その四


 ジェンティレスとイノンはレンと別れた後、夕暮れの広場にやって来た。


 東の彼方へと沈みゆく太陽が、空を橙一色に染めていた。

 ジェンティレスは思わず立ち止まり、一刻一刻と変わりゆく空の様子に言葉が出ないほど目を奪われていた。

 怪物たちと共に夜が中心の生活をしている彼にとって、夕暮れ自体が珍しいことだった。


 広場の中では、手持ちのハープで異国の唄を奏でる吟遊詩人や、色とりどりのお手玉をする大道芸人がいた。彼らの間を、子どもたちが自由に行き来している。

 視線をあっちこっちに移して定まらないジェンティレスに、イノンは腰を屈めて優しく話しかけた。


「どこから見に行こうか?」

「えっと、どうしよう、どうしよう……」

「ちょうど、あそこは始まるところなんじゃないか?」


 イノンが指差した先に、箪笥にカーテンを付けたような小さな舞台があり、その前に子供たちが集まっていた。これから、人形劇が開かれるようだ。


「おもしろそう!」


 イノンはすぐに舞台へと駆けていき、子供の群れの一番最後に立った。

 イノンはその後ろに立つ。


「ペーソスおじさんの人形劇の、始まり始まり!」


 男の声とおもちゃのラッパの音が鳴り響き、子供たちはおしゃべりをやめた。

 ジェンティレスは今までにない興奮を覚えながら、赤いカーテンが開ききるのを待った。


 舞台の後ろからハンケチングを被った男の姿が現れ、舞台上には真っ赤な竜の操り人形が現れた。

 その、一目見ただけで鱗や角の質感も伝わってきそうな完成度に、子供たちは歓声を上げた。ジェンティレスも、一生懸命に拍手を送っている。


「昔々、ある山の上に、悪い竜が住んでいました」


 竜の人形は舞台の上を、のっしのっしと重量感があるように歩いた。ジェンティレスはその様子に他の子供たち同様にくぎ付けになっていたが、イノンは男の語りに何か嫌な予感がした。

 その時、竜の人形の向かいに、王子の人形が現れた。可愛らしい顔をしていたが、手には剣を持っている。


「そんなある日、とうとう悪い竜は、王子が退治することになりました」

「どうして?」


 思わず、ジェンティレスは大きな声で疑問を口にしていた。人形劇が途中で止まり、子供たちが一斉に振り返った。

 イノンが彼の顔を覗きこむと、ジェンティレスは目を点にしていた。


「なんで退治されるの? 竜が何かしたの?」

「ええと、それは……」


 人形劇を開いた男は、明らかに狼狽えていた。子供たちはきょとんとした表情で、ジェンティレスがなぜ怒っているのかよく分からないというような様子だった。

 それでもジェンティレスは、攻撃の手を休めようとしない。


「なんで、その竜は『悪い』竜なの? どんな悪いことをしたの? 悪いことをしたから、退治されないといけないの?」

「ジェン、ちょっと落ち着け」


 イノンがたしなめようと肩に置いた手を振り払い、ジェンティレスは前のめりになって続けた。


「人間は、竜が怖いから退治しようとするの? 自分とは全然違うから、退治しようとするの?」

「ジェン、向こうに行こうか」


 子供たちがざわめきだしたころ、イノンはやっとジェンティレスの手首をつかみ、その場から連れ出すことができた。

 広場から出てしばらく歩いた後、ジェンティレスはイノンの手を振り払って、彼の前を早足で歩きだした。


「ジェン、まだ怒ってるのか?」

「怒ってるよ!」


 振り返ったジェンティレスは、珍しく顔を真っ赤にして、眉を吊り上げていた。


「だって、だって、知らなかったんだもん! 人間が、あんなにひどい奴だったなんて! 人間がぼくに優しくしていたのは、ぼくが人間だからなんでしょ? イノンやレンの正体を知ったら、人間たちは二人を退治しようとするんでしょ?」

