chapter3



 招き猫が喋った。


「そうは言われましても、№ツ・〇八〇三には何の欠陥も見当たりません」


 狸の信楽焼しがらきやきも喋る。


「当社の精査を全て受けた上で、担当者が正常の判断を下しています」


 招き猫と狸の信楽焼は更に続ける。


「№ツ・〇八〇三には何の欠陥も見当たりません」

「当社の精査を全て受けた上で、担当者が正常の判断を下しています」

「うそ、嘘よっ! 故障じゃないのなら、どうして父は大好きな金魚を自分の手で殺すの!?」


 喉が千切れるほど叫んだ瞬間、眼前にずらりと並んだ猫と狸が霧散した。

 猫と狸の代わりに現れたのは、傲岸不遜ごうがんふそんを絵に描いたような、歩く天然記念物男。


「だったら俺が直してやろう。その代わり、報酬は完成した蝶金魚だ。飾るも良し、売り捌くも良し」


 男の手の中には、巨大な透明の袋があった。中には、尾鰭が蝶の羽のように美しい金魚がわんさかと。無数の蝶金魚が入った袋を肩に担いで、男はニタリと口角を上げた。


「ひっひっひっ。これで蝶金魚は全て俺のモンだ。家内安全、商売繁盛」





「やめろ、この悪徳商法詐欺男――――ッ!」


 喉が張り裂けそうなほど叫んで、目が覚めた。

 朝陽の滲む天井を見上げながら、肩で息をする。悪夢だ。悪夢を見た。どんな夢だったか良く覚えていないけれど、こめかみを流れる多量の冷汗が、悪夢であったことを証明している。

 目を擦る。息をつく。そうすることで、悪夢から逃れようとした。

 けれど、突然鳴り出したアラーム音に、本当の悪夢はここからだと悟った。


「株式会社リフレクトリウム、代表取締役・エイチ様よりお電話です。株式会社――――……」


 五回までは無視をした。それでも鳴り止まないアラーム音。先に根を上げたのは、サラサの方。

 枕の顔を埋めたまま暗証番号を唱えると、途端にアラーム音が鳴り止んだ。代わりに流れたのは、


「やあ、サラサ。朝早くにすまないね」


 今一番聞きたくない男の声。

 喉元を締め付ける罪悪感から逃れるように、サラサはゆっくりと身を起こした。


「いえ……問題ありません」

「そう?」

「こちらこそ、大変ご迷惑をおかけしています。申し訳ありません」


 殊勝に謝罪すれば、小さく息を漏らした気配が室内に満ちた。

 まるで、わかれば良いんだ、と言わんばかりの態度。これが映像電話じゃなくて良かった。

 顔が見えないのを良いことに、不機嫌な表情を隠しもしないサラサは、再びぼふりと枕に顔を埋めた。


「単刀直入に尋ねるが、百年金魚はいつ完成する?」

「さあ……」

「いつまでものらりくらりと逃げていられる立場か? このままでは、君の金魚師としての立場も危ない。私は君を心配しているのだよ」


 そんなことは、わざわざバイヤーのあなたに言われなくてもわかっている。

 枕から顔を起こす気力を根こそぎ奪われたサラサは、くぐもった声のまま応えた。


「……研究資料が、見つからなくて」

「ランシ氏は生きているのだろう? わざわざ資料など見つけなくても、研究結果はランシ氏の頭の中にあるだろう?」


 それを引き出していれば、ここまで追い詰められてはいない。研究内容を聞き出すどころか、金魚を殺すようになった父親に手をこまねいています、とも言えないサラサは、黙秘権を行使するしかなかった。

 黙りこくったサラサへ、ほんのりと苛立った声が届く。


「いいか? 期限は一週間だ。それ以上はもう待てない。百年金魚が完成しないのなら、せめてデータだけでも渡してくれ。これは君達を支持しているサポーターの総意見と受け取ってくれて構わない」

「一週間って……」

「サラサ、これが最大限の譲歩だ。百年金魚の研究にさっぱり成果を上げられない君達親子を、企業がいつまでもサポートするはずがない。企業の後ろ盾がなければ、君の大好きな金魚の研究を続けるわけにもいかなくなるんだ」


 だから、そんなことはわざわざあなたに言われなくてもわかっている。

 枕にぎゅうっとしがみつく。顔を起こせないのは、不機嫌だけが理由ではなかった。痛む目頭を誤魔化すように、固く目を瞑る。このまま耳も塞いでしまったら楽なのだが、大手バイヤー相手にその態度は許されない。


