牙を剥いた七不思議

 三島はホームルームもすっぽかして人気のない廊下を歩いていた。学校祭準備のざわめきの合間、自分を呼ぶ放送がかかっている。……行くものか。放送の声は学年主任から教頭に変わった。自己弁護の材料が手に入るまで行く気はない。むざむざ処分されてたまるか。


 「変わらないね」

 「誰だ!?」

 「さぁ……?」


 不意に静かに冷たい声が耳を打つ。女の声だ。人をくったような響きが気に障る。


 「ふざけんな、いたずらも」

 「いたずら? いたずらでこんなことできるかしら」


 荒げた声を遮るように密やかな笑い声が滑り込む。声の方を振り向いて一発殴ってやろうかと踏み出して異変に気付く。音がない。たくさんの生徒が活動しているはずの学校内。さっきまで聞こえていたはずのざわめきが消えている。まるで、時が止まっているようだ。

 異変に気付いた三島を大鏡を背にした女が見ている。――おかしい。確かにいるのに顔を見てやろうとすれば認識ができず、目を逸らそうとすれば、はっきりと此方を見ているのを感じる。心のどこかが警鐘を鳴らしていた。じっとり汗が浮かぶほどに緊張してパニックを起こしそうでいるのに、冷静な思考の欠片が更なる恐怖を認識させる。そう、ここは……神隠しの大鏡、の廊下だ。この女は、誰だ? こいつは……


 「私はゴースト。いるけどいない。貴方に消されたかつての生徒」

 「!」


 心臓を氷で鷲掴みされたような衝撃に後ずさろうとしても足は1歩も動かない。女の声は穏やかに、苛烈に、三島を拒絶している。


 「よりによって教師になるなんて。ああ、でもある意味納得。目立ちたがり屋で、自分が一番で、「先生」って呼ばれるの好きそうだもの。こんな都合の悪いことは全部他人のせいって人間がなるものじゃないのにね。貴方、なんにも変ってない。……貴方こそ消えればいい。お前なんていてもいなくても変わらねぇよ、神隠しに遭っちゃえよ。オレの平和のために。それが嫌なら……なんだっけ?」


 体が震える。かつて自分が口にした言葉。問い掛けられた先も。その時に何をしたのかも。思い出した。女の声もそれを忘れていないと言っている。


 「……っ誰だ、お前……っ」


 答えを知っている。でも、僅かな否定の可能性に縋るように三島は問い掛けていた。応じるように不自然な影から踏み出した女の顔には確かに面影がある。彼女の唇が動いた。聞きたくなかった答え。音のない空間にほとばしる絶叫。

 そんなわけがない。こんな近くにいて気付かなかったなんて。名前も違う。訳が分からない。女は微笑う。


 「わかるはずないじゃない。七不思議が封印されたことも覚えていなかった暴君の三島君。私は忘れたことなかったよ。君の言葉も暴力も……あの日の、ことも」


 この女を黙らせなければ。血走った眼で跳びかかる。恐怖に歪んだ顔に逆転を確信した瞬間、視界が真っ暗闇に閉ざされた。微かに触れた感触も掻き消え、勢いに任せに床に叩きつけられて悪態をつく。身を起こした視界には何もない。何も見えない。聴こえない。三島は叫んだ。今なら学年主任でもいい。助けてもらえるなら誰でも。パニックの声が虚しくどれくらい響いただろう。鏡に人影が差した。暗闇にも拘らず認識できる異常さに気付かずに三島は駆け寄って叫んだ。


 「誰でもいい! 助けてくれ!! オ、オレは生徒の為に帰らなきゃいけないんだ!」


 泣き声が微かにした。それを宥めるような低い声が

 「大丈夫だ、あれは生徒もいらない」

 低い声にも聞き覚えがある。異常な状況に研ぎ澄まされた感覚は最早三島を追い詰めるものでしかない。


 『え~、ボクもいらないよ。仲間をくれたことには感謝するけど』

 「あ……あああ……ぁあっっ」


 人影が発した形容しがたい声に悲鳴をあげて後ずさる。人影はにある。正真正銘、あれが人であってはならない。


 『君に否定されるのは不愉快だなぁ』

 『君みたいのがいたら不幸じゃん』

 『三島 卓はいじめっ子』

 『生贄の羊が階段から落とされた』

 『庇った羊は反逆罪』

 『もっとひどく苛めた暴君三島』

 『最後のあの日に何をした』

 『思春期真っ只中興味津々のお年頃』

 『継続か神隠しかを迫られて』

 『少女は歌を捧げて身を投じ』

 『消えたとさ、消えたとさ』

 

 声は周囲を取り囲むように一斉に。三島は理解する。これが元凶だと。気配が迫る。鏡に背を向けたら襲われそうで恐怖に涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにしながら、来るなと拒絶の言葉を繰り返していた背がドンッと何かにぶつかった。

 意識が逸れたその一瞬に気配は目の前に立っていてニィと唇を釣り上げた。少年にも少女にも見える安定しない姿の七不思議。見上げられているのにこの威圧感は何事か。


 『やっと黙った。本当に耳障りな声の人間だなぁ、ボク、大キライ。だからさぁ……死んじゃえば?』


 ぐらりと支えが消えてバランスを崩した体は仰向けに倒れる。眩しい! 急に明るくなった視界に目が眩む。太陽? 青空……外だ。何かが砕ける高い音を探る暇もなくバンッと大きな衝撃。身を貫いた硝子片。視界が赤く、暗くなっていく。虚ろに見上げた窓枠ごと窓硝子が消えた廊下の闇で確かに誰かが笑っていた。

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