「ああ、きっとそうだろうな」

「そんなの、そんなの、悔しいよ、おかしいよ……」


 ジェンティレスの顔がくしゃりとゆがみ、両の目からぽろぽろと涙が溢れだした。人形劇の始まりと、それを当たり前のように受け入れていた人々の様子を思い出す。

 「悪い竜」と「退治する」という言葉だけで、人間たちが怪物のことを悪だと決め、退治するのが一番だと考えていることが、ジェンティレスにもしっかりと伝わってきた。


 今まで優しかった人間の本性を知り、さらに自分がその怪物を退治しようとする人間側であるという事実が、ジェンティレスには耐えられなかった。

 自分が人間であるという事実に対する苦しみと、人間の行為への怒りが洪水となって、彼の心に押し寄せていた。止まらない涙を必死にこすりながら、ジェンティレスは言葉を紡いだ。


「ぼくは、人間だよ。みんなとは違うんだ……。ぼくはホテルのみんなのことが大好きだけど、みんなは人間のことが大嫌いなんでしょ?」

「ああ、大嫌いだった。俺の母親を殺したからな」


 腕を組んだイノンの思いがけない一言に、驚いたジェンティレスは顔をあげた。


「俺の母親は魔女だった。だから、俺もその魔力を生まれつき引き継いでいたんだ。俺が子供の頃、故郷の村で魔女狩りが起こった。魔女狩りっていうのは、魔女を捕まえて問答無用に殺していくことだ。人間に捕まった母親が、最期の力を振り絞って、魔法で俺を人間には見えなくしてくれたから、俺は助かった。だけど母さんは……俺の目の前で火あぶりにされた」


 その時の光景を、柱に括り付けられて炎に包まれながら、断末魔の悲鳴を上げる母親の姿を、イノンははっきりと覚えている。


「独りぼっちになった俺は、当てもなくあちこちを彷徨って、ホテルに辿り着いた。あの時ホテルにいたのは、オーナーとメデューサだけで、二人とも快く俺を出迎えてくれたよ」


 自分を受け入れてくれたあの瞬間を思い出し、イノンは知らずに微笑んでいた。

 しかし、それもすぐに消えた。


「メデューサは昔、生物も殆どいない岩山に住んでいた。生物が自分の目を見たら、石になってしまうことをよく知っていたから。だけど、偶然迷い込んでしまった人間がメデューサの目を見て、石になってしまうことがたまに起きた。そのうち、人間を石にする怪物の噂が広まり、彼女を退治しようとする人間がやって来た。メデューサは命からがら逃げだして、助かった」


 全てを石にしてしまえば楽になれるのかしらねェ……と、いつも目隠ししているメデューサは、寂しそうに笑っていた。


「ウルルは物心ついた頃から、満月を見ると変身するようになっていた。それが呪いなのか、生まれつきなのかは分からないが、とにかくその所為で小さい頃にサーカスに売り出された。だから、ウルルは両親を知らない。サーカスの団員たちは、ウルルを獣と同じように扱った。サーカスが火事になった時に逃げ出して、俺と出会うまで、ウルルは言葉も、服の着方も、食事の仕方さえ知らなかった」


 イノンの魔法によって知識が与えられ、初めてテーブルに座って食事をとったウルルは、おいしいおいしいと言って、涙を流して喜んでいた。


「ルージクトは幽霊だが、どうして死んだのかは分からない。その時の記憶が無いからな。だけど、生前は実の父親に暴力を振るわれていた。ルージクトはいつも笑っているだろ? それは、死んだ後に初めて手に入れた平穏を、心の底から楽しんでいるからだ」


 幽霊は、未練が消えれば自然と成仏する。ルージクトがこの世に残っているのは、苦しんで生きていた十八年間を、今取り戻そうとしているからかもしれないと、死神のクレセンチは語っていた。


「ライオットは、人間の手によって、様々な死体をつなぎ合わせて作られた。自我を持った最強の兵器を、作り出そうという実験だったらしい。だけど出来上がったライオットは、穏やかな、争いを好まない性格だった。だから失敗作だと、作った本人に捨てられてしまった」