「好きなものだけで食っていけるほど、世の中は甘くないんだ。君ももう子供じゃないからわかるだろう?」

「……そりゃあ、痛いほどわかっています」

「その言葉を聞けて安心した。ともかくこれが最終通告だ。一週間以内に連絡をくれ。期限内に百年金魚が完成しなかった場合、私も君達親子との縁を切らせてもらうよ」


 男の声が途切れる。バイヤーらしいさっぱりとした切り捨て文句に、苦笑すら漏れない。起き抜けにざくざくと気力を奪われたサラサは、枕に沈んだまま微動だにできなかった。


「……こっちだって、アンタみたいなバイヤー、お断りよ」


 電話が切れた後に悪態をついたところで、所詮負け犬の遠吠え。途端に惨めになったサラサは、ごろんと寝返りを打つ。目線の先には小ぶりの水槽。透明に澄んだ水の中を、赤い魚が悠々と泳ぐ。その鮮やかな色彩を眺めるだけで、強ばった心がゆるりと解けていくようだった。


(本当は……)


 本当は、バイヤー相手に商売なんてしたくない。路地裏の片隅で構わないから、小さな店を開いて、純粋に金魚を好きな人を相手に仕事をしてみたい。大好きな金魚を、権力自慢の象徴として売りたくなどないのだ。

 でも、バイヤーの言う通り、サラサは十代の夢見る子供ではない。尊敬する父の跡を継いで、一端の金魚師にならねばならぬ大人だ。研究を続けるためにも、サポーターに見捨てられるわけにはいかない。期待以上の成果を上げられなかった百年金魚の研究を、二十年も支え続けてくれた人達だ。ここで失くすには惜しすぎる。

 低血圧の身体に鞭打って、ベッドから這い出す。のろのろと向かった先は、扉一つ隔てた隣室。そこは、父親の私室兼、仕事場にしている場所。

 扉を半分だけ開く。シャッターがきっちりと下ろされた室内には、朝陽なんて欠片も差し込まない。代わりとばかりに灯る電飾の下には、見慣れた痩身の影がひっそりと屈んでいた。


「おはよう、サラサ。良い朝だね」

「……おはよう。お父さん」


 シャッターをほんの少し開けてみる。朝っぱらから潔いばかりの豪雨。お天気キャスターが間違っても「良い朝」とは言わない天気でも、ランシにとっては「良い朝」に変わりない。彼にとって、例え晴れでも雨でも、毎日が「良い朝」なのだ。

 そして、サラサにとっても、ランシがいるそれだけで毎日が「良い朝」。だから、何も言わずに、にっこりと笑ってみせる。


「ほら、サラサ、見ておくれ。今日も我が子達は元気だ」


 ランシの足元にあるのは、巨大な平面水槽。中には千にも近い赤い魚。その全てが、目を見開いてぷかぷかと浮いている。

 我が子と呼ぶほど愛を注いでいる金魚が絶命していても、それを「元気」だと話す父。こんな狭い水環境の中に長時間閉じ込められれば、当然の結果だ。そうなることを知っていて仕向けたのは、他でもないランシ。これが故障じゃなければ、一体何だと言うのだ。

 頭痛が酷い。ずきずきと痛む頭を押さえながら、曖昧に微笑む。やはり、もう一度テンカロイド製造工場に問い合せてみよう。真面に取り合ってくれないのなら、直接工場に押しかけるのも良い。父の故障が直れば、父の頭の中に眠る百年金魚の研究だって蘇るはず。自分と父の金魚師人生がかかっているのだ。これば、紛れもない緊急事態。

 電話の履歴から、相談窓口の番号を呼び出している最中だった。ふいに鳴った呼び鈴。来客とは珍しい。まさか、痺れを切らしたバイヤーが突撃お宅訪問を仕掛けてきたとか。一度目の呼び鈴は無視した。それでも立て続けに鳴る呼び鈴に、恐怖すら感じる。


(絶対ロクな客じゃない)


 五度目、六度目の呼び鈴も無視すれば、ようやく室内に静寂が戻った。ほっと息をつき、電話の履歴を見直す。目的の番号を見つけた瞬間、唐突に玄関の扉が開く音がした。


「あら、起きてるじゃない」


 寝巻き姿で呆然と立ち尽くすサラサを、ピッキング犯は紅い唇を歪めて笑った。緩く波打つブロンドに、大きなサングラス。極めつけは艶然と微笑む、真っ赤な口元。不審者にしてはあまりにも目立ちすぎる美女に、開いた口が塞がらない。ピッキング犯に侵入されたという恐怖を通り越してぽかーんと呆けるサラサをよそに、美女は乱雑とした室内をきょろきょろと見回している。


「あら、やだ。今度のお客は、こんなみすぼらしいお嬢ちゃんなの」

「……?」

「まあでも、金に色目はつけられないしね。びた一文でもある限り、お客はお客よ」


 まるで自分に言い聞かせるように話す女が、足の踏み場もない室内で踵を返す。黒のタイトスカートが短くて、中が見えてしまいそうだ。そんなことをぼんやりと考えるサラサへ、女の鋭い声が飛ぶ。


「ほら、ぼさっとしない。さっさと荷物をまとめて行くわよ」

「は?」

「昨日言われたでしょう。明日テンカを連れて、もう一度林檎庵を訪れるようにと」


 腕組みをしながら、諭すように話す女。その尊大な態度が、悪夢の中の男と重なる。その瞬間、サラサは悪夢が現実であったことを思い出した。


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