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『おいしーい!』
「……よく食べるな」
ザムはファーラの食欲に呆れた視線を送る。食べた山羊は全部で五頭。大きくないといっても、ザムの腰ぐらいの大きさがありかなりの量だ。しかしドラゴンであるファーラの巨体から見ると、さして不思議ではないとも思える。
ザムは地面へ立っていた。ファーラの背に乗って空を飛ぶのは過酷で、あまりにも恐ろしすぎた。やっと足が地面へ着いた時、安堵で目尻に涙が浮かんだ。
『ごちそうさま』
「これは食べないのか?」
地面に山羊が一頭、力なく地面に横たわっていた。これもファーラが仕留めたものだ。まだまだファーラの胃には余裕がありそうなので、ザムは不思議そうに聞いた。
『あまり食べ過ぎちゃダメなんだー。規則で決まってるの』
「規則って何のだ?」
『ドラゴン族たちの規則だよー。動物を丸呑みしたり生肉を食べるのって人間は嫌いだからだって』
「そう、なのか……」
ザムは口に手を当てた格好で考える。
(ドラゴンが人間のことを思いやるだと……一体どういうことだ? ドラゴンにとって人間など取るに足らない存在のはずだ。それに変化したときの格好は、人間と同じだった。服を着て、さらには袋まで持っている。それはどこで手に入れた? そもそもなぜ人間の姿になる必要が……?)
正解など思いつかない。ザムは頭を振ってそれらの疑問を振り払う。
「なあ、ファーラ。どうして俺たちと一緒に行こうなんて言い出したんだ」
『えっ?』
ファーラと出会ったとき、ザムは混乱の極致にいた。何しろ相手はドラゴンで、しかしそれが生贄を捧げるドラゴンではないという。しかも人間に変化して、伝説のドラゴンが何匹もいるという衝撃の事実を語った。その時点で精神崩壊寸前で、ザムの頭は全く働いていなかった。
だが冷静さを取り戻した現在、ファーラの言葉を落ち着いて思い返すと気になることがいくつも存在した。
『それはー、えーと、街に行けば色んな人がいるから、きっとそのドラゴンのこと知ってる人がいると思うし』
「ドラゴンのファーラが知らないのにか?」
ザムが訝しげに目を細めると、ファーラはあからさまに目をそらした。
『それはー、ボクって下っぱだからさあ……』
「どういうことだ」
『ボクってまだ若いんだよね。だからさー、ジジイとババアたちにネチネチいびられるんだよねー。この前も……』
ファーラは何やらドラゴンの高齢者たちの愚痴を言い続けているが、ザムはまったく聞いていなかった。ファーラの言葉から得た情報を整理する。
(ファーラが下っ端だから生贄のことを知らないとすれば、生贄を捧げる相手はそれより上の身分のドラゴン。つまりこれより強力なドラゴンってことか。最悪だ……)
ザムの顔色が一瞬で悪くなる。ファーラは言い伝えにあるようにブレスを吐いたり爪で地面を抉ったりしてはいないが、その巨体と威圧感は本物であり、高速で空を飛行した。それだけで人間は到底立ち向かうことなどできない存在だ。それより上の存在がいるなど悪夢でしかない。
(若いということは、ファーラの言動や態度から見ると正しいと思える。待てよ、この国にドラゴンが現れたのが三百年前。つまり生きていれば、すでに三百も歳を重ねている。三百歳といえば人間で言うなら長老どころではない。当時は若く血気盛んだったかもしれないが、今は貫禄を身につけた落ち着きのあるドラゴンになっているかもしれない。だったら誠心誠意対応すれば何とかなる可能性もある……っ!)
「おい、ファーラ!」
その声に愚痴を言い続けていたファーラはピタリと動きを止め、ザムへと視線を向けた。
『なに?』
「お前の年齢はいくつだ」
『んー? たしかー、百四十歳ぐらいだったかなー?』
「百っ!」
思わず絶句するザムを不思議そうにファーラは見る。
『なんでそんなに驚いてるの?』
「いや、だってだな……ちょっと聞くが、ドラゴンの寿命ってどれぐらいだ」
『たぶん千か二千年ぐらいだと思うよ。でも長老は特別でね、もう一万年は生きてるらしいよ』
「いち、まん……」
人間とはあまりに違う存在に、改めてザムはドラゴンという生物に畏怖を覚えた。
「ド、ドラゴンの成人っていつなんだ?」
『成人っていうのはないけどー、五百歳からだいたい一人前らしいよ』
思わず体から力が抜けて膝から崩れ落ち、地面へ両手をついてしまう。
(……いや、すでに三百年経過しているんだ。ファーラが百四十歳だとすれば、言い伝えのドラゴンが二百歳以上の可能性は十分ある!)
