⑥19

「じゃ、今度は改ちゃんのターン。どうしてあなたは私たちを追っかけてたんですか?」

 小春にマイクを向けると、梅宮改は東海林しょうじさんっぽい口調で訊く。

 バレてた!?

 衝撃のあまり小春は背筋を伸ばし、ギクッ! とクラシカルな音を鳴らす。迂闊うかつだった。科特隊かとくたいはプロだ。素人の尾行に気付いていないほうがおかしい。


「わ、私は偶然通り掛かっただけだよ?」

 ウグイス嬢のように清らかな声をひねり出し、小春は親戚向けの澄んだスマイルを作った。

 それとなく、自然に、ナチュラルを意識しながら、右腕のBaby―Gに視線を落としていく。

「あ、もうこんな時間! 帰らないと!」

 ひっくり返った声でむせ返るほど「焦ってる感」を出すと、小春はそそくさと荷物をまとめ、席を立つ。

「いや~ん、もう少しいいじゃな~い」

 キャバ嬢っぽく引き止められた小春は、奴にパーカーのフードを掴まれた。


「俺にホの字?」

 マイクと小春の顔が不作法に詰まり、奴の口からもっと不作法な質問が出る。

「誰がアンタみたいな色魔を!」

 尊厳を傷付けられた小春は、ウグイス嬢だった声を角栄かくえいの娘っぽい怒号に変えた。

 誤魔化すチャンスだったのに……。

 後悔して口を押さえても、声は回収出来ない。


「じゃ、な~んで俺を追っかけてたの? 俺、小春ちゃんのことフっちゃったっけ? ぜんっぜんっ記憶にないんだけど。いや、ド忘れだったらメンゴ」

「……お前、世界中の女が自分に惚れてると思ってるだろ?」

「違うの?」

 ハトが豆鉄砲を食ったような顔とは裏腹、抜け目のない奴はドアの前にしゃがみ込む。

 唯一の脱出路はふさがれてしまった。どうする!?

 自然と頭の中に声が響き、小春に妙案を求める。

 力任せに退かす?

 筋力が足りない。

 何より下手に武力行使して、ミケランジェロさんにソレスタルビーイングされたら、高三の始業式を集中治療室で迎える羽目になる。


 ここはひとまず、声を荒げておくのがベストだろう。

「女子がヒスれば男子は道を空ける」は、「太陽は東から昇り、西へ沈む」級の摂理だ。声帯を暴れさせた程度なら、ビールで真っ赤なトランザムも飛んでは来ないだろう。マイスターに善意が残っているのを信じたい。

「どういう理由で追い掛けてようが関係ないだろ!」

「……開き直りっスか」

 小春の耳が失笑を捉えた瞬間、梅宮改の顔から何かが消えた。

 明るさ、温もり――。

 それを形容する単語は、語彙ごいの少ない小春にも何個か思い浮かぶ――が、どれも適切ではない気がする。ただ、意図的にとは言え血を上らせていた頭が、一瞬にして冷え切ったことだけは確かだ。


「俺たちが小春ちゃんにやった『ピカッ!』はね、〈MIBエムアイビー〉って言うんだ。普通はね、あの光を浴びたら記憶が消えちゃう。効かない人もいるにはいるけど、それって一〇万人に一人以下の確率だったりするんだよね」

 説明する傍らダルそうに立ち上がり、奴は小春に迫る。言い知れない威圧感に襲われた小春は、一歩、更に一歩と意図せず後ろを踏み、ついには壁に背中を着けた。

 獲物を追い詰めた奴は、小春を閉じ込めるように壁へ手を着く。鼻先に胸板が立ちはだかると、薄ら寒い影が小春の顔面を塗り潰した。


「ちょろちょろ後付け回して、僕らの秘密兵器も効かない――怪しくね?」

「てめぇ、どこの組の回しモンだ♪ 正直に言わねぇと、大事なお顔に傷が付くぜ♪」

 隣室の「くれない」を掻き消しながら脅迫すると、ミケランジェロさんは谷間からバタフライナイフを引っこ抜き、ベロリと舐めた。あの人はどうしてシャバにいるのだろう。

「まあまあ、およしなさいな、ミケランジェロさん」

 年寄り臭い言い回しで脱走犯を止めると、梅宮改は小春の瞳を覗き込み、静かにそして命令するように促す。

「正直に話してもらえちゃうね、お嬢さん?」

 壁際の窮屈さとは別の圧迫感が、小春の全身を締め上げていく。ガサゴソと床を擦る音に導かれ、足下に目をると、他の部分に比べればまだ自由になるつま先が、もぞもぞ揺れ動いていた。まるで「じっとしていなさい!」と母親に言われた子供だ。


 急げ! 急げ!

