルバムを開いた。
* * *
「北野先生が倒れた! 誰か! 水無月先生ー!」
生徒達がバタバタと走っていくのを見送ってカナタはゆっくりと倒れ伏している北野の傍らに膝を付いた。よいしょっと仰向けにして少し苦しげに寄せられた眉間の皺を指先で伸ばしながら、悩ましげにその面を見つめた。
自分の為に七不思議になった人。思いを寄せ続けてくれた……文月そらが恋心を抱く人。この人はもう七不思議じゃない。霊感は強くなっているかもしれないけれど普通に生きることができる。1度くらい伝えても良いだろうか。自分の想いを。少し冷えた頬に掌を置いて祈りを捧げるように身を屈め……唇を重ねた。
タイミングよく、北野の瞼が痙攣して眩しげに細めた目が彷徨い、近い距離にある存在を認めじわじわと目を見開く。僅かに染まる頬を自覚しながらカナタはわずかに口角をあげた。
「あなたが、好きです」
返事を聞く前にカナタは素早く立ち上がり北野に背を向けた。生徒達が戻ってきたから。水無月を連れた生徒達が揃ってぽかんとした顔で動きを止めた。勢い余ってぶつかって文句を言おうとした生徒もまた呆然と。連鎖していく埴輪顔と沈黙。決まり悪げにカナタは目を逸らす。
「カナタ?」
「あー……そうね。一応」
「無事?」
「……一応」
「皆! このことを伝達!」
「はい!」
珍しくきりっとした顔で号令をした水無月に押されるように生徒は慌ただしく走っていった。あちらこちらで歓声交じりのざわめきが増えていく。それを複雑そうな顔で聴いているカナタの前に水無月はつかつかと歩み寄り、涙目で睨んだ。
「心配、したんだから! いっぱい、いっぱい生徒も泣いたのよ!」
「……うん」
「私、2度も友達を無くすの嫌よ……?」
「人間じゃなくても?」
「当たり前のこと言わないで」
「ごめん。……雪子」
「何!?」
「…………ありがと」
ボロボロ泣きながら逃がさないようにと手を握り締めてきた水無月の手を握り返す。ちゃんとぬくもりを感じることに仄かな感動を覚えた。背後で北野が起き上がる気配がして、すっかり存在を忘れていた水無月が慌てて謝罪する。
「ちょっと2人にしてもらえますか」
謝罪などどうでもいいと言いたげな要望に水無月は顔を強張らせて後ずさる。握った手を離すのを躊躇する様子にカナタはため息交じりに微笑んだ。
「あとで、体育館に行くから」
「……絶対よ?」
「ん」
気にしながらも離れる水無月を見送って、その姿が消えた瞬間、後ろから伸ばされた手が顎に添えられ上向かされる。名を呼ぶ暇もなく呼吸ごと唇を塞がれた。長い長い口づけ。よろける体はもう一方の腕でしっかりと支えられていた。漸く唇が離れカナタは自分の口を片手で覆って荒い息をつきながら俯く。自分の顔が真っ赤であろうことは熱さでわかる。心臓の音がうるさい。
「……こちらを見て頂けますか。じゃないと、もう一度……」
「っ腕! 腕を離してくれなければ動けません……!」
ああそうだったと緩慢に腕の力が緩み、カナタは俯いたまま向かい合う。北野の冷静な声音が自分だけが動揺しているようで居た堪れない。こほん、と小さな咳払いにそろりと目線をあげ、ぽかんとした。北野の顔も負けず劣らず真っ赤だった。
「北野、先生……?」
「何か?」
「えぇ、真っ赤です」
「カナタさんのせいです」
「……ふ、ふふっ、言動と顔色が合っていませんよ」
「貴女といると逆転ばかりです」
「?」
「階段から落とされた時に助けてもらって、今も眠り姫の如く……」
「はしたないですか?」
「いいえ。…………僕からも言わせてください。13年前から貴女が好きです。傍に居させてください」
「問題が多くても?」
「山は高いほど登りがいがあると言います」
「……それ、ここで使う言葉?」
「どうでしょう」
北野はどこまでも大真面目だ。カナタは降参というように両手をあげて肩を竦めて微笑った。そして静かに身を寄せた。
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