ザムはよろよろと立ち上がり、力の無い笑みを浮かべる。
「はあ……ファーラはもう食事はいいのか」
『うん。まんぞくしたー』
「だったら馬車へ戻ろう」
ザムは再びファーラの背に乗り、体をロープで固定する。
『行くよー』
「待ってくれ。食べないならあの山羊も運んでくれ。俺たちの食料になるし、皮も使える」
ファーラは山羊を片手で掴むと空高く上昇した。
飛び立つ瞬間は恐怖に襲われたが、二回目となると少しは慣れるらしい。まだ恐怖はあるが、震えて叫びだしたくなるほどではないとザムは感じる。
「まずいな。もうすぐ夜になる」
太陽は半分近くを山陰に隠してしまっていた。一時間もしないうちに周囲は真っ暗闇になってしまうだろう。
「急ごう。暗くなったら何も見えなくなる」
『ボクは見えるよー』
「夜目が利くのか。どのぐらい見えるんだ?」
『昼と変わらないよ』
「それは便利だな」
ドラゴンの伝承は世界各地にある。その中でもドラゴンがいるとされる場所はいくつもあるが、深く暗い洞窟の奥というのは良くある話だ。実際にそういう場所を好むドラゴンもいる。そのドラゴンは暗い場所でも昼間と同じように目が見えた。しかしこの暗い場所でも目が見えるというのはドラゴン族全てが持つ特徴で、珍しいものでも何でもなかった。
相変わらず風圧は過酷だ。しかし落ち着いた気持ちでザムは周囲を見る余裕があった。そうするとドラゴンやファーラに対する好奇心が首をもたげてくる。
「ファーラはここが故郷なのか」
『ちがうよー。ドラゴンの飛び地ってところ』
「そこにドラゴンはどれだけいるんだ?」
『わかんない。たくさーん』
ザムは閃き、身を乗り出してファーラへ叫ぶ。
「その場所に三百年前に俺たちの国へ来たドラゴンがいるんじゃないか!」
希望に目を輝かせるザムとは違い、ファーラは難しそうな顔で首をひねる。
『どうだろー? 飛び地ってていくつもあるし、そこから出て行くドラゴンも多いよ。それに引越しを趣味にしているドラゴンもいるし。見つけられるかなー?』
「駄目か……」
ザムは落胆して肩を落とす。
「ドラゴンの情報が集まる場所や、そういうのに詳しい人間は知らないか。紹介して欲しいんだが」
『それなら、街に行けば他のドラゴンたちと連絡取れるよ』
「本当か! できれば相手のドラゴンとの仲介をやってほしいんだが……」
『うん、いいよー』
軽い返事にザムは驚く。こんな簡単に伝説のドラゴンと連絡を取れるなど誰が考えていただろうか。しかしそれはザムにとって幸福なことだった。
「そうか、ありがとう」
ザムは笑顔を浮かべ、ふと考る。
(もしかして、ファーラが街へ行こうと言ったのは、俺たちがドラゴンを探している事を知って、その手助けをするためだったのか?)
