[2] 集結

 プリピャチ沼沢地帯南方では、ドイツ軍は北部・中央部ほどの戦果を上げられなかった。なぜなら、急きょ4月に行われたバルカン半島侵攻作戦のために、南方軍集団の多くの装甲部隊がポーランド南部の出撃地点に集結できていなかった。このため、最初の一撃を第6軍と第17軍の歩兵部隊だけで与えざるを得なくなった。

 6月22日、第17軍の3個歩兵師団(第24・第71・第295)はラヴァ=ルースカヤの設堡地帯から攻撃を開始した。しかし第6軍(ムズィチェンコ中将)の第41狙撃師団(ミクシェフ中将)とNKVDの第91国境警備隊(マルイー少佐)による激しい抵抗に遭い、第17軍の攻撃は早くも5日間に渡って阻止されてしまった。

 国境に流れるブグ河では、第6軍の第17軍団(キーニッツ大将)と第3装甲軍団(マッケンゼン大将)の2個歩兵師団(第44・第298)が橋頭堡の確保に成功した。第14装甲師団(キューン少将)が後方から進出し、ルーツクへの突破口を抉じ開けた。

 この日の夜、南西部正面軍(キエフ特別軍管区より改組)司令官キルポノス大将は「指令第3号」を受け取った。さらに、スターリンの命令でモスクワから参謀総長ジューコフ上級大将がテルノポリの南西部正面軍司令部に派遣され、戦略予備の機械化軍団を用いた大規模な反撃計画の立案に取り掛かった。

 赤軍参謀本部は戦前から、ドイツ軍の侵攻はいずれにせよウクライナに集中すると想定していた。ウクライナの豊富な地下資源を真っ先に奪取することが考えられた。そのため、南西部正面軍にはドイツ軍に比べ、より多くの機械化部隊が配属されていた。全ての部隊が完全装備もしくは訓練を完了していたわけではないが、北翼の西部正面軍に比べるとはるかに良好な状態にあった。

 しかし、南西部正面軍の所属部隊(北から第5軍・第6軍・第26軍・第12軍)はまだ400キロ後方の兵舎から集合中で、ドイツ空軍の攻撃を受けながら前進しなければならなかった。そのためキルポノスとジューコフは、侵攻してきた南方軍集団の側面を叩くため、行軍中の部隊から兵力を分散させて早急に攻撃に向かわせざるを得なくなった。

 6月23日、第6軍の第15機械化軍団(カルペゾ少将)に所属する2個戦車師団(第10・第37)が、ミリアチン付近で包囲された第124狙撃師団を救出するため、南方軍集団の南翼に対して攻撃を行なった。しかし、湿地帯に行動の自由を奪われた状態でドイツ空軍の空襲を受け、この反撃は失敗に終わってしまった。

 反撃を乗り切った第1装甲集団は第48装甲軍団(ケンプ大将)の第11装甲師団(クリューヴェル少将)が夕方、東方への進撃を再開した。そして、国境から約80キロ付近を流れるストィリ河の渡河に成功した。

 6月24日、第5軍(ポタポフ中将)はルーツク西方に進撃してきた第3装甲軍団の北翼に対して、第22機械化軍団(コンドルーセフ少将)を投入した。しかし、第3装甲軍団の先鋒を務める第14装甲師団は新型のⅣ号戦車を駆使して迎撃を行い、旧式戦車しかない第22機械化軍団はかなりの損害を被って北東に敗走した。

 6月25日、第14装甲師団がルーツクを占領した。時を同じくして、楔形に進撃を続ける第1装甲集団の先鋒を務める第11装甲師団は国境から約110キロの地点に位置する交通の要衝ドゥブノの占領に成功していた。

 この時までに、南西部正面軍は十分な機械化兵力を集結させることが出来たが、掩護のための狙撃部隊を伴わずに攻撃を開始させることになった。採択された反撃計画としては、ルーツク=ドゥブノの突出部を南北からの挟撃で押し返すこととされた。

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