第8話

「それで、トキ君。キミはこの中に何か見えたって言ったよね?」


 イヅルが音楽準備室を目で示して言う。


「は、はい。人がいるのが見えました。多分きのう会った、2年の先輩だと思います。自信ないですが」

「そいつの顔を憶えているんだよね。なら本人で間違いないかわかるよね?」

「えっと、そうなんですけど、顔がなんだかぼやけててハッキリとはわからないんです。なんか間にうすいモヤがかかっているような」


 トキがモヤを手で振り払うようにあおぐと、準備室への扉が押されたようにたわみドアノブが外れた。


「壊れたね」

「え、あの、何が?まさか、僕が?え?」

「トキ君、まあ落ち着いて。君が悪いわけじゃないよ」

「イヅルは落ち着き過ぎだ。ったく、前回も備品を壊したって怒られたばかりなのに」

「扉に触ってないのに、今の僕のせいなんですか?ご、ごめんなさい?」

「予測で謝るなよ。今お前がやったのは、目標に手を触れないで物理的な力をくわえることができるんだ。テレビの特番とかで超能力特集とかたまにやってるのがあるだろ?サイコキネシスってやつだ」


 サイコキネシス、と呟きながらトキは自分の手を見つめた。

 何もないと思っていた自分が、いつの間にか手に入れた力。でもそれは目に見えなくて、信じられなくて。


 顔を上げると、そこには二人の先輩がいる。自分は信じられなくても、この人たちの言うことなら、信じられると思う。トキは自分に小さくうなずいた。

 トキの目の前、鍵を壊された扉が嫌な音をたてて開いた。キスイとイヅルは扉の前から飛びのき、トキは慌ててそれを追って下がった。


 空気が変わった。


 雰囲気という意味だけでなく明らかに変質した。重くなったと表現するべきか、まるで水中にいるような圧迫感がする。

 トキが不安に思っていると、キスイに頭を軽く叩かれた。キスイは自分の後ろを指さし、下がっていろと言うかのようにトキを引っ張った。


(すいません……あれ?)


 トキはキスイとイヅルを交互に見るが、自分の声が届いた様子はない。そして、二人の声も聞こえない。


(何か変です!)


 窓の西日も目の前の二人も、さっきまでとは全く変わらない。普段と違うところは一つだけ。

 音が何も聞こえない。


(あれ?この感じは、昨日の?これって……大変です!)


 トキは、昨日この感覚の後に起こったことを思い出し、慌てて振りかえる。キスイとイヅルは身振り手振りだけで会話をしているようだった。


(やっぱり、この先輩達ってすごいな)


 トキが憧れの目線で二人を見ていると、イヅルの持っている珠が薄く光っているのに気がついた。トキの手の中にあるお守りも同じように光っている。それを強く握りしめた。


(昨日は何もできなかったけど、今日の僕は一人じゃない)


 トキは自分は特別な人間だとは思っていない。むしろ平凡すぎると思っている。自分には、誰かに誇れるような力なんかないと。

 しかしキスイはトキに、自分の力を認めろと言った。トキにチカラがあると言ってくれた。キスイの言葉なら信じれると思った。信じたいと願った。

 だから、


(僕も変われる。やってやるんだ!)


(うるさい!静かにしろ!!)

(ひぇっ、ご、ごめんなさ……え?)


 反射的に謝ろうとして、トキは見た。音楽準備室の扉がいつの間にか開ききっている。


(だから、静かにしろと言っておるのだ!)

(ごめんなさい!って、なんで怒鳴るんだろう。僕らは喋ってなんかいないのに。声が出てないのに)


 薄暗い音楽準備室の扉から姿を現したのは、人に見えない人がだった。


 二年のジャージを来た人間。しかし顔がまるで人物画のように平面的で、しかも強く丸められた紙のようなシワがついている。

 絵の中の口が、シワをのばしながらゆっくりと動く。


(貴様らの、その、ドクドクという音がうるさい)


 絵の顔がトキの方を向いた。シワのすき間に隠された目が、少しずつ開いていく。パリパリという音が聞こえてこないのが不思議なほど、それははっきりと見えた。

 暗い闇から覗く、寒気をもった視線。それがトキの目が合う寸前に、トキの視界が塞がれた。


「あいつの目を見ちゃいけない」


トキの後ろから声が響いた。


(キスイ先輩?)