ザムは能天気な鼻歌を歌いながら空を飛ぶファーラの顔を見る。その表情やこれまでの言動を見る限り、そんな深い考えを持っているようには思えない。
実際ファーラは何も考えていなかった。街に行こうと言い出したのは、そこに面倒事を全て投げてしまえる相手がいたからにすぎない。
(とりあえず、希望はまだあることに感謝しよう)
「ファーラ、そっちじゃない。進む方向はこっちだ」
『はーい』
二人は太陽が完全に沈む前に馬車まで戻ることができた。
ザムは腰に結んだロープを解き、鱗を足がかりにしてなんとかファーラの背中から地面へ下りた。
「……ふう。なんとか下りれたか」
ザムは自分が下りてきた場所を見上げる。ファーラは巨大で、乗っていた背中の位置は非常に高かった。落ちたら確実に大怪我どころか命の保障も無い。ファーラに手で下ろしてもらおうとも考えたが、最初に背中へ乗る際に落ちかけたことを思い出して止めたのだ。
ファーラは持っていた山羊を地面へ置くと人型に変化した。
「このヤギどうするのー?」
「血抜きして皮を剝いで肉を切る。太陽があるうちに火を起こそう。おーい、カルル」
馬車の扉がゆっくりと開き、カルルが恐る恐る顔を出す。その目がザムを見つけると、一瞬安堵の表情を浮かべ、次は怒りへと変化した。
「もう、遅いじゃないか! 一人で心細かったんだからねっ!」
「それは悪かった。でも馬もいるから寂しくなかっただろ」
「バカ! こっちはいつ魔獣が出るかとビクビクしてたのに!」
「馬車の中にいたんだろ? それなら安全じゃないか」
ザムがそう言ってニヤリと笑うと、カルルは不機嫌な顔で何かを投げた。ザムが片手で掴むと、それは馬車の扉の鍵だった。
「これがどうした」
「……それ、意味ないじゃないか」
馬車は捕虜や犯罪者を移送するためのものだ。そのため脱走を防ぐために、扉は外からしか鍵をかけることも開けることもできなかった。なので魔獣に襲われた場合に馬車の中へ避難しても、扉は開いたままなのだ。いくら頑丈だといっても、扉が閉じていなければ安全とは言えなかった。
「あ、そうか」
「そうか、じゃないよ! ザムは私の護衛なのに、なんで置いていくのさ!」
「それは、ファーラだけだと道に迷う可能性があるし、せっかくの手がかりに逃げられるわけにも……」
「言い訳するなー!」
「だったら、カルルも一緒にファーラの背中に乗って空を飛びたかったか?」
カルルはその言葉で思い出し、顔をしかめた。
あの時、ザムたちが急上昇していく姿を呆然と見ていたが、急加速して空の彼方へ飛ぶ姿を見てカルルは一気に血の気が引いていった。
鳥よりも高い位置を飛んでいる。しかし人間は空を飛ぶことができない。つまり落ちたら死ぬのだ。落ちて割れた木の実のようになったザムを想像してしまい、カルルの視界はぐらりと揺れた。
「……絶対嫌だ」
「そうだろ。それに山羊を仕留めたから新鮮な肉が食えるぞ。これで機嫌直してくれよ」
しかしカルルは不機嫌な顔で横を向く。
「ふん!」
「おいおい……どうしたんだよ?」
ザムが困惑しているとファーラの声がした。
「ねー、これいらないなら食べていい?」
「おい待て。もう食べないんじゃなかったのか」
慌てて振り向きファーラのいる方向へ走っていくザム。その背中をカルルは恨めしそうに睨みつけた。
「何だよバカ。私よりドラゴンが大切だっていうのか。ザムは私の護衛なんだぞ……」
小さくつぶやく呪詛はザムの耳には届かなかった。
「ファーラ、これは俺たちの晩飯なんだからな。よだれを垂らして見るんじゃない」
実際はよだれを垂らしてなどいないが、食欲に目を光らせて山羊を見つめるファーラは、まるで餌を前にした飢えた犬のようだった。
「でも、おいしそうなんだもん」
「ったく、さっきもう食べないって言ってただろうが」
「うん。だけど久しぶりに生肉食べたから。あの味はクセになっちゃうんだよー」
ファーラはザムへ顔を向けると、食欲に支配されていた目が違うものに吸い寄せられた。それはザムが手に持っているもの。
「それなーに?」
「これか? ただの鍵だ」
「見せてー」
ザムは馬車の鍵を手渡す。鍵には細い紐がついていた。ザムにとっては特に変わったところの無い物で、それをしげしげと観察するファーラは奇妙に見えた。
