その二
夕暮れ時に活気づく街の中を、人間の少年ジェンティレスと、魔術師のイノン・ニクロムは並んで歩いていた。
二人の手には、町中のお店で買ったホテルのみんなに対するお土産を持っていた。次はどこに行って何を買おうかを、楽しそうに話しながら進んでいく。
「じゃあ、次はメデューサに贈るドレスだな」
「うん。さっき、服屋さんがあったからそっちで……」
ジェンティレスが通りの交差点で立ち止まり、辺りを見回すと、通りに椅子を出して、何かをしている癖の付いた伸び放題の金髪の青年に目が留まった。
「ねえ、イノン。あの人は何をしているのかな?」
「ああ、あれは多分絵を描く練習をしているんだな」
イノンが説明した通り、こちらに猫背を向けて座っている青年は、目の前にイーゼルを置き、そこにキャンバスを固定して、炭の鉛筆で前にある建物を描き取っていた。
真剣な眼差しでキャンバスと建物を見比べながら、周りの音や通行人の好奇な目も気にせずに、鉛筆を走らせている。もうすでにいくつか描き終わったキャンバスが、椅子の横に凭れるように置かれていた。
ジェンティレスも興味津々と言った様子で、彼を熱心に眺めていた。
「へえー。絵って、あんな風に描いていたんだー」
ホテル内に絵画は飾っていなかったが、時折訪れる魔道具を売る商人の持ち物の中で、キャンバスに描かれた油絵を見たことのあるジェンティレスは、感心して何度も頷いた。
「邪魔にならない程度に、近付いてみるか?」
「うん!」
イノンの提案に元気良く返答したジェンティレスは、彼と共に足音を忍ばせて、青年の真後ろに立った。
それにも気付かずに、青年はずっと絵を描いていた。真っ黒な鉛筆が、キャンバスの上に線を生み出し、埃をかぶった窓枠になるのを、ジェンティレスはじっと観察していた。
「……すごい、絵って、こんな細かい所まで描けるんだね」
自分のすぐ耳元から、そんな少年の声が聞こえて来たので、青年はやっと手を止めて振り返った。目の下に隈がはっきりとある、緑色の丸くなった瞳がジェンティレスとイノンの姿を捉えた。
イノンは、戸惑っている青年に対して、申し訳なさそうに苦笑を浮かべて弁明した。
「すみません。道で絵を描いているのが珍しくて、少し近くから見ていました」
「あ……別に、それは……いいんですけど……」
青年は久方ぶりに出したような掠れた声で、ぼそぼそと話した。自然と視線もイノンから外れて、下の方を向いて行ってしまっている。
一方イノンは、昼間に貴婦人を激怒させてしまった時と全く違う反応に、人間と上手く話すことが出来たと妙な手応えを感じていた。
それからすぐにキャンバスに向かって絵の続きを書く青年の姿を、二人は黙って眺めていたが、ジェンティレスがあることを思いついて口を開いた。
「ねえ、お兄さん」
「……なんですか」
絵を描く邪魔をされてしまい、青年は分かりやすく不機嫌な声を出して振り返った。
しかし、青年に睨まれてもあまり気にせずに、ジェンティレスは無邪気に笑いながら頼み込む。
「ぼくの似顔絵を描いてくれる?」
「……え、似顔絵?」
「どうしたんだ、ジェン」
驚いたのは青年だけではなく、隣のイノンもジェンティレスの顔を覗き込みながら尋ねた。
「うん。これをメデューサのお土産にしようと思って」
イノンの方を見たジェンティレスは、にこにこしながら答えた。
「けど、なんで似顔絵を……あ」
顎に手を当てて少し考えたイノンは、すぐに気が付いた。そして、にやりと笑ってみせる。
「それは最高のお土産だな。……すみません、お願いできますか?」
彼はすぐに絵描きの青年に向き直って、頭を下げた。
「別に……構いませんけど」
青年は咄嗟に目を逸らすと、建物の絵のキャンパスを椅子の横に移動させて、まだ何も描かれていないキャンパスを用意した。
「……じゃあ、ちょっとこれに座ってて」
青年は立ち上がると、座っていた椅子をキャンバスの反対側に置き直した。
促されたジェンティレスは、彼の示した場所へと回りこんで、椅子の上にすとんと腰を下ろした。
「よろしくお願いします」
「あっ、はい。よろしく……」
彼もジェンティレスに倣って、気恥しそうに頭を下げた。
早速青年はジェンティレスの顔の輪郭から描き始めたが、モデルとなった当の本人は、所在なさげに少し左右に揺れている。
イノンは以前に絵のモデルになったことがあると話していた、悪魔のレン・カフカ・アシュタロトの言葉を思い出して、ジェンティレスに声をかけた。
「ジェン、あまり動かない方が描きやすいそうだ。喋るのも慎んだ方がいいよ」
「うん。分かった」
