どーでもいい知識その⑧ 口封じには写真撮影(ファンタジー的な意味で)

「選択を誤っちゃったね」

 同情の声を掛けながら、〈ダイホーン〉は餓鬼の下半身があった場所を見下ろした。

 トイレを出た瞬間に分裂し、四方八方へ逃げる――それがベストだった。買い物袋のミカンがばらけたように、どれを追えば……と混乱させられたし、一八二㌢の自分には通れない場所にも潜り込めたはずだ。

 それともわざと追えるようにし、人気のない場所に目撃者を誘い込んだのだろうか?

 この業界、小便器をフンガー出来る程度なら、殺せると判断してもおかしくない。まさか闘牛士がウシの鼻から串をブッ放してくるなんて、夢にも思わなかっただろう。


 ブルル! ブルル!

 前触れもなく仮面の中に警告音が鳴り響き、クワガタさんが青ざめる。

 モニターに表示されたのは、血塗られたホッピーのイラスト。

 大魔王のご到着だ。


「遅い~」

〈ダイホーン〉はギャルっぽく愚痴りながら、クワガタさんが指す山門に目を向ける。

「気持ち悪い……♪」

 笑みを曇らせていた大魔王は、派手によろめき、御神木に手を付く。

 う゛ぉぇぇ~。

 ホラ貝を濁らせたようなうめき声と共に、ゲロ……ゴホン、ビールと柿ピーの混合液が乾燥した根を潤していく。ある意味、五寸釘を打つ奴よりタチが悪い。

「急に走るとかマヂ無理……♪」

 あらかた胃の中身を吐き出した彼女は、弱々しく呟き、ハンカチで口を拭う。一見すると立ちくらみを起こしたご令嬢のようなお姿だが、酒臭い湯気を棚引かせるゲ●は、間違いなく彼女がお吐きあそばせたものだ。


「他人を痛めつける時は、ドロップキックもパワーボムも楽々こなすのに……」

 がっくり肩を落とす傍ら、〈ダイホーン〉は卒塔婆そとばに備わったタイピンを最下段の「P」に下げた。

覇阿禁愚パーキング

 読経どきょうが鳴った拍子にクワガタさんが唇を尖らせ、ねたように小さく手を振る。

 骸骨の闘牛士を形作っていた装甲が、黒いチューブがボロボロと崩れ落ち、遺灰状の粒子に変わっていく。変身が解け、肌が外気に触れるのを待っていたのか、狙い澄ましたように寒風が吹き、改の手をポケットに引っ込ませた。


「にしても、ハンカチ持っちゃってるなんて珍しかったりしちゃいますね。普段は袖だの裾だの活用しちゃってんのに」

「ああ♪」と何気なく呟き、ミケランジェロさんは一度境内を出た。

「これはこいつのだ♪」と、醒ヶ井小春の首根っこを掴んで戻って来やがった。

「待って、ちょっと待って、吐きそう、すっごく吐きそう」

 混乱とやるせなさのあまり御神木に壁ドンし、改は胃液の時化しけた胃を押さえる。ああ、世界が、世界が暗い。空襲警報でも鳴ったのか。

「ほら、ハンケチ♪」

 優しく呼び掛け、ミケランジェロさんは改の鼻先にハンケチを突き出す。

 ツンと目を刺す胃液の臭い――涙が出ちゃう、だって男の子だもん。


「何なんだよ、お前……」

 呆然と絞り出した小春は、一転、頭を振りながら猛烈に叫ぶ。

「あの怪物は何!? あの日曜朝八時に放送されそうな着ぐるみは!?」

「しばらくお待ち下さい」

 NHKっぽい口調で促し、改は戦犯への聴取を始める。


「……何であの子がここにいちゃうんです!?」

「お前が出てってすぐ、リバースしちまったんだ♪ まぁ、滝のように出るわ出るわ♪ 電信柱の前から動けなくなっちまってな♪ と、そこにやって来たのがあの小娘♪ せっかくだから介抱させて、ここまで案内させてやったってわけだ♪」

 説明もそこそこに、寒い、寒いと肩を揺すり始めた彼女は、ナスの残り火に手をかざす。

 ちょろちょろと景気の悪い焚き火では物足りなかったのだろう。

 冷え性の彼女は御神木の枝を次々へし折り、炎にくべていく。橙色に照らされた横顔と言い、念仏チックな鼻歌と言い、護摩業ごまぎょうみたい。

「恋愛脳のエテ公と思ってたが、なかなか使えるぞ♪ 一回くらい抱いてやれよ♪」

 ご機嫌そうに改の肩を叩くと、ミケランジェロさんは境内の外れにある茂みを指した。なるほど、ネアンデルタール人辺りが繁殖するには手頃なベッドだ。


「反射で生きるのも大概にしろよ……!」

 パンピー、それもこちらの身元を知る同級生を、みすみす秘密の露見する場所に連れて来る――。

 頭に血が上るあまり犬歯をき出しにすると、改はミケランジェロさんに肉薄し、メンチを切った。あばらの一本や二本は覚悟の上だ。むしろ、この飲んだくれに物申せるなら、腕の一本くらいもぎ取られてもいい。