「これ珍しいねー。見たことない」
「鍵を見たことないのか?」
「ううん。鍵を見たことはあるよ。でも、木でできたのは初めて見たよー」
鍵は細長い木製の角柱の先端が削ってあり、そこにいくつかの突起があった。かなり年季が入ったものだが、欠けたり腐ったりしている様子は無い。
「木製以外の鍵なんてあるのか? まさか石製とか」
「石の鍵も見たことないなー」
「木でも石でも無いのか。さすがドラゴンだな。もしかしてドラゴンの鱗で作るのか?」
「鱗で鍵なんて作らないよー」
そんな会話をしていると、後ろから咳払いが聞こえた。それはカルルだった。
「ゴホン……夕食の準備はいいのですか?」
「おお、そうだった。俺は山羊の血抜きと解体しなくちゃいけないからな、カルルは火の準備だけやってくれ」
「火ですか?」
困惑した表情を見せるカルル。王族であるカルルは身の回りの世話のほとんどを使用人たちにやらせていた。食事を作るのはもちろん彼らの仕事で、カルルはただ食べるだけだ。なので料理の仕方はもちろん、火のつけ方も知らない。
「それぐらいって、カルルは王族だもんな。そりゃあ知らないか……使えねえ」
「おい、最後の言葉聞こえてるぞ!」
「じゃあ、ボクが火をつけるね」
「だったらまず馬車から薪を……」
ファーラは大きく息を吸い込んだ。ザムは悪い予感がしたため、カルルの手を取ってその場から離れる。
「ザム、どうしたんですか」
「いいから来い!」
ファーラは溜め込んだ息を吐き出す。しかし彼女の口から出たのは、息ではなく真っ赤に燃える炎だった。それは周囲を染めようとしていた暗闇を吹き飛ばし、一瞬で世界を昼に変えた。
「ウワアアアア!」
「ぐおおおおお!」
二人は熱に背中を焼かれ、衝撃波で地面へ倒れる。馬は恐慌状態になって暴れだした。
もしも上空からこの場所を見るものがいれば、山の中でオレンジ色の光る柱が見えただろう。
「ううん……」
「カルル、生きてるか……」
周囲はひどい有様だった。燃えるものが無いはずである岩だらけの地面のあちこちで火が揺らめいていた。馬車は無事だったが、所々が焦げて黒くなっている。ザムたちも服や顔は煤で汚れていた。馬は暴れてこそいないが、興奮した様子で首を忙しげに動かしている。
「やりすぎちゃったー」
元凶であるファーラは間延びした声で言った。驚いた顔をしていたが、それは卵を割ったら黄身が二つあったという程度の驚きようでしかなかった。自身の服が焼け焦げ、炎のブレスが直撃した場所が赤熱しているというのにだ。
「火を吹くの久しぶりだったから、力かげんわすれちゃてたー」
そう言いながら小さく舌を出す。それは可愛らしい仕草だが、状況に違和感がありすぎた。見た目がどれだけ人間の少女と同じだとしても、ファーラは凶悪な力を持つドラゴンなのだ。それを彼女自身で証明した。
「っファーラ!」
ザムが叫ぶ。その声でカルルは弱弱しく顔を上げた。
「……生きてる、の……?」
「やりすぎだー!」
「? だからそう言ったじゃん?」
可愛らしくファーラは首をかしげる。それを見てザムに青筋が浮かぶ。
「お前、反省とか、ごめんなさいとかないのかー!」
ザムは力の限り叫ぶが、ファーラは何を言っているのかわからないという表情だ。
「もういい……とりあえず火はある。燃えてるところでたき火にするか」
ザムは重い足取りで馬車の中から薪を運ぶ。それを燃えている地面に置いて周りを石で囲んだ。
すでに太陽は完全に隠れて夜になっていた。しかし地面で揺らめく炎に照らされ、まるで真昼のような明るさだった。ファーラのブレスがどれ程のものだったかうかがえる。
そのおかげで山羊の解体が楽だったのは、ザムにとって不幸中の幸いだった。しかし心の中では、全く割に合ってないと思っていた。不満を小さく口にしながら黙々と山羊へ刃を振るい続けた。
「もう焼けたか」
切り分けた山羊の肉は木の枝に刺し、たき火の周囲に並べていた。直接火に当たらないように距離を調整している。
ザムはそのうちの一つを取るとカルルに手渡す。鼻を近づけて臭いを確認して、恐る恐るカルルは肉を口へ運んだ。眉間にしわを寄せながら噛む。
「どうだ?」
「……固いし臭い」