 キスイが後ろからトキの頭を抱えるように目を塞いでいる。トキの頭の横に、キスイの顔が並んでいるようだ。


「あいつの目を見るな、呪われる。足元を見ながら逃げてろ」


 手が離れ、視界が元に戻る。


(音楽室のベートーベン。言葉が通じるヤツじゃないのは知ってるが、一応言っておく。黄央高校の風紀を乱すヤツは、この風紀委員の大宮騎翠が、お前の『悪心』を切り祓う!)


 キスイが何かを言い、左の拳を握りながら紙の顔に向かって行くのが見えた。振り降ろされたキスイの左手は、紙の顔に届く前に、見えない何かにぶつかって止まった。

 続けて右足を振り上げたが、やはり絵人に当たる前に止まってしまう。それどころか、振り上げたままの足を絵人にしっかりと掴まれてしまった。

 絵人は動けないキスイの目を、皺のよった目で見上げるようにのぞきこもうとした。


(センパイ、危ない!)


 思わず飛び出そうとしたトキの顔の横を、青白い炎が走り抜けた。それは絵人の額に見事に当たり、絵人はキスイの足を放してよろめいた。

 トキが後ろを見ると、イヅルの周囲にいくつもの珠を浮かんでいるのが見える。

 イヅルはキスイと頷きあうと、何かを唱え始めた。浮かぶ珠が八方に散る。それが部屋の床と天井のすみに収まり、光りを発した。

 イヅルが結界を創ったのだ。トキにもわかるほどちゃんとした結界だ。

 結界は淡い存在を明確に浮き上がらせる。結界の中、絵人とキスイの周囲にひらひらしたモノが姿を現した。

 トキには宙を舞うそれが紙に見えた。ただの紙ではなく、音符がいくつも描かれた五線譜だ。

 五線譜が舞うなかで、キスイが腰の左側に手をあて、まるで剣を抜くように大きく振り上げる。すると、キスイの右手に、ひとふりの剣が本当に握られていた。


 五線譜は、絵人を守るように舞っている。

 キスイは剣を左手に持ちかえると、五線譜を気にもせずに絵人へ向かっていった。振り下ろされた剣に一枚の五線譜がひっかかると、周りを飛んでいる紙が吸い付くように剣に巻き付く。そしてキスイの剣は空中に固定されたように動かせなくなった。

 動けないキスイを助けるために、青白い炎を纏った珠が飛ぶ。珠は五線譜を避けて飛び、絵人にぶち当たる。絵人がよろめくと五線譜の存在そのものが薄くなり、キスイは紙を振り落とすことができた。

 それは音がない分、とても淡々とした攻防だった。片方は悪意を断ち切ろうとし、もう片方は悪意を植え付けようとしている。

 キスイはイヅルと連携しなければいけない分、行動に変化を起こせない。

そうトキが気づいた時、キスイの行動が変わった。

 近づく絵人から逃げるだけで、攻撃を仕掛けないのだ。後ろを振り返ったトキはその理由に気付いた。イヅルの珠が尽きたのだ。キスイと絵人の足元に、光りを失った珠がいくつも散らばっている。

 絵人もやがてそれに気付いたようだ。ざらついた笑みを顔に浮かべて、皺のよった口を動かした。


(もう遊ぶ余裕はないようだな。性悪なイタズラ坊主たちのためにフィナーレを奏でてやろう)


 そう告げると、絵人は大きくのけぞり、両手を振り回した。

 絵人の指揮に合わせて無数の紙が舞い始める。それは絵人を包み込み、竜巻のように回り出す。紙嵐の中心で、指揮者である絵人の右手が大きく振られる。五線譜がヘビのように連なって飛び出した。

