③D

 動機はともかく、佳世は一週間に一言ずつ口数を増やしていった。三学期の終わりには、結構、和気藹々わきあいあいとババ抜きしていたはずだ。

 反面、鈍臭さに好転のきざしはなかった。カン蹴りも隠れんぼも小春のストーキングに競技変更して、鬼のアシストをする。

 特に子供会のキャンプでやった川魚の掴み取りは、小春の印象に強く残っている。

 浅瀬に石で生けすを作り、大人が捕まえておいた魚を放す。ノルマは一人一匹で、達成した子供から外に出て行く。漁獲ぎょかくはそのまま焚き火にくべられ、昼食の串焼きになる寸法だ。


 小春を筆頭に、子供たちは最低限の労力で昼食を獲得していった。

 後で聞いた話だが、捕まえやすいように大人たちが弱らせておいてくれたらしい。そうでなくとも、物心付く前からセミやら野良猫やらと格闘している悪ガキどもは、動物の扱いに慣れているのだ。

 生けすから急造の漁師が一人減り、二人減り、魚のほうが多くなる。

 最後に残ったのは、案の定、鈍臭い佳世だった。


 なぜ一匹目を捕まえた時点で、佳世に渡してやらなかった!

 独力で挑ませればどうなるか、結果は見えていたはずだ!

 一人川の中に佇む佳世を思い出す度、小春の胸中は叱責で溢れる。早々に獲物を食い尽くし、串に残った塩を舐めていた自分をブン殴ってやりたい。


 小春の目には石組みの牢獄にしか見えない生けすは、心配に偽装した憐れみと苦笑を装った嘲笑に囲まれている。佳世はもう魚を追うのもやめて、ただ足下を見つめていた。

 何度も捕まえるのに失敗して、飛沫しぶきを浴びて、時には転んで、パーカーもデニムもびしょ濡れ。なのに瞳は乾いていて、佳世自身の頼りなさを軽蔑している。立ち尽くす姿に遠慮するでもなく、楽しげに飛び交う昼食時の談笑が憎たらしい。


 やっと痛ましい姿に目が行った小春は、急いで生けすに飛び込む。

 着水の衝撃にやられてぐったりしていた一匹を鷲掴わしづかみにし、佳世に差し出す。次の瞬間、急に尾びれがピチピチして、渓流の冷たい水が互いの頬を濡らした。

 湯煎ゆせんしたように顔の強張こわばりをほぐした佳世は、鼻から上は泣き顔、下は笑顔と器用な表情を作る。ひたすら「ありがとう」を繰り返す声は、渓流の囁きよりもか細かった。


 ようやく見えた気がする。

 我が身を危険にさらしても、佳世を守ろうとする理由が。


 自分はきっと、生けすに立ち尽くしていた時のような表情を二度と見たくない。


 あの乾いた瞳は、膿んだようにうずく後悔を、口中に広がる苦さを、醒ヶ井小春の人生に焼き付ける。喉を掻きむしるほど懊悩おうのうしたところで、時間をさかのぼれない以上、やり直す方法はない。選択した瞬間の自分を一生恨む羽目になってしまう。


 万が一、小春が自分の安全を優先した結果、佳世が命を落とすことになったら?

 串焼きを頬張っていた程度で、粘着的に胸をうずかせる自責の念は、時と場所を問わずに糾弾を浴びせ続ける。逃げ場も取り返すすべもない後悔に、心を壊されるのは疑いようもない。


 事情を教えて――。

 梅宮改に乞うのには、一秒と掛からない。

 でも二秒後には、明日を迎えられるか保証のない世界が待ち構えている。

 怖くない?

 もう息を吸うだけで、小春の膝は情けなく震える。

 次の呼気と共に声を出し、奴に話し掛けてしまうのではないか?

 ビルの屋上から地面を覗き込んだ時のように、絶対しないと言い切れるはずの無謀な行為を恐れる。

 すぐにでもこの部屋を出て、テレビからしか銃声の聞こえてこない我が家に駆け込んでしまいたい。防空壕ぼうくうごう代わりの布団に潜れば、間違いなく今日は明日へと繋がる。


 でも我が身の安全をれば、自責と言う終身刑を宣告される。

 じわじわと心を削り、精神を死に追いやっていくその刑は、一息に頭を撃ち抜かれるよりずっと恐ろしい。何より心と肉体と言う違いこそあれ、どのみち殺されるなら、佳世が手元に残るほうがまだマシだ。