山羊は痩せていて脂が少なかった。そのため固く、臭い消しのための香草や果物も無いので野生の獣特有の臭いが強かった。王族として生まれ日ごろから高級食材しか食べていなかったカルルにとって、この肉は食えたものでは無いのだった。
「さすが王子様。こんな蛮族みたいな食べ物は無理ってわけか」
「ムッ。そんなこと言ってないだろ!」
カルルは眉を吊り上げると、山羊の肉へかぶりつく。それを見て小さく笑うと、ザムも焼けた肉を噛み千切る。固くて臭いとカルルは言ったが、ザムにとって肉というだけでご馳走だった。肉は下級氏族にとって一年に一度食べれるかどうかという物なのだ。
ベレロ国は動植物が生きるのに厳しい土地だ。冬は厳しく長く、夏は短い。土地はどこも痩せていて、一部の場所にしか水場が無く緑が少ない。なので野生の獣の数は少なく、生息する場所も限られていた。
豊かな場所は力ある者が支配するのが常だ。植物が豊富で獣が多く生息する場所は貴族たちに全て占領された。そのため下級氏族たちが暮らす場所は荒れた土地ばかりになり、獣たちと出会うことなどほとんど無い。となると獣を狩り、肉を得ることなど不可能だ。
「うまいうまい」
ファーラは切り分けただけの生肉を食べている。それをザムは気味悪そうに見ていた。
「ドラゴンの姿で丸呑みするのはなんとも思わなかったが、人の姿で生肉を食うのは生理的に嫌だな……」
「ザムも食べるー?」
「いらん!」
生肉を食べないのは食文化だけが理由では無い。獣の生肉には寄生虫が存在する可能性があるからだ。だが正確にそのことを知っている訳ではなく、生肉を食べると病気になり死亡するということが知られているだけだった。
「ドラゴンの規則で生肉が食べられないとか言ってなかったか?」
「そうだけどー、せっかくウルサイ秘書がいないんだから自由にさせてよー」
ファーラは気分を害され、不満そうな表情をする。しかし肉を口に入れるとすぐに笑顔になった。
「その秘書? ってのは誰なんだ」
「ボクを監視するように言われた人だよー」
「監視? しかも人間なのか?」
思いがけない言葉にザムは驚く。
「うん。もうね、いちいちうるさいんだよー? もっとちゃんと仕事しろ、威厳ある態度をしろ、つまみ食いするなとか、もー息がつまっちゃうよ」
大げさなため息をはきながら、ファーラは芝居がかった動作で首を振る。
「お前、ドラゴンのくせに仕事なんてしてるのか?」
「そうだよー。ちょっと前、ジジイに仕事しろー! って家から追い出されちゃったんだよねー。ホント、めんどくさーい」
「……その仕事って何なんだ」
「それはね……」
言いかけたファーラの口の動きが止まる。
「どうした?」
ザムが問いかけると、露骨に目をそらした。訝しげに睨むと、ファーラの顔に汗が浮かぶ。
「それは……まあ、なんてことない仕事だよ……」
「じゃあ教えてくれてもいいだろ」
「あっ! ボクはもうお腹いっぱーい。ごちそうさまー」
あまりにも露骨に話題を終わらせるファーラ。ザムは何か言おうとしたが、それはできなかった。カルルに頭を無理矢理押さえつけられたからだ。
「すいませんファーラ様! ザムが無礼な口をきいて!」
「おい、手をどけろ」
「うるさいバカ! お前はファーラ様に何言ってるんだ!」
顔を真っ赤にしてつばを飛ばす勢いで怒鳴るカルルに、ザムは不思議そうな顔をする。
「別に変なことは言っていないだろ」
「言葉遣いだバカ! なにファーラ様をお前呼ばわりしてるんだ! 分をわきまえろっ!」
鼻が触れそうな距離で叫ぶ。ザムは耳に指を入れて迷惑そうな顔をする。それを見てさらに顔が赤くなるカルル。
言葉を続けるカルルを無視してザムが顔を背けると、再び肉を食べ始めたファーラが目に入った。
「もう満腹なんじゃなかったのかよ……」
「聞いてるのかっ!」
ファーラは大きなあくびをして目を擦る。
「ねむーい」
「お、じゃあ寝る用意するか」
続く大声に心底辟易していたザムは、これ幸いとカルルの説教から逃げた。
「こらっ、待て」
「そうか、カルルは眠くなったドラゴン様を無視するのか?」
言葉に詰まったカルルは唇を噛む。それでも目だけはザムを睨みつけていた。それに不適な笑みを返すと、ザムはファーラへ向き直る。
「それじゃあファーラ、ドラゴンになってくれ」