 荒い鼻息に前髪をあおがれた彼女は、怯むでもなく悠然とタバコをくわえる。

「クソして寝りゃ忘れるよ♪」

「誰もがアンタと同じだと思うんじゃねぇよ! 脳細胞が酒焼けしてるアンタと!」

「なにぃ♪」と息巻くや、彼女は谷間から出したばかりのワンカップを仏像に投げ付ける。怒りに任せるまま彼女が改に額をぶつけると、視線と視線の鍔迫つばぜり合いが始まった。


「事実だったり! 宇宙人と合コンしても明日には忘れちゃってるよ、アンタは!」

「女子に理屈を求めるんじゃねぇ♪ 世の小娘どもを見てみろ♪ 反射で恋して、反射でいやらしいことして、反射ではらんで、反射でデキ婚じゃねぇか♪」

「無視すんな!」

 喉を裂かんばかりに怒鳴り、長々放置されていた小春が二人の間に割り込む。

「説明しろ!」

 強い口調で要求された改は、否応なく創作に着手する。

 国語は得意なほうではないが、この場合は問題ない。女子が絡むと、改の中にあるデタラメとデマカセの悪魔回路はけい以上の性能を発揮する。

 通り掛かりのスイマーです――。

 予定より早く帰宅した旦那さんに真顔で言った時は、パンツ一丁の自分が空恐ろしく思えた。

 それにギャーギャーとわめく度に、身体を揺り動かす小春の様子=声と動作を別々に出来ない=通知表で誉められる子ではない。多少無理のある話でも、不自然さに気付くことはないだろう。たぶん、通り掛かりのスイマーを、「精が出ますね」と見送るタイプだ。


「小春ちゃんが見たのはね、スーパーヒーロータイムの撮影だったり。来年から放送されちゃうんだ。お友達にはナイショだよ?」

 教育テレビのお兄さんのように優しく言い含めると、改はしーっと口の前に指を立てる。

坂本さかもと監督もいのくままさおもいねぇじゃねぇか!」

 意外や意外、小春は即座に反論すると、改の口の前にあった沈黙のマークを乱暴に振り払った。どうやら、通り掛かりのスイマーを包丁片手に追っかけるタイプだったらしい。あの時の旦那さんもそうだった。


「ピカッとやって忘れさせちゃえよ♪」

 不毛なやり取りに辟易へきえきとしたのか、ミケランジェロさんは投げやりに提案し、プリクラ用の笑みを作る。横にしたピースが今さらJKっぽくてむかつく。

「やっぱ、それしかなかったりしちゃいますか」

 自分の創作力への恨みを込めて溜息を吐くと、改はスマホを出し、トンカチマークのアプリを起動した。出来るなら避けたい行為だが、憶えていても幸せにはならない話だ。ぺちゃくちゃ喋って回れば、生死に関わる。


「はい、チーズ」

 呼び掛けながらスマホを向け、改は小春にフラッシュを浴びせる。

 激写された彼女はポカンと口を空け、ダランと四肢を垂らした。

 唐突な撮影に唖然としているわけではない。

 トンカチアプリの効果で意識を失ったのだ。


 スマホのフラッシュはハーバード大学の蔵書に匹敵する量、しかも「てにをは」が滅茶苦茶な文章で構成されている。

 視界を占拠したそれは、有無を言わさずに含有する情報を被写体の頭の中に流し込む。その間、実に一秒以下。被写体にしてみれば、いきなりヘッドマウントディスプレイを着けられて、超高速の映像を何年分も見せられるに等しい。


 しかも、その内容には一切脈絡がない。映像にたとえるなら、古今の映画、ドキュメンタリー、バラエティのツギハギだ。

 雑多な情報にもみくちゃにされた末、処理能力の限界を超えた被写体の脳は、一時的に「サーバーダウン」してしまう。これが意識を失う原因だ。

 ただスマホ程度の出力だと、自撮りレベルまで被写体に近付けなければならない。また正確にピントを合わせる必要がある。一撃で気絶と言う効果は魅力的だが、餓鬼のようにすばしっこい化け物相手なら、金串を当てるほうが簡単だ。

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