 狭い場所でバカ正直に口をつぐんでいる息苦しさが、徐々に唇を開かせている!

 小春は思考に鞭を入れ、何とかこの場を切り抜けるすべを叩き出そうとする。

 嘘をつく?

 見抜かれた。

 梅宮改が好きで追い掛けていた?

 否定してしまった。

 大体、小春は元々、嘘が得意ではない。真偽がすぐ表情に出てしまう。世間知らずの佳世にすら一秒で見抜かれるのに、目敏めざとい梅宮改を騙せるはずがない。


「佳世がお前のこと……」

 名案が見付からないまま、空気の重さが口をこじ開けていく。

「佳世がお前のこと、好きだって」

 暴露と一緒に力も出てしまったのか、小春の意思とは無関係に背中が曲がり、ずるずる壁を滑り落ちていく。尻が床に着いた拍子に、ポケットからプリクラを貼ったスマホが滑り落ち、佳世の笑顔を小春に突き付けた。

 一分前までは、お馴染みすぎて目も止めなかった顔――。

 今は目を逸らすことも出来ないほどの罪悪感で、深々と胸を突き刺す。


 最低だ。最低の最低だ。

 小春は何度も何度も自分を罵倒し、同じ回数、佳世に謝る。

 自分を信じて打ち明けてくれた想いを、誰かに、よりにもよって好意を寄せている相手にバラす?

 佳世に対する明確な裏切りだ。

 休み明けの月曜日、佳世にどう顔向けすればいいのか、小春には判らない。カミサマがいるなら、永遠に日曜日を繰り返して欲しい。


「か・よ?」

 妙に滑舌よく呟き、梅宮改は首を傾げる。

 小春には断言出来る。

 記憶を引っ掻き回したところで、佳世の顔は出て来ない。

 奴自身が述べた通り、イケてない二人と色男サマはノートを集める時くらいしか話したことがない。思い出せたとしても、せいぜい名字までだろう。名前を聞かせたのは、クラス替え直後の自己紹介が最初で最後だ。

 奴の口から「小春」が出ただけでも奇跡だ。

 関心を持っていた?

 いや、月曜の朝から金曜の放課後までゲラダヒヒのような声で騒いでいたら、好き嫌い関係なく顔と名前が一致する。佳世はヒヒよりずっとしとやかで、奴が声を聞く機会は出席を取る時だけだった。


 確かに、売店でパンを取ってもらった際に、佳世と奴は一度顔を合わせている。佳世はお姫さま扱いされたように目を輝かせていたが、それが奴の「手口」であるのは疑いようもない。

 他にも「お姫さま」がいるなら、個々のお顔立ちや名前なんかいちいち憶えていないだろう。向こうから近寄って来るのを待って、繁華街の不夜城にエスコートするだけだ。


「かよ、佳世ちゃんね」

 呟きながら小春のスマホを拾い上げ、奴はプリクラを確かめる。

「やっぱり、出席番号二番の阿久津佳世ちゃんだ」

「お、憶えてるの!?」

 仰天するあまり声を裏返し、小春は一気に立ち上がる。

「首相の名前は忘れても、女子の名前は忘れないの、改ちゃん」

 自慢げににんまりし、梅宮改は小春にスマホを差し出す。角張った指紋が佳世の笑顔を曇らせているのを見た小春は、とりあえず袖でプリクラを拭いておいた。


 梅宮改の口から佳世の名前が出た――。

 的中必至の予感が外れた驚きもさることながら、小春は複雑な気分だ。

 純真無垢が佳世が汚されたようで吐き気がするのに、飛び跳ねたいほど嬉しい。一番付き合いの長い友達が、空気扱いされていなかった。


「佳世ちゃんって結構おっぱい大きいし」

 下品に笑い、奴は空中をモミモミする。

「キンタマでも揉んでろ!」

 恥じらいも世間の目も忘れて絶叫すると、小春は梅宮改を突き飛ばし、壁際から逃れた。

 奴が佳世の名前を言ったと喜んでしまった過去を、ゴミ箱に捨ててしまいたい。結局、梅宮改は慰みものとして佳世を記憶していただけだ。

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