 自分に向かって螺旋を描きながら飛んでくるそれを切り払おうと、キスイは左腕を振るう。しかし最初の数枚が剣にまとわりつき、後から続く五線譜がすべるように左腕にまきついた。

 五線譜のヘビはキスイを紙嵐に引き込もうと強く引いた。しかしキスイは踏みとどまり、逆に五線譜を引っ張り返す。すると紙嵐につながる紙が一枚破れ、それに続くように左手にまきついた五線譜も剥がれ落ちた。

 キスイは飛びずさって距離をとる。後ろからその様子をハラハラしながら見ていたトキは、キスイの左腕がどこかおかしいことに気がついた。

 そこに見えるのに、存在感が薄い。というより、本当にうすっぺたくなっている。


(センパイの肩が絵になった!)


 キスイが持っていた剣が床に転がった。すぐに拾おうとするが、絵人はそれを許さなかった。

 紙嵐から飛び出る蛇は突然に、そして容赦なくキスイを狙ってくる。キスイはそれを大きく飛んでよけるしかない。次々とせまるヘビを距離をとってよけ続けた。

 よけられ続けることにイラだったのか、絵人は大きく両腕を振り上る。


(これでどうだぁ)


 そして両腕が振りおろすと、五線譜のヘビが猛スピードでキスイに迫った。

 キスイはギリギリで反応し、床を強く蹴って跳んだ。しかしキスイの着地地点に、次の五線譜が来た。

 着地直後で動けないキスイの右足に、五線譜がするりと絡み付く。すぐにそれを振り払うが、絵になった足では自重を支えられず、キスイは左膝をついた。


(うははははは。そこで静かになるがいい!)


 絵人は腕を振り回し、紙が舞うテンポを上げる。すると大量の紙が渦となってキスイに向かって行った。


(危ない!)


 そう思った時にはもう体が動いていた。

 トキは両手を前に突き出す格好で、キスイと五線譜のヘビの間に立ち塞がる。


(止まれ!)


 五線譜のヘビをにらみつけ、ただそれだけを念じる。


(止まれ止まれ、止まれ!)


 向かってくるヘビを、同じくらいの強い力で食い止める。盾となって、押し止める。そう強くイメージしながら、せまり来る五線譜のヘビをにらみ続けた。

 五線譜の蛇がトキの顔に狙いを定め、一気に突き進んできた。そしてトキの前髪に紙の端が届くその寸前、ヘビの頭だけが壁にぶつかったかのようにいきなり止まり、残りが後ろからそれに突っ込んだ。

 ハラハラと紙が床に落ちてゆく。


(僕に、できた?)


 消えてゆく五線譜を、トキは信じられないという顔で見つめた。

 その時、床に散らばっている珠が、淡く光り出した。空間が少しだけ緩んだ。


(まだだ、トキ!あいつの顔を剥がせ)


 背後から、キスイの思念が届いた。


(え、あの……)

(お前ならできる!お前があいつを救ってやれ)


 トキは絵人をみる。顔は絵、おり皺のついた男の顔。でも、体は二年の先輩のもの。

 呪いに捕われて、顔と意志を乗っとられている人。トキは見ている。彼が顔を奪われる瞬間を。あの時は扉という壁があり、トキの力は届かなかった。でも今は、邪魔するものは何もない。


(僕の力は、あの紙を剥がし取れる、取れる、取れる!)


 心の底から強く念じると、絵人の顔の端が歪んだ。紙がゆっくりと隅からめくれていき、その下から人の顔が見えた。


(何をするかぁぁ……!!μ■⇒▲↓▼#】∽)


 絵の下に、本当の顔が半分ほど見えたとき、絵人から言葉にならない思念が発せられた。


(μ■⇒▲↓▼#】∽)


 『呪う』、ただそれだけの意思が半分。もう半分は、嫉妬から来る怨み、そしてやましさ。それを感じて、トキは目を彼――半分は絵、半分は人の顔の――と合わせてしまった。

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黄央高校戦浄録 天坂 クリオ @ko-ki_amasaka

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