どーでもいい知識その③ 哺乳類にも真社会性を持つ動物がいる

「驚くのはまだ早いですよ」

 興奮したハイネは、咀嚼そしゃくも程々にナポリタンをお冷やで流し込む。

「デバさんは真社会性しんしゃかいせいを持ってます。哺乳類で真社会性しんしゃかいせいがあるのは、ハダカデバネズミさんとダマラランドデバネズミさんだけです」

真社会性しんしゃかいせい? アリとかハチみたいな?」

「改さん、よくご存知ぞんじですねえ」

 無邪気に賞賛し、ハイネは拍手まで始める。

「これでも理系だったりしちゃうんです。とは言っても、巣があって、女王がいて、下々がしもじも働く――ってくらいのあやふやな知識しかないんですけど。真社会性しんしゃかいせいって厳密にはどーゆー意味だったりしちゃうんです?」

「大まかに言って三つです。まず最低でも親子が一緒に暮らしてること。ハチさんもアリさんも、女王と労働係の子供が共同生活してますよね? 第二に繁殖を行うのが、特定の固体だけであること。シロアリを引き合いに出すなら、女王と王以外は交尾を行いません」


 日も高い内から女子と交尾の話をしている……。

 語り手のハイネちゃんは政見放送のごとく真面目なお顔をしているが、改はどうしてもほのかな背徳を、世間の目を感じてしまう。

 正しい知識にニヤリとしてしまうのは、自分の心が汚れているせい?

 いや、歳を取ると恥や外聞への意識が鈍くなる。

 改の祖母はお茶菓子代わりに夜這いの話をしていた。


「最後は二番目に付随する話です。真社会性しんしゃかいせいの集団は、繁殖に参加しないグループを抱えてます。そもそもシロアリの兵隊や労働階級は、生殖能力を持ってません」

「巣を運転するためだけに存在してるんですか? まるで歯車だったり」

 残酷な現実にトーンを下げ、改は首を振る。

 夜の騎馬戦も器械体操もないなんて、恋愛格差ここに極まりだ。シロアリ界の森永もりなが卓朗たくろうが、問題提起する日も遠くない。


「デバさんの場合は一匹の女王と、三匹程度の王様が繁殖を担当します。王様は交代制で、欠員が出ると巣の中から新人が抜擢されます」

「王様って子作りだけしてりゃいいんですか? そいつぁ羨ましかったり!」

 うなった改に、すかさず小春の声で自分ツッコミが入る。お前も似たようなもんだろ。

「聞くほど楽じゃないみたいですよ」

 改に生ゴミを見る目を向け、ハイネは一息にお冷やを飲み干す。どうも胸焼けを冷ましたらしい。

 デバの王様たちは何が不満なのか、改には理解出来ない。

 繁殖だけしていればいい身分に任命されるなんて、アメリカンもといアキハバランドリームだ。実現するなら腕一本持って行かれてもいいと、オール男子が即答する。


「健康なオスが王様になった途端、やつれてしまう――デバさんの世界ではよくある話みたいです。激やせした王様を調べてみると、オスに多い性ホルモン『テストステロン』が、下々しもじもの皆さんより高いあたいで検出されます。テストステロンには免疫系を抑制する働きがあって、あたいが高いほど病気になりやすくなるんです」

 ハイネはサラダからキュウリを選び、唇に包んだ。よく噛み、飲み下してから口を開く――小一で習った作法だが、彼女以外に実践している女子は少ない。


「それにデバさんの世界では、女王が一番偉いんです。王様なんて名ばかり。本質的には女王の腰巾着こしぎんちゃくです」

「ハチとかアリもオスは邪険にされてますよね。交尾したらすぐ死んじゃうし」

 自然界でもオスの立場は弱い。鳥から虫まで求愛行動はオスの専売特許だ。カマキリやクモは、事後にオスを食べてしまう。

 一番酷いのが、コンクリのジャングルで暮らすおサルさんだ。書類に判子を押してもらうだけで、三ヶ月分の給料を徴収される。


「女王が『抱け!』って鳴いたら、王様は嫌でも応じなきゃいけません。王様は交尾が好きじゃないみたいで、抱けば抱くほどやつれていっちゃうんです」

 王様と同じ状況に陥った時、自分ならどうなるか?

 改は行為を強要する女王を、ミケランジェロさんに置き換えて考えてみる。

 僅か一秒で、包丁片手に股間を凝視する自分が見えてきた。

「……やつれる程度で済むなんて、メンタル強いっスね」

「女王も楽じゃないんですよ」

 ♀同士仲間意識があるのか、ハイネは心外そうに言う。


「女王は始めから地位を約束されてるわけじゃない。頂点に立つには、厳しい競争を勝ち抜く必要がある。いつまでも先代が死なない場合は、自力で倒さないといけません。女王になった後も安心は出来ない。むしろ巣の中をこまめにパトロールして、他のメスが女王の椅子を狙ってないか確認しなきゃいけないんです。四六時中、警戒をおこたることの出来ない女王は、巣の中で一番睡眠時間が少ない。ストレスを示すホルモンも女王が最高なんですよ」

「常に反乱の恐怖にさいなまれちゃってるんじゃ、肉欲にふけって気を紛らわすのも仕方ないか」

「パトロール中の女王は、他のデバさんにおしっこを掛けて回るんです。女王のおしっこには特殊なフェロモンが含まれてて、それを浴びた個体の繁殖能力を抑える働きをします」


「で、結局、あのハゲモグラさんはデバさんだったりしちゃうんですか?」

「どうぶつ奇想天外」はこの辺にして、改は本題に入る。

「違います、絶対。デバさんの棲息地は東アフリカの乾燥地帯、具体的にはケニア、ソマリア、エチオピア周辺です。日本に野生のデバさんは棲んでません」

「動物園から脱走しちゃった、とかは?」

「確かに飼育している施設はあります。上野動物園の小獣館しょうじゅうかんとかは、アクリル製のトンネルで巣穴の様子をくまなく見せてくれるんですよ。ただ現在確認している限り、デバさんが逃げたって情報はない。それに数が多すぎる。飼育されている数は上野動物園で六〇匹、千葉大学で一〇〇匹前後のはずです」


「その程度の数じゃ、地面に肉の絨毯を敷いちゃうのは無理か」

「一つの巣に一匹しか子供を産むメスのいないデバさんは、普通のネズミより繁殖しにくいんです。その上、出産までには八〇日も時間が掛かる。ハツカネズミやドブネズミで二〇日前後ですから、か~な~り長いです」

 ハイネによれば、デバが一度に生む子供は一〇匹から二〇匹前後。流石さすがは多産のネズミと言いたいところだが、野生のデバは雨季にしか繁殖しないと言う。一匹の寿命が長い分、闇雲に増えなくても労働力には困らないのだろう。

 対してドブネズミは一年を通して繁殖し、一度に約一〇匹の子供を産む。

 その子供は一ヶ月強で生殖が可能になる上、全てのメスが出産予備軍だ。最初に五匹のメスが産まれれば、約二ヶ月後には五〇匹の子供が誕生する計算になる。ネズミ講にネズミ算と、倍々的増加の冠詞になるのも納得だ。


「それにデバさんは温暖な地域の生き物です。日本で越冬するのは難しいと思います」

「恒温動物のホモサピエンスでも外に出たくなくなっちゃいますもんね、日本の冬は」

 賛同しながら、改は手の平に息を吹き掛けた。

 ダウンのお力添えを得ても、鼻水が氾濫はんらんするのが日本だ。裸一貫で乗り切るなんて、エガちゃんにしか出来ない。

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