一度大きく頷いたきり、ジェンティレスはぴたりと動きを止めた。顔も真顔になってしまっている。
「あと、顔は笑っていた方が、メデューサも喜ぶと思うぞ。あまり無理しない方がいいけど」
「そうだね」
イノンの指摘を受けて、ジェンティレスは口角を持ち上げた。非常に不自然な笑みだったが、真顔よりもずっとましになっている。
しばらく、二人の様子を見守っていたイノンだったが、似顔絵が完成するまでに時間が掛かると睨んで、その場を離れることにした。
「ジェン、俺はちょっと他の土産を探してくる」
「分かった。ぼくはここで待ってるよ」
出来るだけ小さく頷いたジェンティレスから背を向けて、イノンは他の土産になりそうな店を探し始めた。
それからしばらくは、黙ったまま青年はジェンティレスの顔を描き取っていた。しかし、ずっと気になっていることがあって、我慢出来ずにキャンバスの横からジェンティレスの方を伺った。
「あの……一つ聞きたいんですけど……」
「お兄さん、何?」
ジェンティレスが小首を傾げると、青年は一瞬躊躇して下を向いたが、遠慮がちにもう一度相手の目を見た。
「さっき、その、お土産に絵を、贈りたいって言っていたけれど……」
「うん。メデューサへのお土産にするんだ」
「……なんで、似顔絵を贈りたいの?」
「うーん。そうだねー」
青年からの質問に、ジェンティレスはどう答えるかしばし思案した。メデューサの事をそのまま話してしまえば、彼女が怪物だと気づかれてしまうのかもしれない。しかし、それらしい嘘も思いつかずに、ジェンティレスは大切な所をぼかしながら話した。
「えっとね、僕が似顔絵を上げたい相手は、いつも目隠しをして暮らしているから、僕の顔を見たことないんだ。でも、似顔絵を渡せば、自分の部屋で目隠しを取った時に、それを見ることが出来るんじゃないかなって思ったんだよ」
「えっ……、その人は、目が見えないわけでは、無いんだよね?」
「うん。そうだよ」
あっけらかんと何でもないように、ジェンティレスが頷いたので、青年もそれ以上追及出来ずに、目を泳がしていた。
「そっか……。……あと、君にとってその人は、どんな人なの?」
「僕は、赤ちゃんの時からメデューサに優しくしてもらったから、多分お母さんみたいに思えるんだ」
そういったジェンティレスは、青年に屈託のない笑顔を見せた。
青年は、目の前の少年には母親がいないのか、目隠しをした状態でも子育ては出来るのかなど、効きたいことが沢山あったが、「……そう」とだけ言って、キャンバスの前に戻っていった。
その後は、二人とも一言も発せずに、青年は絵に集中し、ジェンティレスは膝の上に手をのせてじっと座っていた。太陽は完全に沈んでしまい、青年の真横に立っていたガス灯に火を灯されたころに、似顔絵は完成した。
「……これで、出来上がったよ」
「ほんとに!?」
ジェンティレスは勢い良く立ち上がると、イーゼルからキャンパスを取り外した青年の元に駆け寄った。
そして、青年と共に絵を覗き込む。そこには、屈託のない笑顔を浮かべる、鉛筆で描かれた自分の絵があった。
ジェンティレスは息を呑んだ。自分が自然に笑ったのは、メデューサの印象を話していたあの一瞬だけだった。
それを青年は切り取り、生き生きとした似顔絵にしてくれたのだ。
「ありがとう! えーと……」
絵の作者の名前は、キャンバスの隅の方に書いてあると聞いたことのあったジェンティレスは、青年の名前を確認すると、彼の方を見上げた。
「グアッシュさん!」
「あ、いや……どうもいたしまして」
青年はぼさぼさの頭を下げて、ジェンティレスに絵を手渡した。
「おーい、ジェーン」
「あ、イノン!」
そこに丁度土産の入った袋を大量に抱えたイノンが戻ってきた。ジェンティレスはすぐに彼の元へと走っていく。
「見て、イノン! 絵が完成したよ!」
「おお。そっくりだな。……ありがとうございます」
似顔絵を見て関していたイノンは、青年の方に顔を向けて、頭を下げた。
「あっ、いえ……」
青年も気恥しそうに顔の前で手を振る。
「じゃあ、ジェン、そろそろ帰ろうか」
「そうだね。もう暗くなってきちゃったね」
二人は会話を交わすと、そのまま踵を返した。
「……え、あれ……」
ゆっくりと歩を進める二人の背を見て、ようやく青年は彼らから口頭の礼しか言われていなかったことに気が付いた。
「……あの、お金……」
確かに最初から、無料か有料かは相談していなかったのだが、そう簡単には納得できずに、画家・グアッシュは消え入りそうな声で呟いた。
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