忍び寄る怪異

 七不思議は起こらないから良かったのだ。単なるネタとして、我が身に降りかからないなら多忙でマンネリとする学校生活のちょっとした非日常として楽しめた。けれど、実際に現実となってしまえばそれは悪夢と大して変わらない。鳴り響いた時計の音を境に学校の空気は変わった。

 半ばパニックに陥る生徒に対して教師は、時計が一時的に狂っただけで、七不思議に結び付けるのは軽率且つ、あり得ないと強く指導したが説得力など無きに等しい。怪異の噂はどんどん増えていった。大半は気のせいや勘違いだったろうが、生徒達にとって1度真実と認識されれば全てが現実と変わらない。


 閉めていったはずの教室の戸が開いていた。

 グラウンドにボールが転がっていた。


 そんな些細なことすら不気味に思えて1人で動く生徒も減った。恐怖は広がり、もうふざけ半分の嫌がらせをするどころでないかと思えば、どこにでも一定数引き際を知らない者がいる。学校祭準備を隠れ蓑にした嫌がらせは細々と続いていた。涼音に至っては怖がる様子も、凹んだ様子も見せないのでむきになった面もあるのだろうが。

 そんな不穏な空気が漂う放課後、いざこざが起きた。


 「ねぇ、テーマ……変えない?」

 「やだ、何、怖いのー!?」


 一瞬の間を置いて大袈裟に明るく大きな声で反応したのはきっと彼女も内心思っていたからだろう。ひとりでも一抜けをすれば何かが壊れそうという恐怖感に反対意見を馬鹿にして自分を正当化しようとした目論見は逆上した相手にあっさり一蹴された。


 「怖いよ! なんか、ヘンじゃん!」

 「そ、そうだけど……」

 「柱時計、鳴ったじゃん! それから見たって話も増えてて……なんかあったら責任とれんの!?」

 「ちょっと待てよ。なんで責任とか話になるんだよ。意味わかんねーし!」

 「始めたの私達じゃん! 奈々が知りたいって言うから! ……っ」


 図らずとも奈々のせいと言ってしまった生徒が我に返って口を押さえる。気まずい空気が流れるも多かれ少なかれ同じようなことを思っていたのだろう。委員長ですら口籠り、クラスメイトもちらちらと奈々を見て、視線が合いそうになるとサッと目を逸らす。強張った顔で黙っていた奈々が毅然と顔を上げた。


 「確かにきっかけは私よ。だからこそやりきるつもり。……どうして七不思議は隠されていたの? 過去に同じような怖いことがあったなら、ちゃんと明らかにして危険なら語り継ぐべきよ! ……やりたくない人は無理にやらなくていいよ。私は、ひとりでもやる。責任をとって」

 「奈々……、あの……」

 「……もう、嫌」


 失言した生徒が弁解しようとするのを避けるように俯いた奈々の口から震える声が漏れた。握られた拳は強く握り過ぎて白くなっている。


 「転校生の私を理由にしないで。私のためにって気持ちはうれしかった。けど、皆も楽しそうだと思ったから動いたんじゃないの。なのに、秋月さんや他のこういうの苦手な人のこと責めて。都合が悪くなったら私のせい!? そんな友達いらないよ!!」


 ずっと笑いながら我慢していたのであろう。ぽろぽろと涙を零しながら叫ぶと奈々は教室を飛び出して行った。叩き付けられた言葉に身を竦ませるクラスメイト。そんな中1人追い掛けたのは意外にも涼音だった。


 「牧田さん、待って!」

 「嫌! 追いかけて、来ないでよ!!」

 「……っ、申し訳ないって、思うなら、止まってよ……!」


 クラスで足の速い3名に入る奈々を、真ん中くらいのタイムの涼音が追いかけ続けるのは厳しい。どうにか彼女の足を止めるべく荒い息の状態で大声を出せば当然のように眩暈を起こす。膝を付いてしまった涼音の前に顔を涙でぐしょぐしょにした奈々が戻ってきた。奈々は元来正義感が強いのだろう。動けなくなった涼音を放って逃げることはできなかった。しゃがみ込んで喘いでいる涼音を見おろし、物言いたげに何度も口を開いては閉じて結局出たのは、

 「なんで、追ってくるの」

 そんな泣き声だった。涼音は困ったように目を泳がせ、整わない息に咳き込みながらも見返した。


 「壁新聞の、グループメンバー……だから?」

 「ぎ、疑問形?」

 「いや、私も、あまり意識しないで、追ってきちゃったし」

 「……秋月さんって、やっぱりヘンな人」

 「ちょ、何それ、失礼じゃない!? 牧田さんの方がヘンでしょ、七不思議が好きなんて」

 「怖いの、好きなんだもの! 学校変われば怖過ぎても大丈夫だし……印象に残れば学校も忘れないし……」

 「……なるほどね。一理ある」


 転校が多いという彼女なりの思い出の残し方なのだと察しが付く。涼音と奈々はどちらともなく笑いだした。まるで初めから友達だったように。そんな2人を祝福するような優しい旋律が耳に届いた。


 「……歌?」

 「綺麗な声だね」

 「うん。……あれ?」

 「秋月さん、どーかした?」

 「んー……いや、七不思議で、何かなかったなって」

 「あ!」


 気が付いた時には歌声は消えていた。薄ら寒さを感じて「まさか、ね」と顔を引き攣らせ教室へと足を向ける。背後、微かな歌声が響いた。それは誰の耳にも届くことなく薄闇に融けるようにして消えた。




                 **


 この学校の特別教室棟の2階の突き当りに大鏡がある。右は普通の白い壁、左は習字教室の準備室となっているが、実際はガラクタが詰め込まれて機能をなくして忘れ去られている開かずの間だ。その大鏡の前に佇む人影ひとつ。まるで見知らぬ誰かを見るように鏡像と見つめ合う張りつめた空気が開かずの間から響いた声によって破られた。


 『久しぶりだね、歌姫』

 「……幻だと、思っていたわ」

 『ひっどいなぁー。でも、来てくれた』

 「? 騒がしいんじゃないの? 七不思議の再来で」

 『全然。ここだけ忘れ去られてるみたいだよ。カナタを知る人でもいるんじゃない?』

 「まさか!」

 『いずれにしても、君は動くんでしょう? ボクは楽しく見物させてもらう』

 「……逢えてうれしかった。また逢いましょう――“七不思議”」


 西日が差し込み、強い光が鏡面に反射して何も見えなくなる。光が消えた時にはそこには誰もいなかった。


                  **




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