暴走する怪異と雨降って地固まる

 彼女は見ていた。祭りの準備に勤しむ様子を、ただ、眺めている。同じ制服、同じ学年を示す赤のラインは遠目にもよく見える。一団となって祭りを成功させることに意義があるなんていうけれど、私はいるけどいないのだ。言ってしまえば学校は硝子越しに眺めるだけの隔たれた入れない世界。

 視線に気が付いた女生徒がこっちを指差し悲鳴をあげた。面倒なことになりそうだと野次馬やら、見回りの教師が来ないうちに逃げる。次の日、学校祭準備期間中の許可を得ない特別教室等への侵入が禁止された。……居場所がなくなった。


 教室にいるしかなくなった。仕事も貰えず時間が過ぎるのを待つ。自分からもらいに行こうにも近寄れば反発する磁力があるかのように一定距離で逃げられる。だから、ぼんやり見ているだけだ。見当違いの教師が参加していない私を叱る。……笑える。そんな時だけクラスメイトの視界に入るのだ。


 「っ……!」


 見開いた目に映るのは見知らぬ白い天井、周囲を囲むカーテン、薬品の匂いがする。じっとりと服を濡らす冷たい汗、鼓動は息苦しいほど早い。ゆっくりと身を起こし立てた膝に顔を伏せた。……久しぶりに見た。繰り返す夢。くしゅん、と小さなくしゃみをして苦笑を浮かべた。あの頃から私はゴーストだった。



                  * *



 闇に沈んだ学校は前回とは比にならないパニック状態に陥った。そりゃそうだろう、明るくなった校内全ての時計が4:44になっていたのだから。倒れた文月を発見した2人はそっちに気をとられて冷静であった方といえるだろう。


 「おい、お前達……! 無事か!?」

 「三島先生! 文月先生が……」


 見回りに廊下を走ってきた三島に救助を頼むのは自然な流れだったはずだ。だけど、何故だろう。様子を伺う涼音はモヤモヤと重たい何かが沸きあがるのを感じていた。衣服を緩めようと伸ばされる手が文月の襟元に触れようとした瞬間、ザザッと耳障りな雑音が響いて――


 “ぇろ、消えろ消えろ消えろ消えろぉぉぉぉーーーーーー!!!!!!!!”


 耳を塞ぐほどの大音量でスピーカーが憎しみに満ちた声を放った。耳を塞いでも防ぎきれない憎しみの籠った声、それを遮らんばかりの硝子が割れる甲高い音に、何かが叩きつけられる断続的な音が重なり涼音も奈々もその場にしゃがみ込んだ。三島は最初の放送で腰を抜かしたようで文月を庇いもせずに頭を抱えている。涼音は怒りのあまりに頭が氷のような感情に満ちようとするのを感じた。


 とん。


 誰かがそんな涼音の肩に軽く手を置いて横をすり抜けた。ちょうど落ちてきた本を自らの腕で受け、脱いだ上着を文月に掛けると静かに抱き上げた。


 「……北野先生」


 いつの間にか怪異は落ち着いていた。我に返ったように弁解しようとする三島は静かに見据えられ言葉をなくす。涼音も、奈々も気圧されたように廊下にぺたりと座り込んで見上げていた。北野の腕に抱かれた文月は目を覚まさない。


 「君達は教室に戻りなさい。……三島先生、体育館へお願いします。どうやらあちらの被害が大きいらしい」

 「わ、わかった。あー、その、文月」

 「文月先生は病院へ連れて行きます。この騒ぎでは保健室では休めない。かといって、救急車を呼んで騒ぎを大きくすることも避けた方がいいでしょうから」


 放送を知らせるメロディにびくりと身を竦ませた。体育館への立ち入り禁止と全生徒自分の教室に1度戻ること、職員の緊急招集が告げられる。学校内はひどい状態だった。最初の暗闇でパニックを起こしペンキや水の入ったバケツを溢したクラスは多く、放送で流れた大音声で泣きだす者が続出した。一様に蒼褪め、何人かは泣きながら乱雑になった教室を片付けている。


 2人が戻った1年A組も似たようなもので、委員長は全員が揃ったことで少しホッとしたようだった。なかなか教師陣が現れない中、とりあえず落ち着こうとそれぞれがスペースを見つけて腰を下ろす。誰もしゃべらない。しゃべれない。4:44のまま止まっている時計が監視しているようで萎縮しているのだ。

 今までと規模が違う怪異。七不思議が完全に牙を剥いたような底知れない恐怖。何が引き金で起こるのか、もっとひどくなるのか。何ひとつわからないまま打ちのめされていた。どんな形であれ七不思議の封印を解いてしまったのは1年A組だ。それは後戻りのできない事実。


 「……逃げたいね」


 ぽつりと口にしたのは意外にも委員長だった。


 「自分で言うのもなんだけど、うちら頑張ったよ。学級委員としてさ、良い学級にしたいって。失敗してるけど、反省して、皆で頑張ろうって。でもさ、これどうにかできるのかな。どうすれば、いいのかな?」


 雫は泣いていた。学級委員長だって中学1年生の一生徒に過ぎないのに無意識に周囲は頼り、雫自身も自分を追い込んでいた。いっぱいいっぱいになって当然だ。雫の友人がワッと泣きだす。


 「休んでいい、休んでいいよ。何ひとりで背負ってんの、寂しいよ、ひとりで頑張って、勝手に無理して、私、何でも言ってって、手伝うって言ったじゃん!」

 「怖いの苦手なら無理しないでって、自分がしてるのに説得力ない。雫のバカ。……皆バカ。怖いって言えばいいのに……!」


 釣られるようにそれぞれが弱音を吐きだした。恐怖を感じていなかった者なんて一人もいなくて、使命感という口実に必死でしがみ付いたり、格好悪いのが嫌で積極的なフリをしていたり、罪悪感だったり、結局誰もが本当の意味では一丸となっていなかった。突然、ひとりの男子生徒が立ち上がる。怪異をもろ体験して暫くおとなしかった桜井だ。


 「俺は告白する! 俺はビビりだ! ノリで誤魔化そうとしているところ水差されてムカついたっていうのあるけど、怖がりって隠したかったから嫌がらせした! ごめん、秋月!」

 「……知ってる」

 「なんで!?」

 「アンタ、図書室に課題図書探しに来た時、ホラーの本の表紙、裏返してたから。…………でも、謝ってくれて、ありがと」


 騒がしい桜井とどこまでもクールな涼音のやりとりに周囲から笑みが零れる。泣いて、弱音を吐いて、笑って……最後に残ったのは巡り巡って打倒七不思議。照れくさそうに漸く微笑った雫が「煽る担任がいなければクラスはもっと早くまとまったかもね」と毒を吐いた。委員長だって優等生なだけじゃない。


 人間だって、負けちゃいない。

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