その三


 夜も深くなってきて、ホールは部屋から出てきた怪物たちで盛り上がっていた。


 しかし、ある円卓、ウルルとメデューサとルージクトの三人にエルーナを加えた一組だけは、妙に静かになっていた。

 ウルルが天井を見上げながら、ため息をついた。


「色々と話し合ったけど、結局どんな姿をしているのか、分からないなー」

「すみません、私がもっとしっかりしておけば……」

「そう言わないで、エルーナ、五歳の出来事をここまで思い出せたのは十分すごいわァ」


 落ち込んだエルーナの背中を、メデューサは優しくさすりながら言った。

 ルージクトも笑顔で頷いている。


「みんな、元気出してよ。これ、ギギとググとゲゲからの差し入れ」


 そう言って、ホテルに暮らす薄い茶髪をした唯一の人間、ジェンティレスは円卓の上に、かごいっぱいのクッキーを置いた。


「あらァ。とてもおいしそうねェ。ギギ、ググ、ゲゲ、ありがとう」


 メデューサは料理を運んでいる灰色の肌をしたコック姿の三つ子のゴブリン、ギギ・ローム、ググ・ローム、ゲゲ・ロームにお礼を言うと、彼らは立ち止まり、

「どうもいたしまして」「いえいえ」「それ程でもありません」と順番に言って、去っていった。


 エルーナは驚きの目で、ジェンティレスを見詰めていた。

 ジェンティレスはそれに気付くと、無邪気に微笑んで頭を下げた。


「初めまして、ぼく、ジェンティレスと言います。見て分かる通り、人間だよ」

「こちらこそ、初めまして、私、エルーナ・フェルメールと言います」


 フェルメールは頭を下げた後も、不思議そうな顔をしていた。

 すると、ジェンティレスが説明した。


「ぼくは、赤ん坊の時に個々のホテルの前に捨てられていて、みんなの手によって育てられたんだ」

「そうですか……」


 エルーナの瞳に憐憫の色が灯るのをジェンティレスは敏感に感じ取って、すかさず「心配しないでください」と言った。


「ぼくは確かに、お父さんやお母さんの顔を知らないよ。でも、それが不幸だなんて一度も感じたことはない。だってここのみんなが、ぼくのことを愛していてくれて、ぼくもみんなのことを愛しているから、寂しくないんだ」


 ジェンティレスは胸を張ってそう言った。

 すると、別の円卓からイノンが彼を呼ぶ声がして、ジェンティレスはそちらを向いた。


「じゃあ、ぼくはあっちに行くね」

「ああ、ジェン、クッキー持ってきてくれてありがとうな」


 ジェンティレスはクッキーをいっぱいに頬張ったウルルの言葉に「どうもいたしまして」と笑い返すと、イノンの方へと走っていった。

 エルーナは黙ったまま、その背中を見送った。


「立派な子ですね。真っ直ぐな瞳でしたよ」

「ジェンにも今までいろいろあったけどねェ、私たちの愛情を受け取って、とても優しい子になったのよォ」


 メデューサも誇らしげにそう言った。

 ウルルは食べていたクッキーを飲み込むと、さてと言って円卓を叩いた。


「それで、もう今日のホテルにはその怪物はいないと判断しても、いいんだよねェ?」

「そうだな。全員に聞いて回ったから。他の客が来た時に聞いてみるしかないじゃあ……」


 ウルルの目の前に、ルージクトの笑顔がぬっと現れ、彼女は言葉を止めた。


「ど、どうした、ルーちゃん?」


 ウルルに尋ねられて、ルージクトは二階の、二一四号室を指差した。


「あっ……」「そういえばオーナーが、いたわねェ」


 ウルルとメデューサは同時に顔を合わせた。


「確かに、オーナーならほとんどの条件に当てはまるわァ」

「でも、顔は隠していないぞ? それに、オーナーは大の人間嫌いで……」


 二人はそっと、エルーナの顔を窺った。


「ええと、話が見えないのですが、オーナーさんって、どんな方なのですか?」

「うん……オーナーは、ソド・レーゾンデードル・タルトロスって名前で、このホテルの持ち主で、」

「元々は人間で、王族だったのよォ」

「えっ! ど、どういう事ですか!」


 予想以上に驚いたエルーナに、ウルルは「すごく簡単に話すけれど」と前置きして語り出した。


「オーナーは、さっき言った通り、百年くらい前の王様の、二人兄弟の次男だったんだ。オーナーには人望があって、政治の才能もあったから、王位を継ぐのはオーナーだって、みんな思ってた。だけど、そんなの許せないって思った長男が、黒魔術師と組んで、オーナーを怪物へと変えてしまった」

「エルーナは、小さかったか、生まれていないかの時だったから知らないと思うけど、すごい騒ぎになったのよォ。王族が怪物にされるなんて、前代未聞だったからねェ」

「オーナーは実の兄弟に裏切られて、人間を信じられなくなってしまったんだ。さらに、今までオーナーを慕っていた人間も手のひらを返して、オーナーに冷たくした。とうとうオーナーは、王様から縁を切られて、都から追い出されてしまったんだ」


 エルーナは思わず口元を覆った。

 実の兄弟に裏切られただけでも辛いはずなのに、父親からも絶縁された彼の気持ちを想像すると、胸が引き裂かれる思いだった。


「オーナーに残されたのは、たった一つの別荘、このホテルだけだった。ここでオーナーは、一人で暮らし始めたんだ」

「そこへ、人間に退治されかけたワタシや、イノンが逃げ込んできて、一緒に暮らすようになったのよォ。オーナーは人間を恨んでいたけど、怪物にはとても優しかったわァ。そうして、この別荘を怪物たちが集まる、ホテル・トロイメライしたのよォ」

「そうでしたか……。でも、よく分かりました。お二人は、そのオーナーさんが人間を強く恨んでいるから、私を助けることなどはしない、そう言いたいのですね?」


 ウルルとメデューサははっきりと頷いた。


「でも、オーナーさんはほとんどの条件に当てはまるのですね? それなら、その可能性に賭けてみたいと思います」


 エルーナが立ち上がると、ウルルとメデューサは慌てて彼女を止めようとした。


「だめだ! オーナーはもう、一年近く自分の部屋から出てこないんだ。それに、ホテルの誰とも会おうとしないんだぞ!」

「そうよォ。見ず知らずのエルーナと会おうとするはずがないわァ」


 二人は悪いことは言わないからと、必死にエルーナを説得した。

 笑顔のままのルージクトも、眉毛を下げて不安を示している。

 しかし、エルーナは大きく首を振った。


「まだ、何もしていないのに、無理だなんて決めるのは早すぎます。それに私、もう後悔はしたくないのです」


 真正面から見詰められて、ウルルもメデューサも、何も言い返せなかった。

 二階へ続く階段に向かうエルーナの堂々とした後姿を、ウルルとメデューサとルージクトは、黙ったまま見守った。
















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