 このホテルに来たからには、もう安心していい、戦ったりしなくてもいいとイノンに言われた時、ライオットはぎこちないながらも初めて笑顔を見せてくれた。


「ギギ、ググ、ゲゲは、洞窟の奥深くにあったゴブリンだけの王国で、平和に暮らしていた。だけどある日、人間が鉱石を掘るといって、勝手に採掘を始めた。その時の影響で起きた崩落によって、たくさんのゴブリンが死んだ。生き残ったのは、ギギとググとゲゲだけだった」


 初めてホテルに来た時、三人は建物自体に怯えていた。

 だが、故郷の洞窟同様に薄暗い地下のキッチンを任された時、跳び上がって喜んでいた。


「普段は人間に交じって仕事している、ユーシーとレンとクレセも、いろいろ苦労している。……ユーシーはいつも催眠術を使って、自分の見た目と実年齢の違いを誤魔化し、牙も無いように見せている。人間に吸血鬼だと気付かれるのが、一番怖いと話していたよ。レンも、羽を出していなくても、目が赤いってだけで宿を断られたことが何度もある。後ろから石を投げられたこともな。クレセは子供が大好きだが、仕事で子供を連れていかないといけないのが何よりも苦しい。だが、大人はクレセを怖がって、あいつが何もしなくても子供を近づけようとしないんだ」


 ユーシーは自由に振る舞えるのはここだけだと、レンはチェックインの時に嫌な思いをしないで済むと、クレセンチはここでは死神だということを忘れさせてくれる場所だと、それぞれ語っていた。


 長い一人語りを終えて、イノンはジェンティレスの目を、真っ直ぐに見据えた。


「ジェン、俺たちは人間のことが大嫌いだった。だけど、今は、少し違う。人間みんなが、悪い奴だとは思っていない。どうしてそう思えるようになったか、分かるか?」


 突然そう問いかけられて、ジェンティレスは正直に首を横に振った。


「ジェン、お前がいたからだ」


 ジェンティレスの目が、大きく見開かれた。自分の耳を疑った。

 しかし先程の言葉が嘘ではないというように、イノンは静かに続けた。


「たとえ世界中の人間が、俺たちの事を嫌っていても、ジェン一人だけでも俺たちのことを『大好き』と言ってくれるだけで、俺たちは人間のことを完全に恨まないでいられる。ジェン、お前は俺たちにとって、それくらい強い力と優しさを持った、特別な人間なんだ。……だから、自分のことをそんな悪く言わないでくれ。なんなら、人間であることにもっと胸を張ってもいいくらいだ」


 イノンの言葉が、ジェンティレスの中にゆっくりと染み渡っていった。


「……ありがとう! そう言ってもらえて、すっごく嬉しいよ!」


 ジェンティレスは涙の跡を吹いて、再び笑顔になった。

 それを受けてイノンは、ほっと息をつくと共に笑みを零した。


「そろそろ行こうか」

「うん」


 二人は小さな歩幅で、足元を確かめるように歩き出した。


「もう、結構暗くなってきたな」

「うん。ねえ、イノン、みんなへのお土産、何にしようか?」

「そうだな……。ウルルには、いつものより少しいいラム酒にしよう。ギギ、ググ、ゲゲには、もっと別の食材も買っておこうか。メデューサには新しいドレス、ライオットには革靴はどうだ?」

「うん! いいと思うよ! ルージクトは、部屋に飾るお花で、クレセには、飴にして、ユーシーには、煙草……あ、やっぱ専用の灰皿がいいかも。レンは本とワイン、どっちが喜ぶかな?」


 二人はどちらかが促すわけでもなく、自然と手をつないでいた。

 お互いの温もりが、掌の上で交差する。


 ジェンがこれからどうなるか分からない。将来、ホテルを出ていくのかもしれない。それでも、ジェンのことをその名に恥じないような、誰よりも優しい子に育てよう。


 イノンはそう決心し、ジェンティレスの手を強く握った。







 その夜、みんなへのお土産をたくさん抱えて、ジェンティレスとイノンはホテルに帰ってきた。
















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