「え? なんで?」
ファーラは不思議そうに問うが、ザムは曖昧な笑みを浮かべただけだった。
野宿する場合は、必ず誰かが見張りをしなければならない。柵や防壁に囲まれていない村や街以外の場所では、いつ魔獣が襲ってくるかわからないからだ。
この見張りは大変だ。まず常に周囲に絶えず注意していなければならない。ここのような開けた場所では、洞窟など一方向だけ見ていればいいわけではない。それは非常に精神力、体力をともに消費する。
普通の獣なら火を絶やさなければ近づいてくることは無い。しかし魔獣となると意味が無くなる。魔獣にとって多少の火など恐れるものでは無いのだ。そして見張りの人間でさえも。
だが、その見張りがドラゴンだったらどうだろう。魔獣だろうと恐ろしくて絶対に近づくはずがない。たとえそのドラゴンが熟睡していたとしても。世界最強の生物の尾をすすんで踏む者など存在しないのだ。
そんな理由を説明するわけにもいかないので、ザムは適当に理由をでっち上げる。
「馬車の中にはベッドはあるが、一つしか無い。床に寝させるわけにはいかないし、そもそもあれは罪人を運ぶ馬車だ。そんなのに乗せるわけにはいかないだろ」
その言葉にカルルは小さく顔をしかめたが、それは無視してザムは言葉を続ける。
「テントもあるが、これは俺のような下級氏族用のものだ。狭いしボロい。穴もいくつか空いている。そんなひどい所に寝させるわけにはいかない」
馬車が罪人用だろうがテントが破れていようが、屋根も無い地面に寝させるほうが非道なのは、少し考えればわかることだ。しかしザムはこの短い間にファーラがかなり子供っぽいことを感じ、これでなんとか言いくるめられると思ったのだ。
「それにファーラはドラゴンなんだろ。人間の姿でいるよりドラゴンになったほうが楽なんじゃないかと思ったのさ」
ザムはじつに良い笑顔をファーラへ見せた。その様子を、カルルは胡散臭そうに目を細めて見ていた。その視線に気付いていたが、ザムは無視する。
しかしザムの企みは水泡に帰す。
「んー? ベッドがあるんだよね。そこで寝るー」
「へ? いや、ドラゴンの姿だと馬車へは……」
「もうずっと人型で寝るのが普通になったからねー。子供のころは変化できなかったからそのままで寝てたけど」
思いがけない展開にザムは狼狽する。
「で、でもな、ベッドはカルルが使ってるし……なっ、カルル!」
目で話を合わせろと合図するザム。カルルはにっこりと笑い、言った。
「もちろんベッドはファーラ様が使ってくださってかまいません。私は床で寝ますので」
「カルル! 何言ってるんだよっ!」
驚愕の表情を向けられるが、カルルは無視して微笑んだままファーラを見ている。
「粗末なベッドですが、大きさは十分余裕があると思います」
「ありがとー」
「いえいえ。ファーラ様が快適に過ごしていただくことは重要ですので」
「ちょっ、カルル!」
ザムはカルルの腕をつかむと、強引に離れた場所へ移動する。
「痛い! どこへ連れて行く気だ! まさか、私を襲う気かっ!」
「ハッ、お前みたいなガキは趣味じゃねえよ」
「貴様ーっ!」
「いいから静かにしろ」
ザムはカルルの口を手で塞ぐ。しばらく暴れていたが、やがて大人しくなった。それはまるで暴漢に襲われ、自分の運命を悟り全てを諦めた乙女の様だった。
それを見て、ザムは心の底から疲れた重いため息をつく。
「ハァ……お前を襲ったりなんかするかよ。神に誓ってもいい。ったく、これからどうしてファーラを外で眠らせるか説明するからな。いいか……」
ザムはゆっくりとファーラが夜の見張りになることを説明する。カルルの目に理解の色が広がるのを確認して、安堵の息をはく。
「わかってくれたか」
「いいから……手をどけろ!」
カルルは乱暴に口を覆ったザムの手を外す。
「どんどん私の扱いが雑になってるだろ!」
「で、わかってくれたか」
激怒しているカルルなどザムは全く気にしていない。それを見てさらに目が釣りあがった。
「わかるわけないだろ! 相手はあのドラゴンだぞ! そんな不敬なことできるはずがない!」
「そうは言ってもなあ……カルルは見張りなどできないだろ」
