もうひとりのかつての生徒

 騒がしさに目を覚ました北野は横になったまま様子を伺っていた。視界に広がる青空。彼女が行方不明と聞いたあの日も空は青く晴れ渡っていて伝えたかった言葉を空に横取りされたような気持ちで見上げていたことを思い出す。どうしてあの時も、今も彼女は自分の前から消えてしまうのだろう。あんなに強く、自らを省みずに独りで全てを抱え込んで。


 「上條カナタ、文月そら……どちらも僕の声を聞いてくれないのか……?」


 苦く呟いた北野は自らの右手で目を覆った。あの日も今も迷ってばかりだ。女の子に庇われて呆然としてすぐに追いかけるに至らなかった。お礼を言おうと思った時には見つけられなくて、明日にしようと一晩考えた。登校して行方不明を知った僕は届ける先を失って、悔やんだ。怪異に身を投じてまで存在を消したいほど嫌な思いをしていたのに庇ってくれた彼女に何も返せないなんて。

 噂の大鏡の前に靴が揃えてあったと聞いて通った。彼女に何があったのか知りたい。彼女が鏡の中にいるなら返してほしい。そして……声がしたんだ。


 『弱虫はいらないよ』


 鏡面の境が消えた。ずぶりと両腕と頭が鏡の中に入って僕は悲鳴をあげた。叫びながら2つの映像を見た。あの日僕を階段から突き落とした三島が仲間と一緒に笑って話している姿。

 「邪魔者に俺のおもちゃになるか、神隠しに遭っちゃえって言ったら消えやがったよ。こんな騒ぎになって大迷惑。どこまでも迷惑なやつだよなー!」


 鏡の廊下で歌って、鏡の中に吸い込まれて行った彼女。必死で手を伸ばした。行かないでと。そんな哀しい歌を歌って自ら鏡に呑まれたのかと思ったら胸が張り裂けそうだった。ましてや、それが自分のせいなら。


 「おい! 大丈夫か!?」


 悲鳴を聞きつけた教師が鏡から僕を引きずり出して事なきを得た。だけど……大人がそれを目撃したことでカナタの行方不明は怪異と確定されてしまった。ショックで寝込んだ僕が1週間休んでいる間に七不思議は禁忌とされて、彼女のことまでも……。どうしようと思っている内に父の急な転勤に付き合う形での転校が決まってしまった。度重なる後悔に打ちのめされながら最後の登校日に鏡の前で誓った。また、この学校に戻ると。手がかりはここだけにしかなかったから。


 『その時気が向いたら力をあげるよ』


 空耳だと思っていた。

 10年後、誓いを果たして驚いた。誰よりも憎んだ相手が教師となっていた。かつてのクラスメイトと……彼女がいた。今度こそ守ろうと心に決めた。表立って守れなくても……絶対に。特に女好きの三島には手を出させないように。なのに……七不思議が再来してしまった。宿った力は闇。彼女を隠す者でありたい。それが叶わなくなった今、自分は何をするべきだろう……?


 「北野先生」


 強張った声音に目を覆っていた手を外すと水無月がすぐ隣に鎮座していた。何かを言いたげな様子だったので無言で促せば逡巡して、覚悟を決めたように拳を握りしめた。


 「先生も、いましたよね。卒業生じゃないけど、同じクラス、でしたよね……!?」

 「…………何故?」

 「カナタは、しのちゃんって言いました。あれは、私への手がかりだって思った。あの時、三島君に標的にされていたのはもう一人いた。半端なタイミングで来た転校生。綺麗な顔で、髪が少し長かったことから……」

 「女のようだと、しのちゃんと囃し立てることから始まった」

 「!」

 「そう、僕もかつての生徒だ。そして……七不思議でもある」


 絶句する水無月を一瞥して北野は身を起こした。数人の生徒が会話を聞いて周囲に広げていく。ひとりの生徒が目の前に立った。結井さつき。七不思議を受け継ぐ者だと把握している。見返せば真剣な面持ちで口を開いた。


 「力を、貸してください……! 封じて終わりなんてやり方をしたくないんです。さっき、水無月先生が言ったように……ハッピーエンドにしたいんです!!」


 北野は瞠目した。生徒達は諦めていない。何ひとつ具体的な案がなくても、恐ろしいと思いながらも全力で足掻いている。大人として、教師として今の自分ができることがあるはずだ。彼女も事態が悪化しないように、少しでも素になる怪異が減るように消失の力を籠めて歌を歌っていたことを知っている。七不思議のひとりでありながら彼女もまた教師として生徒を守りたいと願っていた。ならば――


 「七不思議側の情報は提供しよう。おそらくあまり時間はない」

 「どういうことですか?」

 「七不思議には4つの段階がある。同調、確定、発動……変化だ。文月先生は13年前に確定していた。そして、誰もが怪異と認める力を公衆の面前で使ってしまったことにより……完全に人間の枠から外れる段階に入ってしまったはずだ」

 「北野先生は……?」

 「発動。あと一歩で僕も変化の段階に進むだろう」

 「……北野先生の、願いはなんですか?」

 「願い?」

 「同調に至る思いがあったはずです。怪異に手を伸ばすほどの強い気持ちが」


 北野は黙考した。彼女を守りたくて、隠したくて闇の力を宿した。それは今だ。だったら、最初は……? 恐ろしい噂のある大鏡に通った理由は何だった? 手がかりが欲しかったから。たった1度の接触でそうまでしたのは――


 「伝えたかった」

 「え?」

 「僕は彼女に助けられた」

 「お礼を、言いたかったってことですか?」

 「それもある。僕は……あの瞬間に一目惚れしたんだ」


 階段から突き落とされた僕を全身でぶつかるようにして止めてくれた。そして、三島を睨みつけた真っ直ぐな怒りの瞳。苛める相手に歯向かうのは怖かったはずだ。なのに「死んだらどうするの!」と叫んだ。

 きっと、相手が誰であっても彼女は飛び出していただろう。たまたま自分だったというだけで。女の子に助けられて悔しかったこともある。次は僕が守って、対等になったら好きだと言いたかった。とはいえ、大人になった今でも対等になるのはなんだか難しそうだ。


 「13年越しの告白はありだろうか?」


 真顔で問い掛ければ動揺しながらも頷く顔、多数。ああ、ならばもう迷うのは止めよう。北野は晴れ晴れと笑った。

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