その三
夜もすっかり更けたころ、ホテル・トロイメライのホールにはいくつかの円卓が出されて、怪物たちそれぞれ好きなようにそれを囲んでいた。
しかし、いつものように怪物たちのどんちゃん騒ぎは行われず、皆静かで妙に大人しい雰囲気が漂っている。
この時間は台所に入りっぱなしのホテルのコック、ゴブリンのギギ・ローム、ググ・ローム、ゲゲ・ロームの三つ子は、料理を作る気力が起きずに、暗い顔で椅子に座っていた。
同じ席にいる人造人間のライオット・ダイナモも口数が少なく、視線は下を向いている。
幽霊のルージクト・カドリールも不安そうな笑顔でふわふわと円卓の周りと飛び、時折玄関の方まで行ったり来たりしている。
吸血鬼のユーシー・ゲネラルプローべと死神のクレセンチ・レイジアと悪魔のレンガ、一つの円卓を囲んでポーカーをしているが、今一つ盛り上がりに欠けている。
今日はジェンティレスとイノンがいないから仕方ないと、メデューサはぽつぽつと話声が聞こえてくるだけのホールを見回す。
同じ円卓に座っている狼人間のウルル・トロイデも、普段はラム酒を開けている時間の筈なのに、今日は大人しく椅子に座り、円卓の上に顔を伏せている。
「……ジェンとイノン、遅くない?」
「そうねェ」
テーブルの縁から聞こえてきた、低いウルルの声に、メデューサも頷いて出入り口の扉を見た。
彼らは朝から人間たちの暮らす街へと出かけた、ジェンティレスとイノンとの帰りを待ち侘びていた。
一度、レンが扉を開けて入ってきた時は、二人が帰ってきたのかと全員立ち上がったほどである。その直後、顔を出したレンに皆落胆し、深い溜息を吐きながら席に着いた。
レンは全く悪くなかったけれど、間が良くなかったのだと、メデューサは斜め前の円卓で、肩身の狭そうにワインを飲むレンの方を見た。
「なあ、あいつらはまだ帰ってこないのか?」
不貞腐れた顔を上げたウルルがメデューサに尋ねる。それに対して彼女は溜め息を吐いた。
「もう少し我慢しなさいよォ。その質問、さっき言ったばっかりじゃないのォ」
「そう言ってもさー。なんか、そわそわするんだよ」
「……その気持ち、分からなくはないけれどねェ」
眉を顰めたウルルの言葉に、メデューサも肯定する。
ジェンティレスが人間の町に行ってみたいという願望を口にした時から、怪物たちにはある不安が付き纏っていた。
それは乱暴に一言でまとめてしまえば、町に行ったことがきっかけでジェンティレスがこのホテルから出て行ってしまうのではないかという危惧だった。
「そういや、オーナーは今日の事、知ってるのか?」
ふと、ウルルは今日も自室にこもったままのオーナーの事を思い出して尋ねた。
「もちろん知ってるわァ。イノンが話したら、『そうか、いいじゃないか?』って言ったらしいけれど、あまりいい顔していなかったようねェ」
メデューサの話に、ウルルも大きく頷く。
「きっと、オーナーはジェンよりもイノンが町に行くことが、気になるんだろうな」
「ワタシもそう思うわァ」
このホテル中で誰よりも人間を恨んでいるオーナーだったが、ジェンティレスの事はあっさり受け入れてくれていた。
しかし、その一方で、ジェンティレスがきっかけで、他の怪物たちが人間と関わりを持つようになっていることを快く思っていないようだった。
それからしばらく、二人とも黙り込んでしまったが、頬杖をついたウルルが再び静かに語りかけてきた。
「なあ、メデューサ」
「なあにィ」
「もしも、ジェンが町で暮らしたいって言ったら、どうする?」
「……」
少しでも彼女の気分を明るくさせようと微笑んでいたメデューサの口元が、一瞬で真顔に戻った。
この問題を、メデューサは出来るだけ考えないようにしていた。しかし、実際にジェンティレスが町に行ってしまった今、もう避けることは出来ないのだろう。少し考えて、彼女は口を開いた。
「ワタシは……きっと、ジェンの背中を押して、満面の笑みで送り出すわァ。でも、部屋に戻ったら、目隠しを取って大声で泣くと思うのよォ」
それは、いつものらりくらりと冗談で物事を躱してきたメデューサの、珍しい本心であり弱音であった。
赤ん坊の頃から、一番ジェンティレスに接してきたのはメデューサであるため、彼に対しては実の息子のような愛情を持っていた。
よって、ジェンティレスが深く考えた上での決断ならば、文句なしに彼を応援しようと、ジェンティレスが町に息たちと言い出したあの夜に、無意識で決意していた。たとえそれが、彼女が一番望んでいない未来だとしても。