 結論を出した小春は、自然と引き締まる表情に導かれるように背筋を伸ばしていく。

「……教えて」

 運命の一言を打ち込むと、明日との間に亀裂の走る音が耳に届く。

 これでいい、いいんだ――。

 全部終わった後には、魚を渡した時みたいに笑ってくれる――。

 自分に言い聞かせると、時間に後戻りを願う気持ちが多少静まった。


「決意は固い、みたいな顔しちゃって」

 やるせなさそうにこぼすと、奴は部屋に備え付けられたご意見、ご感想用の安箱やすばこからボールペンとメモ用紙を取った。

「はい、ぷれぜんとふぉー小春ちゃん」

 小春の前に差し出されたメモ用紙には、一一桁の数字がしたためられていた。

「何、コレ?」

「たっちゃんのケータイ番号。危ない目にっちゃった時のために登録しといて」

 キャピ♪ っとウィンクし、梅宮改は小春の手にメモ用紙をねじ込む。

 小春はそれをぐしゃぐしゃに握り潰し、パーカーのポケットに詰め込んだ。

「小春ちゃん、ホントにツンデレだなあ」

 棒読みっぽく評し、梅宮改はしっくり来なさそうに首を傾げる。

 奴のけがれた番号を登録するなんて、小春は死んでもゴメンだ。まあ、シシリアンマフィアにでも襲われた時のために、一応取っておこう。


「そだ、俺ばっかり個人情報教えちゃうの、フェアじゃないよね」

 さも思い付いたように手を叩き、梅宮改はマイクを小春に向けた。

「小春ちゃんのメアド、教えてちょんまげ」

「さっさと本題に入れ!」

 業を煮やした小春の一喝が、スピーカーをキーン! とハウリングさせる。「ちぇっ」と舌打ちすると、梅宮改は頬を膨らませながら渋々ステージに上がった。


「改めて説明しようとしちゃうと、結構ムズかったりしちゃうんだよなあ」

 悩める梅宮改はマイクで額を小突き、小突き、ステージを往復する。

「もう八〇〇年前の王様が作ったオー卒塔婆そとばってことで納得しようや♪」

 脳天気な世迷よまごとを吐き、ミケランジェロさんは選曲用の端末をいじりだす。世界が一〇〇人のミケランジェロさんだったら、我々はもう少し面白おかしく生きていけるだろう。

 彼女が端末を置いた途端、スピーカーから聞き覚えのあるメロディが流れだし、ミラーボールが真紅に染まる。劇的かつ女の情念を感じさせる旋律は、ジュディ・オングの「魅せられて」に他ならない。

「ああ、私、私♪」

 地獄突きっぽく手を上げた彼女は、ヒップアタックを決まり手にし、梅宮改をステージから押し出す。越中こしなかばりの一打を喰らった奴は、半ば転げるように小春の横へ座った。


「小春ちゃん、カミサマって信じる?」

 端末を聖書のように抱えた奴は、口の脇に手を当て、小声で訊く。

 他の人が熱唱する間は声をひそめる――カラオケ鉄の掟だ。

「はぁ?」と小春は耳に手を添え、パードゥンせずにはいられなかった。

 どんなテレビマガジン的設定で、ぼくたちわたしたちをワクドキさせてくれるのかと思えば、宗教の勧誘とは……。

 さてはミケランジェロさんとの取組で、頭のネジが緩んだな。

「小春ちゃんは優しいね。ミケランジェロさんなんか野坂のさか昭如あきゆきto大島おおしまなぎさな一撃を見舞っちゃったらしいよ、勧誘した女子に」

 しみじみ言うと、梅宮改は人差し指をピンと伸ばし、空に向けた。


「この宇宙にはカミサマが実在しちゃってる。これは冗談でも上九一色村かみくいしきむらへの招待状でもない。俺達の業界じゃ、理論的に証明されちゃってるお話なんだ」

「はいはい、そのカミサマが光の力と戦ったのね。それとも一万年前にトランプ的なバトルを開催して、人間が勝ち残ったの?」

「あらま、その目は信じちゃってない子の目だ」

 大袈裟に目を見開き、梅宮改は口に手を当てる。


「オマエ、またテキトー言ってんだろ……!」

 頬を膨らませてブーたれた小春は、苛立つあまりテーブルの脚を軽く蹴っ飛ばす。VS答案用紙より頭使って、思い出まで掘り起こして覚悟してみればこれだ。いっそミケランジェロさんの前にある生ビールをかっ食らってしまいたい。んなことしたら、「火垂ほたるの墓」な一撃をお見舞いされるが。

「騙すなら『俺が創世王そうせいおうだ!』くらい言ってるって」

 トマトジュースで喉を潤し、梅宮改はフレッシュな香りのする息を吐く。

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