2人の月のお茶会

 三島の姿が視界から消え、文月はその面を氷のような無表情に変えた。まるで獲物がどこに隠れたかを探っているようだ。涼音の身じろぎに我に返った文月は未だ感情が麻痺しているような様子に眉をひそめる。

 偶然にも遅れて出勤した文月は争う2人の会話を立ち聞きした形となったが、お蔭でだいたいの状況は掴めた。放送の怪異が起き、どういうことかわからないが三島が窮地に立って荒れ、よりによって生徒に矛先を向けたということだろう。それにしては秋月の様子はおかしい。常の姿を知っているだけにそれは際立っていた。


 「七不思議、なんかじゃ、ない……」


 ぽろりと虚ろな瞳から涙が零れた。堰を切ったようにあとからあとから流れ出す涙に文月は何かを悟ったように瞠目する。静かに涼音の手を取って図書室へと導く。札を閉館のまま、事務スペースの椅子に座らせると黙々と入口から見える範囲に本を積み上げはじめた。ちょっと覗いたくらいじゃ誰かがいるとわからないように。

 すっかり外からの視界を遮ると、紙コップに紅茶を淹れて「北野先生ほどうまく淹れれないけれど」と断り、涼音と自分の前に置くと疲れたように机に突っ伏した。涼音はそこで漸く文月が髪を下ろしていることに気付く。作業で乱れた髪のせいか気だるそうに見えた。


 「先生、大丈夫、ですか?」

 「……ん」

 「まだ、具合悪いんですか?」

 「んー……寧ろ大丈夫かと聞きたいのは私の方なんだけど?」


 自身の腕を枕のようにして涼音を仰ぎ見るようにしながら浮かべる苦笑にも力がないように見える。けれどその眼は気遣わしげな色をしていて応えを待っていた。互いに絶不調なのに互いに気遣っているふたり。


 「秋月さんは、信念を持っているよね。自分の意志もはっきりしている。嫌なものは嫌だし、動こうと思ったら動く。……でも、その分弱ったら他人を頼るのが苦手」

 「い、いきなりなんですか」

 「…………似てんのよ、秋月さんと私は。弱ってるでしょ、今」

 「! …………文月先生も、弱ってます」

 「そうよ、だから取り繕う力なんてないの」


 まるで駄々っ子のような口調で顔に落ちてきた髪をかきあげて微笑う様子は少しだけ楽しそうだ。自棄になったら案外楽しかったというように。困った人だなと思いながらも弱みをさらけ出す大人の姿に安堵した。


 「あのねー、簡単に七不思議なんてならないわよ?」


 さらっと言われぱくぱくと口を動かして横顔を凝視する。なんでひとっとびにそういう話になる? 文月がビシッと涼音の顔を指差した。


 「選ぶのは自分なのよ。選ばない限り何事も起こらない。そう簡単に七不思議になるなら世の中行方不明者だらけで、もっと大々的に危険視されてるわ。しっかりしなさい、秋月涼音!」


 なんで断言できるのかとか、まるで相対しているのが同調者と把握しているのは何でだとか、謎はいっぱいあったけど背筋は伸びた。文月はぐいっと紅茶を一気飲みすると、タンッと机に置いた。


 「情報集めに関しては図書館司書、なめんなよ。……ふぅ」


 ぎろりと目を光らせ、誰に言うでもなく呟いたと思ったら、またバタリと机に突っ伏した。やっぱり顔色が悪い。文月こそ早退した方がいいのではないか。誰か呼んだ方がいいかな……と思案すれば顔に出ているのだろうか文月がちらりと此方を見て微かに首を振った。


 「人は呼ばないで。ここで休んでダメなら帰るし、その場合、資料を皆使えるように、先生誰かには鍵渡してお願いするけど。……紅茶飲まないの?」

 「……いただきます。ふぅ」


 温かい飲み物は時に何よりも心を満たしてくれる。しあわせなため息を漏らした涼音に文月は満足気に笑みを浮かべた。あんな虚ろで危うい状態でひとりで帰すなんてできなかった。それに涼音の性格だったら時間を置くほどに誰かを頼れなくなって泥沼化する予想はついて。文月はどこか自分と似ている、自分を慕ってくれたひとりの生徒が好きだった。七不思議にさせるわけにはいかない。


 「ちゃんと、話しなさいね」

 「え?」

 「それとも秋月さんの周りの人は、そんなに信じられない人?」


 涼音は紅茶を一口含んで目を閉じた。まだ怖い。でも……自分が一緒ならと笑ってくれた奈々、信じろと言ってくれた結井先輩、友達を傷付けられて泣いて怒っていた副会長、冷静に陣頭に立ってくれる生徒会長……ひとりひとりを思い浮かべる。知り合って日は浅いけれど。優しくて、素直で、強くて……憧れる人達だ。


 「――いいえ。信じられる人達です」

 「ん。……無敵よ。秋月さんは無敵。独りは自由でそれなりに強いけど、もっと強くは難しいの。何があっても大丈夫。秋月さんは独りじゃないんだから」


 私とは違って。そんな言葉を心中で呟いて文月は微笑う。よいしょと立ち上がって気合を入れるように自分の頬を挟むように叩いた。紅茶のお替りを淹れ、内緒と添えるチョコレート。先生と生徒の秘密めいたエスケープ。


 「早退キャンセルでいいわよね?」

 「……はい。正直相談はまだ怖いです。でも、奈々が心配なんです」

 「牧田さん?」


 事の次第を聞いた文月は暫く黙りこんだ。


 「…………アイツ、もう許さない」

 「先、生……?」

 「言っちゃうわね。私は三島 卓が大嫌い。前から大嫌いなの。内緒よ?」


 殺気の籠った一言に不穏なものを感じて涼音は伺うように呼びかける。にっこりと一瞬見せた冷たい顔を隠すように笑って明るく言い放つ文月の態度は言葉に嘘はないけれど、どこかわざとらしく不自然だった。問い質そうとして授業終了のチャイムが鳴り響く。


 「さて、私も秋月さんの早退キャンセルのこととか言ってこないとね。あ、ひとつお願い…………………北野先生に私が来てること言わないでくれる」

 「あ……、え? 北野先生、ですか?」

 「まだ本調子じゃないのに出ていると……怖そうじゃない?」

 「……先生? 倒れた時、北野先生が病院に連れてくって言ってましたけど……その後どうしたんですか?」

 「! き、聞かないでくれる……!? とっても怖かったんだから、うん」


 あたふたと挙動不審になった文月の顔は言葉と裏腹に真っ赤で、恋愛には疎い涼音にも何かあったんだなーくらいのことは察せられた。


 「先生、ちょっと可愛いです」

 「……勘弁してちょうだい」


 涙目で切実に言われ涼音はお願いを了承した。図書室を出て別れる。少しだけ遅くなる歩みに気付いたのか文月が肩越しに振り向いた。


 「秋月さんは絶対七不思議にさせないから」

 「え?」

 「味方でいるってことよ。……いってらっしゃい」

 「ありがとうございます」


 ただの励ましだと思っていた。その言葉に背を押されるように足を速めた涼音は背後で文月の気配が変わったことに気付かなかった。

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