夜の見張りは最低二人以上で仮眠を交代でとりながら行う。しかし三人の中でまともにできるのはザム一人だ。ファーラはもちろんのこと、カルルは王族なのだから無理に決まっている。だからと言って見張りをしない訳にはいかない。
「だからといって……!」
「ふあぁ、もう寝ようーっと」
言い合いをしている二人など眼中に無いファーラは、大きなあくびをすると馬車の中へ入っていく。ザムは慌てて駆け寄る。
「待てファーラ。外で寝ろ」
「やだー。寝るー」
「いい加減にしろザム! どうぞファーラ様、ベッドでお休みください」
カルルはザムの腰へ抱きつくようにして、ファーラへと近づくことを阻止した。
「ふぁーい。おやすみー」
「おやすみなさい。ファーラ様」
「おい、離せ。くそっ」
ザムは舌打ちをしながら振りほどく。カルルはというと、そうの乱暴なやりかたに腹を立てるのではなく、したり顔でザムを見ていた。
「ふふん」
「何だその不細工な顔は」
「ブサ……!」
暴言に絶句するカルル。
カルルは不細工ではない。それどころか、かなりの美形だった。まだ子供っぽさが抜けていないとはいえ、成長すれば多くの目を惹きつけることが伺える。
カルル自身は自分のことを美形などと思ってはいなかったが、それでも多少は人より外見が優れていると思っていた。また王族なので周りから美辞麗句を言われるのが当然で、歯の浮くような言葉には辟易してはいたが、これほど人を貶める言葉をかけられた事は無かった。しかも相手は下級氏族のザム。
ある意味ドラゴンと出会うことより驚天動地の出来事に、脳の処理能力が限界に達した。意識が一瞬遠のく。
「わ、私が不細工、だと……」
「まあな」
「どこがだっ!」
頭から湯気が出そうな勢いで怒るカルルをザムは笑う。それを見てさらに激昂し、口を開こうとしたときザムが言った。
「ま、あのふざけた笑顔よりは、今の起こった顔のほうが美人だぜ、王子様」
意識しなかったタイミングで発せられた言葉に動きが止まり、カルルの顔が徐々に紅潮していく。
「び、美人か……そうか……」
薄く笑みを浮かべそうになったところで気付く。
「お前、ぜんぜん褒めてないだろっ!」
叫ぶがそこにザムの姿は無く、振り返ると馬車に向かって歩く背中が見えた。
「どこへ行く!」
「あん? 見張りがいないから馬車で寝るんだよ。外で寝るよりか安全だ」
「また私と一緒に寝る気なのか、お前は外で寝ろ!」
ザムは我がままを言う幼子を見るような目を向ける。
「今言っただろ。外は危険なんだ」
「うるさい! お前なんか魔獣に食われてしまえばいいんだ!」
言い合いをしていると、馬車の中からファーラが叫んだ。
「うるさいよー。寝るんだからしずかにしてー」
二人は無言で睨みあうと、同時にため息をついた。
「とにかく、俺は馬車で寝る」
「……わかった。不本意だけど……不本意だけど……」
カルルは予備の毛布に包まり、馬車の床で寝る。その毛布は寒かった場合に追加して使うものだった。幸い今のところ追加の毛布は必要は無い。おかげでカルルは布団無しで寝ることは回避できた。
馬車の中に明かりは無く暗い。小さい窓から漏れる月明かりだけが微かに一部を照らす。
目を閉じてもなかなか眠りにつくことができない。寝返りをうって微かに目を開けると、暗闇の中で微かに人影が見えた。それは馬車の入り口である扉を背にして、うずくまるようにして座る毛皮に包まったザムだった。
あれから布団に入るまでカルルはザムを無視していたので、その姿を目にして驚く。背後で音はしていたので、床に寝たのだろうとしか思っていなかった。なぜか目を逸らすことができずにいると、ザムが目を開けた。
「眠れないのか」
「う、うん」
「まあ、仕方がないか。なんせ、ドラゴンだからなあ」
「そうだよね……」
今思い出してもドラゴンとの出会いは、カルルに恐怖を思い出させる。空から降りてきた恐怖。しかし昔からくり返し教えられてきたドラゴンの印象は、この一日であっという間に塗り替えられてしまった。
「まだ、信じられないけど、ファーラ様はドラゴンなんだよね?」
「間違いなくな」
「でも、なんというか、子供っぽいよね」
ザムは苦笑する。
「確かに。でもアイツはあれでも百四十歳らしいぞ。ドラゴンの成人は五百歳らしいが」
「ひゃく……!」