「そうか。あたしなら、きっと泣き叫びながら、ジェンの足にしがみついていると思うよ」
ウルルはそう語って、にっと歯を見せて笑った。
メデューサもつられて笑みを浮かべた。しかし、その反面、自分にいつも正直なウルルの強さが、羨ましくもあった。
その時、扉のノブがガチャリと動き、ホールにいた全員が一斉にそちらの方を見た。
「みんな、ただいまー」
入ってきたのは、たくさんの荷物を抱えて無邪気な笑顔を見せるジェンティレスと、少し疲れた顔で同じくジェンティレスよりも多くの荷物を持ったイノンの二人だった。
「おかえり、ジェン!」
椅子を倒す勢いで立ち上がったウルルは、真っ直ぐジェンティレスに向かって飛んできて、抱き着いた。
「わわっ、ウルル危ないよ」
「こっちにおかえりはなしか」
驚いて荷物を落としそうになっているジェンと、その隣でイノンは呆れたような声で言う。
それまで生気のない表情をしていた他の怪物たちも、それぞれ立ち上がって、皆笑顔で三人の元へと集まってきた。
「おかえり、ジェン、イノン、結構、遅かったね」
「悪かったな。本当は帰りも箒を使いたかったが、荷物が多くて、歩いて来たから遅くなった」
「はいライオット、お土産の革靴と、新しい鋸。丁度欲しいって言ってたよね?」
「ありがとう、イノン」
「帰ってきた!」「待ってました!」「舞い戻った!」
「ただいま、ギギ、ググ、ゲゲ! 新しいレシピの本を持ってきたよ!」
「それから、食材もいろいろ持ってきたから、遠慮せずに使ってくれ」
「感謝!」「ありがたや!」「恩に着る!」
「おかえり。町はどうだったか?」
「すごく楽しかったよ! ユーシー、色々準備してくれてありがとう。この灰皿、使ってね」
「大事に使えよ。煙草もあるから」
「おお、俺の好きな銘柄、覚えてくれたんだな。ありがとう」
「おかえり。なあ、ジェン、町に行って、良かったか?」
「そうだね、クレセ。……うん、良かった、と思うよ。まだ、よく分からないけれど」
「色々あり過ぎて、一言では言い表せないよな。それより、土産の飴だ」
「それもそうだな。いや、何でもない。ありがとう」
「おかえり。広場には行ったか?」
「レン……広場には行ったけど、すぐ出ちゃった、ごめんね」
「あれは仕方なかったからな。それより、上質なワイン持って来たんだが、どうだ?」
「これは産地も年代も申し分ない。礼を言う」
「…………」
「ただいま、ルージクト。ルージクトにも、お土産があるよ」
「この花、後で部屋に飾っておくよ」
「……」
「ああー! ずるいぞ、みんな! あたしへの土産は!?」
「ウルル、遅くなってごめん。もちろんあるよ!」
「ほれ、ラム酒。いつものよりも高い奴だから、大事に呑めよ」
「おうおう、分かってんじゃねーか。ありがとよ」
騒がしい怪物たちは、自然と好きなように散っていった。二人の帰宅にほっとしたら、空腹を感じてきたようで、土産を大切に抱えながら夕食にしようかと話している。
ずっとジェンティレスの隣にいたイノンも、ウルルに連れられて、その場から離れていった。
そして、扉の前には、最後に現れたメデューサと、イノンだけになっていた。
「ジェン、おかえりなさいねェ」
「ただいま、メデューサ。遅くなって、心配かけちゃって、ごめんなさい」
「それはもういいのよォ」
「それから、これ、メデューサへのお土産」
ジェンは、最後まで小脇に抱えていたキャンバスをメデューサに手渡した。
メデューサはそれが絵だということは分かったが、平面を読み取れずに小首を傾げた。
「ありがとう……でも、これは、何の絵かしらァ」
「これはね、ぼくの似顔絵だよ。町の画家さんに書いてもらったんだ」
「……」
笑顔のジェンティレスからの説明に、メデューサは言葉を失った。ジェンティレスは、自分が彼の顔を決してみることが出来ないという孤独を、いつの間に感じ取っていたのだろう。
メデューサは、ゆっくりとキャンバスを抱きしめた。彼女が「ジェンティレス」という名前に込めた願いを、静かに思い出していた。
「ジェン、本当にありがとうねェ。いつまでも大切にするわァ」
「うん!」
「優しい」少年は、力強い笑みで頷いた。
騒がしさを取り戻したホテルのホールの中で、メデューサとジェンティレスの二人だけが、心地よい沈黙を守っていた。
明け方、ホテルの怪物たちがここの部屋で眠りにつく頃、メデューサだけは目隠しを取った自分の瞳で、ジェンティレスの似顔絵を飽きることなく見つめ続けていた。
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