あらためて人間とは根本的に違う生物だということを思い知らされ、言葉が出ない。と、そこでカルルは首をひねる。ザムはなぜファーラの年齢など知っているのだろうか。
「どうして年齢を知ってるの?」
「本人に聞いたからさ。山羊を仕留めたときだ」
「そうなんだ」
カルルはザムを少し見直した。あの恐ろしいドラゴンと会話して、情報を引き出している。今のところ生贄を捧げるドラゴンがどこにいるのかという情報が全く無い。ファーラも知らないと言っていたが、それが本当だとは限らない。
カルルはドラゴンを心の底から恐怖していたが、それと同時に冷静に分析もしていた。
出会った当初は混乱して何も考えられなかったが、ザムとファーラが食料調達に飛び去った後しばらくすると精神が落ち着きを取り戻していた。それができたのは、恐怖の源であるドラゴンが傍らからいなくなった事が理由の一つだろう。
ファーラは不自然なところが多すぎる。まず、出会ったときに普通にカルルたちへ話しかけてきたこと。子供のドラゴンであるが故の好奇心とも考えれるが、それにしては人間に慣れすぎているように思えた。次に、街へ二人を連れて行くことだ。生贄を捧げるドラゴンはファーラではないのだし、わざわざ関係ない人間を街に案内するなど意味が無い。
さらに、街へ行こうと言った後に告げた言葉も気になる。それは、できるだけゆっくり街へ向かう、というだった。そこへ行こうと提案した本人が、そこへ到着するのをわざわざ遅らせようとするのだろうか。そのことに意味があるのだとしても、推理する材料が全く無いため五里霧中だった。
先の見えない不安がカルルの頭を塗りつぶそうと侵食をはじめる。
「これから行く街で、他のドラゴンと連絡がとれるらしい」
「え?」
ザムは顔を上げたカルルをじっと見る。それはいつもと同じ眠たげな目だったが、どこか労わる様な、大丈夫だと優しくなぐさめる様な思いが込められているように見えた。カルルの瞳から恐怖の色が消える。
「ファーラから聞いた。その仲介をしてもらう約束も取り付けた。あと、さっき話してただろ。秘書って名前の人間がいるみたいだな。そいつはドラゴンの監視役なんかやっているらしい。だったら探しているドラゴンについて知っているかもしれない。まだ絶望するには早いさ」
暗闇の中で二人はただ見つめ合う。月も角度を変え、馬車の中に差し込む光は少なく、互いの輪郭も曖昧だった。それなのに瞳だけは輝いているようで、カルルは目を離すことがどうしてもできなかった。
「ザム……」
「ところでだ」
その瞬間、ザムの瞳に湛えられていた優しい光は消え失せ、その雰囲気もいつもと同じつかみどころの無いものへと戻ってしまった。先ほどまでの彼が幻であったかのように突然のことだった。
「お前、そのまま寝るのか?」
「へ? あ、うん、そうだけど?」
「下着、換えたのか」
カルルの表情が石の様に固まる。
「昨日も換えてなかったし、どうしたのかと思ってなあ」
「…………」
鍋の中身を浴び、異臭がしたため服は着替えたが、下着は交換していなかった。つまり現在見につけている下着は、二日間着続けていることになる。
下着だけではない。体を水で拭くことも、二日できていなかった。その事を思い出し、ついカルルは鼻を鳴らしてしまう。臭いはしない。が、自分の臭いというのはなかなか気付きにくいものだ。髪の毛を触ってみる。すると脂と砂埃の感触がした。髪の毛自体も硬く、滑らかさを失っていた。
「…………」
カルルの肩が小刻みに震えだす。それを見てザムは、ニヤニヤといやらしい笑みを浮かべた。
「どうした王子様? 俺なんか何日も体は拭いてないし、服も下着も換えてないぞ。そういえば、さっき俺に抱きついてたな。臭いが移ったかもな。スマンスマン」
カルルが顔を上げると、色を失った両目がザムを貫く。口笛でも吹きそうなほど陽気な調子で、それを受け流すザム。
「それと水は節約するって言っただろ。だから……水で体を拭くのは禁止な」
瞬間、カルルは全身を一度震わすと、力を失ったように頭が顔から落ちた。床に打ち付けた硬い音がする。
その後、暗闇の中で音が聞こえることは無かった。夜は更けていく。
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